転生悪役令嬢の本懐vs二周目道化王子の本気【連載版】

江村朋恵

文字の大きさ
上 下
58 / 66
準備編(8~12歳)【1】

めくるめく季節⑪宝杖『キルティアム』

しおりを挟む
 いつ閉じたかわならない目を開いたが、閉じていたときと変わらない闇が広がっているだけだった。
 パトリシアはこの場所を知っている。
「…………」
 右も左も上も下もわからないような真っ暗闇の中で、パトリシアはもう不安にはならない。
 この場所の名前なら知っている。彼のいる闇の住処すみかだ。

「キィ、いるの?」

 奥行きだとか距離感すら見失う闇の中、白い手がぬぅと伸びてきた。
 よく見れば、その腕は真っ暗闇のさらに深い闇の中から出てきていることがわかる。

 品の良い貴族服は黒、中性的な容貌にさらさらの肩までの黒髪。白い肌。
 印象的でしかない赤黒い瞳。

「やぁ。ひさしぶりだね、トリシア」
「何よキィ、突然過ぎてびっくりしたわ」
「最高のタイミングだったじゃないか」
「あれはギリギリというのよ」
 パトリシアはぷぅと頬を膨らませた。だが、すぐに微笑む。
「ありがとう。助かったわ」
「はは、トリシアはいい子だね」
「……どういう意味?」
「そのままだね」
「キィは、元気になったの?」
 大掃討があったのは四ヶ月ほど前だが、そのときに助けてくれたキィは疲れたと、眠ると言って別れた。

「元気だよ。あのくらいならね」
「そう。よかったわ」
「それより、トリシアはもう戻った方がいいね」
「え」
「あちらとこちらは時間の流れが違うから、すぐに昼になるよ」
「えっ!? 大変! す、すぐ戻るわ」
 あまり深い意味もなく後ろへ走り出そうとしてパトリシアはドンっと何かにぶつかった。

「あれあれ、大丈夫? 前を見ないと怪我しちゃうよ?」
 見上げれば、亜麻色の髪の青年が立っていた。癖程度のゆるやかな流れのある髪は男性にしては長く、腰まであるようだ。耳後ろから左手前の髪だけ染めたように真っ黒で、違和感がある。
 じっと見上げれば垂れ目の優しそうな琥珀色の瞳と目が合った。

「え……」
 何故か、この場所にはキィしかいないような気がしていた。
 詰め襟に白い神官ローブの青年はパトリシアの手をそっと取るとニコリと微笑んだ。
「…………」

「久しぶりじゃないか、リリィ・ディオ」
 亜麻色髪の青年に声をかけたのはキィだった。

 リリィ・ディオはパトリシアの手をそっと下ろすとキィの方を向いた。
「やぁ、キィ。近くに来たから寄ったよ。五百年ぶりかな」
「……そんなにたつか?」
「『表』ならね」
「そうか」
「それよりキィ、会えたら頼みたかったんだ。闇を剝してくれないかな?」
「なぜ?」
「どうやら今のボクの持ち主は敵対している。キミの替え玉を続けるのもいいけれどボクは闇の巫女ダークメイデンを害したくない」
「…………なるほど。でもいいのか?」
「それはこっちのセリフ。持ち主は戸惑うだろうね。仕方ないよ。ああ、ほら、もう離れてく。急いで、キィ」
「──……リリィがそれでいいなら」
 キィはパトリシアの隣に立つとリリィ・ディオの一房の黒髪を静かに手ですいた。不思議なことに、リリィ・ディオの黒髪は他と同じ亜麻色に染まる。いや、黒が取れて元の亜麻色が出てきたようにも見える。

「…………」
「どうも。だからキィ、バレるのも時間の問題だよ。覚悟しておいて」
「…………わかった。仕方ない」
 キィはまっすぐの黒髪をガシガシとかいた。

「二人は何の話をしているの?」
 おとなしく聞いていたパトリシアだが、声をかけた。

「ごめんね。でも大丈夫、君にとって悪い話じゃないよ」
 言っている間にリリィ・ディオの身体が闇に融けていく。
「ああ、遠くなりすぎた。じゃあねキィ」
「ああ、また」
「では闇の巫女ダークメイデン、また会えるのを楽しみにしてるよ」
 リリィ・ディオはパトリシアに向かってそう言うと完全に消えてしまった。

「な、なんだったの?」
「トリシアも急いだ方がいいね。ほら」
「う、うん」
「そうだな。眠った状態で戻してあげる。目覚めて何を聞かれてもわからないと答えるといいよ」
「なぜ?」
「なぜ……うーん、話がややこしいから、かな?」
「そうなの?」
「うん。都合よくリリィ・ディオ……というか、宝杖も居合わせたから、誤魔化せるよ」
「宝杖」
「それから、もしかしたら『ティア』について何か知らないかと誰かに聞かれるかもしれない」
「…………聞かれたことがあるわ。お父様に。その時はキィの名前と同じだと思わなくて知らないって答えちゃったけど」
「ああ、それでいいよ。知らないって答えておいて。多分、今回、幸運なことに宝杖ともすれ違ったし、逸れてくれる」
「…………よくわからないけど」
「いつか。いつかね。でも今日は急いで──……ほら、おやすみ」

 キィの手がパトリシアの目にかぶさるように掲げられる。
 途端、ふぅっとパトリシアの意識は遠のいていった。

 完全に眠りに落ちてしまう寸前、キィの独り言が聞こえた。
「──……ザカリーが動くにしてもトリシアが狙われるのは変だ……僕も把握してないヤツ……? 有り得るのか? そんなこと……」





 パトリシアが目を覚したのは夕方だった。白レースのカーテンからオレンジの夕日が透けて見えている。
 ふっと目を開けたとき、近くの椅子には父ジェラルドの姿があった。
 この光景は何度目だろうか、父は本を読んでいる。
「…………お父様……?」
「……トリシア」

 本を放り、ジェラルドは立ちあがってベッドに膝で上がるとパトリシアをギュウウッと抱きしめた。
「心配したよ、トリシア。どこも痛くはない? 気持ち悪いところは??」
 パッと身体を離してあちこち確認するジェラルド。

「どこも大丈夫よ、お父様」
「そうか……そうかぁ……」
 安心してジェラルドはまたパトリシアを抱き締めた。
「ねぇ、お父様、私、確かお母様と王城に来ていたと思うのだけど、どうなったの?」
「……──ああ、トリシア……何か、何か覚えてないかい?」
「何か……」
「トリシアは拝謁待機部屋で気を失っていたんだよ」
「…………拝謁待機部屋……」
「いや、無理に思い出さなくてもいい。いいんだよ、トリシア」
「……そうだ。陛下や王妃殿下にお会いして婚約したくないって伝えるはずだったのよね、お父様、拝謁時間は──」
「うん、とっくに過ぎてしまったよ」
「……そうなのね……──ねぇ、お父様、私何時間くらい寝ていたの?」
 パトリシアが問えば、ジェラルドは少し困った顔をした。
「……お父様?」

「よく聞いてね、トリシア」
「……ええ」
「トリシアがいた拝謁待機部屋の近くでちょっとした事故があって、トリシアは巻き込まれてしまったんだ」
「事故?」
「そのとき持ち込まれたとされる宝杖の影響でトリシアは眠ってしまったんだと思う」
「宝杖……?」

 確かキィとリリィの会話でも『宝杖』という言葉が出ていた。
「トリシアは五日ほど寝ていたんだ」
「五日!? 五日も!?」
「うん、それでね、トリシア。トリシアには申し訳ないのだけど、エドワード王子との婚約は決まってしまったんだ」
「え? ……──は…………えぇ…………」
 自分の口で『嫌です』を伝えに来て『決まりました』と聞く羽目になった。

「トリシアの希望と違ってしまって、お父様、力になれなくて本当に申し訳なく思うよ。トリシア、ごめんね」
「…………お父様」
「うん?」
「私、領に戻りたいわ」
「そうだね、明日──」
「すぐに」
 強めの声で言ってパトリシアはじっとジェラルドを見上げる。
「でも、トリシア」
「お父様」
「…………」
「…………」

 王城に居た方が安全だというジェラルドを根負けさせ、パトリシアを直々アルバーン領の領城へ送り届けさせ、その日の夕飯はアル・アイ・ラソン城でとったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日陰の下で笑う透明なへレニウム

たまかKindle
ファンタジー
 ※縦書きで読んで頂ければ幸いでございます。  花は、何処に生えるのか。  美しく逞しく咲こうとする花もコンクリートの上では咲けない。  花弁を開け、咲こうとも見えぬ場所では何も確認などできない。  都会からは、遥彼方にある自然に囲まれた島に一人、花を愛でる青年がいた。  ただ呑気にそして陽気にその島で暮らす彼。ただのんびりとうたた寝を謳歌する事が好きな彼が不慮の事故によりある世界に入り込んでしまう。  そこは、今まで暮らしてきた世界とはまるで違う世界‥‥異世界に勇者として召喚されてしまった。  淡々と訳のわからぬまま話が進むも何も上手くいかず。そしてあろう事か殺されたかけてしまう。そんな中ある一人の男に助けてもらい猶予を与えられた。  猶予はたったの10日。その短時間で勇者としての証明をしなければいけなくなった彼は、鍛錬に励むが‥‥‥‥   彼は我慢する。そして嘘を吐く。慣れたフリをしてまた作る。    見えぬ様、見せぬ様、抗おうとも。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

処理中です...