21 / 28
第21話 あたらしい契約
しおりを挟む
糸谷美南のお見舞いだと言うと、
「会えるかわかりませんよ」
受付の女性が冷たく言う。
僕は息を切らしながら、
「それでもかまいません!」
4階にあがると、ナースステーションで、若い看護婦さんが待ちかまえている。
「意識がないから話せませんよ」
「いいんです!」
看護婦さんはハッとした顔をする。
「あなた、友達なの?」
僕は一瞬考えて、
「いいえ」
友達じゃなく、しかばね先生の言葉が本当なら、彼女は未来の奥さんなんだ。
「じゃあどんな……」
「なにしてんの」
太い声がして、奥から年配の看護婦さんがノシノシやって来る。
「あ、婦長、糸谷さんのお見舞いで……」
「ダメ。帰ってもらって」
直接僕に言わず、若い看護婦さんに言う。
「でも!」
僕の声なんか聞かず、婦長と呼ばれたイノシシみたいな女は、ナースステーションの奥へいなくなる。
僕と、若い看護婦さんだけが残される。
「お願いします、会いたいんです」
若い看護婦さんが、ナースステーションをふり返る。
だれも、見ていない。看護婦さんは僕の方に顔を近づけて、
「501号室。はやく行ってあげて」
「ありがとうござます!」
僕は廊下を急ぐ。
501号室。ここだ。
そっとドアを開け、中に入る。
白一色、時が止まったみたいに静かだ。
ふたり部屋の、手前のベッドは空。その奥に、ベッドがもうひとつ。カーテンで仕切られて、ここからじゃ見えない。
ゆっくり、近づいていく。
仕切りのカーテンの、前を通る。
見えた。
小さな頭が、まくらの上に乗って、目を閉じたまま動かない。黒い髪、無垢な顔……あの子だ。図書室で会った、あの子が寝てる。
胸が痛い。心が切り裂かれる。「北条かな」と「糸谷美南」は同一人物だったんだ。
目の前で、僕の未来の奥さんが、失われようとしている。素人の僕が見てもわかる。小さい体から、生気が失われて、毎秒毎秒、死に近づいてる。
「ごめん……」
声が震える。僕が書けないばかりに、僕がしかばね先生に小説を教わったばかりに、あなたをこんな目にあわせて……。
心の底から自分を憎んだ。書けない自分を。
ベッドの端に手を置くと、白いフトンの感触があって、僕は思った。
救いたい。
絶対、なにがあっても、僕はあなたを助けます。
*
「先生! どうしてくれるんですか!」
サッカ部にもどると、いちばん奥のイスにおさまって、しかばね先生はまだそこにいる。
「どうもしないよ。言ったじゃないか、契約だよ」
「じゃあじゃあ!」
「炒め物みたいな声出さないでよ」
「じゃあ新しい契約を結びましょう!」
「ん? なに?」
「小説を書きあげます、そしたら彼女を救ってください」
「きみそれ、因果はつながってる? 小説を書くから彼女を救えって、おかしくない?」
「独自の因果です! 先生が教えてくれた!」
「独自の因果であっても、物語内では、その因果はずーっとスジとして通っていないといけないんだよ。突然出てきた不可解な因果のことではないんだよ」
「因果なんてもうどうでもいいんです!」
「いやいや、よくはないよ」
「いいんです! 先生、僕は彼女が元気になればいいんです。べ、別に奥さんにならくても……僕はただ、彼女に元気になってもらいたいんです……本当に……そのために……」
あふれ出しそうになる感情を、グッと目の奥でこらえる。
「先生、僕は小説を書きます。だから」
「それじゃあきみ、いいことづくめだよね。小説もできて、未来の奥さんもいて」
「でも僕にはいま! なにもないんです!」
夜のサッカ部に、悲鳴のような声が響く。
「欠落しか、ないんです……。だから小説を書いて、欠落を、回復したいんです……」
声はしだいに小さくなっていき、暗闇に吸いこまれて消えた。
「わかったよ」
先生の声が聞こえた。
「先生!」
顔をあげると、先生の顔はおだやかだ。
「しかたないなあ、小説を書けたら、糸谷美南を救ってあげるよ」
「本当ですか!」
「ウソだよ」
「ウソですか!」
「いやいや」先生が笑う。「それもウソ。大丈夫、ちゃんと救ってあげるよ」
「もう! ビックリさせないでくださいよ!」
「フフフ……でも大丈夫なのかな? あと1日だよね」
「そうなんですよ~」
たった1日で小説を書くなんて、できるわけない。せっかく喜んだのに、天国から地獄とはこのことだよ。
「しかたない、教えてあげるかな」
「いい方法あるんですか!」
「うん。絶対に書ける方法がひとつだけある。そのかわり、契約はまだつづいてるからね。きみはまた、ひとつ失う。それでもいい?」
漆黒の黒髪をかきあげ、先生が僕を見る。どこまでも妖しく、どこまでもやさしい笑顔。
「わかりました」
覚悟を決める。小説を書くためなら、彼女を……糸谷美南を救うためなら、僕はなにを失ってもいい。
「小説の材料は、ここにあるよ」
先生が、僕を見て言う。
「どこですか?」
「ほら、僕の目の前に」
先生の目が、白く輝く。その先には、
「僕ですか?」
「そう。きみは自分のことを小説にするんだ」
「そんな……」
「いまから小説を考えても間に合わない。でも自分が経験したことなら、話はもう決まってる。あとは書くだけだ」
「でも、自分のことを書いて、面白いんでしょうか?」
「面白い。ハッキリ言ってきみはすごい経験をしてるんだ。地獄の亡者のために小説を書くことになって、しかも書かないと殺される」
「たしかにそうですね。なによりいま、死んだ先生に小説を教わってますしね」
「そう、死んだかっこいい先生に教わってるんだよ」
「『かっこいい』をつけ足さないでください」
「さあ、この体験を小説にするんだ。締切に間に合わせるためには、これしかない」
自分のことを書く。そんなこと想像もしなかった。だけど言われてみれば、たしかにここ数週間は激動だった。
「わかりました。書きます」
「がんばるんだよ。ヘル出版のペンと原稿用紙もあるし、きっと書けるよ」
「ん? どういうことですか?」
フフフ……。先生は不敵に笑う。
「教えてもいいけど、もうひとつ失うよ」
「いいです! もうけっこうです!」
そうだ、僕は大事なものをひとつ失ったんだ。それがなんなのか、わからないけど。
「物語を途中で終わらせてはいけない」
先生が言う。
「小説は、書きはじめたら必ず完結させないと。ひとつ書き終わるごとに、能力はグンとのびる、それがきみたち作家なんだ」
「わかりました、必ず書きあげてみせます!」
気持ちが燃えあがる。
サッカ部をあとにして学校を出る。
外は暗く、僕は夜のなかに飛びこんだ。
「会えるかわかりませんよ」
受付の女性が冷たく言う。
僕は息を切らしながら、
「それでもかまいません!」
4階にあがると、ナースステーションで、若い看護婦さんが待ちかまえている。
「意識がないから話せませんよ」
「いいんです!」
看護婦さんはハッとした顔をする。
「あなた、友達なの?」
僕は一瞬考えて、
「いいえ」
友達じゃなく、しかばね先生の言葉が本当なら、彼女は未来の奥さんなんだ。
「じゃあどんな……」
「なにしてんの」
太い声がして、奥から年配の看護婦さんがノシノシやって来る。
「あ、婦長、糸谷さんのお見舞いで……」
「ダメ。帰ってもらって」
直接僕に言わず、若い看護婦さんに言う。
「でも!」
僕の声なんか聞かず、婦長と呼ばれたイノシシみたいな女は、ナースステーションの奥へいなくなる。
僕と、若い看護婦さんだけが残される。
「お願いします、会いたいんです」
若い看護婦さんが、ナースステーションをふり返る。
だれも、見ていない。看護婦さんは僕の方に顔を近づけて、
「501号室。はやく行ってあげて」
「ありがとうござます!」
僕は廊下を急ぐ。
501号室。ここだ。
そっとドアを開け、中に入る。
白一色、時が止まったみたいに静かだ。
ふたり部屋の、手前のベッドは空。その奥に、ベッドがもうひとつ。カーテンで仕切られて、ここからじゃ見えない。
ゆっくり、近づいていく。
仕切りのカーテンの、前を通る。
見えた。
小さな頭が、まくらの上に乗って、目を閉じたまま動かない。黒い髪、無垢な顔……あの子だ。図書室で会った、あの子が寝てる。
胸が痛い。心が切り裂かれる。「北条かな」と「糸谷美南」は同一人物だったんだ。
目の前で、僕の未来の奥さんが、失われようとしている。素人の僕が見てもわかる。小さい体から、生気が失われて、毎秒毎秒、死に近づいてる。
「ごめん……」
声が震える。僕が書けないばかりに、僕がしかばね先生に小説を教わったばかりに、あなたをこんな目にあわせて……。
心の底から自分を憎んだ。書けない自分を。
ベッドの端に手を置くと、白いフトンの感触があって、僕は思った。
救いたい。
絶対、なにがあっても、僕はあなたを助けます。
*
「先生! どうしてくれるんですか!」
サッカ部にもどると、いちばん奥のイスにおさまって、しかばね先生はまだそこにいる。
「どうもしないよ。言ったじゃないか、契約だよ」
「じゃあじゃあ!」
「炒め物みたいな声出さないでよ」
「じゃあ新しい契約を結びましょう!」
「ん? なに?」
「小説を書きあげます、そしたら彼女を救ってください」
「きみそれ、因果はつながってる? 小説を書くから彼女を救えって、おかしくない?」
「独自の因果です! 先生が教えてくれた!」
「独自の因果であっても、物語内では、その因果はずーっとスジとして通っていないといけないんだよ。突然出てきた不可解な因果のことではないんだよ」
「因果なんてもうどうでもいいんです!」
「いやいや、よくはないよ」
「いいんです! 先生、僕は彼女が元気になればいいんです。べ、別に奥さんにならくても……僕はただ、彼女に元気になってもらいたいんです……本当に……そのために……」
あふれ出しそうになる感情を、グッと目の奥でこらえる。
「先生、僕は小説を書きます。だから」
「それじゃあきみ、いいことづくめだよね。小説もできて、未来の奥さんもいて」
「でも僕にはいま! なにもないんです!」
夜のサッカ部に、悲鳴のような声が響く。
「欠落しか、ないんです……。だから小説を書いて、欠落を、回復したいんです……」
声はしだいに小さくなっていき、暗闇に吸いこまれて消えた。
「わかったよ」
先生の声が聞こえた。
「先生!」
顔をあげると、先生の顔はおだやかだ。
「しかたないなあ、小説を書けたら、糸谷美南を救ってあげるよ」
「本当ですか!」
「ウソだよ」
「ウソですか!」
「いやいや」先生が笑う。「それもウソ。大丈夫、ちゃんと救ってあげるよ」
「もう! ビックリさせないでくださいよ!」
「フフフ……でも大丈夫なのかな? あと1日だよね」
「そうなんですよ~」
たった1日で小説を書くなんて、できるわけない。せっかく喜んだのに、天国から地獄とはこのことだよ。
「しかたない、教えてあげるかな」
「いい方法あるんですか!」
「うん。絶対に書ける方法がひとつだけある。そのかわり、契約はまだつづいてるからね。きみはまた、ひとつ失う。それでもいい?」
漆黒の黒髪をかきあげ、先生が僕を見る。どこまでも妖しく、どこまでもやさしい笑顔。
「わかりました」
覚悟を決める。小説を書くためなら、彼女を……糸谷美南を救うためなら、僕はなにを失ってもいい。
「小説の材料は、ここにあるよ」
先生が、僕を見て言う。
「どこですか?」
「ほら、僕の目の前に」
先生の目が、白く輝く。その先には、
「僕ですか?」
「そう。きみは自分のことを小説にするんだ」
「そんな……」
「いまから小説を考えても間に合わない。でも自分が経験したことなら、話はもう決まってる。あとは書くだけだ」
「でも、自分のことを書いて、面白いんでしょうか?」
「面白い。ハッキリ言ってきみはすごい経験をしてるんだ。地獄の亡者のために小説を書くことになって、しかも書かないと殺される」
「たしかにそうですね。なによりいま、死んだ先生に小説を教わってますしね」
「そう、死んだかっこいい先生に教わってるんだよ」
「『かっこいい』をつけ足さないでください」
「さあ、この体験を小説にするんだ。締切に間に合わせるためには、これしかない」
自分のことを書く。そんなこと想像もしなかった。だけど言われてみれば、たしかにここ数週間は激動だった。
「わかりました。書きます」
「がんばるんだよ。ヘル出版のペンと原稿用紙もあるし、きっと書けるよ」
「ん? どういうことですか?」
フフフ……。先生は不敵に笑う。
「教えてもいいけど、もうひとつ失うよ」
「いいです! もうけっこうです!」
そうだ、僕は大事なものをひとつ失ったんだ。それがなんなのか、わからないけど。
「物語を途中で終わらせてはいけない」
先生が言う。
「小説は、書きはじめたら必ず完結させないと。ひとつ書き終わるごとに、能力はグンとのびる、それがきみたち作家なんだ」
「わかりました、必ず書きあげてみせます!」
気持ちが燃えあがる。
サッカ部をあとにして学校を出る。
外は暗く、僕は夜のなかに飛びこんだ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
強制憑依アプリを使ってみた。
本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。
校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈
これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。
不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。
その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。
話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。
頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。
まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

満ち欠けのユートピア
朝日みらい
ミステリー
大学教授月影と学生たちが結成した〈ユートピア〉が計画した公園の爆破事件から、運命を狂わされた月子と陽子たちの数奇な物語が始まります……。長編作品、完結します。
【毎日更新】教室崩壊カメレオン【他サイトにてカテゴリー2位獲得作品】
めんつゆ
ミステリー
ーー「それ」がわかった時、物語はひっくり返る……。
真実に近づく為の伏線が張り巡らされています。
あなたは何章で気づけますか?ーー
舞台はとある田舎町の中学校。
平和だったはずのクラスは
裏サイトの「なりすまし」によって支配されていた。
容疑者はたった7人のクラスメイト。
いじめを生み出す黒幕は誰なのか?
その目的は……?
「2人で犯人を見つけましょう」
そんな提案を持ちかけて来たのは
よりによって1番怪しい転校生。
黒幕を追う中で明らかになる、クラスメイトの過去と罪。
それぞれのトラウマは交差し、思いもよらぬ「真相」に繋がっていく……。
中学生たちの繊細で歪な人間関係を描く青春ミステリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
泉田高校放課後事件禄
野村だんだら
ミステリー
連作短編形式の長編小説。人の死なないミステリです。
田舎にある泉田高校を舞台に、ちょっとした事件や謎を主人公の稲富くんが解き明かしていきます。
【第32回前期ファンタジア大賞一次選考通過作品を手直しした物になります】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる