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黎明編(~8歳)
雪の日の邂逅⑦ 恋愛体質
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──カーテンが開いている……。
夜のようだが、部屋の明かりはついていない。星の輝きは届かず室内は暗かった。
夜空がこちらを覗いて見ている……そんな気さえする。
星がびっしり詰まった濃紺の空は、吸い込まれてしまいそうだ。
──月はどっちに出ているんだっけ……。
過去世は毎晩、終電間際まで残業をして、人気のない商店街をのんびりと歩いたものだ。少しひんやりとして静まり返った郊外の駅前。自宅までの二十分ほどの徒歩を、毎晩、雲の多い少ない、厚い薄いなんて比べながら歩いた。
すこーんと抜けるような夜空にスーパームーンが輝く日なんかは、物語のように神秘的で何かが起こるはずもないのに胸が少し痛くなった。
波風たてないように、社内の歯車の一部として働いて、通勤時間には欠かせないスマホでたくさんの物語を読んだ。
この世界も、そんな物語作品の一つとよく似ている。
パトリシアは無表情で思う。
作者達は考えているだろうか? あなた達の生み出す世界が、そこへ転生してしまった魂をくるしめるなんてこと……。
ぼんやりと考え、寝返りを打ったパトリシアはベッドサイドの椅子に気付いた。
ゆっくりと見上げれば長い足を組んで腰かける父ジェラルドの姿がある。
「……お父様」
「おや? 起きたかい、トリシア」
父はパトリシアと同じように窓の外を眺めていたのだろう。ごろりと横になったままのパトリシアを柔らかい笑顔で見下ろしてくる。
三十代前半の男盛り。領内では老若男女を魅了する美の化身なのに、一度戦場に立てば誰よりも戦果をあげる武人だ。
魔力だって王国騎士団魔導部隊でもジェラルドより多い人はいないだろうと聞いたことがある。
領内の噂なので割り増しだとしても、大魔術を使えてそれを多重がけできるのは魔導隊隊長クラスで間違いない。
多重がけは詠唱を据え置きして発動を一度にかける、並みの集中力や魔力制御では出来ないことだと、何度も重ねた双子達との勉強会で習った。
──よりによって『パトリシア』はなんて人の元に魔力ゼロで生まれてしまったのよ……。
自分のことだというのにパトリシアはその運命とも言うべき『設定』を心の中で愚痴る。
ふと、父の手が伸びてきて、おでこから前髪、横の髪をゆっくりと撫でられた。
「顔色は悪くなさそうだ。お風呂で溺れたって聞いたよ?」
「──………あ……そう、だわ。私、お風呂に入っていたのに」
今はもちろん寝間着を着ている。侍女のサニーにベッドに運ばれ、寝かされたのだろう。
「疲れていたんだね」
村人達も冒険者達も、王都にいたときはよその貴族達もだれもかれも、パトリシアがこのジェラルドの娘だというのに魔力が無いと蔑みを混ぜた目で見てくる。
今が何時なのかはわからない。それでも、久しぶりに会うはずだった娘が起きるまでそばにいてくれた父。
王都から例の攻撃魔術の応用で飛んで領に入り、大掃討でも活躍したはずで、疲れもあるだろうに……。
父はこんなにも優しく、パトリシアを愛でもって包んでくれる。多くの他人が父を『可哀想』だという。娘に魔力がなくて『不運』だと……。
だというのに、父はパトリシアにそんなことを微塵も思わせない。
──……他人の目線なんか、気にしちゃだめね……。
顔の横に残るジェラルドの手につい、すりすりと頬ずりをした。
誇らしい父を独り占めにできる幸せ。パトリシアは両手も出してきてジェラルドの手を包んだ。
「お父様もお疲れ様なのではありませんか?」
問えば、ジェラルドは両目をギューッと細めた。椅子からベッドへと腰を移し、横になったままのパトリシアを抱きしめてくれた。
「お父様?」
「……あー……お父様は自分で思っていたよりずっと心が狭いみたいだ……」
「え? なあに? 何の話?」
軽く父を押せば、するりと腕をほどいてくれた。上半身を起こしてジェラルドと向き合う。
「そうだね……これを、君に渡すよう言付かっているんだ」
そう言ってジェラルドは胸ポケットから別珍の包みを出した。
何があるのか覗くパトリシアにジェラルドは「──ああ、明かりをつけてもいいかい?」と尋ねる。パトリシアが頷くと彼はとても小さな声で呪文を唱えた。
すぐにポウッと、ベッドサイドに強すぎない、小さな魔術の明かりが灯る。
ジェラルドはパトリシアに見えるように手のひらで布を開いた。可愛らしいブレスレットのようだが、二つもある。どちらも魔力晶石と思しき石が飾りの合間合間にアクセントとしてついていた。
「これは……?」
「エドワード殿下が君に贈りたいと私に持って来られたんだ」
「──え……殿下が?」
戸惑うパトリシアの手に、ジェラルドは二つのブレスレットを渡した。
「トリシア、君、殿下と文通してたんだって?」
「えぇと……それは、成り行きで……お断り出来ないと思って……」
実を言えば、手紙を送ると言われたあの日以降、エドワード王子から3日と空けずに手紙が届いているのだ。
確かに、過去世の物語によるとパトリシアの容姿に惚れ込んだエドワード王子から婚約の申し入れがあることはわかっていた。
パトリシアは8歳になってしまった。
物語の通りに進むのなら、9歳の年に……ほぼ一年以内に婚約が決まってしまうことだろう。
手紙は頻繁に届くが、パトリシアからの返事はひどく冷淡なのだ。
概ね、挨拶に始まり『はぁ、そうですか、わかりました』やら『できません』の一言……そうして乗り気のないまま締めてしまう。
何せ、同じ城にいるシャノンへの手紙の返事もおざなりなパトリシア。日々の学習や鍛錬でヘトヘトでまともに相手をしていなかった。
エドワード殿下には返事を書いているだけ誉めて欲しいと思っているほどだ。
──あんな返事しかしていないのに贈り物を寄越すなんて、殿下はドᎷなの……?
呆れるパトリシアだが、事態は想定より早く動いているらしいことを思い知る。
「これはね、トリシア……お父様でも買おうと思ったらお母様に相談しちゃうくらい高価な石を使って作ってあるんだよ?」
「そうなんですね……では、お返ししなくては」
「ト、トリシア……そんな簡単な話でもないからね?」
「どうしてですか?」
「内々に……ああ、こっそりとね、国王陛下からお話をね……あー、その、エドワード殿下が君と婚約したがっているがどうだろうかと、言われているんだ」
「──もうっ!?」
思わず大きな声が出たパトリシア。
「もう? もしかして、トリシアは手紙のやりとりで何か言われているの……その、むしろその……トリシアは殿下が好き……?」
「いいえ!!」
パトリシアは食い気味に答える。
「いいえ、お父様!! 好きではありません!!」
必要以上とも言える勢いで否定をしておくパトリシア。寝起きの気だるさは一瞬で吹き飛んでしまった。
「私からのお手紙のお返事は、私どうしても毎日くたくたになってしまって、その、同じような素っ気ないお手紙しかできていないのです。なのになんで……」
「トリシア……」
「お父様、お父様、お願いです。婚約を言われても断って頂けませんか? 私は……私は──」
必死に言い募れば、ジェラルドは曖昧な笑みを浮かべた。
「うん。わかるよ。トリシアは騎士を目指しているだろう?」
少し誤解がある。だが、パトリシアは頷く。なりたいのは冒険者だが、話がややこしくなるので黙った。
「だから、お祖父様とも相談して国王陛下と王妃殿下にはお断りしているけれど、王子殿下にはお伝え出来ていないんだよ」
現時点では祖父はまだ引退しておらず、国王に次ぐ宰相という高い地位にいる。数年内に父が継ぐと決まっているはずだ。
「でも、トリシアは嫌なんだね? だったらお父様もしっかりと断れるようにもっていくよ。それに婚約はあくまでも婚約。本当に、絶対に結婚というわけではないから安心していいよ。それにね……お父様はね…………」
「…………?」
「…………」
「……お父様は?」
もったいぶられ、ゆるく首を傾げて問うパトリシア。
「トリシア……!」
父が強すぎない力で抱きしめてくる。
「お父さ──」
「いやもう、無理だろう!? こんなに可愛いのに……! こんっなに可愛いのに!! もう嫁に出せって?? 無い! 絶対に無いね! エドワード殿下になんかもったいない!!」
あまりにも世間に知れ渡る父のイメージと異なる言動だ。まるでだだっ子のようだが、それだけパトリシアを大切に思って手離せないと言ってくれているようなもの。
パトリシアの胸は温かくなるが、それを切り裂くあの『悪夢』に眉根を寄せずにいられない。
少しほどいて、ジェラルドは真正面からパトリシアを見つめてくる。
その目は、過去世の長い時間の中にもない、どこまでも純粋な、愛おしいものを見つめる瞳。
──そうだ、この人はパトリシアをどこまでも甘やかしてくれる人。そうでなければ、物語のパトリシアを放置しなかった……。
エドワード王子との婚約は破滅的な未来への確実な一歩だ。やはり、もっと縁を離し、距離を置かなければならない。
出来るならば、婚約そのものを回避したい。
「…………お父様……あの、魔力晶石はお返ししたいのだけだど」
「え。うーん……どうかな……」
パトリシアの小さな肩から手を離して少し考えるジェラルド。
「もらっておきなさい。無駄にはならないし、殿下は君に贈り物がしたいんだよ……突き返されたら殿下……きっと殿下、拗らせるよ……?」
──拗らせるって……なに。
怖くなって掘り下げて聞くことができないパトリシアは沈黙する。
「……手遅れかもしれないけどね……晶石、多分、殿下自ら魔力をこめてらっしゃるかも……二つある意味だよ、トリシア……これ……」
父もまた、そこまで言って黙ってしまったのだった。
翌朝、エドワード王子から手紙が届いていた。
本文にはこう──。
『アルバーン領はこの時期、大掃討で魔獣が普段より暴れまわると聞きました。君は魔力を持たないから、あまりに危険ですから、ぜひ王都にいらしてほしい。でも、これだけ毎回誘っても来てくれない君だから、王都へのお誘いよりもと魔力晶石を君の父君に預けました。とても強力な晶石だから、安心して使ってほしい。私の魔力を込めているので、必ず身につけて? 一つが空になったら教えてくださいね。すぐに私が魔力を込めにいきます。会いにいきます』
──……確かに、拗らせストーカー気質を感じる……。
彼は堂々と物語を背負い、婚約者がありながら浮気をして主人公を落とすのだ。
エドワード王子が8歳にしてすでに恋愛体質だということを忘れていたパトリシアだった。
夜のようだが、部屋の明かりはついていない。星の輝きは届かず室内は暗かった。
夜空がこちらを覗いて見ている……そんな気さえする。
星がびっしり詰まった濃紺の空は、吸い込まれてしまいそうだ。
──月はどっちに出ているんだっけ……。
過去世は毎晩、終電間際まで残業をして、人気のない商店街をのんびりと歩いたものだ。少しひんやりとして静まり返った郊外の駅前。自宅までの二十分ほどの徒歩を、毎晩、雲の多い少ない、厚い薄いなんて比べながら歩いた。
すこーんと抜けるような夜空にスーパームーンが輝く日なんかは、物語のように神秘的で何かが起こるはずもないのに胸が少し痛くなった。
波風たてないように、社内の歯車の一部として働いて、通勤時間には欠かせないスマホでたくさんの物語を読んだ。
この世界も、そんな物語作品の一つとよく似ている。
パトリシアは無表情で思う。
作者達は考えているだろうか? あなた達の生み出す世界が、そこへ転生してしまった魂をくるしめるなんてこと……。
ぼんやりと考え、寝返りを打ったパトリシアはベッドサイドの椅子に気付いた。
ゆっくりと見上げれば長い足を組んで腰かける父ジェラルドの姿がある。
「……お父様」
「おや? 起きたかい、トリシア」
父はパトリシアと同じように窓の外を眺めていたのだろう。ごろりと横になったままのパトリシアを柔らかい笑顔で見下ろしてくる。
三十代前半の男盛り。領内では老若男女を魅了する美の化身なのに、一度戦場に立てば誰よりも戦果をあげる武人だ。
魔力だって王国騎士団魔導部隊でもジェラルドより多い人はいないだろうと聞いたことがある。
領内の噂なので割り増しだとしても、大魔術を使えてそれを多重がけできるのは魔導隊隊長クラスで間違いない。
多重がけは詠唱を据え置きして発動を一度にかける、並みの集中力や魔力制御では出来ないことだと、何度も重ねた双子達との勉強会で習った。
──よりによって『パトリシア』はなんて人の元に魔力ゼロで生まれてしまったのよ……。
自分のことだというのにパトリシアはその運命とも言うべき『設定』を心の中で愚痴る。
ふと、父の手が伸びてきて、おでこから前髪、横の髪をゆっくりと撫でられた。
「顔色は悪くなさそうだ。お風呂で溺れたって聞いたよ?」
「──………あ……そう、だわ。私、お風呂に入っていたのに」
今はもちろん寝間着を着ている。侍女のサニーにベッドに運ばれ、寝かされたのだろう。
「疲れていたんだね」
村人達も冒険者達も、王都にいたときはよその貴族達もだれもかれも、パトリシアがこのジェラルドの娘だというのに魔力が無いと蔑みを混ぜた目で見てくる。
今が何時なのかはわからない。それでも、久しぶりに会うはずだった娘が起きるまでそばにいてくれた父。
王都から例の攻撃魔術の応用で飛んで領に入り、大掃討でも活躍したはずで、疲れもあるだろうに……。
父はこんなにも優しく、パトリシアを愛でもって包んでくれる。多くの他人が父を『可哀想』だという。娘に魔力がなくて『不運』だと……。
だというのに、父はパトリシアにそんなことを微塵も思わせない。
──……他人の目線なんか、気にしちゃだめね……。
顔の横に残るジェラルドの手につい、すりすりと頬ずりをした。
誇らしい父を独り占めにできる幸せ。パトリシアは両手も出してきてジェラルドの手を包んだ。
「お父様もお疲れ様なのではありませんか?」
問えば、ジェラルドは両目をギューッと細めた。椅子からベッドへと腰を移し、横になったままのパトリシアを抱きしめてくれた。
「お父様?」
「……あー……お父様は自分で思っていたよりずっと心が狭いみたいだ……」
「え? なあに? 何の話?」
軽く父を押せば、するりと腕をほどいてくれた。上半身を起こしてジェラルドと向き合う。
「そうだね……これを、君に渡すよう言付かっているんだ」
そう言ってジェラルドは胸ポケットから別珍の包みを出した。
何があるのか覗くパトリシアにジェラルドは「──ああ、明かりをつけてもいいかい?」と尋ねる。パトリシアが頷くと彼はとても小さな声で呪文を唱えた。
すぐにポウッと、ベッドサイドに強すぎない、小さな魔術の明かりが灯る。
ジェラルドはパトリシアに見えるように手のひらで布を開いた。可愛らしいブレスレットのようだが、二つもある。どちらも魔力晶石と思しき石が飾りの合間合間にアクセントとしてついていた。
「これは……?」
「エドワード殿下が君に贈りたいと私に持って来られたんだ」
「──え……殿下が?」
戸惑うパトリシアの手に、ジェラルドは二つのブレスレットを渡した。
「トリシア、君、殿下と文通してたんだって?」
「えぇと……それは、成り行きで……お断り出来ないと思って……」
実を言えば、手紙を送ると言われたあの日以降、エドワード王子から3日と空けずに手紙が届いているのだ。
確かに、過去世の物語によるとパトリシアの容姿に惚れ込んだエドワード王子から婚約の申し入れがあることはわかっていた。
パトリシアは8歳になってしまった。
物語の通りに進むのなら、9歳の年に……ほぼ一年以内に婚約が決まってしまうことだろう。
手紙は頻繁に届くが、パトリシアからの返事はひどく冷淡なのだ。
概ね、挨拶に始まり『はぁ、そうですか、わかりました』やら『できません』の一言……そうして乗り気のないまま締めてしまう。
何せ、同じ城にいるシャノンへの手紙の返事もおざなりなパトリシア。日々の学習や鍛錬でヘトヘトでまともに相手をしていなかった。
エドワード殿下には返事を書いているだけ誉めて欲しいと思っているほどだ。
──あんな返事しかしていないのに贈り物を寄越すなんて、殿下はドᎷなの……?
呆れるパトリシアだが、事態は想定より早く動いているらしいことを思い知る。
「これはね、トリシア……お父様でも買おうと思ったらお母様に相談しちゃうくらい高価な石を使って作ってあるんだよ?」
「そうなんですね……では、お返ししなくては」
「ト、トリシア……そんな簡単な話でもないからね?」
「どうしてですか?」
「内々に……ああ、こっそりとね、国王陛下からお話をね……あー、その、エドワード殿下が君と婚約したがっているがどうだろうかと、言われているんだ」
「──もうっ!?」
思わず大きな声が出たパトリシア。
「もう? もしかして、トリシアは手紙のやりとりで何か言われているの……その、むしろその……トリシアは殿下が好き……?」
「いいえ!!」
パトリシアは食い気味に答える。
「いいえ、お父様!! 好きではありません!!」
必要以上とも言える勢いで否定をしておくパトリシア。寝起きの気だるさは一瞬で吹き飛んでしまった。
「私からのお手紙のお返事は、私どうしても毎日くたくたになってしまって、その、同じような素っ気ないお手紙しかできていないのです。なのになんで……」
「トリシア……」
「お父様、お父様、お願いです。婚約を言われても断って頂けませんか? 私は……私は──」
必死に言い募れば、ジェラルドは曖昧な笑みを浮かべた。
「うん。わかるよ。トリシアは騎士を目指しているだろう?」
少し誤解がある。だが、パトリシアは頷く。なりたいのは冒険者だが、話がややこしくなるので黙った。
「だから、お祖父様とも相談して国王陛下と王妃殿下にはお断りしているけれど、王子殿下にはお伝え出来ていないんだよ」
現時点では祖父はまだ引退しておらず、国王に次ぐ宰相という高い地位にいる。数年内に父が継ぐと決まっているはずだ。
「でも、トリシアは嫌なんだね? だったらお父様もしっかりと断れるようにもっていくよ。それに婚約はあくまでも婚約。本当に、絶対に結婚というわけではないから安心していいよ。それにね……お父様はね…………」
「…………?」
「…………」
「……お父様は?」
もったいぶられ、ゆるく首を傾げて問うパトリシア。
「トリシア……!」
父が強すぎない力で抱きしめてくる。
「お父さ──」
「いやもう、無理だろう!? こんなに可愛いのに……! こんっなに可愛いのに!! もう嫁に出せって?? 無い! 絶対に無いね! エドワード殿下になんかもったいない!!」
あまりにも世間に知れ渡る父のイメージと異なる言動だ。まるでだだっ子のようだが、それだけパトリシアを大切に思って手離せないと言ってくれているようなもの。
パトリシアの胸は温かくなるが、それを切り裂くあの『悪夢』に眉根を寄せずにいられない。
少しほどいて、ジェラルドは真正面からパトリシアを見つめてくる。
その目は、過去世の長い時間の中にもない、どこまでも純粋な、愛おしいものを見つめる瞳。
──そうだ、この人はパトリシアをどこまでも甘やかしてくれる人。そうでなければ、物語のパトリシアを放置しなかった……。
エドワード王子との婚約は破滅的な未来への確実な一歩だ。やはり、もっと縁を離し、距離を置かなければならない。
出来るならば、婚約そのものを回避したい。
「…………お父様……あの、魔力晶石はお返ししたいのだけだど」
「え。うーん……どうかな……」
パトリシアの小さな肩から手を離して少し考えるジェラルド。
「もらっておきなさい。無駄にはならないし、殿下は君に贈り物がしたいんだよ……突き返されたら殿下……きっと殿下、拗らせるよ……?」
──拗らせるって……なに。
怖くなって掘り下げて聞くことができないパトリシアは沈黙する。
「……手遅れかもしれないけどね……晶石、多分、殿下自ら魔力をこめてらっしゃるかも……二つある意味だよ、トリシア……これ……」
父もまた、そこまで言って黙ってしまったのだった。
翌朝、エドワード王子から手紙が届いていた。
本文にはこう──。
『アルバーン領はこの時期、大掃討で魔獣が普段より暴れまわると聞きました。君は魔力を持たないから、あまりに危険ですから、ぜひ王都にいらしてほしい。でも、これだけ毎回誘っても来てくれない君だから、王都へのお誘いよりもと魔力晶石を君の父君に預けました。とても強力な晶石だから、安心して使ってほしい。私の魔力を込めているので、必ず身につけて? 一つが空になったら教えてくださいね。すぐに私が魔力を込めにいきます。会いにいきます』
──……確かに、拗らせストーカー気質を感じる……。
彼は堂々と物語を背負い、婚約者がありながら浮気をして主人公を落とすのだ。
エドワード王子が8歳にしてすでに恋愛体質だということを忘れていたパトリシアだった。
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