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準備編に向けて
二周目道化王子の後悔
しおりを挟む──『すべて』が終わったと膝をついた時、世界は暗転していた。
──なんて愚かだったんだろう。
ネタばらしのように、いまわの際で耳元に囁かれた。
知らずに逝きたかった……己が滑稽な道化師に過ぎなかったことなど知りたくなかった……。
自分がその『物語』における、間抜けに踊り狂って足が止まれば退場することしか許されない道化師……そんな歯車、仕掛けでしかなかったなど、一体、誰が知って歓喜するのか。
自分が唯一の王位継承者で、王子であってもそんな役割であるなら、皆その首を横に振って厭う。必ず──。
残酷に告げられた真実に吐き気が止まらなかったことを誰に告げられようか……すべて、己の行いだったというのに……『彼女』の味わった地獄に比すればこの後悔がどれほどのものだというのか。
何も知らず、ただ『物語』の導くままその操り糸に忠実に踊ってしまったのだ……。
無知はありえず、思慮思遣に欠けたる行いは罪に等しい。そのことを──嗚呼……もっと早く知っていたならば、ただ無様に踊って、王位につきながら片手で足る在位年数を得たとして微塵の価値もない。
──『物語』に踊らされていなければ、きっと23年という僅かな生を嘲笑とともに刈り取られることもなかった。
あからさまに突きつけられた……その物語にとって、ほんの脇役にすぎないと──自分の人生だと信じていたのに、その人生の主人公は自分ではなかったのだ。
──時を巻いて戻せるのならば、行いひとつひとつ、改めたい。
いつ……彼女の首にギロチンを落とした6年前か? いや……それではもう手遅れだ……。
元を正せば、魔力もなく孤独に飲み込まれてしまった彼女の手を離さなければ……学園に入学し、いつしか狂気を孕むようになったあの瞳から目を反らさなければ……?
──いいや、公爵令嬢だった彼女はどれほど贅沢に暮らしても、周囲に大切にされても満たされてはいなかった……。
きっと、彼女の中の闇はもっともっと奥深いところに………………。
まばたきをして目を開けたとき、眩く君が微笑んでいた。
すぐに母上のお茶会で初めて顔をあわせた時だとわかった。
「お初にお目にかかりますわ。パトリシア・ラナ・バンフィールドです」
5歳で出会った君は、雪のように白い肌、薄氷のような美しい瞳をしていて、幼心でありながら魅力されたものだ……。
──これは夢か……? 死してなお消えきらない意識を哀れんで、神の見せ給う幻か……。取り戻せるのならば、そう、この出会いの一時から……………。
今回は驚愕でもって挨拶を受け止めることになってしまったが。
呆然と見下ろすのに、パトリシアはにっこりと微笑んだ。
「殿下はとても美しい瞳をしてらっしゃるのね」
「パ、パトリシア嬢の美しさにはかないませんよ」
どうにか絞り出した己の声が、子供──完全に幼児のもので心臓がつぶれそうなほど高鳴った。
周りを見回せば、誰も彼も皆、若い。
王城の──最後は炎に飲み込まれた広く豊かな庭園が、生い茂る緑と色とりどりの花に埋め尽くされている。
学園入学後間もなく死んだはずのジェラルドが、いま、幼いパトリシアを連れている。英雄と囁かれた彼が、生きている……。
──時が……本当に巻き戻った……!?
頭を殴られたような衝撃は数日おさまらなかった。
どうにか『初対面』をやり過ごしたが、夢の中にいるような、落ち着かない日々は続いた。
──確かに、23歳のあの日……重い毒を飲まされ、心にもトドメを刺されて殺されたというのに、ほんの5歳に戻ってしまった……。
初対面の彼女は十年前……学園入学前までのような溌剌として自由な振る舞いをしていた。本人は無意識だろうが、愛想を振りまいている。
整った容姿に可愛らしい声だから、数々の我が儘もみなにこりと微笑んで許してしまう。
まだ、子ども達の間で彼女に『魔力がない』という意味が浸透していなかったから……だが、いずれ彼女は知るのだ。
魔獣の跋扈する世界で、魔力のある者、強い者が為政者になったのだと──王侯貴族がなぜ支配者として立てるのかを……強力な魔力でもって魔獣を退ける力のない貴族など、存在そのものが許されないのだと……。
──孤立していく彼女に、前回、幼いながらも手を差し伸べることが出来た自分を誉めたいと思いつつも、彼女は王子の婚約者になどならない方が……幸せになれたのかもしれない……一介の貴族令嬢として、魔力がなく生涯独身だったとしても──。
……私はきっと……ひどいことを……した……一度すくいあげ、執着されると、手を離してしまった……。
もしも、時が巻き戻ったならどうしたかったか……。
いま、時が巻き戻ってやるべきことは何か……。
あの未来を引き寄せないためには──『物語』などに人生を搾取されないために……何を成せばいい?
前回を振り返るならば、転換点はいくつかある。
一番大きいものは彼女を──パトリシアを絞首台にかけたことだ。その首を切り落として『魔王』は現れることになる。
現れた『魔王』を討ち滅ぼすということも、歯車の一つに過ぎなかったが……。
言えることは『魔王』がいなければあの未来にはならないということ。本当の敵が『魔王』ではなかったという……こと。
──ならば、パトリシアを闇の巫女にしてはいけない。
それに……巻き戻ったこの時、5歳のパトリシアの笑顔を見てしまった……。
なぜ、その笑顔を守れなかったのか。
彼女を字名二つ名のまま、氷のような姫としてしまったのか。
──まだ、だめだ……後悔ばかりが押し寄せてくる。
どの選択が正解だったのかわからない。前回のすべてを『誤り』だったとするには、23年という年月は長い……人生としては短くとも、すべてを否定するのはあまりに苦痛を伴う。何もかもが間違いだったとは思わない。
──そんな悶々とした日々を送っていたところ、パトリシアが領地に引っ込んでしまった。
「ジェラルド殿! パトリシア嬢はいつ王都に戻るんだ……!?」
手紙のやりとりくらいはしておけばよかったとまたしても後悔する。
城内で待ち伏せをし、パトリシアの父親ジェラルドが宰相執務室から出てくるところを捕まえて問いただした。
30になるかならないかのジェラルドは内勤になって間もない。
ジェラルドは内勤になっても騎士団に出入りして指導者として立つほどに強いという……『魔王』を消滅させた後も彼が生きていたならば、あんな未来にはならなかったろう……。
斬首されるパトリシアだけではなく、学園入学後すぐにジェラルドが遺体で発見されるという事態も回避しなくてはならない。
……結局、バンフィールド一族を守ってやらなければならないということだ、この6歳に巻き戻った細腕で。
出来るのか、ではなく……やるしかない……。
パトリシアと婚約をしていない6歳時点ではあまり面識はなかったが、ジェラルドはわずかに笑みを浮かべ、しゃがんで目線をあわせてくれる。
「エドワード殿下、申し訳ありません。パトリシアがどうしてもといって聞きません。戻ってくるのは、学園入学の頃になります」
「──……そん……」
二重の意味で絶句をする。
──そんなこと、有り得ない……!
そもそも家族と離れて領地に引っ込んでいると聞いた時、前回、そんなことがあったか? と記憶を漁った。
幼過ぎる時期で思い出しきれず、ちょっと遊びに行ったのかもしれない──そう思い直していた。
彼女は王都に止まり、何度か母上のお茶会に呼ばれるうちに幼い自分と交流して親しくなるはずだ。
そろそろ婚約者をと周囲の圧力もあり、私から彼女の両親に打診する。そうして、9歳の頃に婚約が成立した──前回は。
最近のお茶会にはもちろんパトリシアの姿はなかった。領地にいるからだ。
だが、このままでは交流を深めて婚約を申し出る『理由』もきっかけも作れない。
──……婚約は、した方がいいのか、しない方がいいのか……そこから悩まなければならないとは……。
「学園入学って……社交界デビューまでは王都に戻らないという意味ですか??」
「──はい。パトリシアは一度決めると頑固なところがありますので……」
「ジェラルド殿はそれでよろしいのですか? 溺愛しておいでだと父上から伺っていたのですが」
愛しているのに手離す──……信じられない。
「………………良い悪いでもないんですよ、殿下」
長い睫で瞳が隠される。真意が読めないじゃないか……。
「…………どういう意味ですか」
「パトリシアの選択が、パトリシアの人生には必要なんです……父親の私は、それを後押ししてやるだけ──ですからね」
パトリシアの人生……。
それは誰かの物語ではなく、パトリシアはパトリシアの人生を、パトリシアの物語を生きると……ジェラルドはそう言うのか。
前回、いつの間にか私が見失った『自分自身の人生』というものを、彼は娘に与えるのだという……。
パトリシアは前回と異なる人生を歩み始めている。それを、私だけが気付くことができる。
彼女に近付くべきか、離れておくべきか……そんなことを悩んでいる間に8歳になっていた。
お茶会では領地に引きこもってしまった氷の妖精姫の話はほとんど人の口にのぼらなくなった。
今のところは社交界の華と呼ばれる彼女の伯母セーラが一層視線を集めている。まるで、誰も彼女を思い出さなくて済むように……。
武勇伝のごとく、誰それの誘いをすげなく振っただの、セーラを取り合って騎士が決闘をしただの、ドレスが斬新だのと様々に人々の興味を引くゴシップを積極的に流している。
──パトリシア嬢は前回よりも一層、一族挙げて護られている……私の出る幕などないのかもしれない。
8歳の秋に、将来の側近ともなる貴族の子らから優秀な者を引き抜いておくよう父に言われた。
共に育つ中で信頼と絆を育むべしという王家の習わしなのだとか。
──前回同様、この時点では騎士団長子息と魔道隊隊長子息はあっさりと内定。
正直なところ、ほかの三名もわかっているのだが、噂にこじつけてアルバーン領のラソン城へ出向く。
ラソン城でかのジェラルド殿の弟君であり、アルバーン領領主のシリルと話せば、引き抜こうとした稚竜と噂の双子ノエルとクリフについて、本人に直接交渉するように言われて、城をあとにしようとしていた。
このくだりも、前回と同じだ。
──これが二回目だと、誰に言えるだろうか。
多くの事柄が前回と同じなのに、彼女だけが異なる。
前回彼女は王都に住んでいた。
「エ、エドワード殿下!?」
鈴の鳴るような愛らしい声に振り向けば、サーコートの変形型のような乗馬服に身を包むパトリシア・ラナ・バンフィールドの姿──。
──懐かしい……この頃の君は、汚れなく、狂気の片鱗もなくあまりに美しい。
お辞儀でその麗しい顔を隠すから、私──俺は言わなければならない。
「──パトリシア嬢だね。久しぶり。お辞儀はいいから、顔を見せて?」
──本当にひさしぶりだ……。きっと、君は知らない。9年後、俺が確かにギロチンの刃を落として、君の首を切り落とすことを……誰も知らない……。
君は瞳の色を完全に赤く染めて不死者の如く蘇る。だが、その時には、もはや、君は君ではなくなっていた……。
前回──。
学園に入学する前は良かった。
お茶会や夜会でのみ、その独占欲から傲慢に振る舞うパトリシアの仕草も、強く思ってくれているからと思えた。愛らしい頬が自分を見て染まること……花開くように満面の笑みを向けてくれることが誇らしく、嬉しかった。
誰もが焦がれる美姫の心を独占していることが自信にも繋がった。
だが、学園に入学し、たくさんの生徒達と日常を過ごす日々──、パトリシアの独占欲は収まらず、彼女は嫉妬にかられてどんどん醜くなっていった。
嫉妬するほどの思いを受け止めてやれれば、パトリシアも赤い瞳の魔物にならなかったのかもしれない。
14歳……まだまだ子供だった。
学園入学後、優秀な平民や豊かな商家の子女、もちろん数多貴族の子らに、公爵令嬢の地位を、王太子婚約者の威をかさに、好き勝手振る舞うパトリシアを許容しきれず、頭を抱えていた。自分から申し入れた婚約だったからこそ──。
だから、若さ故と言ってはならなくとも、優しく手をさしのべてくれたヒロインの手を取ってしまった。それが、パトリシアを地獄に突き落としてしまうだなんて、想像出来ないほどに愚かだった……。
今回──。
ラソン城で再会した折、どうにも彼女は及び腰……、幼かった自分なら気付かなかったかもしれないが、こちらは23まで生きて二周目なのだ──わかる。
パトリシアは俺を避けようとしている……。
「このような格好で申し訳ありません。二年前の王妃様のお茶会以来でしょう……か……」
上目遣いでこちらの様子を伺っている。『あの』我が儘放題でこちらの都合などお構いなしだったパトリシアが、顔色を見てくる。
まるで別人のようだと思いつつも、俺は笑って言ってのける。
「相変わらず、可愛らしい方ですね」
自信満々だった前回のパトリシアがしたことのないような態度──目線を彷徨わせる様子に笑ってしまう。
──これが、ジェラルド殿が護ろうとしたパトリシアの選択か……。
距離をつめてパトリシアの指先を取り上げ、じっと見つめてやる。
「領地に移り住んだと聞いてガッカリしていたんです。会えて良かった。……ジェラルド殿もなぜあなたを手元に置かないのでしょうね?」
パトリシアは父譲りの長い睫をバサバサと揺らすほど瞬きを繰り返す。
傍若無人でわがままに暴れていた自信満々のパトリシアでも、見つめれば蕩けるように瞳に慕情劣情を浮かべていたパトリシアでも、狂気に飲み込まれて妖艶に微笑んだパトリシアでもなかった。俺が今まで見たどのパトリシアとも一致しない、戸惑う心をそのまま表情に浮かべるパトリシア……。
──氷の妖精姫? そこにいたのは、驚くほど人間味のある、可愛らしい女の子……。
「……父には、私からお願いをして領に置いてもらっています」
幼さの中に、一本、芯の通った熱が見える。
「うん、だから何故かなと──……私は君に会える日が増えればいいのにと思ってるんだけど」
掴んだパトリシアの手は微かに震えているように思えた。
前回、初対面以降、幾度となくお茶会で会い、個人的にも何度も交流し文を交わし、好意的な目で見つめてくれていたパトリシアが、今回、驚くほど遠い。
──なぜ、怯える? 避ける? 逃げる?
無意識に言葉がこぼれる……。
「ジェラルド殿は君が愛しくはないのかな。私なら、側に置いて離したくはない──」
「殿下っ!」
はっとした。
──いま、また?? 違う。俺はまだ迷っている。彼女を婚約者とするか否か。
ジェラルドの話を聞いて、自分も彼女をそっとしておきたいと心は傾いていた。
だから、今回は交流をしてこなかった。領地に居るパトリシアに会いに来なかった。
なのに、いま、口から滑り出た言葉はなんだ!?
──また、誰かの物語の歯車に成り下がるか……俺はまた、己で選択肢を選べないのか……!?
動揺をこらえ、最後にパトリシアを見た。
「パトリシア嬢? 文を送ってもいいだろうか?」
「──……え、は、はい」
困惑を素直に表しながら頷くパトリシア……。
拒否されなくて本当に──、
「よかった」
と、自然と笑みを浮かべていた自分に気付く。
──賭けだ。前回の辿った過去は記憶にある。だが、時が巻き戻って得られた今回の未来はわからない。
……自分で選べ!
心に強く念じるしかない。
「城に戻り次第すぐに書きますから、必ず返事をくださいね」
パトリシアが前回とは違う行動を取っている以上、ずっと先の未来、学園入学後の破滅的な彼女の道程を思えば、完全に交流を絶つことも正しくはないだろう。
一族総出で護られるパトリシアを、自分は少し遠くから、見守ろう……。
──などと、殊勝に思っていた時が俺にもあった……。
ジェラルドが暇を10日もとり、領地へ飛ぶという。
理由を聞けば娘のパトリシア(と双子)が、アルバーン領最大にして毎年恒例の大狩猟、大掃討に出向くから「私が護らないと」だとぬかす……!
──なぜ、そんな危険な場所へ行かせる!?!? 娘を溺愛しているのではないのか?? 死なせたいのか!? 行ってはならないと命じれば済むだろう! なぜだ!?
大急ぎで父──国王に宝物殿の伝説級の魔力晶石をねだりにねだった。ジェラルドが大掃討にたつギリギリまで。
どうにか手に入れた魔力晶石に自分の魔力が一度空になるほど詰め込んでジェラルドに託した。
──前回、パトリシアの辿った人生とやらはあまりに過酷で哀れで救いがなかった……。
ジェラルドが有り得ない魔術の使い方で空を飛んで消えてゆくのを、王城から見送った。
──パトリシアにも、幸あらんことを……。彼女も俺も、己の望む生き方が出来れば……。
そう祈り願うほど、やはり放っておくわけにはいかないことを認識する。
なにせ俺は二周目なのだから……。
積極的に関わろうと決意した矢先、大掃討は過去にない異変とともにパトリシアのみならずジェラルドらが闇に飲まれた。
自分に可能な限り、急いでアルバーン領に入り、砦へ向かった。
大掃討の対象地がまるごと、闇に飲み込まれていたのだから心臓が止まるかと思った。
その様はまるで『魔王』が蘇った時のようで──……。
だが、事態は悪い方向には行かず、闇は消え去って行方知れずだった面々が見つかる。
走り回ってパトリシアを見つけた時──……。
あの闇は前回ギロチンでパトリシアの首を切り落とした直後に発生したものと似ていた。
だから、だから……前回と同じようにパトリシアの瞳が赤黒く染まってやしないかと、転びそうになるほど大急ぎで駆け寄り、顔を覗き込んだ。
──……のだが……顔をあわせるなり悲鳴をあげられた………………………………………………瞳は美しい蒼色だったから……それでいい…………。
けれど、そうか……俺を見て悲鳴をあげるのか、今回のパトリシアは。
おずおずと謝罪を述べるパトリシアはやはり、前回とまるで違う。
まるで違うが──……今度こそはそのまま生きて欲しい……。
──前回の王子の後悔……。
だから、今回は決してパトリシアの手を離さない。
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