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準備編(8~12歳)【1】
めくるめく季節⑦ サプライズと『ティア』
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しばらく泣いて落ち着くと、パトリシアはちょっとしたことに気付いてしまう。
仄かな月明かりでも目が慣れたせいもあった。
「…………お母様、ちょっと太った?」
「えぇ……?」
母エノーラの困惑するリアクションの仕方は、昼間パトリシアが叔母にやったのと同じ。目を大きく開いて相手をじっと見つめる。
パトリシアはかつて氷の貴公子と呼ばれた父似である為、表情が無ければ途端に冷たい印象になるが、母は柔らかなフェイスラインに丸みにある目元をしていて可愛らしさが押し出されている。
娘でありながら『あ、お母様、かわいい』などと思ってしまうパトリシア。
母にしがみついていた姿勢からパトリシアは身を起こす。ジェラルドも腕を緩めてパトリシアとエノーラを見守ってくれているようだ。
パトリシアは母のお腹のお肉が気になった。柔らかな胸のすぐ下にハリのある腹部……。
座っているとなおさら気になる。下っ腹……あばら骨のすぐ下辺りから緩くカーブを描いている。妙にふっくらしている気がして上から下へ撫でた。
母は細身なのに胸がポーンと前へ出るという、未来の悪役令嬢パトリシアのナイスバディの遺伝子元のはず……。
「あらら。ねぇ、ジェラルド、すぐに気付かれちゃったみたい」
「そうだね」
二人とも微笑み交している。
交互に見上げて「何のこと?」と聞けばエノーラがパトリシアの手にその両手を重ねてきた。
「トリシアに、妹か弟が産まれるって話」
「えっ!?!?」
腹の底から勢い良く出た声は静かな部屋にドンっと響いてしまった。
ジェラルドが笑っている。
「え……お母様、え??? っそ、そうなの??」
エノーラがにっこりと頷く。
「お、お父様!! そうなの!?!? だって……ええぇぇ????」
──過去世の読んだ『物語』、悪役令嬢パトリシアには攻略対象のジェレミーという弟がいるだけだった。ジェレミーから見た設定にもきょうだいは姉パトリシアのみと……。何かが変わったのだろうか??
「わ……わわ……そ、その……──お母様、お父様、その、この度は……お、おめでとう、ございます?」
「もう、トリシアだっておめでとうなのよ」
「……へぇ……ぇー……??……」
エノーラのお腹にスルスルと触れるパトリシア。
過去世の持っていた知識を覗いてみると、お腹が前へ出ると男の子、横にまろみのあるお腹の出方だと女の子が産まれる──という俗説があったはず。
冬の大掃討の時に見かけた母のお腹はぺったんこだったし、馬車移動もしていた。あの頃に安定期に入っていたのだとしたら、今は八ヶ月辺り……だろうか。
「お母様、いつ産まれるの??」
「そうね、夏の前には」
「──そっかぁ…………」
六月がもし出産予定なら今は七ヶ月辺りだろうか。もうお腹はしっかりと目立っている。きっともうとっくにモゴモゴ動いたりするのだろう。
「嬉しい?」
「……え……あー…………」
問われてパトリシアは目線を彷徨わせたあと、後ろの父を見た。
「お父様、もうこの子の魔力? オーラ? は見えているの?」
「…………」
「…………」
ジェラルドは曖昧な笑みを浮かべた後、頷いた。
「見えているよ。キラキラした薄い青色で、きっとバンフィールド家お得意の氷だね」
「……そっか……」
パトリシアはエノーラの腹に視線を戻して丸く撫ぜるとふわりと笑って「……良かった」と言った。
この世界の妊婦の腹には赤子が魔力を持っていれば得意な属性が色で見えるとパトリシアは聞いたことがある。
パトリシア自身が母のお腹にいた頃、一切の色も魔力も無かったということも──。
──この子が魔力無しでなくて良かった……。
聞いておいて喜んでくれている娘を、しかし、両親が眉をひそめて憂いのある表情で見下ろしている。そのことにパトリシアは気付かない。
そもそもパトリシアは、魔力の無い子に産んでしまったと毎夜泣き崩れていた母の事情など知りもしないのだから。
「は! だったら、お母様、ここに居ては駄目じゃない! お部屋に戻って暖かくしてしっかり休んで! 今何時? 夜はちゃんと寝なきゃ……!」
パトリシアは膝立ちになるとエノーラの両肩を優しく押した。
すぐに表情を微笑みに戻したエノーラは、娘の気遣いよりも、一緒にいてあげたいという思いが強まっている。どうしたって離れがたい。
「トリシア、そんな慌てなくても平気よ」
「駄目、普段の何倍も大事にして! お母様一人じゃないんでしょ!?」
「ふふふっ、トリシアはもう……ほんとに、すっかり素敵なお姉様なのねぇ」
「ジェレミーだっているのだし、前からお姉様よ、私は。ほら、お父様、お母様をお部屋に」
「トリシア、トリシア、いいのよ。それにお父様はトリシアとお話したいことがあるみたい」
「え……? そうなの? お父様」
「着替えずに来たのがその証拠」
「ははは、エノーラにはお見通しだね」
エノーラはお腹の下に手を添えて『よいしょ』と体をずらしてベッドから降りた。
「トリシア、いつでもお母様なりお父様を呼んだらいいから。ここは領城ではなくあなたのお家なんだから、いつでも来るからね?」
「……はい」
頷いて返事をするとエノーラはニコリと微笑んで部屋を出て行った。
後ろにいた父が先程まで母のいたパトリシアの正面に回った。
「トリシア、具合はどう?」
「元気です、お腹は空いているけど……」
「はは、だろうね。今、お父様の分の夜食を作ってもらっているから、トリシア、分けっこしよう」
「いいの?」
「もちろん」
「……お父様、時計ある? 掛け時計は暗くて見えないの」
「ああ、ちょっとまって」
そう言ってジェラルドはいつかのようベッドサイドのランプに魔力を流してささやかな灯りをつけた。
ジェラルドは懐中時計を取り出し開く。盤面はもうすぐゼロ時という位置を示している。
パトリシアが考えていたよりも深夜だった。
懐中時計の蓋の内側には小さな家族の肖像画が埋めてあった。ジェラルド、エノーラ、パトリシア、ジェレミーが揃っている。パトリシアが領へ移住する前に描いてもらったもののようだ。
──家族が増える……増えるんだ……。
パトリシアは嬉しくて口元が緩む。
エノーラの腹の形は前へ突き出るような様子だったから、男の子かもしれない。
──女の子なら良かったのに……そうしたら、私が居なくなった後、お母様やお父様の心もきっと軽くなる……。
「そうだ。お父様、話って?」
「ああ……ちょっと気になることがあって」
パトリシアはゆるく首を傾げてみせる。
「トリシア、『ティア』という言葉を聞いたことがある?」
「てぃあ? ……ティア……うーーん、知らないと思う」
ジェラルドを真っ直ぐ見て答えた。
「ほんとに?」
「ええ」
コクリと自信満々で頷いた後、脳裏に『キィ・ティア』という言葉が閃いた。
大掃討の折り、闇の中で出会った青年が名乗っていた名だ。
しかし、今更訂正するのも、それをどこで聞いたのかと問われることも避けたい気持ちが勝る。結果、パトリシアは知らぬ存ぜぬを通すことにした。
「その『ティア』って?」
「いや……わからなければいいんだよ。知らない方がいいというか……」
「じゃあ、聞かない。そうだ、お父様、今回、私が王都に呼ばれたのはなんで?」
「うん。社交シーズンが本格化する前に、両陛下へ直接トリシアの婚約についてお断りをしておこうと思ったんだよ。トリシア自身、ちゃんと自分の言葉でお伝えするのも意味があると思って呼んだんだ」
「……やっぱり、婚約者候補なの? 私」
「地位や年齢を考えればどうしてもね」
「私と陛下は気安い仲だし、トリシア自身の意思なのだと伝えておけばきっとトリシアの望むようになる」
父と目線を交し、パトリシアは小さく頷いた。
一歩ずつ進んでいけている。
そんな実感を得られた夜になった。
仄かな月明かりでも目が慣れたせいもあった。
「…………お母様、ちょっと太った?」
「えぇ……?」
母エノーラの困惑するリアクションの仕方は、昼間パトリシアが叔母にやったのと同じ。目を大きく開いて相手をじっと見つめる。
パトリシアはかつて氷の貴公子と呼ばれた父似である為、表情が無ければ途端に冷たい印象になるが、母は柔らかなフェイスラインに丸みにある目元をしていて可愛らしさが押し出されている。
娘でありながら『あ、お母様、かわいい』などと思ってしまうパトリシア。
母にしがみついていた姿勢からパトリシアは身を起こす。ジェラルドも腕を緩めてパトリシアとエノーラを見守ってくれているようだ。
パトリシアは母のお腹のお肉が気になった。柔らかな胸のすぐ下にハリのある腹部……。
座っているとなおさら気になる。下っ腹……あばら骨のすぐ下辺りから緩くカーブを描いている。妙にふっくらしている気がして上から下へ撫でた。
母は細身なのに胸がポーンと前へ出るという、未来の悪役令嬢パトリシアのナイスバディの遺伝子元のはず……。
「あらら。ねぇ、ジェラルド、すぐに気付かれちゃったみたい」
「そうだね」
二人とも微笑み交している。
交互に見上げて「何のこと?」と聞けばエノーラがパトリシアの手にその両手を重ねてきた。
「トリシアに、妹か弟が産まれるって話」
「えっ!?!?」
腹の底から勢い良く出た声は静かな部屋にドンっと響いてしまった。
ジェラルドが笑っている。
「え……お母様、え??? っそ、そうなの??」
エノーラがにっこりと頷く。
「お、お父様!! そうなの!?!? だって……ええぇぇ????」
──過去世の読んだ『物語』、悪役令嬢パトリシアには攻略対象のジェレミーという弟がいるだけだった。ジェレミーから見た設定にもきょうだいは姉パトリシアのみと……。何かが変わったのだろうか??
「わ……わわ……そ、その……──お母様、お父様、その、この度は……お、おめでとう、ございます?」
「もう、トリシアだっておめでとうなのよ」
「……へぇ……ぇー……??……」
エノーラのお腹にスルスルと触れるパトリシア。
過去世の持っていた知識を覗いてみると、お腹が前へ出ると男の子、横にまろみのあるお腹の出方だと女の子が産まれる──という俗説があったはず。
冬の大掃討の時に見かけた母のお腹はぺったんこだったし、馬車移動もしていた。あの頃に安定期に入っていたのだとしたら、今は八ヶ月辺り……だろうか。
「お母様、いつ産まれるの??」
「そうね、夏の前には」
「──そっかぁ…………」
六月がもし出産予定なら今は七ヶ月辺りだろうか。もうお腹はしっかりと目立っている。きっともうとっくにモゴモゴ動いたりするのだろう。
「嬉しい?」
「……え……あー…………」
問われてパトリシアは目線を彷徨わせたあと、後ろの父を見た。
「お父様、もうこの子の魔力? オーラ? は見えているの?」
「…………」
「…………」
ジェラルドは曖昧な笑みを浮かべた後、頷いた。
「見えているよ。キラキラした薄い青色で、きっとバンフィールド家お得意の氷だね」
「……そっか……」
パトリシアはエノーラの腹に視線を戻して丸く撫ぜるとふわりと笑って「……良かった」と言った。
この世界の妊婦の腹には赤子が魔力を持っていれば得意な属性が色で見えるとパトリシアは聞いたことがある。
パトリシア自身が母のお腹にいた頃、一切の色も魔力も無かったということも──。
──この子が魔力無しでなくて良かった……。
聞いておいて喜んでくれている娘を、しかし、両親が眉をひそめて憂いのある表情で見下ろしている。そのことにパトリシアは気付かない。
そもそもパトリシアは、魔力の無い子に産んでしまったと毎夜泣き崩れていた母の事情など知りもしないのだから。
「は! だったら、お母様、ここに居ては駄目じゃない! お部屋に戻って暖かくしてしっかり休んで! 今何時? 夜はちゃんと寝なきゃ……!」
パトリシアは膝立ちになるとエノーラの両肩を優しく押した。
すぐに表情を微笑みに戻したエノーラは、娘の気遣いよりも、一緒にいてあげたいという思いが強まっている。どうしたって離れがたい。
「トリシア、そんな慌てなくても平気よ」
「駄目、普段の何倍も大事にして! お母様一人じゃないんでしょ!?」
「ふふふっ、トリシアはもう……ほんとに、すっかり素敵なお姉様なのねぇ」
「ジェレミーだっているのだし、前からお姉様よ、私は。ほら、お父様、お母様をお部屋に」
「トリシア、トリシア、いいのよ。それにお父様はトリシアとお話したいことがあるみたい」
「え……? そうなの? お父様」
「着替えずに来たのがその証拠」
「ははは、エノーラにはお見通しだね」
エノーラはお腹の下に手を添えて『よいしょ』と体をずらしてベッドから降りた。
「トリシア、いつでもお母様なりお父様を呼んだらいいから。ここは領城ではなくあなたのお家なんだから、いつでも来るからね?」
「……はい」
頷いて返事をするとエノーラはニコリと微笑んで部屋を出て行った。
後ろにいた父が先程まで母のいたパトリシアの正面に回った。
「トリシア、具合はどう?」
「元気です、お腹は空いているけど……」
「はは、だろうね。今、お父様の分の夜食を作ってもらっているから、トリシア、分けっこしよう」
「いいの?」
「もちろん」
「……お父様、時計ある? 掛け時計は暗くて見えないの」
「ああ、ちょっとまって」
そう言ってジェラルドはいつかのようベッドサイドのランプに魔力を流してささやかな灯りをつけた。
ジェラルドは懐中時計を取り出し開く。盤面はもうすぐゼロ時という位置を示している。
パトリシアが考えていたよりも深夜だった。
懐中時計の蓋の内側には小さな家族の肖像画が埋めてあった。ジェラルド、エノーラ、パトリシア、ジェレミーが揃っている。パトリシアが領へ移住する前に描いてもらったもののようだ。
──家族が増える……増えるんだ……。
パトリシアは嬉しくて口元が緩む。
エノーラの腹の形は前へ突き出るような様子だったから、男の子かもしれない。
──女の子なら良かったのに……そうしたら、私が居なくなった後、お母様やお父様の心もきっと軽くなる……。
「そうだ。お父様、話って?」
「ああ……ちょっと気になることがあって」
パトリシアはゆるく首を傾げてみせる。
「トリシア、『ティア』という言葉を聞いたことがある?」
「てぃあ? ……ティア……うーーん、知らないと思う」
ジェラルドを真っ直ぐ見て答えた。
「ほんとに?」
「ええ」
コクリと自信満々で頷いた後、脳裏に『キィ・ティア』という言葉が閃いた。
大掃討の折り、闇の中で出会った青年が名乗っていた名だ。
しかし、今更訂正するのも、それをどこで聞いたのかと問われることも避けたい気持ちが勝る。結果、パトリシアは知らぬ存ぜぬを通すことにした。
「その『ティア』って?」
「いや……わからなければいいんだよ。知らない方がいいというか……」
「じゃあ、聞かない。そうだ、お父様、今回、私が王都に呼ばれたのはなんで?」
「うん。社交シーズンが本格化する前に、両陛下へ直接トリシアの婚約についてお断りをしておこうと思ったんだよ。トリシア自身、ちゃんと自分の言葉でお伝えするのも意味があると思って呼んだんだ」
「……やっぱり、婚約者候補なの? 私」
「地位や年齢を考えればどうしてもね」
「私と陛下は気安い仲だし、トリシア自身の意思なのだと伝えておけばきっとトリシアの望むようになる」
父と目線を交し、パトリシアは小さく頷いた。
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