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第6話『王女のお仕事』

(053)【4】王女のお仕事(4)

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(4)
 ギルバートの言葉を聞いてから後のことをユリシスはよく覚えていない。
 冷静になったつもりで話を聞く態勢を整えたものの、さっぱり──ギルバートの声を聞いているフリをするのに飲んだ紅茶の味も思い出せない。どうやって自宅に帰ったのかも、いまいちはっきりしない程だ。
 気付けばいつも通り『きのこ亭』の自室で朝を迎えていた。例の如く早くに目を覚まして、ごく普通の日常が始まっていたのだ。
 ベッドから身を起こし、寝巻きのままで丸窓から白い朝陽を浴びた。
 思い返しても細かには蘇らない記憶の中で、鮮明に浮かび上がるギルバートの微笑と「弟子にならないか」という声。
 衝撃が大きかった。
 多分、返事は保留にして帰ってきたと思う。
 嬉しくて卒倒しそうな気持ちと──なぜ? どうして?──という疑問。さらには、黒装束の連中とグルであるという事はないだろうか、だとしたらそれはとても恐ろしい──罠の予感。
 魔術を使える事はバレていないはずだ。そんな節は見せていない。だが、以前魔術戦をしてしまったアルフィードが何か気付いていたら? それを告げていたら?
 素直に嬉しいと思っていたいのに──。
 魔術師を目指す者、つまり第九級魔術師資格を受験する予備校生が、正魔術師に弟子入りする事は実はそう珍しくない。
 ただし、この場合、お金を払って弟子になる、という不思議な形をとる。これは予備弟子と呼ばれている。
 本来、魔術を使用する資格を得た第九級から第六級で弟子になった場合、師の仕事を手伝う労働対価として生活費を面倒みてもらいながら、魔術を学ぶ。
 魔術師が弟子を取るという事は、砕いて言ってしまえば、仕事の助手──雑用係りを魔術指導と衣食住を提供する事で雇っているのだ。
 魔術師の仕事を手伝うという行為は、第九級魔術師以上の資格が無ければ出来ない。資格が無ければ特定の書物や薬品の扱委が禁止されているからだ。この資格が無い予備校生が弟子になる場合、生活の雑用をこなしつつ第九級魔術師資格取得の為の勉強をさせてもらうという形になる。
 魔術師の仕事は特殊だ。
 そもそも魔術の基本たるルーンなど古代語から魔術に即して変化したため、口語など文化の面で変遷を辿った日常の言語と異なってしまった。
 古代メルギゾーク言語とほぼ同じである魔術語と、現代ヒルド国の言語は違うものになった。今の魔術師は言うなればヒルド語を読み書きしながら、古代メルギゾーク話で魔術きせきをおこす特殊な人類。
 魔術を使えるか使えないかの能力格差は言うまでもなく大きい。
 資格が無ければ出来ない事が多いのは当然。
 従って、予備校生の弟子に出来る事はせいぜい家事手伝いというレベルに留まる。そうなると弟子としては役立たず……結局、予備校生側が魔術師にお金を払ってでも予備弟子となり、資格試験に受かるように先行者に学ぶというのが一般的だ。
 予備校生は衣食住を自分で負担しつつ、魔術師が自分に勉強を教えてくれる時間分の賃金を払う──魔術師を家庭教師として雇っているようなものである。
 魔術師は第九級以上の資格を持たない者に、実践的な魔術指導、知識を伝える事をオルファースによって規制されている。魔術は魔術師のもの──という意味だ。
 魔術師は予備校生に魔術を教える事は出来ない。
 教えられるのは第九級魔術師資格試験出題範囲の魔術概論や歴史など輪郭部分の学術的な内容に限られる。
 ユリシスの記憶が正しければ、ギルバートはこう付け加えていた。
 ──予備弟子料はいらないから……と。
 ユリシスにはお金がない。
 第九級魔術師資格試験の受験資格が、オルファースの予備校での全授業出席。この予備校の授業料も馬鹿にならない。これと生活費だけでユリシスは一杯一杯なのだ。服なんてずっと常連さん周りからお古を頂いたり、教会主導の貧民救済の施しを分け与えてもらったものだ。
 成長が止まった三年前からは少ない服を着まわして買い換えていない。
 見えない部分でツギハギなほどの貧乏ぶりだ。
 だから、ギルバートの申し出には素直に嬉しいと、思いたかった。
 ──朝陽が眩しい。
 毎日変わらず昇る太陽。見回せば何も変わらない日常なのに……。
 どうしてこうも、眺める自分の気持ちが揺らいでるだけで、陽光は刺す程痛いものに感じられるのだろう。
 後ろめたい気持ちになるのだろう。
「……なんでこんなに隠し事ばっかり……」
 魔術を使える事を言えたらどんなにいいだろう。
 おそらく命を狙われていると打ち明けられたら、どんなに心は楽になるだろう。
 赤みがかる紫紺の瞳に影がさす。
 気持ちとともに自然とうつむき、髪がぱらぱらと流れた。
 まるで太陽を、光を避けて生きていかねばならないような気がして悲しかった。堂々と魔術師になりたいのに、今はこんなにも追い詰められている。
 どうしたらいいのだろう。誰に言えばいいのだろう。
 誰にも言えないし、どうしたらいいのかなんてわからない。
 ユリシスは窓の枠に両手をかけたまま、しゃがんだ。窓枠にぶら下がるような態で額を壁にコツンとつけた。壁が冷くて気持ち良かった。二、三度、そのまま壁に額をコツンコツンとそっとぶつけた。
 太陽の光の届かない窓の真下で、ユリシスは怯んで身動きが取れなくなってしまっていた……。



 ユリシスが困惑の朝を迎えていた頃、王城は王の広い私室で、寝巻きに大きなガウンを肩にかけたギルソウ国王が天蓋付きのベッドの脇に立っていた。
 窓はなく、天蓋の周りにある久呪石のうっすらとした灯りが皺の刻まれたギルソウの横顔を照らす。
 この部屋には彼ともう一人、彼の忠実な僕がいる。
「ゼット……」
 王は暗がりに呼びかけた。すぐ、一際濃い闇の塊が浮かび上がる。次第にその影が──人が跪いるものだとわかる。
「ここに」
 影はそう言った。
「マナの動きを見逃すな──あれは……」
 王の眼差しに闇が揺れる。眼裏には、笑顔に溢れていた十六歳までの愛娘の姿が蘇る。あの頃に戻れたならば──などと、最早考える時ではない。
 感傷を振り切り、王は言葉を続ける。
「多くを忘れすぎている。二十四になるというのにあまりに危うい。何をしでかすかわからん」
 影は深く頭を垂れ、微かな声で返事をした。王は小さく頷き、左足を下げて体を影に向けた。
「昨夜の件だが……副総監ギルバート・グレイニーの動きも追っておくように。どうやら、あの男が一番近い」
「──はっ」
 はっきりとした声で影は応えた。その脳裏にはギルバートと対峙した時の光景でも蘇っているのだろう。
「再度問うが、『例の娘』……目覚めておるのか?」
「……はっきりとは申し上げかねます。ただ、現段階では、目覚めてはいないように思われます」
 暗がりに声だけが空気を震わせた。
「そうか。どちらにせよ、その娘には酷だが、極秘裏に私の下へ連れてくるように──生死は問わぬが、必ずマナよりも先であるように」
「かしこまりまして」
 やがてゼットと呼ばれた闇の塊、ギルソウ国王の隠し忍びにしてその一族の長、ゲドの父は気配ないままに姿を消した。
「ああ──ゼット」
 付け足すように王が呼び戻す。
「ここに」
 姿を見せぬままゼットの返事がある。
「“あれ”の具合はどうか──?」
「……先日の国民公園での大火以来、大変お元気でらっしゃいますよ」
「やはり、勘付いたか」
「私にはわかりかねる部分ですが、『あれほどの魔力波動は間違いない』と。王妃の高笑いなど初めて拝見しました」
「……そうか……──もうよい……」
 沈んだ声で独りごちる国王を置いて、ゼットは静かに去った。
 それからしばらく、王は思考の闇に身を捕らわれていた。
 朝、侍女達が訪れるまでじっとして動かなかった。
 侍女達が扉を開き、部屋に朝陽が注がれてやっとギルソウは動き始めたほどだ。
 赤いストレートの長い髪は美しく、整った顔立ちとピンと伸びた背筋が五十歳という年齢を感じさせない。見る者をうっとりとさせる。ただ、国王の瞳にもまた、憂いの影が落ちているのだった。


 マナの私室でもやはり同じように密談があった。マナは隠し忍びのゲドと二人きりで対話していた。
「──父に先んじなければ意味がありません」
 静かな口調にも決意めいた力が秘められている。
「紫の瞳の少女がこの現世にある事を知れば、父は必ず動きます。なんとしても父より先に……」
「はっ」
「……父が……“力”を前に愚かな道を選ばぬよう……外さぬよう、私が見届けなくては……」
「……」
 引き締めていた唇をふっと緩め、マナはゲドを見下ろす。
「いつもながら侍女達は母の容態については応えてくれません。父が口止めしているのはわかるけれど……病状はどうなのかしら? もし探る事が出来たら、そっと、そっとで構わないから様子を見て、私に教えて」
「かしこまりまして」
 短く答え、ゲドは姿を消した。
 部屋は、降り注ぐ眩しい朝陽を浴びて白く輝いていた。
 父と同じように寝巻きにガウンを着てマナは立っていた。
 赤く豊かな髪は結い上げずに垂らしている。父譲りの髪の色だが、長さは父よりもずっとある。容貌もまた、男女の違いはあれ、父に似ていた。
 母である王妃は、妹姫エナが生まれた頃から体を崩して王城のどこかでひっそりと治療にあたっているという事だった。これは国民には伝えられていない。
 うつるひどい病という事で母は隔離され、マナでさえ会わせてもらえないのだ。
 どんな治療も薬も、魔術もその病に抗する事はできなかったと聞かされた。
 母の代わりに父をしっかりと見ておかなくてはとマナは思うのだ。
 代々、国王の一番の相談役が王妃だった事を思えば、マナは第一位王位継承者としても、母の代わりにその役目を果たしたいのだ。が、それを父は拒まれているのが現状。こうして自らが敵──とまでは行かなくともそれに近い存在としてでもって彼を監査する事は、とても重要……王女である自分の仕事であると認識していた。
 だから、いくら縁談を勧められようと、母が戻るまではとマナは思うのだった。


 時の流れはいたずらに父と子に溝を作り、本音と建て前が混同し、いつしかマナのギルソウを敵視する眼差しは本物となった。あるいは、始めから憎むべき理由をすり替えた結果であったかもしれない。
 思いはやがてねじれ、いつの間にか抜き差しならぬ敵対関係になっていたという事実から、マナは目を逸らしたかった。逸らす為、自ら己の仕事であると、言い聞かせていた。
 全てを明かさぬ父と己にすら心を隠すマナ、姿を見せない母の三者は平行線をたどる。
 それが『紫紺の瞳の少女』の存在が発覚した事から交差を始め、それまでにない血生臭い香りが少しずつ、王城に染み込みはじめるのだった──。
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