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転生悪役令嬢の本懐
転生悪役令嬢の本懐
しおりを挟むいわゆる悪役令嬢とは何か──。
バルコニーを開け放ち、新鮮な春の風を受け、青空を眺めてパトリシアは朝から物思いを続ける。
──悪役令嬢とは、装置だ。
ヒロインとヒーローが苦難を乗り越えてハッピーエンドを迎え、読者に多大なカタルシスという快感を与えるための装置にすぎない。
だがしかし、この装置には心がある。
暖かく柔らかい風が蕩ける金糸のような髪を梳いていく。
パトリシアは幼い頃から氷の妖精姫とも呼ばれる類い希な美貌と公爵令嬢という高い地位を持っている。
だが同時に、過去世の記憶も持って生まれてしまった。本来は消えているはずの記憶。まっさらで生まれ直すはずの現世。
なのに、この世界が、過去世に読んだ物語と同じで、つまり未来を知ってしまった。
──こんなことある!?
最初はそう叫びそうになったが、過去世に読んだ物語はそんな作品で溢れていた。
過去世を生かして転生後に幸せを得る。イニシアティブを握る。
転生時に付与された力で無双する……過去世の良いところを持ち込む、こちらにない知識で成り上がる……。
とはいえ、パトリシアの過去世の記憶はとにかく平凡の極み。平凡中の平凡な普通科を出て平凡に雑用事務をこなす記憶。簿記だとか、歴史に詳しいとか、特化する何かなんてない。
強いて挙げれば通勤時に特定ジャンルの小説を読み、家ではとあるゲームに打ち込んだくらいだ。これすら、所謂『陰キャ』としては平凡のど真ん中と言える。
まず小説。混同するほど沢山の『悪役令嬢』モノを読んだ。毎日の通勤時間に未完完結関わらず、手元の端末で、うっとりするような素敵なシーンも、腹を抱えて笑うようなシーンも、心が震えて涙が止まらなくなるようなシーンもすべて、電車に揺られながら真顔で読んできた。
淡々と静かに、透明な気持ちで憧れたのだ。
何もない自分も何かになりたいと……。
憧れて、焦がれて、でもただ読むばかりの日々。
自分を変えることはなく、当然、前世の人生に大きな変化は何もない。ある日突然、上司に認められて大出世だとか、素敵な異性に見初められて天に昇るようなチヤホヤで身も心も満たされる……なんていうこともなかった。
また、ゲームは、これまた淡々と無骨にモンスターを狩るもので、煩わしい現実を忘れさせてくれるのだ。大型のモンスターを倒すと、それだけでスカッとした。自分自身は何も変わらないが、強くなったような気になれた。一人暮らしの部屋で、家に帰ると黙々とモンスターを狩って、仮想世界に没頭する。
何もない現実から目をそらすのにとても便利だった。
小説という架空の物語で疑似体験をし、ゲームという仮想世界で日頃の鬱憤を晴らす。それはそれは平坦で、幸福も不幸もない、味気ない暮らし。
不幸でなければそれでいい、痛くなければそれに越したことはない。代わりに、飛び抜けた幸福も大笑いすることもない。
結論として、受け身のままで得られる幸福などないと、現世に伝えてくれるだけの過去世だ。
前世の記憶そのものには、具体的に使えそうなものは何もない。
この物語の世界で、パトリシアが自ら得たものの方が断然、価値がある。
だとて、その前世の記憶はパトリシアをその物語の中心人物だと覚醒させた。
惜しむらくは、ハッピーエンドを迎える主人公ではなかったこと。彼女達を幸せに盛り上げるために泥に落ちる華麗な悪役令嬢──。落ちる先は最果てへ、地獄の業火で焼かれるほどいい。つまり、盛大に『ざまぁ』されるほど良い。
いま、パトリシアは自分を巻き込む主人公達の運命について、知り得てしまっているのだ。
果たして、人生の破滅をなぞるべきか──それも、知っていながら。
幼い日にそれらを知るに至ったパトリシアは、読み尽くした物語の中の、悪役を克服して幸せになる少女達に、憧れながら頬をひきつらせていた。だから、どんな感動的なシーンも真顔で読み流せた。
ヒロインに成り下がった悪役令嬢達の、気持ち悪いほどの変化。
悪役顔といいながら正当ヒロインのように可愛らしく描かれている様に少々ドン引きした。
次々と本来の主人公の逆ハーレムを先手先手に乗っ取っていく卑怯な様子に、嫌悪と憧れを抱いた。
なぜか『ざまぁ』されていく本来の主人公達。無様に、間抜けに描かれ、転落していく本来の主人公──。幸福で満たされ、めでたしめでたしと物語を結ぶはずの主人公の座を奪い、祝福される悪役令嬢……。
読むのを止められなかった。それは甘美な毒のように。
実際、悪役に転生を果たして、パトリシアは己の進むべき道を悩んだ。
そこでなんと、何もなかったはずの前世の記憶が活躍する。
前世、一生一人分の記憶は告げる。
──人は出来ることしか出来ないと。好きなことしか続けられないと……。
そのことから、特段賢いわけではないものの、運命書き換えの努力を続けてきた。
──そう、パトリシアもまた、生き抜くために装置としての悪役令嬢であることを、物語が始まる前に払拭しなくてはならないのだ。
つまり、素晴らしき悪──主人公の座を奪い、貶めてこそ悪役令嬢に相応しい。
なんのことはない、王道の物語の中で主人公を邪魔するのも悪役に相応しく、また主役となってその立場を奪う振る舞いも悪役として成立している。
どこからどこまでも悪役令嬢であることから逃れられないと悟る。
パトリシアにとって僥倖と呼べたものは、未来に待ち受ける運命を知ることができた──ということよりも、それに立ち向かう精神力を前世の人生観・経験から付与されたことに尽きる。あくまでも前世は追加オプションにすぎない。
──私の人生は誰かのものでもなければ、物語のためにあるものではない。ましてや装置などではない。私の人生は私のためにある。
幼い日に多量に流れ込んできた記憶、一人の人間が生まれてから死ぬまでに経た精神成長を瞬く間に見通すことになった。
未来を知っていることよりも、人間は成長し変化する、はたまた完全な善人がいないのと同様に、徹頭徹尾悪人もいないと身にしみたことが大きかった。
空から目線を両手に落とす。わきわきと細い指で握ったり開いたりしてみる。
前世は10人中10人が平凡顔と呼び、決して美人ではないがドブスでもなく、どちらかといえばブスで、スタイルはずんぐりむっくりだった。
しかし今や転生を果たし、華ある悪役に相応しい、やや冷たさのある美貌と、物理的に上から見下ろせる上背による超モデル体型。そこへ天然なのにとってつけたような巨乳をぶら下げた美ボディを持つに至った。それこそ、憧れた何かになれたのだ。
なのに、ニギニギする手の動きは前世と何ら変わらない。
人間であるという型は変わらないのだ。
──私は相変わらず、すごくない。
幼い日にそれを思い知ることが出来たのは、増長し我が儘放題に振る舞って自らを死地に追いやる未来を簡単にへし折った。
思想が変われば行いは変わり、周りの人の態度も変わる。なにより、己の顔つきが変わる。
──自分が変われば世界は変わる。
そんな簡単で難しいことを、パトリシアは思い知る。
周りを変えようと我が儘に思うままに指図してふんぞり返って憎悪を買うより、自分が変わってその範囲で少しずつ成したいことを成していく。簡単なようで難しく、けれども一番手っ取り早い、周囲を大切にした自分勝手。
パトリシアは『我が儘』にも、良い我が儘と悪い我が儘があると、記憶が蘇った5歳の時、前世の記憶を啓示や預言の如く受け止め、価値観に刻んだのだ。
今日という日、パトリシアは婚約者であるエドワード王子から婚約破棄を言い渡される。その後、不貞により斬首刑へとコマを進める。
しかし、この12年、パトリシアは己に魔力が無いことを嘆くことなく、ただ背筋を伸ばし、誰にも恥じることのない令嬢たらんと邁進してきた。
わき目もふらず、正しく令嬢であろうと。
結果として、エドワード王子は、内面を全く悟らせず、氷のようなパトリシアを避け始める。そうするうちに正規主人公と出会う。学園に通う三年間の内に、天真爛漫でコロコロと表情が変わり、殊の外かわいらしい男爵令嬢と恋に落ちる。つまり、物語をなぞり、パトリシアを邪険に扱うようになるのだ。
何せ、魔力を除いて非の打ち所のない令嬢であるパトリシア。学園で露出したパトリシアの人格も、学力も隙が無い。学園一の美女は誰かと言えば二位以下を大幅に引き離してパトリシアが断トツトップ。外見や地位は言わずもがな、だが、平等な振る舞いにひたむきな学習態度は多くの信奉者を生む。
また、エドワードが男爵令嬢といくら付き合っても、わざと木陰で口づけする様を見せつけても、パトリシアは嫉妬しない。むしろニコリと微笑んで会釈をし、去っていく。
エドワードとしては婚約を破棄するためにパトリシアの不貞を捏造するしかなかった。
一方、パトリシアはエドワードの計画を察している。物語で不貞を捏造するのはエドワードや男爵令嬢の取り巻きだったが、何の障害もなく結ばれた二人だ、手助けをして絆を結ぶはずの彼らはいま、一歩引いて距離をとっている。エドワード達に近すぎず、またパトリシアに悪感情を抱いているということもない。
したがって、パトリシアを陥れる計画はエドワードが単独で行う。
それも、パトリシアには想定内。
12年前に価値観を塗り替えたパトリシアは、己がまだ五歳の幼児であるとよくよく認識した上で、マナーや貴族としての振る舞いを学びながら、我が儘を振りかざす。
乗馬がしたい! 魔力が無いので剣術を学びたい! と──。
日頃、両親を煩わせる我が儘を言わない、従順で勤勉な娘の唯一のおねだりだ、それはすぐ叶えられた。
学園入学、および社交界にデビューする14歳までの時に限り、領地で暮らすことを許され、そこでパトリシアは自由に成長する。
前世で読みあさった物語の一つをベースにしたこの世界で、パトリシアは一つの希望──というよりも、楽しみを見いだしていた。
乙女ゲームを下敷きにしたノベライズ小説、それがこの物語の実態だ。
その世界には冒険者ギルドがあり、多くの冒険者が傭兵として雇われたり、モンスター狩猟で生計をたてていたのだ。それは、前世が黙々とプレイしていたゲームのプレイヤーの生業に近い。小説の中では下卑た傭兵として、悪役令嬢側のコマとして暗躍する冒険者。その設定があって本当に良かったとパトリシアは心底思ったほどだ。
6歳の頃には領地に戻り、広々とした大自然の中にそびえる巨大な城で──パトリシアは引きこもらなかった。
令嬢としての教育を施される傍ら、馬術に剣術にと励んだ。
そのうち数日間だが、9歳の頃に王都に呼ばれ、エドワード第一王子の婚約者として選出される。
両親には王都に留まるよう言われるが、やはり真面目に暮らしていたパトリシア、まだ領地に居たい、王太子妃に、王妃になれば自由はなくなると泣いて訴える。そうなると両親も強くは言えず、14歳まで領地で過ごすことを許された。
パトリシアは令嬢としての学習も、野望として抱く『冒険者への道』もさらに加速させ、苛烈に進めた。
細身ではあるが、なぜか胸にたっぷりと残ってはしまった贅肉を除いて全身は筋肉質、頑丈で健康、優美かつ優雅な美少女へと成長していく。
もし処刑となるならば、逃亡すべきと武芸を極めた。その先に『冒険者として生きる』という野望を抱いたのだ。
確かに、手をニギニギする動作は、何につけてもごくごく平凡だった前世と変わらない。
しかし、いま、馬に乗るため手綱を握れる。両手で剣を掴み、ふるう事ができる。そこらの有象無象の騎士の剣ならば数本まとめて軽く吹き飛ばしてやれる。
ついでに言うならば、13歳の頃から家を抜け出すようになった。
無駄遣いせずに貯めた小遣いをはたいて、金の力で移民登録の上、市民権を買ってもう一つの自分、身分を外に作った。
そのもう一つの自分──しっかりと変装して『シア』と名乗り、さらに冒険者ギルドに登録、身につけた正当な武技で数々のパーティーに加わり、ランクを上げた。
モンスター狩猟……生身で、自分でやってみたかったのだ。
何もかえられないまま受け身の人生を全うした前世を、その魂をも鮮烈に救済してしまった。
それはあまりに楽しく、令嬢パトリシアの暮らしに浸食しそうな程に。つまり、「お嬢様がまたいらっしゃらない! 旦那様から王都に顔を出させよとご指示が──!」と使用人を困らせ、冒険者の姿のまま単身で馬を飛ばし、王都に入ったこともある。
14歳を迎えると、パトリシアは渋々、王都に戻る。シアの戸籍と冒険者としての籍を残したまま。
三年……三年間我慢し、エドワードと男爵令嬢が結ばれ、婚約破棄されるのを待つ日々──。
物語の世界ならば『装置』がなくともうまくやってみせろという気持ちすら持っていた。
パトリシアは己の考える悪役令嬢らしく、物語に荷担してやらないと決めたのだ。
ヒロインとヒーローの二人が距離を近付け、どうやら夜も共にしたらしいことを知ったときのパトリシアの喜びようといったら無い。
確かに破滅フラグではあるのだが、パトリシアはもう準備が出来ているのだ。
大人しく処刑されるつもりも、落ちぶれたところから成り上がって『ざまぁ』するつもりも、どこぞの美男子に拾われてやるつもりもない。
華麗に、凛と──。
──私は悪役令嬢パトリシア。この運命を最大限、誰よりも肯定する。
物語にとって最大の悪と呼べるものは何か──そう考えたとき、パトリシアは気付いたのだ。
物語として成立させなければ良い。
それこそが、魔王すら飛び越えた、真の意味で破壊神とも呼べる存在ではなかろうか……と。
そのためにパトリシアが狙ったものが、パワーバランスの崩壊だ。
もし、パトリシアを不運と呼べる要因があるとするならば、世界に光の巫女がおり、対局に闇の巫女がいるのだが……その闇の巫女と名指しされていることだ。
物語ではパトリシアが処刑されたところから後編へ向け、さらに展開する。
死んで首と胴体に両断されたはずのパトリシアが、ゆらゆらと操り糸に手繰られるように宙に浮き、闇にまとわりつかれ、暗紫の雷を放出したのち、目をカッと見開くのだ。
処刑台で物語のパトリシアは二段回目の悪役として息を吹き返す。
繋がる首と胴体、魔力を持たなかったはずのパトリシアから迸る闇の力──人々は闇の巫女の顕現を見る。
──それを、今世、パトリシアは覆してやろうと狙っている。
処刑台で殺されてやらない。
すなわち闇の巫女復活を阻止し、物語の第二幕を上げてやらないのだ。
物語にとって、最初の敵である悪役令嬢を完全に滅ぼすタイミングでもあり、また後編へ繋ぐ重大なキーポイント、ターニングポイントとなるシーンを、発生させない。
それを成したなら、パトリシアは冒険者シアとして高笑いしながら眺めようと思うのだ。
「お嬢様ー! パトリシアお嬢様! お時間ですよ!」
背後、ドアの向こうからメイドの声がする。
パトリシアはクスリと笑みを浮かべ、窓を閉めた。
この部屋にはもう戻らない。未練もない。
悪役令嬢の本懐を、遂げにいこう。
──私こそが物語の悪役よ。物語の息の根を、止めてさしあげる。
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