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【Last】Summoner’s Tast
アルティノルド ※流血表現
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(1)※流血表現があります。
巨城エストルクの背面には、巻きつくような形で巨大な樹がある。城下町からじわじわと延焼が続き、その熱気に煽られて、木の葉は舞い飛び、太い枝もゆらりゆらりと揺れている。
昼だというのに、太陽の光はぶ厚い雲に覆われてほとんど届かない。森を焼くオレンジの炎が、辺りを照らしている。下から登ってくるオレンジの炎が、巨城エストルクを染め上げる。炎は揺れて、影と交互にその姿を彩り、黒い煙が吹き込み、縁取る。
芝の植えられた城の周囲には、鎧を着た兵士があちらこちら倒れていて、動かない。折れた槍や盾が散乱している。蹴り上げ、蹴り飛ばされ、8割が醜くはげてしまった芝生には、大小様々な──人のそれの十数倍のものも含め──足跡が大量に残っている。踏み飛ばされた土が、敷石の方にも飛んでいる。その辺りにも、血痕は伸び広がっている。その先には、人間のものらしき親指と、肩から肘あたりらしき腕が、転がっている。他の部分は、この辺には無いようだ。既に、モンスターの胃袋の中か。
あちらこちらに、人間だけではなくモンスターの死体も転がっている。錆びた鉄のようなもの、深い草と肥えた土のような臭いが、混ざって広がる。前者は人間の、後者はモンスターの血から漂う。
砂埃も絶えず、巨大な犬型のモンスターなどが、大地を駆って巻き上げている。ついでに弾き飛ばされる人間の悲鳴は、一瞬響いてすぐに消える。
城の奥へ進めば、白銀色に輝く鱗のドラゴンが、両足を踏ん張り、口から爆炎を吐き出している。噴き出した火の勢いだけで、巨大な犬型のクルッド1匹を吹っ飛ばす。クルッドは、濡れた鼻先にも火が付いて、ぎゃんと鳴いてのたうち回り、消そうとしている。肉の焦げる臭い。一層、砂埃が舞い飛ぶ。視界も悪くなる。
白銀のドラゴン──ティアマトは、足を浮かすように羽ばたいて、その風で煩いクルッドを砂埃もろとも吹き飛ばしてしまう。それには、人の倍の大きさの狼、熊のように二足歩行をする獣も巻き込まれて吹っ飛ばされた。踏ん張ったモンスターが居ても、ティアマトは着地してまた口を開き、長剣大の針を数百本ふつふつと吐き出して、串刺しにする。息のあったものが逃げ出そうとしても、獅子頭のマンティコアが、空から地面すれすれを駆け降りて来ては蹴り飛ばし、城から大きく引き離す。
ティアマトとマンティコアの護る背後には、城へ侵入するに容易いバルコニーが口を開けていて、そこには今、ガミカの王が居る。
亜麻色の長い髪は、汗と埃を含んで端々が乱れている。大将軍や周りの者が集って、いかに逃げるかを算段をしているところだが、王が反対をしている。
この3階バルコニーから見渡せる限りでも、ガミカ王都はもう復旧を見込めない。山は燃え広がり、延焼を止める為に人を割く事も出来ない。城内への侵入はおさまったが、一歩外へ出ればモンスターは迫ってくる。
距離を隔てて、“神の召喚獣”がぎゅうぎゅうと力比べをしていて、いつこちらへ倒れ込んで来るか知れない。あんな巨大な生き物が飛んで来たなら──あれらはこの“巨城”より大きいのだ──あっさりぺしゃんこになるのが目に見える。箱の中の人間など、あっと思う間も無く黄泉路を辿る。
細々と聞こえる。
近く遠く『ミラノ』という言葉が、生き残った者の口に上る。それは次第に“未来へと生き延びる為の、希望を持つ事、願う事”という意味で、伝えられ始める。
天使によって誘われ、城の裏手へと人々は逃げているが、徒歩ではなかなか距離を稼げない。城が崩れたら、共に沈むしかない。
人間にとって、絶望的な状況は相変わらず続いていた。
がっしりと掴み合って、ギリギリと力比べを続けるリヴァイアサンとベヒモス。大地に落ちてよろよろと、それでもベヒモスの腹に噛み付こうとするジズ。ジズの翼は、少しずつだが修復し始めている。
城下町中の、家々、建物、木々へと、火は次々と移る。
見かねた七大天使の水のアズライルが、4枚の青い翼を開いて飛び回り、さわさわと水滴を降らせている。だが、火の勢いが強すぎる。アズライルの降らせる粒の細かい霧雨では、消すのに追いつかない。
3階バルコニーよりずっと上の階。10階にあたる屋上は、王都全体を見渡せる。そこに、フェニックスは滑り込むように降り立つ。後ろから、赤《レッド》ヒポグリフが続く。
それぞれの召喚獣から、ネフィリムとアルフォリスが降りた。どちらもその傍らに召喚獣を置く。
聖火台を見上げた。
チラチラと煽るオレンジの炎が、濃い影を作りながら、化け物の姿を照らし上げていた。
6枚の大きな翼は、ゆるやかに開かれている。羽毛に覆われた翼ではなく、蝙蝠のそれを思わせる。
体の大きさに対しては、やや大きめの頭だ。梟のようなぎょろりとした目がある。三角に細められた鋭い眼差しは、城下町を睨んでいる。口は蛇に似ていて、弓形に歪められている。うっすらと開いた口からは、びっしりと細かな歯が覗いている。背丈は人の1.5倍程だが、大きな翼と眼光の威圧感で、より大きく見せている。
それは、しっとりとした闇が迫るような、得体の知れない気配を辺りに放っている。
まっすぐ背筋を伸ばしたまま、3歩聖火台に近寄り、ネフィリムは化け物を見上げた。化け物の腕の中に、妹の姿を見つける。くったりと化け物にもたれかかっている。気を失っているらしい。
左の手の平を開いて、化け物へ向けた。
「言葉がわかるか? わかるなら、腕の中の娘をこちらへ返しなさい」
梟の面が、ゆっくりとネフィリムを見下ろす。すぐに大きな蛇の口が、かつかつと動く。
『この娘を傷つける事は無い。邪魔だから、どこかへ行っているといい。さっきの女のようになりたくなければ』
ぎこちない動きに見えて、言葉は滑らかだった。だが、声そのものは爛れたようにひび割れていて、酷く聞き取り難い。
「──さっきの?」
隣のアルフォリスが聞きとがめ、眉間に深く皺を寄せた。察したのだろう。パールフェリカがさらわれて来ているのに、ここに居ない護衛騎士、妹の事を。
アルフォリスの様子に気付いたかどうか、梟の顔ではわからない。化け物が口を開く。
『またヒポグリフか』
「なに?」
アルフォリスはネフィリムよりも半歩前へ出た。
『さっき斬った女も、ヒポグリフを使っていた』
ネフィリムはこめかみをひくりとさせた。──これは挑発だ。
次の瞬間、アルフォリスは自身の隣に居た赤ヒポグリフを聖火台へと駆けさせ、自身もその背に飛び乗りながら、腰の剣を一気に引き抜く。
「アルフ!」
正体が見えない上、パールフェリカもまだ敵の手の内だというのに。
ヒポグリフが聖火台に前足をかけた瞬間、化け物の6枚の翼の内左右の2枚が大きく膨らんで伸び、覆い被さって来た。
アルフォリスは慌てて飛び上がり、聖火台へ1人飛び移る。すぐに体勢を整えてヒポグリフの居た方を見れば、ぱちんと黒い翼に挟まれ、消えるところだった。
「な!? 何をした!?」
長剣を両手で構え、アルフォリスは化け物と5歩の距離までじわりじわりと近寄る。
見上げていたネフィリムも、フェニックスに足をかける。が、ヒポグリフを挟んだ2枚の翼が、バケモノの背中から離れ、まるで飢えた獣のように飛び掛って来た。
ネフィリムはフェニックスに蹴飛ばされ、たたらを踏んだ。見上げた時には、分離した化け物の翼にフェニックスは挟まれ、飲み込まれるように消えていた。
ネフィリムは息を飲み、化け物の方を見た。
「今のは──」
『闇のシェムナイルも出来る事だ、大した事では無い。ただ、闇に。“霊界”に還しただけだ』
化け物がちらりとネフィリムを見下ろした時、アルフォリスは静かに駆け出した。
ネフィリムの横にあった2枚の翼が、黒い狼の姿に変化しながら、聖火台へ駆け上がる。
アルフォリスの振り上げた刃が化け物に振り下ろされる寸前、黒い狼の1匹が右手に、もう1匹が兜を外したむき出しの頭に、背後からがぶりと噛み付いた。
「!!」
声を発する間も無かった。
次の瞬間には、食いちぎられたアルフォリスの首が宙を飛び、2匹の黒い狼は残りの手足を引きちぎる。勢いよく吹き出した血を被らぬよう、化け物は素早く残りの4枚の翼を体の前であわせている。
アルフォリスをバラバラにした2匹の黒い狼は、再び翼の形に変化して、化け物の背中に張り付く。再び6枚の翼が化け物の背に並んだ。
ネフィリムの4歩先に、アルフォリスの首がどんと落ちてきた。
「……なん……てことを…………」
ネフィリムは呼気を吐き出すように、それだけを搾り出すのが精一杯だった。
化け物が、ばさりと6枚の翼を上から順に揺らして、軽く飛び上がると、アルフォリスの首の横に降りた。しばらく見下ろしていた。
『──人間は、こんなにも脆いものなのに、何故“神”は……。何故……力ある“モンスター”という名の獣を生み出し、それを私に“守護せよ”と、“封じよ”と言うのか……』
蛇の口は、何かぼそぼそと呟いている。
ネフィリムはさっと足元に魔法陣を展開すると、フェニックスを再召喚しようと試みる。だが、魔法陣は溶け消えるように、地面の中へ取り込まれ、消える。
『人間如きが』
化け物は吐き捨てた。
目を見開いて地面を見ていたネフィリムは、ひくりと眉を動かす。
化け物は、人間を歯牙にもかけぬ様子で、ふいと空を見上げている。丸い目が周囲の筋肉でぎゅっと押しやられて、細められる。ゆらりゆらりと、近く遠くを見渡した。
『──アルティノルドはまだか……。“神”をよびだすには、アルティノルドの“絆”も必要だ』
ネフィリムは、そろりと化け物を見上げる。
「……アルティノルド……“神”……?」
アルティノルドこそが“神”のはずだ。
──“神”を、よびだす?
(2)
シュナヴィッツの後ろを、ミラノは置いていかれまいと駆ける。片腕が無いだけで、こんなにも遅くなるなんて。バランスをうまく取れなくて、転ぶまいとするとスピードを落とすしかない。
ミラノは、はっとして足を止めた。
肩を上下させて息を整えながら、廊下の壁に触れる。
少し先で、シュナヴィッツが気付いて戻って来てくれる。鎧がガシャっと音をたてている。あれだけ重そうなものを身につけているのに、息をほとんど乱していない。ミラノはシュナヴィッツがこちらへ来るのを待ちながら、右手を廊下の壁にそっと当てる。手は開いたまま、中指で壁をなぞる。
「どうした?」
一歩の距離、隣に立ったシュナヴィッツをミラノは見上げる。
「今、何か聞こえた気がして……」
それは虫の知らせのように、心がざわりと波打つような感覚だった。確かな声とは言えず、説明が難しい。ミラノは壁に当てた手を見る。
「表が見たい、何か、大変な事が──」
シュナヴィッツは一つ頷いた。
「召喚したものからの知らせか? あっちから外が見える」
そう言ってシュナヴィッツは来た道を戻って行く。いくつか階段を降りた。
召喚したものからの知らせ、その言葉を聞いてミラノは、ネフィリムが“炎帝”が敵の臭いを嗅ぎ付けたと言っていた事を、思い出した。
その類のものなのだろうか。しかし、自分はパールフェリカの召喚獣のはず。だが同時に、自分も七大天使やベヒモスを召喚してしまった。慌しい状況であるので考えないようにしているが、やはり“正体不明の存在である自分”というものは、ミラノの頭に不安という形でもたげてくる。その度に、自分は“山下未来希”だと、言い聞かせた。
東の渡り廊下へ出ると、視界が開けた。バルコニーに居た時より斜めになるが、城下町を見下ろせる。
このまま少し進めば、昼前にパールフェリカの居た空中庭園がある。似たり寄ったりの廊下が多い上、1度しか通った事が無い道なので、ミラノには迷路でしかない。
2人は、城下町側の回廊の手すりに駆け寄る。今まさに、巨大な影が城下町へ倒れ込んでくる瞬間だった。
ミラノは、息を飲み、きゅっと眉間に皺を寄せて睨みつける。慌てていたので、無意識に開いた右手を伸ばした。
王都側、城下町へ倒れ込んでくるリヴァイアサンがある。既にバランスを崩していて、片足が空へ向いて、翼は地面に付きそうだ。あの山1つ分の巨体が倒れたら──。
ミラノは伸ばした手で拳を作って、一気に引っ張り上げる。
次の瞬間、リヴァイアサンの落ちる辺りに、ぎゅわっと巨大な七色の魔法陣が展開。きらきらとした光の粉をばら撒いて、魔法陣は急速に回転する。リヴァイアサンはそこに倒れ込み、吸い込まれるように、消えた。
いつもはイメージを描いてから魔法陣を展開するのだが、咄嗟の事で手を動かしてしまった。ミラノは、特殊撮影変身ヒーローシリーズのキメポーズを思い出してしまい、恥ずかしくなって目を伏せた。
隣のシュナヴィッツが、安堵の息を吐き出している。
ミラノはふと、胸元まで引き寄せた右拳の親指が、じわじわと色を失い、消えていくのに気付いた。瞬いて顔を上げ、怪鳥ジズを踏みつけこちらを見るベヒモスと目があった。
これだけ離れていても、あまりの大きさからそれらの姿ははっきりとわかる。
ベヒモスからの知らせだったのかもしれない。ミラノに外の様子を確認させようと、“絆”とやらで知らせてくれたのかもしれない。
ミラノはベヒモスの丸い目を見る。ベヒモスはジズを4本の足で踏みつけたまま、動く気配が無い。腹にはジズから白い光線を何度も放たれているのだが、びくともしない。ミラノは引き寄せていた右拳を開いて、そのまま胸に当てた。声は出さず、口だけで『かえりなさい』と動かす。
すると、リヴァイアサンを飲み込んだ魔法陣が、回転したままベヒモスの頭上へ移動し、下にすとんと落ちた。ベヒモスとジズを丸ごと飲み込んで、魔法陣は消えた。
“神の召喚獣”らが居た方を見ていたシュナヴィッツは、首を左右に振りながら「ははっ」と小さく笑って、肩をすくめた。
「すごいな、ミラノの召喚術、というのか。本当にすごい」
そしてミラノの方を向き、目を見開いた。
ぱさりと、ミラノの肩から下の髪が、消え去るところだった。
ミラノはそっと右手の肘を上げた。髪に触れる事は、出来なかった。ミラノには確認が出来なかったが、毛先はすいたようにランダムで、ばらばらだ。おかっぱというよりは、前下がりボブのような、前髪は長さが残り、後ろが首の付け根辺りまでの短い髪型になった。
鼻で小さく息を吐いて、ミラノは右肩を下ろした。上げたつもりの右手だが、肘から先が無く、髪に触れるられなかったのだ。
左腕も、髪も右手も無くなって、体はえらく軽くなった。
「ミ、ミラノ……」
シュナヴィッツの声は震えている。ミラノの髪と、それに触れようとした右手の肘から先が、無いのだ。シュナヴィッツの声から顔を逸らして、ミラノは相変わらずの声で言う。
「足でなくて本当に良かった。行きましょう」
先を歩き始めたミラノの右の二の腕を、シュナヴィッツが乱暴に引っ張った。着地するはずだった足がふわりと簡単に持ち上がり、無理矢理、シュナヴィッツと向かい合わせになる。ミラノは彼の顔を見上げる。
「痛いのですが」
シュナヴィッツは下を向いていて、ミラノに表情を見せない。そのまま近寄って来て、ミラノをその腕の中に包み込んだ。紫の鎧は、少しひんやりとしている。
「もう、インターネットゲームとか、無理ね。タイピングが得意だったのに……本のページも、めくれそうにないわ」
シュナヴィッツは、いつもの淡々とした声を聞きながら、自分の頬をミラノの首筋に寄せた。右手で一層ミラノを抱き寄せながら、先の短くなった後ろの黒髪をぎゅっと握った。
ミラノの体の一部が次々と失われていくのが、シュナヴィッツにはたまらない。代われるものならば代わってやりたい。胸の下辺りをぎゅうぎゅうと締め付けるような痛みが、酷い。
汗でべたついたままの頬を、シュナヴィッツはミラノの首に押し当て、目を瞑った。
心の奥で、何度も何度もミラノの名を叫ぶ。その想いを、どうやって伝えたらいいのか、わからない。ミラノに想いを返して欲しいわけでもないので、どんな言葉を使えばいいのかわからない。幼い子供のように、泣いてだだをこねて、この現実を全部つっぱねて元に戻せと、叫びたい。だが、そんな事は無意味だと、わかっている。
そっと目を薄く開いて、シュナヴィッツはそのまま真正面を見、もう一度強く瞼を閉じた。
次に目を開いた時には、ミラノに触れた頬を、そっと首の上へとずらして、震える唇で耳の下辺りに口付けた。そのまま唇を這わせると耳たぶに当て、低い声で呟く。
「ぜったい、ぜったいに……護る」
「…………ありがとう。無茶は、しないでくださいね」
その声は、シュナヴィッツが今まで聞いたどんな声よりも柔らかく、優しい。召喚主のパールフェリカに向けられたものではなく、間違いなくシュナヴィッツへとかけられた声だ。シュナヴィッツは下唇を軽く噛んで、目を瞑った。目は悲痛に歪む。しばらくそうしていたが、ぱっと離れた。
「それは、僕のセリフだ」
片眉をきゅっと下げて、困ったような、泣きそうな笑みを、シュナヴィッツは見せた。
その笑みに、シュナヴィッツの想いの全てを見て、ミラノもまた、ただ微笑んだ。
(3)
暗かった視界に、薄ぼんやりと光が差す。それが自分の瞬きで起こっていると把握して、ようやっと目を覚ました。
パールフェリカは気だるく首を持ち上げて、周囲を見渡す。すぐに、嗅いだ覚えのある臭いが鼻をついた。
──……血だ。
頭の芯がぼやけていた事もあり、何気無しに臭いのする方を見て、パールフェリカは喉の奥から悲鳴を上げた。
見下ろした先にあったのは、目を見開いた状態でこちらを向いたアルフォリスの首だった。
あちこちに腕やら足やらが落ちている事に気付き、それがアルフォリスの死体だとわかると、再び意識が暗転するままに任せようとした。
「パール!」
その意識を呼び戻す声は、聞き馴染んだ、低音ながらはっきりした奥行きのある声。
慌てて視界を回して、パールフェリカは兄ネフィリムの姿を認める。
「に、にいさま! にいさまぁ!」
もぞもぞと体を捻ってなんとか片手を引っ張り出すと、その腕を兄に伸ばす。5歩は離れているのでパールフェリカが腕を伸ばしたところで届かない。
そのパールフェリカを、化け物はぐいと自分の顔の横にひっぱりあげた。パールフェリカの頬に、ちくちくと梟の羽毛が刺さる。柔らかくない。人の髭より硬そうだ。
『娘、聞こえるか』
「…………え?……」
軽く片腕で引き寄せられており、腰が化け物の肩に乗るような形だ。足はぷらんぷらんとぶら下がる。
間近で見る化け物の目は大きかった。手の甲程の大きさはありそうだ。その丸い両目が、パールフェリカを睨む。
『アルティノルドの声だ』
「……へ?…………アルティノルドって……“神”様……」
声が聞こえるかと言われてピンとくるものはあるが、今は聞こえない。それが“神”の声だったのだとしたら、自分はなんてものを聞いていたのだろうと、驚いた。同時に、畏れを感じた。
化け物は、黙して考え込むパールフェリカを毛深い獣の両手で包み込む。パールフェリカの横っ腹を、肉球らしきふかふかした皮膚が軽く圧迫する。
そのまま両腕を持ち上げ、化け物はパールフェリカを掲げる。
「え!? ちょ!? や! 離して! 離してったら!!」
じたばたと両手両足を動かして、化け物の腕をがつんがつん殴るがびくともしない。化け物はネフィリムに背を向け、黒い6枚の翼を一度しならせると、聖火台まで飛び、そこへゆっくりと、パールフェリカを降ろした。
「離して!! 降ろして!! 降ろ……?」
すとんと、1人、聖火台の上に立つと、パールフェリカは化け物の丸い目を見下ろす。
感情は一切読めない。真っ直ぐに横に長い口元は蛇のそれで、薄く開いている。びっしりと生える細かな歯の間から、白い息が漏れているのが見えだけた。
ぽかんと見下ろすパールフェリカから手を離し、化け物は聖火台の側面をトンと蹴って、屋上へ着地をする。
それは、駆け出そうとしたネフィリムの正面。
『邪魔だと言った』
丸い目で見下ろされ、ネフィリムは前へ出しかけていた足を戻した。化け物の黒い6枚の翼は、ネフィリムの頭上、全身を覆うように大きく広げらる。視界はぐっと陰り、暗くなった。
翼の先端の爪は、瞬きの間でも、ネフィリムの体を容易に貫く事が出来そうだ。
ネフィリムは直立の姿勢で、肩を下げ、首を小さく左右に振った。
「邪魔はしない。妹を返してくれれば、何もするつもりはない」
今、目の前に居るこの化け物は、あまりにも危険だと感じる。
人間の使う召喚術をあっさりと封じて、それを“闇のシェムナイルも出来る事”と言った。七大天使級の、神の遣いか何かである可能性が出てきた。
『“神”の召還さえ済めば用は無い』
化け物はそう言って、パールフェリカを見上げる。
『娘、アルティノルドの声は聞こえるか。こちらへ向かっているはずだ』
パールフェリカは、城の中でも一番高い場所にある聖火台の上に、1人立たされ、熱気と煙の臭いの混じる風を全身に受けている。
1人になって、思い至った。
自分の召喚した召喚獣であるミラノとの“絆”が、感じられない。召喚したばかりの日、ワイバーンの襲撃が終わった後の、召喚が完全に途絶えていた時のように。
震える両手を胸元へ寄せて、擦り合わせた。ミラノが触れてくれたこの手を合わせると、それだけで思い出す事が出来る。
“絆”でその存在を感じられなくても、ついさっき握ってくれた手の感触は、残っている。
パールフェリカは下唇を噛んで、震える手で涙を拭う。せっせと拭っている間に手の震えは収まった。
なんで、いつの間に、泣いてしまったのか、それは相変わらずわからない。だけど、止められる。しゃくりあげそうな喉の奥を、眉間に皺を寄せながら押し込む。
「ちょっと待って! 今、耳、澄ますから!」
パールフェリカは化け物に叫び、王都を見下ろす。
「あ!」
リヴァイアサンが、ベヒモスとの揉み合いに滑って巨体を半回転させながら城下町へ倒れ込んでくるところだった。
その巨体が大地に激突して大きな振動が押し寄せてくるかと思われた寸前、七色の魔法陣が割り込む。
「……ミラノ……!」
リヴァイアサンは、その七色の魔法陣に吸い込まれ、姿を消した。
──ミラノがどこかに居る……!
“絆”から伝わる気配は途絶えたままだが、あんな魔法陣を生み出せるのはミラノしか居ない。どこかで、護ってくれている。
七色の魔法陣は移動をすると、ベヒモスとジズも取り込んで、消えた。
パールフェリカは2度瞬きすると、鼻で深く息を吸い込んで、呼吸を落ち着かせた。
「……あなたは、すごいわ」
両手を耳の後ろに当てた。
──今、私に選択出来る事。
アルフォリスが、酷い状態で倒れていた。やったのはあの化け物だ。エステリオもアレに殺された。今、兄ネフィリムがその腕の内にある。
言う事を聞いて、どうなるのかは知らない。
わけがわからない事ばかり。
突然の事ばかり。
「……だけどミラノ、あなたはそれでも平然と、立っていたわね」
異世界からいきなり召喚して“うさぎのぬいぐるみ”に放り込んだ。ミラノは動揺を見せる様子も無く、端然と振る舞って見せた。
今もきっと、ミラノの方がわけがわからないだろう。それでも、王都を護る為に召喚術を使ってくれている。
“絆”が途切れた今、パールフェリカから“召喚士の力”は抜けていかない。ミラノが今、与えられていた実体を代償に魔法陣を展開しているという事までは、パールフェリカにはわからない。だが、ミラノがどうにかして力を振るってくれているのだと、察する事は出来た。
だから、すごいと思える。右も左もわからないはずのこの世界で、次々とやってのける、誰も出来ない事。はじめての事。それがミラノの選んだ価値なのだ、と感じる。自分にはそこまでの事は出来ないかもしれない、だけど──。
少しずつ落ち着き、考えが答えを見出すと、頭の中のもやは消えていった。
エステリオの、アルフォリスの悲しい最期をついさっき、たった今見たというのに、淵が曇りかかっていた視界が開けて、平静な状態を取り戻していく。初めての不思議な感覚に戸惑いながら、パールフェリカは耳を澄ます。
──こちらに、おられたか──
シュナヴィッツの肩越しに、何か光るものがあった。
ミラノは右腕の肘で東の空を示す。ひゅわひゅわと、光を振りまきながらそれはこちらへ飛んでくる。
ミラノの動作に気付いて、シュナヴィッツは振り向いた。一瞬目を細めたが、すぐにはっとした。
「クリスタル……リディクディの言っていた、クーニッドの大岩だ。 ここまで来たのか……!」
上空に、肉眼でも確認出来る大きさで、濃紺の、光を受ければ白や透明に透ける巨大な縦長の岩が、何の力かどういう原理か、ひゅるひゅると飛んでくる。ゆるやかに、右回り左回りを繰り返して、こちらへ向かって来るようだ。
大岩は、きらきらとオレンジの炎の灯火を照り返しながら、シュナヴィッツとミラノの頭上を超え、この回廊へ降りてくる。
大きさは5,6階建ての建物1戸分。上下に細くなり、中央が1倍太い。その太い部分の周囲は、この回廊の幅を超える。
青と白の光を放ちながら、クーニッドの大岩、大クリスタルは、3階の回廊の床を破り、さらに2階の床をぶち抜き、1階の床へと深く突き刺さる。
回廊全体が轟音をたてて大きく揺らいだ。
3階に立っていたシュナヴィッツは、左腕と右腕の大半を無くしてバランスを保てないミラノに手を伸ばし、自分に引き寄せ、もう一方の手で刀を抜くと床に突き立て、堪えた。
2人の目の前に、クリスタルの1番太い、中心部分がある。そこまで突き刺さってやっと、大クリスタルは回廊を貫き、地を割るのを止め、動きを停止した。
水晶の中心奥で、白い光がゆらゆらと縦に揺らめきはじめる。それが少しずつ、こちらへ染み出てこようとしている。
揺れも収まり、シュナヴィッツはミラノの半歩前に出ると、床から刀を引き抜いた。
この大岩を過去に何度か、数日前もクーニッドの神殿で見た。だが、このような変化を見たのは初めてだ。
白い光は、水晶から溢れて出て来る。
大クリスタルの内側で、光の粒が時に跳ね、澄んだ音をたてる。
声が、響く。
光は、形を固めつつある。
『──人の形を取るのは、久しぶりです。それもこれも、ちゃんと言葉で伝えたくて──』
こちらへ近付いて来ながら、光は人の姿に変じる。
人の1.5倍程の大きさである点は、七大天使と共通する。雰囲気もまた、天使らと同様、厳粛な空気を辺りに払っている。
それは、真っ白の燕尾服のようなものを、着ていた。顔立ちは整いすぎる程に整っている。悪く言えば平均的な、しかしそれ故に美しい造形。
髪は今のミラノと同じ位の長さだが、やはり白。開いた瞼の奥の瞳だけが、黒色をしていた。
性別は中性的だが、男であろう事が体型でわかる。声も中性的というところより、少し低い程度だ。
ミラノの記憶している燕尾服というよりは、ごちゃごちゃとボタンや装飾、鋭角にカットされた生地が腰周りにぶら下がっていて、どこかやり過ぎたアレンジコスプレ衣装を想起させた。上衣の尻尾部分も床を引きずる程長い。
水晶の中から出てきた光が変化して人の形を取ったそれは、3歩、間を空けて止まり、シュナヴィッツの後ろに居るミラノを見下ろした。
「……あなたは?」
関わりたくないと少しだけ目線を泳がせた後、ミラノはそれを見上た。その問いに、全身白色に光る派手な燕尾服男は、真顔のまま答える。
『アルティノルド──あなたのつけた名です』
ミラノは何度か瞬きした後、首をゆっくりと傾げた。
巨城エストルクの背面には、巻きつくような形で巨大な樹がある。城下町からじわじわと延焼が続き、その熱気に煽られて、木の葉は舞い飛び、太い枝もゆらりゆらりと揺れている。
昼だというのに、太陽の光はぶ厚い雲に覆われてほとんど届かない。森を焼くオレンジの炎が、辺りを照らしている。下から登ってくるオレンジの炎が、巨城エストルクを染め上げる。炎は揺れて、影と交互にその姿を彩り、黒い煙が吹き込み、縁取る。
芝の植えられた城の周囲には、鎧を着た兵士があちらこちら倒れていて、動かない。折れた槍や盾が散乱している。蹴り上げ、蹴り飛ばされ、8割が醜くはげてしまった芝生には、大小様々な──人のそれの十数倍のものも含め──足跡が大量に残っている。踏み飛ばされた土が、敷石の方にも飛んでいる。その辺りにも、血痕は伸び広がっている。その先には、人間のものらしき親指と、肩から肘あたりらしき腕が、転がっている。他の部分は、この辺には無いようだ。既に、モンスターの胃袋の中か。
あちらこちらに、人間だけではなくモンスターの死体も転がっている。錆びた鉄のようなもの、深い草と肥えた土のような臭いが、混ざって広がる。前者は人間の、後者はモンスターの血から漂う。
砂埃も絶えず、巨大な犬型のモンスターなどが、大地を駆って巻き上げている。ついでに弾き飛ばされる人間の悲鳴は、一瞬響いてすぐに消える。
城の奥へ進めば、白銀色に輝く鱗のドラゴンが、両足を踏ん張り、口から爆炎を吐き出している。噴き出した火の勢いだけで、巨大な犬型のクルッド1匹を吹っ飛ばす。クルッドは、濡れた鼻先にも火が付いて、ぎゃんと鳴いてのたうち回り、消そうとしている。肉の焦げる臭い。一層、砂埃が舞い飛ぶ。視界も悪くなる。
白銀のドラゴン──ティアマトは、足を浮かすように羽ばたいて、その風で煩いクルッドを砂埃もろとも吹き飛ばしてしまう。それには、人の倍の大きさの狼、熊のように二足歩行をする獣も巻き込まれて吹っ飛ばされた。踏ん張ったモンスターが居ても、ティアマトは着地してまた口を開き、長剣大の針を数百本ふつふつと吐き出して、串刺しにする。息のあったものが逃げ出そうとしても、獅子頭のマンティコアが、空から地面すれすれを駆け降りて来ては蹴り飛ばし、城から大きく引き離す。
ティアマトとマンティコアの護る背後には、城へ侵入するに容易いバルコニーが口を開けていて、そこには今、ガミカの王が居る。
亜麻色の長い髪は、汗と埃を含んで端々が乱れている。大将軍や周りの者が集って、いかに逃げるかを算段をしているところだが、王が反対をしている。
この3階バルコニーから見渡せる限りでも、ガミカ王都はもう復旧を見込めない。山は燃え広がり、延焼を止める為に人を割く事も出来ない。城内への侵入はおさまったが、一歩外へ出ればモンスターは迫ってくる。
距離を隔てて、“神の召喚獣”がぎゅうぎゅうと力比べをしていて、いつこちらへ倒れ込んで来るか知れない。あんな巨大な生き物が飛んで来たなら──あれらはこの“巨城”より大きいのだ──あっさりぺしゃんこになるのが目に見える。箱の中の人間など、あっと思う間も無く黄泉路を辿る。
細々と聞こえる。
近く遠く『ミラノ』という言葉が、生き残った者の口に上る。それは次第に“未来へと生き延びる為の、希望を持つ事、願う事”という意味で、伝えられ始める。
天使によって誘われ、城の裏手へと人々は逃げているが、徒歩ではなかなか距離を稼げない。城が崩れたら、共に沈むしかない。
人間にとって、絶望的な状況は相変わらず続いていた。
がっしりと掴み合って、ギリギリと力比べを続けるリヴァイアサンとベヒモス。大地に落ちてよろよろと、それでもベヒモスの腹に噛み付こうとするジズ。ジズの翼は、少しずつだが修復し始めている。
城下町中の、家々、建物、木々へと、火は次々と移る。
見かねた七大天使の水のアズライルが、4枚の青い翼を開いて飛び回り、さわさわと水滴を降らせている。だが、火の勢いが強すぎる。アズライルの降らせる粒の細かい霧雨では、消すのに追いつかない。
3階バルコニーよりずっと上の階。10階にあたる屋上は、王都全体を見渡せる。そこに、フェニックスは滑り込むように降り立つ。後ろから、赤《レッド》ヒポグリフが続く。
それぞれの召喚獣から、ネフィリムとアルフォリスが降りた。どちらもその傍らに召喚獣を置く。
聖火台を見上げた。
チラチラと煽るオレンジの炎が、濃い影を作りながら、化け物の姿を照らし上げていた。
6枚の大きな翼は、ゆるやかに開かれている。羽毛に覆われた翼ではなく、蝙蝠のそれを思わせる。
体の大きさに対しては、やや大きめの頭だ。梟のようなぎょろりとした目がある。三角に細められた鋭い眼差しは、城下町を睨んでいる。口は蛇に似ていて、弓形に歪められている。うっすらと開いた口からは、びっしりと細かな歯が覗いている。背丈は人の1.5倍程だが、大きな翼と眼光の威圧感で、より大きく見せている。
それは、しっとりとした闇が迫るような、得体の知れない気配を辺りに放っている。
まっすぐ背筋を伸ばしたまま、3歩聖火台に近寄り、ネフィリムは化け物を見上げた。化け物の腕の中に、妹の姿を見つける。くったりと化け物にもたれかかっている。気を失っているらしい。
左の手の平を開いて、化け物へ向けた。
「言葉がわかるか? わかるなら、腕の中の娘をこちらへ返しなさい」
梟の面が、ゆっくりとネフィリムを見下ろす。すぐに大きな蛇の口が、かつかつと動く。
『この娘を傷つける事は無い。邪魔だから、どこかへ行っているといい。さっきの女のようになりたくなければ』
ぎこちない動きに見えて、言葉は滑らかだった。だが、声そのものは爛れたようにひび割れていて、酷く聞き取り難い。
「──さっきの?」
隣のアルフォリスが聞きとがめ、眉間に深く皺を寄せた。察したのだろう。パールフェリカがさらわれて来ているのに、ここに居ない護衛騎士、妹の事を。
アルフォリスの様子に気付いたかどうか、梟の顔ではわからない。化け物が口を開く。
『またヒポグリフか』
「なに?」
アルフォリスはネフィリムよりも半歩前へ出た。
『さっき斬った女も、ヒポグリフを使っていた』
ネフィリムはこめかみをひくりとさせた。──これは挑発だ。
次の瞬間、アルフォリスは自身の隣に居た赤ヒポグリフを聖火台へと駆けさせ、自身もその背に飛び乗りながら、腰の剣を一気に引き抜く。
「アルフ!」
正体が見えない上、パールフェリカもまだ敵の手の内だというのに。
ヒポグリフが聖火台に前足をかけた瞬間、化け物の6枚の翼の内左右の2枚が大きく膨らんで伸び、覆い被さって来た。
アルフォリスは慌てて飛び上がり、聖火台へ1人飛び移る。すぐに体勢を整えてヒポグリフの居た方を見れば、ぱちんと黒い翼に挟まれ、消えるところだった。
「な!? 何をした!?」
長剣を両手で構え、アルフォリスは化け物と5歩の距離までじわりじわりと近寄る。
見上げていたネフィリムも、フェニックスに足をかける。が、ヒポグリフを挟んだ2枚の翼が、バケモノの背中から離れ、まるで飢えた獣のように飛び掛って来た。
ネフィリムはフェニックスに蹴飛ばされ、たたらを踏んだ。見上げた時には、分離した化け物の翼にフェニックスは挟まれ、飲み込まれるように消えていた。
ネフィリムは息を飲み、化け物の方を見た。
「今のは──」
『闇のシェムナイルも出来る事だ、大した事では無い。ただ、闇に。“霊界”に還しただけだ』
化け物がちらりとネフィリムを見下ろした時、アルフォリスは静かに駆け出した。
ネフィリムの横にあった2枚の翼が、黒い狼の姿に変化しながら、聖火台へ駆け上がる。
アルフォリスの振り上げた刃が化け物に振り下ろされる寸前、黒い狼の1匹が右手に、もう1匹が兜を外したむき出しの頭に、背後からがぶりと噛み付いた。
「!!」
声を発する間も無かった。
次の瞬間には、食いちぎられたアルフォリスの首が宙を飛び、2匹の黒い狼は残りの手足を引きちぎる。勢いよく吹き出した血を被らぬよう、化け物は素早く残りの4枚の翼を体の前であわせている。
アルフォリスをバラバラにした2匹の黒い狼は、再び翼の形に変化して、化け物の背中に張り付く。再び6枚の翼が化け物の背に並んだ。
ネフィリムの4歩先に、アルフォリスの首がどんと落ちてきた。
「……なん……てことを…………」
ネフィリムは呼気を吐き出すように、それだけを搾り出すのが精一杯だった。
化け物が、ばさりと6枚の翼を上から順に揺らして、軽く飛び上がると、アルフォリスの首の横に降りた。しばらく見下ろしていた。
『──人間は、こんなにも脆いものなのに、何故“神”は……。何故……力ある“モンスター”という名の獣を生み出し、それを私に“守護せよ”と、“封じよ”と言うのか……』
蛇の口は、何かぼそぼそと呟いている。
ネフィリムはさっと足元に魔法陣を展開すると、フェニックスを再召喚しようと試みる。だが、魔法陣は溶け消えるように、地面の中へ取り込まれ、消える。
『人間如きが』
化け物は吐き捨てた。
目を見開いて地面を見ていたネフィリムは、ひくりと眉を動かす。
化け物は、人間を歯牙にもかけぬ様子で、ふいと空を見上げている。丸い目が周囲の筋肉でぎゅっと押しやられて、細められる。ゆらりゆらりと、近く遠くを見渡した。
『──アルティノルドはまだか……。“神”をよびだすには、アルティノルドの“絆”も必要だ』
ネフィリムは、そろりと化け物を見上げる。
「……アルティノルド……“神”……?」
アルティノルドこそが“神”のはずだ。
──“神”を、よびだす?
(2)
シュナヴィッツの後ろを、ミラノは置いていかれまいと駆ける。片腕が無いだけで、こんなにも遅くなるなんて。バランスをうまく取れなくて、転ぶまいとするとスピードを落とすしかない。
ミラノは、はっとして足を止めた。
肩を上下させて息を整えながら、廊下の壁に触れる。
少し先で、シュナヴィッツが気付いて戻って来てくれる。鎧がガシャっと音をたてている。あれだけ重そうなものを身につけているのに、息をほとんど乱していない。ミラノはシュナヴィッツがこちらへ来るのを待ちながら、右手を廊下の壁にそっと当てる。手は開いたまま、中指で壁をなぞる。
「どうした?」
一歩の距離、隣に立ったシュナヴィッツをミラノは見上げる。
「今、何か聞こえた気がして……」
それは虫の知らせのように、心がざわりと波打つような感覚だった。確かな声とは言えず、説明が難しい。ミラノは壁に当てた手を見る。
「表が見たい、何か、大変な事が──」
シュナヴィッツは一つ頷いた。
「召喚したものからの知らせか? あっちから外が見える」
そう言ってシュナヴィッツは来た道を戻って行く。いくつか階段を降りた。
召喚したものからの知らせ、その言葉を聞いてミラノは、ネフィリムが“炎帝”が敵の臭いを嗅ぎ付けたと言っていた事を、思い出した。
その類のものなのだろうか。しかし、自分はパールフェリカの召喚獣のはず。だが同時に、自分も七大天使やベヒモスを召喚してしまった。慌しい状況であるので考えないようにしているが、やはり“正体不明の存在である自分”というものは、ミラノの頭に不安という形でもたげてくる。その度に、自分は“山下未来希”だと、言い聞かせた。
東の渡り廊下へ出ると、視界が開けた。バルコニーに居た時より斜めになるが、城下町を見下ろせる。
このまま少し進めば、昼前にパールフェリカの居た空中庭園がある。似たり寄ったりの廊下が多い上、1度しか通った事が無い道なので、ミラノには迷路でしかない。
2人は、城下町側の回廊の手すりに駆け寄る。今まさに、巨大な影が城下町へ倒れ込んでくる瞬間だった。
ミラノは、息を飲み、きゅっと眉間に皺を寄せて睨みつける。慌てていたので、無意識に開いた右手を伸ばした。
王都側、城下町へ倒れ込んでくるリヴァイアサンがある。既にバランスを崩していて、片足が空へ向いて、翼は地面に付きそうだ。あの山1つ分の巨体が倒れたら──。
ミラノは伸ばした手で拳を作って、一気に引っ張り上げる。
次の瞬間、リヴァイアサンの落ちる辺りに、ぎゅわっと巨大な七色の魔法陣が展開。きらきらとした光の粉をばら撒いて、魔法陣は急速に回転する。リヴァイアサンはそこに倒れ込み、吸い込まれるように、消えた。
いつもはイメージを描いてから魔法陣を展開するのだが、咄嗟の事で手を動かしてしまった。ミラノは、特殊撮影変身ヒーローシリーズのキメポーズを思い出してしまい、恥ずかしくなって目を伏せた。
隣のシュナヴィッツが、安堵の息を吐き出している。
ミラノはふと、胸元まで引き寄せた右拳の親指が、じわじわと色を失い、消えていくのに気付いた。瞬いて顔を上げ、怪鳥ジズを踏みつけこちらを見るベヒモスと目があった。
これだけ離れていても、あまりの大きさからそれらの姿ははっきりとわかる。
ベヒモスからの知らせだったのかもしれない。ミラノに外の様子を確認させようと、“絆”とやらで知らせてくれたのかもしれない。
ミラノはベヒモスの丸い目を見る。ベヒモスはジズを4本の足で踏みつけたまま、動く気配が無い。腹にはジズから白い光線を何度も放たれているのだが、びくともしない。ミラノは引き寄せていた右拳を開いて、そのまま胸に当てた。声は出さず、口だけで『かえりなさい』と動かす。
すると、リヴァイアサンを飲み込んだ魔法陣が、回転したままベヒモスの頭上へ移動し、下にすとんと落ちた。ベヒモスとジズを丸ごと飲み込んで、魔法陣は消えた。
“神の召喚獣”らが居た方を見ていたシュナヴィッツは、首を左右に振りながら「ははっ」と小さく笑って、肩をすくめた。
「すごいな、ミラノの召喚術、というのか。本当にすごい」
そしてミラノの方を向き、目を見開いた。
ぱさりと、ミラノの肩から下の髪が、消え去るところだった。
ミラノはそっと右手の肘を上げた。髪に触れる事は、出来なかった。ミラノには確認が出来なかったが、毛先はすいたようにランダムで、ばらばらだ。おかっぱというよりは、前下がりボブのような、前髪は長さが残り、後ろが首の付け根辺りまでの短い髪型になった。
鼻で小さく息を吐いて、ミラノは右肩を下ろした。上げたつもりの右手だが、肘から先が無く、髪に触れるられなかったのだ。
左腕も、髪も右手も無くなって、体はえらく軽くなった。
「ミ、ミラノ……」
シュナヴィッツの声は震えている。ミラノの髪と、それに触れようとした右手の肘から先が、無いのだ。シュナヴィッツの声から顔を逸らして、ミラノは相変わらずの声で言う。
「足でなくて本当に良かった。行きましょう」
先を歩き始めたミラノの右の二の腕を、シュナヴィッツが乱暴に引っ張った。着地するはずだった足がふわりと簡単に持ち上がり、無理矢理、シュナヴィッツと向かい合わせになる。ミラノは彼の顔を見上げる。
「痛いのですが」
シュナヴィッツは下を向いていて、ミラノに表情を見せない。そのまま近寄って来て、ミラノをその腕の中に包み込んだ。紫の鎧は、少しひんやりとしている。
「もう、インターネットゲームとか、無理ね。タイピングが得意だったのに……本のページも、めくれそうにないわ」
シュナヴィッツは、いつもの淡々とした声を聞きながら、自分の頬をミラノの首筋に寄せた。右手で一層ミラノを抱き寄せながら、先の短くなった後ろの黒髪をぎゅっと握った。
ミラノの体の一部が次々と失われていくのが、シュナヴィッツにはたまらない。代われるものならば代わってやりたい。胸の下辺りをぎゅうぎゅうと締め付けるような痛みが、酷い。
汗でべたついたままの頬を、シュナヴィッツはミラノの首に押し当て、目を瞑った。
心の奥で、何度も何度もミラノの名を叫ぶ。その想いを、どうやって伝えたらいいのか、わからない。ミラノに想いを返して欲しいわけでもないので、どんな言葉を使えばいいのかわからない。幼い子供のように、泣いてだだをこねて、この現実を全部つっぱねて元に戻せと、叫びたい。だが、そんな事は無意味だと、わかっている。
そっと目を薄く開いて、シュナヴィッツはそのまま真正面を見、もう一度強く瞼を閉じた。
次に目を開いた時には、ミラノに触れた頬を、そっと首の上へとずらして、震える唇で耳の下辺りに口付けた。そのまま唇を這わせると耳たぶに当て、低い声で呟く。
「ぜったい、ぜったいに……護る」
「…………ありがとう。無茶は、しないでくださいね」
その声は、シュナヴィッツが今まで聞いたどんな声よりも柔らかく、優しい。召喚主のパールフェリカに向けられたものではなく、間違いなくシュナヴィッツへとかけられた声だ。シュナヴィッツは下唇を軽く噛んで、目を瞑った。目は悲痛に歪む。しばらくそうしていたが、ぱっと離れた。
「それは、僕のセリフだ」
片眉をきゅっと下げて、困ったような、泣きそうな笑みを、シュナヴィッツは見せた。
その笑みに、シュナヴィッツの想いの全てを見て、ミラノもまた、ただ微笑んだ。
(3)
暗かった視界に、薄ぼんやりと光が差す。それが自分の瞬きで起こっていると把握して、ようやっと目を覚ました。
パールフェリカは気だるく首を持ち上げて、周囲を見渡す。すぐに、嗅いだ覚えのある臭いが鼻をついた。
──……血だ。
頭の芯がぼやけていた事もあり、何気無しに臭いのする方を見て、パールフェリカは喉の奥から悲鳴を上げた。
見下ろした先にあったのは、目を見開いた状態でこちらを向いたアルフォリスの首だった。
あちこちに腕やら足やらが落ちている事に気付き、それがアルフォリスの死体だとわかると、再び意識が暗転するままに任せようとした。
「パール!」
その意識を呼び戻す声は、聞き馴染んだ、低音ながらはっきりした奥行きのある声。
慌てて視界を回して、パールフェリカは兄ネフィリムの姿を認める。
「に、にいさま! にいさまぁ!」
もぞもぞと体を捻ってなんとか片手を引っ張り出すと、その腕を兄に伸ばす。5歩は離れているのでパールフェリカが腕を伸ばしたところで届かない。
そのパールフェリカを、化け物はぐいと自分の顔の横にひっぱりあげた。パールフェリカの頬に、ちくちくと梟の羽毛が刺さる。柔らかくない。人の髭より硬そうだ。
『娘、聞こえるか』
「…………え?……」
軽く片腕で引き寄せられており、腰が化け物の肩に乗るような形だ。足はぷらんぷらんとぶら下がる。
間近で見る化け物の目は大きかった。手の甲程の大きさはありそうだ。その丸い両目が、パールフェリカを睨む。
『アルティノルドの声だ』
「……へ?…………アルティノルドって……“神”様……」
声が聞こえるかと言われてピンとくるものはあるが、今は聞こえない。それが“神”の声だったのだとしたら、自分はなんてものを聞いていたのだろうと、驚いた。同時に、畏れを感じた。
化け物は、黙して考え込むパールフェリカを毛深い獣の両手で包み込む。パールフェリカの横っ腹を、肉球らしきふかふかした皮膚が軽く圧迫する。
そのまま両腕を持ち上げ、化け物はパールフェリカを掲げる。
「え!? ちょ!? や! 離して! 離してったら!!」
じたばたと両手両足を動かして、化け物の腕をがつんがつん殴るがびくともしない。化け物はネフィリムに背を向け、黒い6枚の翼を一度しならせると、聖火台まで飛び、そこへゆっくりと、パールフェリカを降ろした。
「離して!! 降ろして!! 降ろ……?」
すとんと、1人、聖火台の上に立つと、パールフェリカは化け物の丸い目を見下ろす。
感情は一切読めない。真っ直ぐに横に長い口元は蛇のそれで、薄く開いている。びっしりと生える細かな歯の間から、白い息が漏れているのが見えだけた。
ぽかんと見下ろすパールフェリカから手を離し、化け物は聖火台の側面をトンと蹴って、屋上へ着地をする。
それは、駆け出そうとしたネフィリムの正面。
『邪魔だと言った』
丸い目で見下ろされ、ネフィリムは前へ出しかけていた足を戻した。化け物の黒い6枚の翼は、ネフィリムの頭上、全身を覆うように大きく広げらる。視界はぐっと陰り、暗くなった。
翼の先端の爪は、瞬きの間でも、ネフィリムの体を容易に貫く事が出来そうだ。
ネフィリムは直立の姿勢で、肩を下げ、首を小さく左右に振った。
「邪魔はしない。妹を返してくれれば、何もするつもりはない」
今、目の前に居るこの化け物は、あまりにも危険だと感じる。
人間の使う召喚術をあっさりと封じて、それを“闇のシェムナイルも出来る事”と言った。七大天使級の、神の遣いか何かである可能性が出てきた。
『“神”の召還さえ済めば用は無い』
化け物はそう言って、パールフェリカを見上げる。
『娘、アルティノルドの声は聞こえるか。こちらへ向かっているはずだ』
パールフェリカは、城の中でも一番高い場所にある聖火台の上に、1人立たされ、熱気と煙の臭いの混じる風を全身に受けている。
1人になって、思い至った。
自分の召喚した召喚獣であるミラノとの“絆”が、感じられない。召喚したばかりの日、ワイバーンの襲撃が終わった後の、召喚が完全に途絶えていた時のように。
震える両手を胸元へ寄せて、擦り合わせた。ミラノが触れてくれたこの手を合わせると、それだけで思い出す事が出来る。
“絆”でその存在を感じられなくても、ついさっき握ってくれた手の感触は、残っている。
パールフェリカは下唇を噛んで、震える手で涙を拭う。せっせと拭っている間に手の震えは収まった。
なんで、いつの間に、泣いてしまったのか、それは相変わらずわからない。だけど、止められる。しゃくりあげそうな喉の奥を、眉間に皺を寄せながら押し込む。
「ちょっと待って! 今、耳、澄ますから!」
パールフェリカは化け物に叫び、王都を見下ろす。
「あ!」
リヴァイアサンが、ベヒモスとの揉み合いに滑って巨体を半回転させながら城下町へ倒れ込んでくるところだった。
その巨体が大地に激突して大きな振動が押し寄せてくるかと思われた寸前、七色の魔法陣が割り込む。
「……ミラノ……!」
リヴァイアサンは、その七色の魔法陣に吸い込まれ、姿を消した。
──ミラノがどこかに居る……!
“絆”から伝わる気配は途絶えたままだが、あんな魔法陣を生み出せるのはミラノしか居ない。どこかで、護ってくれている。
七色の魔法陣は移動をすると、ベヒモスとジズも取り込んで、消えた。
パールフェリカは2度瞬きすると、鼻で深く息を吸い込んで、呼吸を落ち着かせた。
「……あなたは、すごいわ」
両手を耳の後ろに当てた。
──今、私に選択出来る事。
アルフォリスが、酷い状態で倒れていた。やったのはあの化け物だ。エステリオもアレに殺された。今、兄ネフィリムがその腕の内にある。
言う事を聞いて、どうなるのかは知らない。
わけがわからない事ばかり。
突然の事ばかり。
「……だけどミラノ、あなたはそれでも平然と、立っていたわね」
異世界からいきなり召喚して“うさぎのぬいぐるみ”に放り込んだ。ミラノは動揺を見せる様子も無く、端然と振る舞って見せた。
今もきっと、ミラノの方がわけがわからないだろう。それでも、王都を護る為に召喚術を使ってくれている。
“絆”が途切れた今、パールフェリカから“召喚士の力”は抜けていかない。ミラノが今、与えられていた実体を代償に魔法陣を展開しているという事までは、パールフェリカにはわからない。だが、ミラノがどうにかして力を振るってくれているのだと、察する事は出来た。
だから、すごいと思える。右も左もわからないはずのこの世界で、次々とやってのける、誰も出来ない事。はじめての事。それがミラノの選んだ価値なのだ、と感じる。自分にはそこまでの事は出来ないかもしれない、だけど──。
少しずつ落ち着き、考えが答えを見出すと、頭の中のもやは消えていった。
エステリオの、アルフォリスの悲しい最期をついさっき、たった今見たというのに、淵が曇りかかっていた視界が開けて、平静な状態を取り戻していく。初めての不思議な感覚に戸惑いながら、パールフェリカは耳を澄ます。
──こちらに、おられたか──
シュナヴィッツの肩越しに、何か光るものがあった。
ミラノは右腕の肘で東の空を示す。ひゅわひゅわと、光を振りまきながらそれはこちらへ飛んでくる。
ミラノの動作に気付いて、シュナヴィッツは振り向いた。一瞬目を細めたが、すぐにはっとした。
「クリスタル……リディクディの言っていた、クーニッドの大岩だ。 ここまで来たのか……!」
上空に、肉眼でも確認出来る大きさで、濃紺の、光を受ければ白や透明に透ける巨大な縦長の岩が、何の力かどういう原理か、ひゅるひゅると飛んでくる。ゆるやかに、右回り左回りを繰り返して、こちらへ向かって来るようだ。
大岩は、きらきらとオレンジの炎の灯火を照り返しながら、シュナヴィッツとミラノの頭上を超え、この回廊へ降りてくる。
大きさは5,6階建ての建物1戸分。上下に細くなり、中央が1倍太い。その太い部分の周囲は、この回廊の幅を超える。
青と白の光を放ちながら、クーニッドの大岩、大クリスタルは、3階の回廊の床を破り、さらに2階の床をぶち抜き、1階の床へと深く突き刺さる。
回廊全体が轟音をたてて大きく揺らいだ。
3階に立っていたシュナヴィッツは、左腕と右腕の大半を無くしてバランスを保てないミラノに手を伸ばし、自分に引き寄せ、もう一方の手で刀を抜くと床に突き立て、堪えた。
2人の目の前に、クリスタルの1番太い、中心部分がある。そこまで突き刺さってやっと、大クリスタルは回廊を貫き、地を割るのを止め、動きを停止した。
水晶の中心奥で、白い光がゆらゆらと縦に揺らめきはじめる。それが少しずつ、こちらへ染み出てこようとしている。
揺れも収まり、シュナヴィッツはミラノの半歩前に出ると、床から刀を引き抜いた。
この大岩を過去に何度か、数日前もクーニッドの神殿で見た。だが、このような変化を見たのは初めてだ。
白い光は、水晶から溢れて出て来る。
大クリスタルの内側で、光の粒が時に跳ね、澄んだ音をたてる。
声が、響く。
光は、形を固めつつある。
『──人の形を取るのは、久しぶりです。それもこれも、ちゃんと言葉で伝えたくて──』
こちらへ近付いて来ながら、光は人の姿に変じる。
人の1.5倍程の大きさである点は、七大天使と共通する。雰囲気もまた、天使らと同様、厳粛な空気を辺りに払っている。
それは、真っ白の燕尾服のようなものを、着ていた。顔立ちは整いすぎる程に整っている。悪く言えば平均的な、しかしそれ故に美しい造形。
髪は今のミラノと同じ位の長さだが、やはり白。開いた瞼の奥の瞳だけが、黒色をしていた。
性別は中性的だが、男であろう事が体型でわかる。声も中性的というところより、少し低い程度だ。
ミラノの記憶している燕尾服というよりは、ごちゃごちゃとボタンや装飾、鋭角にカットされた生地が腰周りにぶら下がっていて、どこかやり過ぎたアレンジコスプレ衣装を想起させた。上衣の尻尾部分も床を引きずる程長い。
水晶の中から出てきた光が変化して人の形を取ったそれは、3歩、間を空けて止まり、シュナヴィッツの後ろに居るミラノを見下ろした。
「……あなたは?」
関わりたくないと少しだけ目線を泳がせた後、ミラノはそれを見上た。その問いに、全身白色に光る派手な燕尾服男は、真顔のまま答える。
『アルティノルド──あなたのつけた名です』
ミラノは何度か瞬きした後、首をゆっくりと傾げた。
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