しかばね先生の小説教室

島崎町

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第24話 最後に失う大切なもの

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 コンコン。
 返事はない。

 ドアを開けると、月明かりが窓からおりて、だれもいないイスを照らしてる。
 夜のサッカ部。先生はそのうち帰ってくるだろう。

 イスに座り、原稿用紙をひろげる。
 いままで起きたことを書いておこう。

 ファミレスに編集が現れ、ひともんちゃくあって、帰るとマンションが燃えていた。ザムザとの悲しい別れがあって、サッカ部にやってきて、こうして原稿を書いている。

 ペンが止まる。「現在」まで書ききった。ここから先は、闇のなか。いつまでたっても「未来」を描けない。

 ペンを置くと、コトリ……。孤独な音が響く。

 しかばね先生のいないサッカ部は、主役のいない物語のようだ。それか、ルーのないカレーライスみたいなもの……それは単に白飯だ。

 でもこの物語の主人公は僕じゃないの? 原稿用紙に目を落とす。これは僕の物語。僕のことを僕が書いてる。だったら自分の物語くらい、自分で結末をつけりゃいいじゃないか。なのに。

 欠落と回復。しかばね先生はそう言った。欠落していたものが、最後に回復する。僕の欠落は、回復するんだろうか?

 ダメだ。力つきた。
 僕はぐたっと机に倒れる。腕をのばし、頭を乗せて、まるでしかばね先生が死んでいた姿勢のように。

 目を閉じる。もう眠い。
 長すぎた1日の終わり。同時に、締切最後の1日のはじまりだ。

 だけどいまは眠りたい。

 ふりそそぐ月明かりだけが、僕にやさしい。ふんわりした月光のふとんをかけられた僕は、すぐに、眠りに落ちて、

「おはよう」

 声がする。これは夢のなかなのか、現実なのか。だってさっき、眠ったばかりだよ。

「もう朝だよ」

 聞きおぼえのある、優雅で死にかけの声……

「死んじゃったのかな?」
「生きてますよ!」

 重いまぶたを開けると、明るい朝日が飛びこんでくる。一瞬で朝だ。
 目の前に、しかばね先生の美しい顔がある。

「なんだ、残念だなあ」
「残念がらないでください。僕はまだまだ元気……」

 あれ? 毛布がかけられてる。

「これ、先生ですか?」
「僕はそんなにやさしくないよ」
「じゃあだれが」

 言いながら体を起こすと、凍りついたように体がバリバリ鳴る。

「いてて……」

 こんなところで寝たからだ。それに、僕はここのところ満足に寝ていない。疲れがどんどんたまってきてる。

「だいぶ、やられてるみたいだね」

 楽しそうな先生の声だ。

「先生はずいぶん元気そうで」

 ちゃんと見ると、先生は死人なのに肌つやもよく、髪もサラサラ。生きてたときの死にかけ具合よりも、死んだいまの方が健康そうだ。

「うん、僕、調子いいんだよね」

 先生はくるりと反転したかと思うと、うーんと、のびをする。ひょろ長い背中が見える。朝日をあびて、白いYシャツと黒い髪が、キラキラ輝く。

「ところで、」

 先生がふり返って、

「小説は書けたのかな?」

 不敵な笑顔を見せる。

「それなんですけど先生、お願いがあるんです!」

 立ちあがろうとすると、先生が手で制する。

「また教えてほしい?」

 僕は座ったまま、

「はい! どうしても終わらないんです。ずっといまのことを書きつづけて、これじゃあキリがないんです!」
「なるほど、完結させる方法を教えてほしいと」
「はい!」
「じゃあ教えてあげようかな。きっとこれが、最後の授業だよ」

 覚悟はしてる。家が焼け、ザムザを逃がし、僕には失うものなんて、なにもない。

「先生、教えてください」
「よし」

 先生の笑みが朝日に輝いた。

「きみ、欠落と回復はおぼえてる?」

 そう言って先生は、部室のなかをキョロキョロ見まわす。

「はい。欠落したものが、最後に回復するってことです」
「そうだね。最後に回復して、めでたしめでたしなんだ」

 言いながら先生は、やっぱりあたりを気にしてる。落ちつかないなあ。

「先生、なにか探してるんですか?」
「ん? いや、大丈夫だよ」

 先生は僕の方を見て、

「欠落と回復の話だったよね。最後に回復する。じゃあそのことを、逆に考えてみたらどうなるだろう?」
「逆に考える?」
「つまり回復したってことは、終わったってことなんだ。回復して終わるなら、終わるためには回復させればいい」
「なるほど!」

 先生はくるりと身をひるがえし、本棚へ歩いていく。
 そうだ、回復させれば物語は終わる。だけど……

「先生、問題があるんです」
「なんだい?」

 先生は本棚まで行き、ゴソゴソなにか探してる。

「僕は欠落だらけなのに、回復ができないんです!」

 本棚につっこんだ先生の手が、止まる。ゆっくり、僕の方を見る。うれしそうな顔だ。

「そういうパターンもあるんだよ」

 先生は、本棚からなにか取り出す。でも手をうしろにまわして、それがなにかわからない。

「そういうパターンってなんですか?」

 先生はうしろ手のまま歩いてくる。

「回復しないパターンだよ。欠落と回復は基本だけど、なかには、回復しないで終わる物語もある。バッドエンドとか悲劇とか……」

 先生は僕の前まで来て、止まった。フフフ……と。

「そうですね。最後、回復しない物語もあるような気がします」
「でしょ? 欠落と回復には2種類あるって言ったよね。ストーリーと登場人物だ。たとえば、ストーリーの欠落は回復するけど、登場人物の方は回復しないとか、そういう組み合わせもある。事件は解決したけど、主人公は死ぬ、とかね」

 先生は僕の前にヌッと立って、イスに座ったままの僕を見おろす。

「でも先生、」
「なに?」
「この物語の主人公は僕なんですよ。僕の欠落と回復なんです」
「だね」
「なのに回復しないって、まずくないですか?」
「まずいね」
「まずいねじゃないですよ! 僕は締切までに書かないと殺されるんすよ! それに先生に教わるごとに、大切なものを失っていくし!」
「欠落だ」
「それが回復しないラストなんて、ありえるんですか!」
「ありえるだね」

 先生が、手に持ってるなにかを、背中でそっと持ち替える。

「そうしてきみはまた、僕に教わってしまったね。欠落と回復の、回復しないバージョン。またひとつ、たいせつななにかを失うよ」
「でも……僕にはもう、なにも残っていません」
「残ってるよ、あとひとつだけ」
「なにもないですよ!」
「あとひとつ!」

 先生が腕をふりあげる。

「きみの命だよ!」

 ナイフがギラリと光る。
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