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第5話『……だから』
(035)【4】……だから(4)
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(4)
「──え、はい」
背はユリシスと変わらないか、少し高い。
「まあー、まあまあまあ、それは素晴らしいわ。ちょっと待っててね、お紅茶を持ってきましょうね。お茶菓子は何がいいかしら? 焼き菓子がいいかしら? それとも果物を甘く漬けたお菓子がいいかしら??」
老婦人は、まるで小さな子供に対するようにユリシスに矢継ぎ早に問う。なんだかこちらまで釣られて笑ってしまいそうな、嬉しそうな様子で扉から出て行こうとして、足を止めてくるりとユリシスを振り返った。
「あらあら、私ったらお名前を聞いていなかったわ。あなたはだあれ?」
「え、あの、ユリシス……です」
「そう、ユリシスちゃんというのね。待っててね、今、とっておきのお紅茶を持ってくるから。うふふ、ネオがシャリーちゃん以外のお友達を連れて来るなんて初めてよ、ふふふ。こんな素敵な日に巡りあえてとってもうれしいわ!」
スキップさえしかねない様子で老婦人は扉の向こうへ消えた。
ユリシスの方は彼女の正体を聞きそびれてしまうが、言動から考えれば、先程チラリとネオが話題に出した「おばあさま」だろう。
「……自分が偏見まみれだったと思い知ったよ……」
高慢ちきな金持ちというイメージだったユリシスの貴族へ先入観は、脆く崩れ去ってしまったようだ。
どうにもネオの言ったおばあさまの「うるさい」部分というのは、「お友達を連れておいでなさい」という意味で「うるさい」のであろうと、容易に理解出来た。
ネオが先か、さっきの老婦人が先か、再び手持ち無沙汰になってしまったユリシスは、カタンと窓を開けなおして待った。
十分ほどして老婦人の方が先に小屋へと戻ってきた。
手にはお茶菓子の器とティーセットと空のカップを二個伏せて置いた盆があった。
「お待たせ! 良かった、まだ居てくれて。このお紅茶、とってもおいしいのよ」
奥の椅子に腰掛けていたユリシスの、テーブルを挟んだ正面、扉側の椅子に老婦人は座ると、紅茶を淹れる準備を始めた。
いつの間にか、ネオの客は、老婦人のお客様になってしまったらしい。
相変わらず鼻歌を歌う陽気な老婦人。鼻歌で、ユリシスは思い出した。
「あの、さっき庭に水をやってた時、あれ、魔法ですよね?」
ユリシスは魔術師ではないから、普段は魔術に疎いフリをしたり、そういった人に話をあわせる。『きのこ亭』では皆、堅いイメージのある魔術ではなく、同義の魔法という言葉を使う。疎いフリには魔法と言うのが手っ取り早い。
「そうよ。今の季節は夕方に水をあげるのがいいんですって」
「あのう、おばあさんも魔術師なんですか?」
「あらあらあら、私、言ってなかったかしら? 私、デリータ・バハス・スティンバーグ、ネオのおばあちゃんで、あの子のお師匠さんよ」
「え!? そうなんですか?」
「そうなんですよ。ふふふ」
ネオは第一級魔術師、ならばこの人も第一級魔術師なのかとユリシスの頭の中で疑問が浮き上がる。残念かな、ユリシスは目の前の陽気な老婦人をオルファース総監であるとは結びつけられなかった。……ユリシスの第九級資格取得の合格証を、八度も試験に来ていた彼女に一度だって授与してくれなかった、オルファースの頂点のその人であるとは、繋がらなかったのだ。
老婦人は鼻歌は歌うが、ユリシスに問いを投げてくる事は無かった。それはユリシスにとっても気が楽だった。偏見はやめるべきかもしれないと思いつつも、どこの家の者かと家柄を問われたら何と答えれば良いかわからない。魔法なんて言ってみたが、魔術師でないのにネオの友人だなんて、どんな知り合い方をしたのかと問われたら、また答えにくい。かと言って話題が尽きたままというのもどうだろうかとユリシスは考えて、口を開く。
「あの、大きなお邸ですね」
「ありがとう。でも、別に私が建てたのではないのよ。
むか~しむかしの、ご先祖様が建てて、改修を重ねただけのお邸」
「私、こういうお邸に縁が無いから、やっぱりスゴイなぁって思っちゃいます」
何がどうすごいのか全く具体的でないユリシスの答えだが、とりあえず笑顔で言ってみれば、老婦人デリータも「あらそう、ふふふふ」と笑って応えてくれた。
だが、ふぅ息を吐いて真顔になった。紅茶の入ったカップをゆっくりとユリシスの前に置いてくれる。
「だけどね、住む人のないお邸なら、これほど無駄な事はないわ」
「──え?」
「ネオの両親、私の息子夫婦は、この古いお邸が気に入らなかったのね、結婚してとっとと出て行ってしまったのよ。私には何人か子供がいたけれど、皆そうね、この古すぎるお邸を継いではくれなかったわ」
デリータはお茶菓子の入った器を、ユリシスの正面に置いて「どいぞ」と勧めてくれた。
「大きくて古いこのお邸は、管理が大変なの。改修もしなくちゃいけないし、大昔の技術を使って作られているせいもあって直せる職人さんもほとんどいないのよ」
「…………」
「例えどれほど大きくて素晴らしいものでも、使われなければ、意味がないわ。無いのと、同じね」
そう言って自嘲気味に笑う笑顔は、ネオと似ていた。
「ネオはこの小屋に寝泊りしちゃうし、私は他所へ泊まる事が多いから、しょうがないのだけれども」
笑顔のデリータに、ユリシスは笑って答える事が出来なかった。真面目な顔で問い返す。
「──た、例えば、その大きくて素晴らしいものが、大罪を犯して在るのだとしても、それは、使われなければ、意味が無い……ですか?
使えば罪になるのに……使ってはならない、事はないですか?」
ユリシスの様子をいぶかりながら問い返すデリータの声音は、それでもやっぱり優しかった。
「素晴らしいのに、罪なの?」
「……あ、素晴らしくは、ないかもしれないけど……」
声が小さくなるユリシスに、デリータはにっこりと微笑んだ。
「そうねぇ……時として、そういう事もあるかもしれないわね。
良かれと思ってした事が罪である事が……」
言ってから、デリータはふいと窓の外に視線を移した。
ユリシスは言葉の続きが気になってデリータの動きをジっと見つめた。
「良いことだと思ってした事が、思わず誰かに迷惑をかけていたりする、そうね、よくある事ね。
…………それってとても判断が難しいわよね。どこまでが良いのかしら、どこからがいけないのかしら? するまでは良くても、終わってみたら悪かった、なんていう事もあるわね。
……結局、何度もそういう場面に遭遇して、経験してわかるようになるんじゃないかしら」
デリータは笑顔で教えてくれる、けれどそれは、ユリシスが聞きたかった答えではない。ユリシスが聞きたかった事は、望んだ言葉は……。納得していないユリシスの表情を見て、デリータは頬に手を当て、困ったような笑みを浮かべ、少しだけ首を傾げた。
ユリシスはデリータの言いたい事、言っている事、よくわかっている。しかし、聞きたかった事とは違う。例えで答えを求めたが、それはあまりにもわかりにくいもの。法を犯して資格が無いのに、魔術を使う事。罪なのに大きな力である魔術を使う、使わなければ意味が無い? 罪なのに、人を助けても、素晴らしい?
ユリシスが、出せなかった答え。
問いの意図を確かに理解しきれていないのだとわかって、デリータはそれでもどう説明したものかと首をひねっているところへ、小屋の扉を激しく開ける音がした。
「ユリシス!」
扉を蹴破る勢いで開けるなり叫んだのはシャリー・ディア・ボーガルジュ。銀色の髪がふわりと浮き上がり、爽やかな初夏の日差しのような香りが部屋に広がった。
「風邪はもういいの!?
もう大丈夫??」
シャリーはオルファースに居た。ネオはシャリーの邸を訪ね不在を知った後、オルファースへ行って探し当て、連れてきたのだ。それで少し時間がかかった。スカートの裾を蹴ってユリシスに駆け寄り、両手を取るシャリー。心配気な様子に、ユリシスは笑顔を見せる。
「もう平気。心配かけてごめんね。
お見舞い、ありがとう。すごく……嬉しかった」
答えは出なくても、魔術を使える使えないどっちでも、ただ自分を心配してくれた彼女の気持ちに、心が温かくなった。
ふと、素直な自分に気付く。
昨日の晩あんなにも思い悩んだ事が、薄らいでいく。不思議な気がした。こんなにも、あっさりと……。
心配してくれていたシャリーにもう平気だと伝えると、彼女は眉を寄せて、口元に笑みを湛えた。
「本当によかったわ」
しっかりとこちらの目を見て、満面の笑みで言ってくれる。この紫紺の瞳を気味悪がる事も無く。
シャリーの腕が伸びて、ユリシスの首にゆるやかに巻きついた。銀色の髪が目の前をさらりと流れる。
ふと周りを見ると、デリータとネオが優しく見守ってくれていて、幸せな気持ちが胸の奥で広がっていく。
心の奥で詰まって、閉じこんでしまっていた何かが、フワリと解ける感覚。
──魔術を使って、自分がそこに居るか居ないかなんて、どうでもよかったのかもしれない。魔術なんて関係なく、深い友達とは言えないはずの、まだ付き合いも浅い人達なのに、こんなに温かい。しっかりと、自分を見てくれている。
自分の底の浅さを思い知る。人の、懐の広さを知る。
不快ではなかった。いらだちも無い。羨む事も無い。ただ素直に、自分の幼さを受け入れられた。
悩み事の絶えない、きっと弱い自分。でも、こうして落ち込む度に周りの人にこっそりと支えられて、これからも歩いていけるのかもしれない。ちょっとずつでも、未熟な自分を、もっと深く広く、育てていけるかもしれない。
誰にも言えないヒミツがあるけれど、ヒミツなんてものも全て抜きにして、心が救われる、救ってくれる人に出会える。人として生きて、当然辛い事にも直面するけれど、その度あがいて、もがいている間に、救いがあるのかもしれない。そんな希望を、この経験からユリシスは感じる事が出来た。
「シャリー、もう元気そうね?」
ユリシスをきゅっと抱きしめていたシャリーはハッとして後ろを振り向いた。
扉側の椅子にはデリータが座っていた。シャリーは大きな目を見開いて2度首を左右に振ると、笑みを浮かべる。
「申し訳ありません、デリータ様、その、気付かなくて」
「いいのよ」
にっこりと微笑むデリータの方にシャリーは体の向きを直した。
「お会いするのはもう十日ぶり以上ですね、デリータ様のお加減はいかがですか?」
「私は、裏方ばっかりしていたもの。元気よ。ちゃんと休んだ?」
「ええ、ゆっくり休ませて頂きました」
「元気なら、いいのよ」
デリータは立ち上がるとシャリーをきゅっと抱き、離れるとネオにも同じように背中に腕を回して一度抱きしめた。
「ネオ、あなたと会うのも」
「──同じだけ、ですね。おばあさまもお元気そうで良かった」
「ネオ、いつでもあなたの事を気にかけていますよ」
「ありがとうございます」
デリータはにっこりと微笑むとユリシスの方を向いた。
「おばあちゃんはそろそろ退場するわね?
ユリシスちゃん、楽しんで行ってちょうだいね」
「? あ、はい!」
──デリータが抜けてしまってから、その日は日が暮れきってしまうまでユリシスはシャリー、ネオとおしゃべりを楽しんだ。同世代で、立場は違う、色々それぞれ事情を持っていたりもする。
けれど、心の奥底はあまり違わない。何かを抱え悩む、若い自分達。近い気持ちで、沢山話して、それは笑顔で、楽しくて、きっと友達──。
帰路、送ると言ってくれたネオの申し出を断ってユリシスは一人で夜の国民公園の脇を歩いていた。
木々の森も、また少しだけ回復を続けている。
「なんか、ちょっと、感動だよね」
ユリシスは微笑を浮かべて呟く。
大空の月明かりと、オルファース本部ドームの明かりに照らされている。辺りはまだ大火の傷跡が残っているが、少しずつ人の手によって修復され続けている。
──火を消し止めた、古代ルーン魔術を振るったユリシスに対して、当然ながら、誰かが直接感謝の意を表す事はない。けれど、ユリシスは嬉しかった。そこに自分の姿はなくても、自分は確かに役にたてた。その事実だけは変わらない。この公園が、証明してくれている。
「……だから」
にこっと笑って、『きのこ亭』に向ける足取りは軽かった。
体は言う程回復していなかったが、来る時を思えば、今はずいぶんと体が軽い。
「きっと全部、良かった……!」
ユリシスは、やっと自分の魔術にも、自分が成した事にも、合格点をあげようという気持ちに、なれた。自分で自分を、認めてあげられる気がしたのだった。
黒い存在は、それも見ていた……。
──ヒルド国の中心にそびえる白亜の城。
白く輝く回廊で、いずれの宝飾類よりも美しい姫が、一人。
たっぷりとした赤い髪結い上げた、マナ姫。
……いや、今一人、影のように佇む黒い存在がある。マナ姫の忍び、名をゲドという。全身黒装束で、その正体を掴む事は不可能である。先日の傷はまだ完全には癒えてはいないが、行動に支障は無いらしい。数日分の報告を終え、ひざまづいて主の言葉を待つ。
「……わかりました」
声を低くして、マナ姫はゲドを見下ろした。
「その者を、連れて来なさい」
密かな低い声でも、言葉ははっきりとしていた。意思は明瞭で迷いも無い。辺りの静かな空気を抉り取るように、言葉は形になる。
「──生死は、問いません」
ゲドは一段頭を低くし、すぐさま光に溶けるように消えた。
一瞥してそれを確かめたマナ姫は、小さく呟く。
「妹を助け、国民公園の森の火を消し止めた……。
──紫の瞳の、少女……」
相変わらずマナ姫の憂いは深く、眼差しには遣り切れないものを含んだ色が滲んでいた。淡い桃色の唇が、声にはならない形で4種類の動きをした。
……ゆ……り……し……す……。
「──え、はい」
背はユリシスと変わらないか、少し高い。
「まあー、まあまあまあ、それは素晴らしいわ。ちょっと待っててね、お紅茶を持ってきましょうね。お茶菓子は何がいいかしら? 焼き菓子がいいかしら? それとも果物を甘く漬けたお菓子がいいかしら??」
老婦人は、まるで小さな子供に対するようにユリシスに矢継ぎ早に問う。なんだかこちらまで釣られて笑ってしまいそうな、嬉しそうな様子で扉から出て行こうとして、足を止めてくるりとユリシスを振り返った。
「あらあら、私ったらお名前を聞いていなかったわ。あなたはだあれ?」
「え、あの、ユリシス……です」
「そう、ユリシスちゃんというのね。待っててね、今、とっておきのお紅茶を持ってくるから。うふふ、ネオがシャリーちゃん以外のお友達を連れて来るなんて初めてよ、ふふふ。こんな素敵な日に巡りあえてとってもうれしいわ!」
スキップさえしかねない様子で老婦人は扉の向こうへ消えた。
ユリシスの方は彼女の正体を聞きそびれてしまうが、言動から考えれば、先程チラリとネオが話題に出した「おばあさま」だろう。
「……自分が偏見まみれだったと思い知ったよ……」
高慢ちきな金持ちというイメージだったユリシスの貴族へ先入観は、脆く崩れ去ってしまったようだ。
どうにもネオの言ったおばあさまの「うるさい」部分というのは、「お友達を連れておいでなさい」という意味で「うるさい」のであろうと、容易に理解出来た。
ネオが先か、さっきの老婦人が先か、再び手持ち無沙汰になってしまったユリシスは、カタンと窓を開けなおして待った。
十分ほどして老婦人の方が先に小屋へと戻ってきた。
手にはお茶菓子の器とティーセットと空のカップを二個伏せて置いた盆があった。
「お待たせ! 良かった、まだ居てくれて。このお紅茶、とってもおいしいのよ」
奥の椅子に腰掛けていたユリシスの、テーブルを挟んだ正面、扉側の椅子に老婦人は座ると、紅茶を淹れる準備を始めた。
いつの間にか、ネオの客は、老婦人のお客様になってしまったらしい。
相変わらず鼻歌を歌う陽気な老婦人。鼻歌で、ユリシスは思い出した。
「あの、さっき庭に水をやってた時、あれ、魔法ですよね?」
ユリシスは魔術師ではないから、普段は魔術に疎いフリをしたり、そういった人に話をあわせる。『きのこ亭』では皆、堅いイメージのある魔術ではなく、同義の魔法という言葉を使う。疎いフリには魔法と言うのが手っ取り早い。
「そうよ。今の季節は夕方に水をあげるのがいいんですって」
「あのう、おばあさんも魔術師なんですか?」
「あらあらあら、私、言ってなかったかしら? 私、デリータ・バハス・スティンバーグ、ネオのおばあちゃんで、あの子のお師匠さんよ」
「え!? そうなんですか?」
「そうなんですよ。ふふふ」
ネオは第一級魔術師、ならばこの人も第一級魔術師なのかとユリシスの頭の中で疑問が浮き上がる。残念かな、ユリシスは目の前の陽気な老婦人をオルファース総監であるとは結びつけられなかった。……ユリシスの第九級資格取得の合格証を、八度も試験に来ていた彼女に一度だって授与してくれなかった、オルファースの頂点のその人であるとは、繋がらなかったのだ。
老婦人は鼻歌は歌うが、ユリシスに問いを投げてくる事は無かった。それはユリシスにとっても気が楽だった。偏見はやめるべきかもしれないと思いつつも、どこの家の者かと家柄を問われたら何と答えれば良いかわからない。魔法なんて言ってみたが、魔術師でないのにネオの友人だなんて、どんな知り合い方をしたのかと問われたら、また答えにくい。かと言って話題が尽きたままというのもどうだろうかとユリシスは考えて、口を開く。
「あの、大きなお邸ですね」
「ありがとう。でも、別に私が建てたのではないのよ。
むか~しむかしの、ご先祖様が建てて、改修を重ねただけのお邸」
「私、こういうお邸に縁が無いから、やっぱりスゴイなぁって思っちゃいます」
何がどうすごいのか全く具体的でないユリシスの答えだが、とりあえず笑顔で言ってみれば、老婦人デリータも「あらそう、ふふふふ」と笑って応えてくれた。
だが、ふぅ息を吐いて真顔になった。紅茶の入ったカップをゆっくりとユリシスの前に置いてくれる。
「だけどね、住む人のないお邸なら、これほど無駄な事はないわ」
「──え?」
「ネオの両親、私の息子夫婦は、この古いお邸が気に入らなかったのね、結婚してとっとと出て行ってしまったのよ。私には何人か子供がいたけれど、皆そうね、この古すぎるお邸を継いではくれなかったわ」
デリータはお茶菓子の入った器を、ユリシスの正面に置いて「どいぞ」と勧めてくれた。
「大きくて古いこのお邸は、管理が大変なの。改修もしなくちゃいけないし、大昔の技術を使って作られているせいもあって直せる職人さんもほとんどいないのよ」
「…………」
「例えどれほど大きくて素晴らしいものでも、使われなければ、意味がないわ。無いのと、同じね」
そう言って自嘲気味に笑う笑顔は、ネオと似ていた。
「ネオはこの小屋に寝泊りしちゃうし、私は他所へ泊まる事が多いから、しょうがないのだけれども」
笑顔のデリータに、ユリシスは笑って答える事が出来なかった。真面目な顔で問い返す。
「──た、例えば、その大きくて素晴らしいものが、大罪を犯して在るのだとしても、それは、使われなければ、意味が無い……ですか?
使えば罪になるのに……使ってはならない、事はないですか?」
ユリシスの様子をいぶかりながら問い返すデリータの声音は、それでもやっぱり優しかった。
「素晴らしいのに、罪なの?」
「……あ、素晴らしくは、ないかもしれないけど……」
声が小さくなるユリシスに、デリータはにっこりと微笑んだ。
「そうねぇ……時として、そういう事もあるかもしれないわね。
良かれと思ってした事が罪である事が……」
言ってから、デリータはふいと窓の外に視線を移した。
ユリシスは言葉の続きが気になってデリータの動きをジっと見つめた。
「良いことだと思ってした事が、思わず誰かに迷惑をかけていたりする、そうね、よくある事ね。
…………それってとても判断が難しいわよね。どこまでが良いのかしら、どこからがいけないのかしら? するまでは良くても、終わってみたら悪かった、なんていう事もあるわね。
……結局、何度もそういう場面に遭遇して、経験してわかるようになるんじゃないかしら」
デリータは笑顔で教えてくれる、けれどそれは、ユリシスが聞きたかった答えではない。ユリシスが聞きたかった事は、望んだ言葉は……。納得していないユリシスの表情を見て、デリータは頬に手を当て、困ったような笑みを浮かべ、少しだけ首を傾げた。
ユリシスはデリータの言いたい事、言っている事、よくわかっている。しかし、聞きたかった事とは違う。例えで答えを求めたが、それはあまりにもわかりにくいもの。法を犯して資格が無いのに、魔術を使う事。罪なのに大きな力である魔術を使う、使わなければ意味が無い? 罪なのに、人を助けても、素晴らしい?
ユリシスが、出せなかった答え。
問いの意図を確かに理解しきれていないのだとわかって、デリータはそれでもどう説明したものかと首をひねっているところへ、小屋の扉を激しく開ける音がした。
「ユリシス!」
扉を蹴破る勢いで開けるなり叫んだのはシャリー・ディア・ボーガルジュ。銀色の髪がふわりと浮き上がり、爽やかな初夏の日差しのような香りが部屋に広がった。
「風邪はもういいの!?
もう大丈夫??」
シャリーはオルファースに居た。ネオはシャリーの邸を訪ね不在を知った後、オルファースへ行って探し当て、連れてきたのだ。それで少し時間がかかった。スカートの裾を蹴ってユリシスに駆け寄り、両手を取るシャリー。心配気な様子に、ユリシスは笑顔を見せる。
「もう平気。心配かけてごめんね。
お見舞い、ありがとう。すごく……嬉しかった」
答えは出なくても、魔術を使える使えないどっちでも、ただ自分を心配してくれた彼女の気持ちに、心が温かくなった。
ふと、素直な自分に気付く。
昨日の晩あんなにも思い悩んだ事が、薄らいでいく。不思議な気がした。こんなにも、あっさりと……。
心配してくれていたシャリーにもう平気だと伝えると、彼女は眉を寄せて、口元に笑みを湛えた。
「本当によかったわ」
しっかりとこちらの目を見て、満面の笑みで言ってくれる。この紫紺の瞳を気味悪がる事も無く。
シャリーの腕が伸びて、ユリシスの首にゆるやかに巻きついた。銀色の髪が目の前をさらりと流れる。
ふと周りを見ると、デリータとネオが優しく見守ってくれていて、幸せな気持ちが胸の奥で広がっていく。
心の奥で詰まって、閉じこんでしまっていた何かが、フワリと解ける感覚。
──魔術を使って、自分がそこに居るか居ないかなんて、どうでもよかったのかもしれない。魔術なんて関係なく、深い友達とは言えないはずの、まだ付き合いも浅い人達なのに、こんなに温かい。しっかりと、自分を見てくれている。
自分の底の浅さを思い知る。人の、懐の広さを知る。
不快ではなかった。いらだちも無い。羨む事も無い。ただ素直に、自分の幼さを受け入れられた。
悩み事の絶えない、きっと弱い自分。でも、こうして落ち込む度に周りの人にこっそりと支えられて、これからも歩いていけるのかもしれない。ちょっとずつでも、未熟な自分を、もっと深く広く、育てていけるかもしれない。
誰にも言えないヒミツがあるけれど、ヒミツなんてものも全て抜きにして、心が救われる、救ってくれる人に出会える。人として生きて、当然辛い事にも直面するけれど、その度あがいて、もがいている間に、救いがあるのかもしれない。そんな希望を、この経験からユリシスは感じる事が出来た。
「シャリー、もう元気そうね?」
ユリシスをきゅっと抱きしめていたシャリーはハッとして後ろを振り向いた。
扉側の椅子にはデリータが座っていた。シャリーは大きな目を見開いて2度首を左右に振ると、笑みを浮かべる。
「申し訳ありません、デリータ様、その、気付かなくて」
「いいのよ」
にっこりと微笑むデリータの方にシャリーは体の向きを直した。
「お会いするのはもう十日ぶり以上ですね、デリータ様のお加減はいかがですか?」
「私は、裏方ばっかりしていたもの。元気よ。ちゃんと休んだ?」
「ええ、ゆっくり休ませて頂きました」
「元気なら、いいのよ」
デリータは立ち上がるとシャリーをきゅっと抱き、離れるとネオにも同じように背中に腕を回して一度抱きしめた。
「ネオ、あなたと会うのも」
「──同じだけ、ですね。おばあさまもお元気そうで良かった」
「ネオ、いつでもあなたの事を気にかけていますよ」
「ありがとうございます」
デリータはにっこりと微笑むとユリシスの方を向いた。
「おばあちゃんはそろそろ退場するわね?
ユリシスちゃん、楽しんで行ってちょうだいね」
「? あ、はい!」
──デリータが抜けてしまってから、その日は日が暮れきってしまうまでユリシスはシャリー、ネオとおしゃべりを楽しんだ。同世代で、立場は違う、色々それぞれ事情を持っていたりもする。
けれど、心の奥底はあまり違わない。何かを抱え悩む、若い自分達。近い気持ちで、沢山話して、それは笑顔で、楽しくて、きっと友達──。
帰路、送ると言ってくれたネオの申し出を断ってユリシスは一人で夜の国民公園の脇を歩いていた。
木々の森も、また少しだけ回復を続けている。
「なんか、ちょっと、感動だよね」
ユリシスは微笑を浮かべて呟く。
大空の月明かりと、オルファース本部ドームの明かりに照らされている。辺りはまだ大火の傷跡が残っているが、少しずつ人の手によって修復され続けている。
──火を消し止めた、古代ルーン魔術を振るったユリシスに対して、当然ながら、誰かが直接感謝の意を表す事はない。けれど、ユリシスは嬉しかった。そこに自分の姿はなくても、自分は確かに役にたてた。その事実だけは変わらない。この公園が、証明してくれている。
「……だから」
にこっと笑って、『きのこ亭』に向ける足取りは軽かった。
体は言う程回復していなかったが、来る時を思えば、今はずいぶんと体が軽い。
「きっと全部、良かった……!」
ユリシスは、やっと自分の魔術にも、自分が成した事にも、合格点をあげようという気持ちに、なれた。自分で自分を、認めてあげられる気がしたのだった。
黒い存在は、それも見ていた……。
──ヒルド国の中心にそびえる白亜の城。
白く輝く回廊で、いずれの宝飾類よりも美しい姫が、一人。
たっぷりとした赤い髪結い上げた、マナ姫。
……いや、今一人、影のように佇む黒い存在がある。マナ姫の忍び、名をゲドという。全身黒装束で、その正体を掴む事は不可能である。先日の傷はまだ完全には癒えてはいないが、行動に支障は無いらしい。数日分の報告を終え、ひざまづいて主の言葉を待つ。
「……わかりました」
声を低くして、マナ姫はゲドを見下ろした。
「その者を、連れて来なさい」
密かな低い声でも、言葉ははっきりとしていた。意思は明瞭で迷いも無い。辺りの静かな空気を抉り取るように、言葉は形になる。
「──生死は、問いません」
ゲドは一段頭を低くし、すぐさま光に溶けるように消えた。
一瞥してそれを確かめたマナ姫は、小さく呟く。
「妹を助け、国民公園の森の火を消し止めた……。
──紫の瞳の、少女……」
相変わらずマナ姫の憂いは深く、眼差しには遣り切れないものを含んだ色が滲んでいた。淡い桃色の唇が、声にはならない形で4種類の動きをした。
……ゆ……り……し……す……。
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