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第5話『……だから』

(030)【3】古代ルーン(3)

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(3)
 闇夜には炎と黒煙が占めていたが、それらを突き破った光が、人々の顔を照らす。
 空だけでなく地上に居た魔術師、あるいは同等の力を持つ者が全員、そちらを向いた。無視出来るものではなかった。
 かすれた声でアルフィードは呟く。
「槍……じゃねぇよな……」
 返してギルバート。
「……アホか……──奇跡、ってヤツじゃねぇのか」


 後に、ヒルド国の歴史に深く刻まれる奇跡の、始まりだった。


 その光は、都のどこに居ても見えた。
 燃え盛る炎の中心から、おびただしい黒い煙を切り裂いて天空に伸びる一条の光!
 青白いその光は、家一軒建つ敷地分の広さから、まるごと伸びているような太さがある。
 音もなく闇夜を突き抜けて、さながら希望の輝きでもあるかのように黒煙も雲も割き、煌いた。実際にはほんの数秒の光の筋だったが、それは、滞空した後が凄まじかった。
 光の筋は、何か光る細かいモノを含んでいるように、遠目には見えた。──それは、細かな青白い文字、濃厚な魔力によるルーン文字を内包する、魔力そのものだった。精霊と絡み合いながら伸び上がり、巨大な光に見えたのだ。
 黒煙と火炎の、更に上空で、光の筋はうっすらと滲み、分離をはじめる。
 縦の筋だった光は横に、雲のように広がると、ほろほろと綿のようにほどけて降り注ぎ始める。
 辺りの風に左右されることもなく、ふわりふわりと、しかし、確実に、燃え盛る炎へ降りていく。
 結界の補強作業中だったはずの魔術師達は呆気にとられ、動きを完全に停止した。それは都に居た人々も同様で、起っている事を理解できず、ただただ眺めるだけだった。


 アルフィードやギルバート、ネオやシャリー、また他の、大火の上空に居た魔術師達の脇をすり抜けて、手の平程の大きさの光の綿が、舞い降りていく。ふわりふわり、落ちていく。
 行方に目を向ければ、それらは火に『ペタリ』と吸い寄せられるように張り付いてゆく。溶けることはないらしい。流動する火に張り付いて、そのままその流れに身をまかせている。
 再び空に目線を移してみれば、光の筋だったものは、三つの雲をかたちどり、滞空しているのが見える。
 そのうちの一つの塊から、この光の綿は降ってきているようだ。光の綿の色はほんのりと青白く、魔力の光を思わせる。やがて、その青白い光の綿によって、国民公園内を埋め尽くす炎の三分の一が、飲まれた。
「…………何だ……コレ?」
 かすれた声のまま、アルフィードが呟いた直後、森の中心で再度、魔力波動が爆発した。
 ごうっと波形を描いて、中心から爆風が吹いてくるような感じだ。それは不可視で、魔術師か、それと等価の力を持つ者にしか感じる事の出来ないエネルギー。
 巨大な魔力波動が、都を駆け巡る。夏の嵐のように、激しい勢いで辺りを吹き抜け、国民公園を覆った。
 魔術師達は確かに、その魔力波動から『火』とは異なるチリチリとしたものを感じた。駆け抜ける力の余波にのけぞって、吹き飛ばされないよう耐えた。それが何か、じっくりと読み取っている暇もない。
 国民公園を一巡した魔力波動を受けて、火に張り付いた青白い光の綿が、耳を裂くような甲高い音をたて、更なる光を発した。
 綿は中心から盛り上がり、押し広げるように大きく膨れる。拳から、手を広げるかのように。そうして大きくなった光の綿は火を、バグリバグリと、まるで生き物のように喰らっていくのである。
 人々の、目の前に繰り広げられるもの。
 青白い光の綿が、獣のように猛々しく火を喰らい、消し去ってゆくのである。


 数瞬の後、消火がいよいよ始まったと、オルファースの魔術師達が何かしたのだろうと、都の人々が歓声をあげた。
 やっと火は消えてゆくのだと、手を叩いて喜んでいる。
 下級の魔術師達も同様の反応を示している。上級魔術師達が何か決定的な術を施したのだと思った。
 ──しかし、火の、まさにその景色の上空に居た上級魔術師達は、凍りついたように動かず、身じろぎ一つしなかった。ところどころ煤けたローブが、ばさりばさりと風に揺れている。
 青白い光の綿が喰っているのは、暴走している“魔術の火”。
 暴走している魔術そのものを『選んで』食いつぶしている。これ程大きく、激しく暴走した魔術を止めるすべなど存在しない……そう、現代ルーン魔術には無い。解除のルーンを描き、該当する魔術と同じ記述をしてはじめて、止められるはずだった。だが暴走した魔術の記述はほとんどの場合、術者本人にしかわからず、他者が止めようとするならば、解除ルーンから様々な記述を試すより他に方法は無い。
 ところが、今目の前で展開する魔術は、“魔術の火”の、精霊に与えられるべき“魔力”を横から掠め取るように飲み込み、魔術そのものを根本からたたき潰している。
 少し離れたオルファース本部、ドーム状建物の上空に居たオルファース総監、デリータ・バハス・スティンバーグは、半開きの口から、やっと息を吐いた。
 視界を覆う奇跡、光の奔流。
 彼女は微かに震えて涙を零し、知らず声を漏らした。
「……古代ルーン……魔術……」



 古代ルーン魔術は、その名の示す通り古代よく使われ、栄えた魔術。現在では、その基礎らしきものが上級魔術師の一部に細々と受け継がれているだけだ。
 かつての繁栄も夢と消え、使用者はヒルド国建国の頃から急激に減った。使用者がほとんど居なくなった現在、これを第一級魔術師への昇級試験に入れておくのはどうかという議論が持ち上がっている。昨今特に、理解するにも扱うにも困難で、危険な古代ルーン魔術を眠らせ、封印してしまおうという動きが高まっている。そのような働きかけをせずとも、時とともに廃れるのは、滅びるのは誰の目にも見えていた。時間の問題なのだが、第一級魔術師を、今目指す者にとっては待っていられない。第一級魔術師への昇級試験の難易度を下げさせる為にと、槍玉に挙げられている。
 そんな中、古代ルーン魔術が試験内容から無くならないのは、デリータ・バハス・スティンバーグ総監の強い反対があったから。古代ルーン魔術には学ぶべき事が沢山ある。温故知新の精神の元、デリータ総監が待ったをかけ続けている。
 ヒルド国の前身……二〇〇〇年前に滅びた魔道大国がある。
 かの国を世界の覇権さえ握りかねないところまで誘った古代ルーン魔術は、失われるにはあまりにも惜しい。簡略化された現代ルーン魔術ではおよびもつかない術の数々。
 今、眼前に展開する魔術は、現代ルーン魔術では絶対に不可能だと、デリータ総監にはわかる。確かに古代ルーンの魔術で、それは今、現代の魔術師達の持つ古代ルーンに関する知識では到底成し得ぬ術の、具現だった。それは、奇跡。
 奇跡がそこにあったのだ。


 ──やがて、青白い光の綿も消えていく。
 炎は三分の二に減ったものの、森は未だ燃え続けている。
 だが、上級魔術師達にはわかる。
 先程までとは明らかに状況が変わった、と。
 暴走した魔術の火は、辺りを焼き尽くしても消えない。例えそこから空気を奪ってしまっても、術がすぐに呼び寄せ燃焼する。だが、その暴走した魔術は今、消されてもう存在しない。
 遥か上空の、光の筋から分化した塊の二つ目がほどけ、降り注ぎ始める。今度は小指の先の大きさもない、白い球体の光が、また、ちらちらと降り注ぐ。さながら雪である。
 光の雪は、ちらちらと、時に操り糸に引かれるように跳ねて、空に居た魔術師を避け、落ちていく。
 何人かの魔術師達がわざわざ手を差し伸べ、避けていくその光る雪の正体を見定めようとしたが、即、手を振ってそれをはたき落とした。
 ある者は間に合わず、雪が付着した辺りから肘まで氷付けにされてしまい、あわててそれを溶かしに火へ近付き溶かし、また腕の治癒術を施した。
 手の平に触れた瞬間、パキっと音をたてて凍ったのだ。この白い光の雪という形をした魔術は、触れるものを急速に凍りつかせるようだ。
 アルフィードは手の平を広げてかざした。指と指との間に、その雪をくぐらせた。触れはしないが、触れる程に近く。雪はちらちらとアルフィードの指の隙間から落ちていった。
 指の間を通らせながら、感じる。指の芯が痛む程の冷気を、この光の雪は発している。
 下に目をやれば、雪によって火は押しやられ、その火によって雪はその形を失っている。その度、チカチカと明滅する。
 雪は一粒二粒ではないから、一斉にあちらこちらで光が点滅した。
 その白い光の雪は、形を失うと光を発しながら破裂して、水を撒き散らした。その水量は、雪だった時の球体の体積を完全に無視しており、桶十杯分はあった。形を失うと、どこか池か湖か、はたまた海の水を呼び出すように魔術は組まれていたのだろう。
 ──アルフィードは確信する。
 こんなマネは古代ルーン魔術にしかできない、と。
 現代ルーン魔術ならほとんど知り尽くしている。だからわかる、こんなマネはその辺の魔術師には出来やしない──ヤツだ!
 そう決めつけると、全身の周囲に耐火耐冷気の魔術をまとい、直立したまま、落下する勢いで降下する。
「お、おい!? アル!!」
 うろたえたギルバートの声など、無視だ。


 九時の鐘が鳴り響いた。
 人々は安堵の溜息をついて、今夜の惨事が無事収まった事を互いに喜び合った。
 この頃には、オルファースが燃やし尽くすしかないと判断した森の火は、全て消えていた。立ち上っていた黒煙も既に無い。
 青白い光の綿が、暴走魔術を消滅させ、雪のような白い光の球体が自然燃焼する火を消した。
 魔術師達は、光の筋から分化した、最後の塊を見上げた。
 それは、煙、いや、霧なのか。誰にも確かにはわからない。
 薄桃色のそれは、ゆっくりその塊のまま降りてくる。上空に居た魔術師達を透けて通り抜け、霧は焼け爛れ、炭と化した木々の、森の上に漂う。森は、薄桃色の霧に包まれた。


 森へ降りていたアルフィードは、鎮火した事から耐火耐冷気の防護魔術を解いた。
 火が消え、落ち着いたかと思えば薄桃色の霧が降り来た。その霧の為に五歩先もよくは見えない。この霧がどのようなものかは知らなかったが、何をするものかはわかった。
 消火作業中にいちいち治癒している余裕はないと放ったらかしにしていた軽いやけどの痛みが、ゆっくりと、だが確かに、和らいでいく。薄桃色の霧に触れ始めてから──こいつには治癒の魔術が含まれているらしい。
 足元は水浸しで、時に靴底がドロに絡まり、心地悪かった。
 だがそれらは、アルフィードの目的を妨げるものには到底なり得なかった。
 顔を上げ、例の魔力波動の中心を、睨んだ。
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