召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【Last】Summoner’s Tast

未来の希望 ※流血表現

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(1)※流血表現が有ります。
「……しばらくかかるか。エステル、ミラノがここに居る事はわかった。2人が出てきたら、ミラノには戻るよう伝えてほしい。私達が来ていた事、パールの心配をしていた事も、伝えてもらえたら助かる。何せ、あまりのんびりとはしていられない」
 3人突っ立ったまま待ってはみたが、静かになった寝室の扉は開く様子がない。
 ネフィリムはエステリオに伝言を頼むと、シュナヴィッツにちらりと視線を送り、キビキビとした足取りで部屋を出た。シュナヴィッツもその後に続いた。
 それを見送って間も無く、片手を上げながら伸びをするパールフェリカが、寝室から姿を見せた。もう一方の手には“うさぎのぬいぐるみ”が抱かれている。そのすぐ後ろから、ミラノが“人”の姿のまま出てきて、エステリオの方を向いた。
「エステルさん、濡れ布巾ありませんか?」
 窓の下辺りにある双眼鏡は、エステリオが拾う前にネフィリムらが来たので、そこに落ちたまま。パールフェリカが気付いて拾おうと窓へ駆けつつ、ソファに“うさぎのぬいぐるみ”をぽーんと放った。大泣きしたのがよくわかる、目元を真っ赤にしている。だが、口元にはほんのりと笑みが浮かんでいて、随分と穏やかな表情をしていた。ミラノはと言えば、寝室の扉を後ろ手で閉め、エステリオに歩み寄って来る。
 エステリオは、自然と笑みがこみ上げてくる事を自覚した。胸に、きゅっとするような温かさが広がる。
 初めて“うさぎのぬいぐるみ”の姿をした彼女と会った時も、随分と驚いた。今も、別の驚きがある。“人”の姿をしていても、相変わらずほとんど表情は無い。だがこうして、少しずつ時を重ね、接していく毎に、彼女の奥深い、包み込むような人柄が見えてくる。パールフェリカはきっと、それに救われたのだろう。今後もきっと救われていくのだろう。自分やサリアだけではない、ラナマルカ王やネフィリム、シュナヴィッツにも出来なかった事を、ミラノはさらりとやってのけてしまう。そうして、エステリオの心も穏やかにしてくれる。
「はい、少しお待ちください」
 エステリオはそう言ってサリアら侍女の控えている部屋へ足を向けた。
 唐突に──窓の外を双眼鏡で覗いていたパールフェリカが、トンと尻餅をつき──窓ガラス全面が真っ白にひび割れ、破裂するように飛び散った。
「姫様!」
 エステリオは窓の傍、両腕を顔の前で交差させて座り込んでいるパールフェリカの元へ駆ける。パールフェリカと窓の間には、どの瞬間やら、七色の魔法陣がゆるゆると回っていて、彼女の周囲にガラスの破片は無かった。パールフェリカに飛んでくるはずだったガラスは全て、ミラノの魔法陣が飲み込んだようだ。
 ちらりと寝室の前を見ると、窓を睨むミラノがある。
 エステリオはパールフェリカを引っ張り上げ、無理矢理立たせるとその背中を強く、投げるようにミラノの方へ押しやった。ほぼ同時、自身の足元に小豆色の魔法陣を展開する。すぐに赤《レッド》ヒポグリフを召喚した。
「さがってください!」
 エステリオが叫ぶ。パールフェリカがミラノの元に到達する前に、黒い毛に覆われた、人の胴ほどありそうな腕が伸びてきて、パールフェリカの白い上着の袖を引っかいた。茶色く濁った爪が掠める。ビリっと破れて、白い上着と下の赤いシャツが散る。パールフェリカの透けるような肌が露になり、そこへさらに足掻くように腕が伸びてきて、細いパールフェリカの腕をがっちりと掴んだ。
 黒い腕にミラノが取り付こうと駆け出し、同時に自分とパールフェリカを庇う形で七色の魔法陣を差し込む。さながら盾だ。
『──なるほど、だが』
 魔法陣は、ぱきっと割れてしまう。酷く聞き取りにくい、ひび割れた声が、黒い影から発された。ミラノは、その黒い化け物を見上げる。
 ばちっと、それの丸い瞳と目が合う。ミラノはパールフェリカを捕らえる存在の姿を確認した。
 白目は無い。皿のように丸い瞳は銅色で、黒くひび割れているように、血管らしきものが幾筋も走っている。 
 それ自体の大きさは、ミラノが召喚する七大天使のアザゼルらとそう違わない。人の1.5倍程の体格をしている。違うのは“人”に似ていたアザゼルらに対し、この化け物は“獣”のようである点。4枚の白色の翼を備えていたアザゼルらに対し、この化け物には黒い翼が6枚も生えているという点。
 窓枠いっぱいに張り付いている6枚の翼。形は蝙蝠のよう。窓枠周囲の外壁に、それぞれ翼の先の爪を突き立てて、姿勢を維持しているらしい。
 丸い目は梟に似ていて、黒い毛が顔を覆っている。口元にかけて毛は短くなり、肌は鱗のようだ。口そのものは横に長く、薄く開かれると、細かい歯がびっしりと生えているのが見えた。細く長い、先が二股に割れた赤黒い舌が、ちろりと見えた。
 次の瞬間、ミラノは体をくの字に押し曲げながら吹っ飛ばされ、寝室の扉に叩きつけられた。何かに殴られた腹と、打ち付けた背に強い衝撃があった。扉をずるりと背で擦って姿勢を崩し、座り込んだ。
 痛みを堪えて視線を上げると、窓の隙間から太い尾が伸びてきていて、床をバシンと叩く。──どうやらあれに殴られたらしい。黒い尾はそのままパールフェリカの体に巻き付くと、その懐に抱え込んだ。
 化け物の体のある窓枠あたりに、黒い尾は伸びたゴムが一気に縮むように、パールフェリカを引っ張りあげていく。パールフェリカは口を縦に大きく開いて悲鳴を上げる。悲鳴に被せるように、エステリオはヒポグリフへ「いけ!」と命じながら腰の長剣をさらりと抜き、敵本体、窓ガラスの無くなったサッシに立つ黒い化け物へ飛び掛る。
 黒い腕にヒポグリフの前足の爪がざっくりと刺さる。
 パールフェリカとミラノの視界をヒポグリフが遮って、エステリオの姿が見えなくなる。
 まず召喚獣が、赤《レッド》ヒポグリフが、溶けるように消えた。まるで、致死量ダメージを受けて強制解除されたように……。
 そうして見えたのは、血痕を宙に弧の形で残しながら、床へ倒れ落ちていくエステリオの姿だった。
「エステル!!」
 パールフェリカの甲高い悲鳴が響く。黒い尾に捕らわれ、侵入者の体の傍まで引っぱりあげられていたパールフェリカは、そのまま黒く太い腕で抱き寄せられ、がっちりと固定された。その腕の中、必死にもがいてパールフェリカはエステリオに手を伸ばす。
「エステルッ!!!」
 どさりと、床に落ちたエステリオの腹に、追い打ちのように黒い蛇の尾が突き立った。彼女の手足が跳ね上がり、真下の床石がばりんとひび割れた。
 パールフェリカは、飛び散る赤い飛沫を、目を大きく開いて見ていた。
「いやああああー!!」
 侍女の控えの間から、サリアを合わせ3名の侍女が姿を見せていて、口元に手を当て、喉の奥から悲鳴を上げた。
 沈黙し、動きを止めたパールフェリカを抱え込んだまま、蝙蝠のような6枚の翼は窓枠から離れ、ほんの少し落下した後、ばさりと空を打ち、黒い化け物は飛び去った。
「パール!!」
 ミラノが声を上げるのとほぼ同時、両開きの扉が大きく開いた。先にネフィリムの姿が見えて、ミラノは声を張り、窓を指差す。 
「窓の外! パールがさらわれた!」
 声と同時、ネフィリムが駆け出す。
 外に居たであろうフェニックスが、豪速でこちらに飛んでくると、どしんっと窓枠に張り付いた。フェニックスは窓から入りきれない程度の大きさで、両脚を窓枠かけて部屋の内側を覗き込んでくる。窓枠に取り付くその姿勢は、鳥というより真っ赤に燃え盛る巨大な昆虫を思わせる。衝撃で、窓枠からガラスの欠片がぱらぱらと落ちる。
「シュナは父上に!」
 叫ぶように告げると、ネフィリムは窓枠に足をかけ、フェニックスの首に手を伸ばし、背に飛び乗る。フェニックスは即座に窓枠を蹴って離れ、風を唸らせ飛び去る。シュナヴィッツはその後姿に「はい!」と返事をして見送る。
「エステルさんが!」
 ミラノの声に、エステリオの横に駆け寄り、膝を付いたシュナヴィッツは、しかし首を小さく横に振る事で答えた。エステリオの首に当てていた手を離す。そんな確認は、不要だったのだ。
 シュナヴィッツの足元には血溜まりが出来ていて、ひび割れた床に染み込んでいる。
「……私は……手当てを……してあげて欲しいんです……」
 エステリオの開いたままの目を閉じさせ、シュナヴィッツが言う。
「もう死んだ」
「………………そ……それは……あっては……だめ……」
 いやいやと首を3度ほど横に振るが、ミラノは瞬いて下を向いた。どくどくと脈打つ胸を押さえ込む。音が大きい、静まれ、静まれと、何度も命じる。
「ミラノ?」
 エステリオの横で片膝をついていたシュナヴィッツは、ミラノを見た。名を呼ばれて、顔をあげるミラノ。
 目が合う。
 2度瞬いて、ミラノは彼の睫の向こうの、透き通るような淡い蒼色の瞳に映り込む、自分の姿を見つける。今にも泣き出しそうな子供……。
 冷静なシュナヴィッツを前に、ミラノは目を伏せた。シュナヴィッツが立ち上がり、こちらへ近寄ってくる気配がある。
「……いえ……そうですね……そういう……世界なのですね、本当は」
 ふうと息を整えて、ミラノは小さく呟いた。
「……ミラノは大丈夫か?」
 正面に膝をついて覗き込んでくるシュナヴィッツを、ミラノは見上げた。
「私は少し打っただけ……いえ、そもそも私は……」
 そう、パールフェリカさえ居れば何度でも、彼女の体力次第で元に戻れる、そういう存在……召喚獣だ。
 ミラノは一度唇を噛むと、両手を床に付いて立ち上がろうとする。
「……私は、王様のところへ戻ります……」
 ミラノの手は震えていて、上手く力が入らない。シュナヴィッツはそれに気付いて目を細めた。
「……ミラノ」
「“神の召喚獣”が現れているのを、あれを、止めないと」
 パールフェリカの方へはネフィリムが行った。自分も腐れてなどいないで、出来る事をやらなければ。
「……戻れば、ミラノを疑う輩がいる」
 ミラノはシュナヴィッツの声を無視した。疑う輩には疑わせておけばいいと、ミラノは考えている。いつもそうだった、すれ違う男に“片想い”をされてはその男に想いを寄せる女から“どうなの!?”と疑惑の目を向けられた。攻撃的な視線は時に言葉も伴った。そんな視線は、声は、自分を傷つけないとわかっている。
「それは大きな問題ではありません」
 一つ気になる事がある。
 あの黒い化け物に連れ去られたパールフェリカの熱が、感じられない。一度その“絆”とやらを感じてからは、パールフェリカがどこにいるのか、その方向から熱気のようなものが感じられていたのに。今、召喚士と召喚獣を繋ぐ“絆”が、感じられない。
 パールフェリカの存在が感じられない。
 “絆”とやらはどこにいった。
 ミラノは試しに、瞬時に3階バルコニーへ飛ぼうと、逆召喚の魔法陣を足元に出そうする。が、出ない。
 どんな魔法陣も出せない。
 パールフェリカとの“絆”が途切れた? だが自分はここに召喚されている。何が今までと違う? 今、どうする?
 ミラノは自分の両手を見つめる。
「やってみたいんです。今、私に出来る事を」
 今、あるもの。
 パールフェリカが自分をここに留める為にふるわれた力が、ある。この体を与えてくれているのは、パールフェリカの力。ならば、それを使う。
 エステリオの死は、赤《レッド》ヒポグリフを強制返還させた。召喚士の力が途絶えて、召喚獣が消えた。
 パールフェリカに何かあった時、自分も消える。それがかえる事に繋がるのかどうかは、わからない。が、召喚士の死によって返還されるという事は、あってはならない。
 ミラノは目を瞑る。既に焼きついたエステリオの最期と、パールフェリカが重なる。それは、あってはいけない。
 あの化け物が何者かはわからない。だが、王族の護衛にあったエステリオが、一瞬で殺された。強いという事はわかる。
 パールフェリカは連れて行かれ、単身ネフィリムが追った。
 ──急がなければならない。“神の召喚獣”をかえし、パールフェリカの元へ。
 召喚獣という自分の存在は、パールフェリカによって維持されている。それに賭ける。やってみる。
 可能性が、アイデアが沸いて、やらずに立ち尽くすだけなんて、したくない。それは、自分の目指す価値ではない。何もしないでいるなんて、山下未来希ではない。それを、自分に課す。立てと、震える足にミラノは命じる。立て、立て、立て!
 ゆっくりと立ち上がるミラノを、シュナヴィッツは支え、持ち上げた。
 ふわりと、膝は軽く伸びて、ミラノはシュナヴィッツの横顔を見た。
 それに気付いたシュナヴィッツもまたミラノを見る。顔が近い事もあったが、シュナヴィッツはさっと目を逸らした。
「無茶を、しないでほしい……」
 少し掠れた、消え入りそうな声だった。彼はそのままエステリオを見て、眉間に皺を寄せた。エステリオの死を悼みながら、もしかしたら、シュナヴィッツもエステリオにパールフェリカを重ねたのかもしれない。ミラノの姿を、重ねたのかもしれない。
 ミラノはもたれていた腕を離して、自力できりりと立つ。
「……急ぎましょう。ネフィリムさんも心配ですから、誰か他の人にも行ってもらわないと……」
 言葉の直後、ミラノは足元に七色の魔法陣を出す。
 ──この“やり方”なら、パールとの“絆”とやらが途絶えていても、出来るのね……。
 そこにすとんと落ちるように2人は消えた。次の瞬間には、先程まで居た、3階バルコニーのある広間に出た。
 突然現れたミラノとシュナヴィッツの姿に、周囲は騒然とする。
「父上!」
 ミラノの瞬間移動の魔法陣……逆召喚術の話は、今朝の会議で聞いていた事もあって、シュナヴィッツはそれほど驚きもせず、ざわめく重鎮らをかき分け、ラナマルカ王に近付く。その後姿を見ていたミラノは、ふと自分の左手を見下ろした。
 ──手……親指の色が白さを増して、床が透けて見えていた。



(2)※流血表現があります。
 木々の上、青空。
 ガミカの飛翔系召喚騎兵の半数が編隊を組んで、睨む。
 さらに上空には昨日も王都で見られたばかりの、巨大な“神”の魔法陣が回転している。視線を少し下方へ動かせば、木々を絨毯にして、もう一枚巨大な“神”の魔法陣が展開しており、どちらもぎゅるぎゅると勢いよく回っている。
 その向こうの敵召喚ドラゴンが、俄かに動き始める。
 地上で休憩を取っているであろう残り半数の飛翔系召喚騎兵と、それを率いるスティラードへ、ブレゼノは兵をやって知らせる。
 敵ドラゴンが再び動き始めた、と。
 全員が空へ再び集結した時には、ガミカの飛翔系召喚騎兵の編隊へ、敵ドラゴンが入り乱れるように飛び込んで来ていた。敵ドラゴンは人を一握り出来そうな手足と、その舌でぺろりと飲み込んでしまえそうな巨大で長い口を持っている。鰐のそれを縦にも横にも大きくしたようなもので、上顎にも下顎にも鋭い歯がびっしりと埋まっている。
 双方交差するように、空を飛翔しながら激突を繰り返す。
 この状況で、シュナヴィッツのティアマト、ネフィリムの“炎帝”フェニックスの抜けた穴は大きい。
 “雷帝”も複数の敵ドラゴンに執拗に追い掛け回されている。“疾風迅雷”の化身である“雷帝”が追いつかれる事は無いが、逃げる先逃げる先にドラゴンが回り込み、大量の火炎ブレスを吹き込む。雷撃を敵ドラゴンに投げかけるが、“雷帝”も“炎帝”同様、大味の技が多く、一対一ではその能力を活かしきれない。大きな力を放つ為の時間を稼ぐことも出来ていない。援護にまわろうとするガミカの飛翔系召喚騎兵もあるが、速度に追いつけない上、途中で“雷帝”へ向かう別の敵ドラゴンに横からその腹を噛み付かれている。
 また、騎乗する召喚士が狙われ、その首を爪の一掻きで跳ね飛ばされ、落下しながら消えていく。その爪をかわしても、巨大な尾に突如真下から襲い掛かられ、バランスを崩して、騎乗する兵だけが大地へ落ちていき、しばらくして召喚獣が姿を消す。
 敵ドラゴンは、召喚士の頭の上から尾を振り下ろし、叩きつけ払ってぐしゃりと押しつぶす。鎧の隙間から飛び出る血飛沫が、召喚獣の背に飛び散る。例え召喚獣が致死量ダメージを受けていなくとも、健在であろうとも、その背に騎乗する召喚士が息絶えたならば、召喚獣は消えるしかない。召喚獣が消えた後には、召喚士の残骸が落下し、血液は雨のように木々に降り注ぐ。
 1人で5匹もの敵召喚ドラゴンと対峙する稀少種の召喚獣グリフォン。騎乗するスティラードも苦戦を強いられている。
 なんとか4匹目までを避けたが、その為グリフォンの姿勢はこれ以上変えられない。最後の1匹がもう目の前に迫る。巨大な顎が風をはらんで大きく開き、スティラードの全身に影を落としながら一気に詰め寄る。スティラードは、その敵ドラゴンの赤い目を睨んだ。
「……くそ……!」
 ドラゴンの口が勢いよく閉じ、ガツンと大きな音が響いた。
 主を失った召喚獣グリフォンが、空気に溶けるように消えていく。入れ替わるように飛び抜けるドラゴンの歯からは、赤い液体が滴る。笑みの形でその歯をむき出しにして、ドラゴンは飛び去った。


 どこから現れたものか、城前広場にも、城内にもモンスターが入り込んでいた。倒せば死体が積み重なる。つまり、召喚獣ではないという事になる。
「……これも本物か!」
 すでに片手では数えられない数のモンスターを打ち倒して、シュナヴィッツは吐き捨てるように言った。打ち倒した獣──狼を大きくしたような黒毛の生き物──の首の後ろから、刀を引き抜いた。濃い緑の血液がぶしっと飛び散るのを、シュナヴィッツは半身ずらして避けた。皮膚の硬いモンスター相手では、刃がもたない。
 召喚術を併用しながら、次々と襲い来るモンスターと対峙を続ける。
 救いは、この広間へ入って来れるサイズのモンスターだけを相手していれば良い、という事。入ってこれるサイズのモンスターは、本来ならば人は“獣”と呼ぶ存在だ。人に害なす時、獣は害獣、“モンスター“と呼ばれる。
 狼より体格が3倍の大きさの獣、爪がより大きな熊のような獣──日頃はそれぞれの生息地で大人しくしていて、わざわざ人里に降りて来ないような獣まで居る。何者かが、“モンスター”に仕立て上げていると、疑いたくなる。
 突然現れた事から、シュナヴィッツはつい先程、ミラノによってこの広間へ瞬間で移動した自分の事を思い出していた。ミラノと同じ逆召喚術を使うものが、モンスターを城内へ移動させて来たのかもしれない、と。──しかし、誰が?
 考えたところでそれを誰かに告げる余裕も無ければ、意味も無い。現状のこの脅威を振り払う事が何よりも先だ。
 バルコニー正面、表には、昨日の昼間襲ってきた召喚獣の、本物、今命あるモンスターが地面を揺らしながら巨城エストルクに体当たりをかましている。その度、床が揺れた。
 巨大なモンスターは、黒い獣クルッドや凶悪な蛇バジリスクなどだ。それらはゆうに100を超える数で王城を取り囲んでいる。1匹1匹の大きさは3階の建物の大きさと変わらない。
 それらの大きなモンスターは全て、ティアマトとレザードの召喚獣コカトリスが少しずつではあるが、打ち倒している。敵モンスターが召喚獣でない事から、足場はその死体でどんどん悪くなる。
 大きく口を開いた格好となる3階広間のバルコニーには、次々とモンスターが飛び上がっては侵入してきている。
 アルフォリスとその召喚獣の赤《レッド》ヒポグリフは既に、ネフィリムとパールフェリカを探しに行ってここに居ない。
 広間で現状戦えているのは、シュナヴィッツ、レザード、大将軍、ラナマルカ王とその護衛騎士が5名。あとはほとんど死んだか、その一歩手前の状態で倒れて息を潜めている。モンスターの死体の間には、人の遺体も多く、混ざっているのだ。
 重鎮の中でも文官らはとっくに、城の奥へ「ひいっ」と声を上げて逃げた。
 大将軍と護衛が「まだここに居る」と宣言する王を守りながら戦う中、ミラノは静かに下を向いて自分の足元に魔法陣を作り出す。
 今、ミラノの周囲には、不思議と敵モンスターが近付かない。
 それがまた、逃げ遅れた重鎮らの不安を煽るのだ。あれはやはり“魔女”だった、あれが手引きをしたのだと……扉の影、廊下の向こうから。
 実際のところ、モンスターが近付かないのは──。
 ミラノの足元の七色の魔法陣から一枚二枚と横滑りして、新しい魔法陣が生まれる。足元のものが消えた時、ミラノの周囲には七枚の魔法陣がきゅるきゅると回っていた。
 一斉に七色の光が吹き上げると、魔法陣の内側から翼持つ人、天使が現れる。七人の神の御遣い、七大天使だ。
 モンスターらが避けたのは、これらが召喚される事を本能的に察知したからだ。
 その瞬間、広間だけではなくバルコニーさえ、光で満ちた。
 内外のモンスターも人も、それらを見上げて、動きを止めた。
 ──ミラノは目を細めて見下ろす。左手の親指から順に、さらに色が薄くなり、じわじわと形を失い、消えていく。その様子をミラノはじっと見ていた。
 ──止まった……。
 左手首から先が透明、いや何も無い。まるで“うさぎのぬいぐるみ”の時のように、白く色の薄くなった手首辺りで丸くなって、そこから先が無い。ミラノは、小さく息を吐いた。
 そうして、城前広場を見下ろす。そこは既に、惨劇の舞台。
 城前広場には、城下町から逃げて来ていたガミカの民が、日頃戦場と関わりの無い一般人が溢れ返っている。その上空へ、20体のワイバーンがばさばさと群れ飛んきて、火炎を次々と吐き出している。人の断末魔と悲鳴が、人肉の焦げた臭いが、広場のあちこちに満ちる。炎と炎の合間に、ワイバーンの鋭い爪や毒のある尾が無差別に人を襲う。この広場へは、ガミカの軍が一部隊も辿り着けていない。
 城下町では逃げ遅れた人々が建物もろとも、巨大なクルッドに片っ端から踏み潰されている。
 建物の崩れ落ちる音と悲鳴と、高らかなクルッドの吠え声が響き渡る。
 空にどろどろと新たに現れたのは、翼のある巨大な蛇。口を大きく開いて吹き出す火炎の息に、街は、人々は次々と焼かれていく。その蛇は両端どちらにも頭があり、滞空したままあちらこちらへ火を吹き散らしている。それらの火は次々と木々に燃え移って、風が火の粉を撒き散らす。
 喉を焼く熱気が、黒煙が山を登り、巨城エストルクへ迫る。


 均衡は、どのタイミングで崩れたのか。
 上空に現れた敵ドラゴンと対峙、召喚士としてミラノの放つ七色の魔法陣によって奇跡のような召喚術が展開している間は、圧勝ムードであった。
 その魔法陣が破られ、“神”の召喚魔法陣が現れた。リヴァイアサンとジズの一端が見え始めた時──人々の間に畏怖が広がった。逆らってはならないものに戦いを挑んでいる、と。
 ──そこから事態は変わり始めた。
 一方で、唐突に王都内の各地に現れたモンスターの群れ。それは、パールフェリカがさらわれた時、6枚の翼を持つ黒い化け物が現れた時と、同じタイミングだった。
 そうして敵ドラゴンが再び襲い掛かってくると、王都内にも炎が吹き荒れた。
 意識ある者の脳裏に浮かび上がる文字──王都陥落。
 絶対に避け得ないもののように、誰にも思われた。


 ──それを、覆す。やってみる。
 7人の天使が翼を広げる。
 それぞれに色は異なるが、全員4枚の翼を持っており、天井につかぬよう器用に折りたたんでいる。立つ姿は、人の1.5倍程ある。召喚主を囲むように7人は立っている。
 中央、天使から零れ落ちる7色の輝きが降り注ぐ。ミラノはその光に照らされながら、やはり表情無く城前広場を見下ろしている。
 ミラノは自分の右手正面に立つ、白く光る天使に話しかける。
「アザゼルさん。これは、何が起こっているか、わかりますか?」
 孔雀王の二つ名を持つアザゼルは、ゆらりと半身振り返りミラノを見下ろす。
『残念ながら答える事が出来ません。言える事は、リヴァイアサンがもう間もなく姿を現すでしょう。ジズもまた、姿を見せます。……レイムラースは既に来ているようだ、あなたももう、会ったのではないですか?』
「……レイムラース?」
『おそらく既に、“人”の姿をしていないでしょう。6枚の翼の──』
 ミラノは息を飲んだ。
 パールフェリカを連れ去った化け物には、6枚の翼が生えていた。
「あれは、何です? 私の……大事な友人が連れて行かれました」
『……道を見失った者。哀れな存在です。あなたの友人なら、きっと無事でしょう。レイムラースにも、目的がある』
「目的?」
『これ以上は、レイムラースに直接聞かれるといい』
「…………」
 ミラノは沈黙と、決して揺るがない視線をアザゼルへ向ける。彼は一度ゆっくりと瞬いた後、空を見た。
『そして、アルティノルドも来る』
「あるてぃのるど……?」
 ミラノにとって、初めて聞く名だ。その名を口に出したミラノを、アザゼルが再び見下ろす。
 ミラノとアザゼルの視線が絡む。どちらも、表情を見せない。
『…………』
 視線を合わせたまま、ミラノはゆるく首を傾げた。
「わかりました、心構えとして、覚えておきます。前回と同じですが、あのモンスター達を何とかしたいの」
 ミラノがそう言うと、アザゼルは一つ頷き、他の6名の天使に視線を動かし、全員同時に、バルコニーから飛び立った。その翼の軌跡を光の鱗粉が描き、7人28枚分、城内にはらはらと、きらきらと降り注いだ。
 7色の光の欠片を、生き残っていた人々は見上げ、手に受け止めた。


 一人バルコニーに立つミラノの横に、黒い狼型のモンスターが低く構え、飛び掛ろうと腰を下げて狙いを定めた。ミラノがはっとしてそちらを見た次の瞬間、しゅっと血飛沫が大きく舞い広がった。モンスターはぐらりと傾いで、どすんと倒れる。
 獣の横っ腹が大きく開いて、内臓《なかみ》がこぼれ落ちる。その獣の後ろから、レザードが幅広の抜き身の刀を持ったまま、ミラノの傍へ駆けてくる。刀の血は、駆けながら払っている。
「ご無事ですか? ミラノ様」
「え、ええ……」
 ミラノがそう返事をした時、ちゃりん、ちゃりんと音がした。
 左腕の袖、手首と肘の間でゆったりとした布を留めていた腕輪が2本、床に落ちた。それをレザードは不思議そうに拾い、しゃがんだ事でミラノの左袖に気付いた。慌てて見上げ、平然としたミラノと目があう。
 ミラノは、右手の人差し指をそっと口元に当てる。厚すぎず薄すぎない、淡い朱色の唇は、『し』の形をしている。レザードが小さな声で「ですが」と呟いて、首を横に振って立ち上がる。ミラノは困ったように首を傾げる。
「大丈夫ですから。心配をされる方が、困ります」
 何がどう大丈夫なのか根拠はないが、困るのは本当だ。彼は戦力なのだから、ミラノには出来ない事なのだから、ちゃんと戦って欲しい。
 レザードは沈痛な面持ちを浮かべた後、城前広場を見、そしてミラノへ精一杯の笑みを向ける。
「……もう少しさがっていて下さい。陛下の護衛とシュナヴィッツ様の手の届く所まで。──私もあちらへ行きます。その方が、あなたの負担は減るのでしょう?」
 そう言ってレザードは自身の召喚獣コカトリスをバルコニー傍に呼び寄せた。辺りの敵モンスターを蹴散らしたコカトリスの頭に、レザードは飛び乗る。
 コカトリスはばさりと短い羽を広げ、ゆっくりと飛びながら、口から灰色の光線を放つ。コカトリスの怪光線に触れたモンスターは、次々と石に変化していく。そうしてレザードとコカトリスは、ガミカ軍の到着を待ち続ける城前広場へと、単騎突き進んだ。
 ミラノはレザードからすぐに視線を逸らし、落ちていた双眼鏡を拾い上げ、遠くの敵ドラゴンらを睨む。あちらに、魔法陣を展開するシーンを思い浮かべる。
 今、やらなければならないと思うのだ。
 残っていた約50の敵ドラゴンを双眼鏡で確認、捕捉。ミラノが目を細めた時、敵ドラゴンに次々と七色の魔法陣が飛んで行き、一匹ずつ、しかし片っ端から飲み込んでいく。そして、全ての敵ドラゴンが消えていく。“神”によって召喚された敵召喚ドラゴンは、還った。


 城前広場のワイバーンが次々と撃ち落されていく。レザードより先に到着していた天使アザゼルが、空で4枚の翼を大きく広げ、輝く姿を見せ付ける。その横で、イスラフィルが炎の槍を振るって大型のモンスターを焼き崩していく。
 そうして、人々は気付く。
 王の居たバルコニーに立つ、ミラノの姿に。
 再び上がり始める歓声は、勝利に酔うものではない。会った事も無ければ、滅ぼそうとしてくる“神”ではなく、真実、我が生命の護り手を、やっと見出した……。
 ──ミラノ! 召喚士ミラノ!
 数は、随分と減った。声はやまない。
 “神”に抗する力が、ガミカにはある。その事を、次々とモンスターを打ち滅ぼす七大天使を見て気付いたらしい。
 それらを、ミラノは冷たい視線で見下ろして、彼らに背を向け、広間の奥へと姿を消した。
 上着の左袖、肘から先が、ひらひらと揺れる。



(3)
 黒く濡れたような6枚の翼を器用に揺らして、持つ堕天使レイムラースは、巨城エストルク屋上、王都全体を見渡せる、火の無い聖火台に降り立った。
 巨城エストルクから離れるように飛んでいたのだが、七大天使長アザゼルの強い光が見えて、戻って来たのだ。
「……どうやって“七大天使“を召喚している?」
 驚きは言葉として表現されるが、それを聞く者は居ない。
 レイムラースの腕の中、パールフェリカは青ざめた顔でぐったりと気を失っている。
 パールフェリカの首には、黒い墨のようなものが一周、塗られている。これはレイムラースの血、彼の施した力──“呪い”だ。
 城前広場を縦横無尽に駆け巡る7人の天使を、レイムラースは見下ろす。
 天使は一様に、白銀色の長く豊かな髪を肩の辺りでゆるくまとめており、それを4枚の翼の間に流している。翼の色は、それぞれ異なる。
 真紅の翼をしたイスラフィルが悠然と城前広場を一周すると、空は弾けるようにオレンジ色に輝いた。我此処に在りと、その存在を大きく示せば、モンスターらの視線を一身に浴びた。
 蛾が我先にと光へと集うように、飛翔モンスターはそちらへ体を捻る。
 巨大な炎の槍を掲げ、すれ違うワイバーンや他の空を舞うモンスターを、イスラフェルは次々と打ち倒していく。吹き上げる炎を辺りに振りまいては、近寄りがたい神聖な姿を顕示した。イスラフィルは、七大天使の中、火を司り、神の先鋒を務めると言われている。文字通り疾風の如く駆け抜けては、ワイバーンの群れを一撫でして、炭と化えていく。
 2番手、涼し気な表情に変化はなく、ついとモンスターの合間を飛び抜ける。いずれの天使よりも強い光を放っている。白色の4枚の翼と、同色の尾羽から、溢れるように光の欠片がきらきらと散って、大地に降り注ぐ。輝きの主は、アザゼル。
 広場の中央、宙空でアザゼルは片手をゆるやかに天へかざし、上空に光の矢を生み出している。
 光の矢は1本1本が人の背丈程ある。
 アザゼルはひたりと狙いを定める。悠々と空を舞う、両端に頭を持つ大蛇アンフェスバエナ。あちらこちらへ火炎を吹き出し、恐怖をばらまいている。
 今にも、大きく息を吸い込んで大火を吐き出そうとしていたアンフェスバエナに、数十、数百本の光の矢が、一斉に放たれる。
 四方八方から、1本1本意思を持つが如く飛び来る光の矢を、アンフェスバエナは避ける事が出来ず、直撃を受け、串刺しとなった。
 体を捻りながらひび割れた奇声を上げ、苦痛に耐えるものの、長大な体は重力に捕らわれ、近くの建物へぐたりと落下、轟音とともに倒れる。建物はその重さに耐え切れず、蛇の形で崩れ、粉塵を巻き上げながら倒壊した。アンフェスバエナがまだ空に数匹居る事を確認すると、アザゼルは静かな眼差しのままそちらを見る。アザゼルは光を司る、七大天使の長。
 そのアザゼルの背に、シェムナイルが佇む。
 アザゼルとは対をなす存在で、闇をまとっている。厳粛な様子で宙空に立つ。その翼は、墨を落とし込んだかのように黒い。翼を含んだ姿から生まれる影はするすると伸び、王都内のあちらこちらで吠え声を上げる巨大な青狼のクルッドを掴み上げる。
 身をよじり、飛び退って逃げようとするクルッドの巨体を、影は追い、捕まえては空へ持ち上げると、闇に包み込む。闇がクルッドの四肢を蝕み、ついにはぐしゃりと押し潰す。闇の隙間から、粘り気のある青黒い液体がどばっと溢れ、大地に滴り落ちた。鋭い目つきを半眼にして見やった後、シェムナイルは次の標的を求める。シェムナイルは七大天使の内、闇を司り、アザゼルの影として神の密命を受ける、懐刀。彼の姿を見たことがある者は、ほとんど居ない。エレメント召喚術の契約儀式で、シェムナイルを呼び出せる召喚士が現れる事も、数百年に一度あるかないかという。
 火のイスラフィル、光のアザゼル、闇のシェムナイルが仕掛け、生き残ったモンスターからの一斉反撃があるが、その前へ颯爽と割り込んで行くのは、ミカル。
 深い緑、光が差し込むとエメラルド色に輝く翼を大きく広げ、両手をかざすと、眼前に巨大な盾を作り出す。モンスター達のどんな火炎にも、突撃にもその盾はびくりともせず、人々を、また他の天使らを護る。ミカルは七大天使の中、土を司り、神の法を伝え守護する存在であると言われている。盾は天使ら、また地上の各所へ次々と生み出された。
 その盾の裏で、怪我をして動けなかった者達のもとへ、ひんやりとした冷気が吹き込み、青い羽がふわりふわりと舞い落ちる。見上げれば、4枚の青い翼が包み込むように降りて来る。青の翼の持ち主は、アズライル。
 穏やかな眼差しで現れては、何も無い場所で手の平を寄せ、すくい上げる仕草をする。その手を怪我人の上で広げると、ポタリポタリと光を含んだ水滴が零れ、怪我を歩ける程度に癒した。アズライルは七大天使の中、水を司り、命の泉の守護者として癒しの役割を担い、その役目から多くの人々に信奉されている。
 戦いの空よりは下、人々の目に映る場所で、蜂蜜色の翼がばさりばさりと風を生み出している。唯一女性の形をした天使ダルダイルが、4枚の翼と両手を広げ、目を瞑り、透き通るような歌声を周囲に響かせている。その声は柔らかく、吹き込む風に乗って王都中を駆け巡る。恐慌状態にあった人々の心へ、ぽつりぽつりと温かな希望が灯る。ダルダイルは七大天使の中、風を司り、静かな優しさと慈愛を神に代って伝えると言われ、絵師の描く天使画において、その美しさから高い人気を誇っている。人々の見上げる容貌とその歌声は、どれほどの絵画よりも華やかで麗しい。
 このような状況でありながらダルダイルをうっとり見上げる者もあるが、穏やかさを取り戻した人々に、ジブリールは割り込んでその姿を見せる。
 光を受けると白く、影が差すと重く黒く変化する鋼色の翼を、柔らかに羽ばたかせて喧騒を駆け抜ける。冷静に判断するよう説いて回る。あちらこちら、ふわりふわりと舞い飛んでは手招きをして、人々安全な場所へと誘導している。白と黒に点滅して見える翼を、人々は目印として追いかけた。ジブリールは七大天使の中、無を司り、神へと導く役割を持つと言われており、これもまたシェムナイル同様、今まで召喚士らに姿を見せる事は稀だった。
 豊かに長い髪を風に舞わせ、個性ある4枚の翼で空を飛び、方々で人々を救う天使の姿が、ある。エレメント召喚術の契約儀式の折りにのみ姿を見せる七大天使。
 伝承にある七大天使が揃い、その力をガミカの為に惜しみなく振るっている。
 その事に、人々は大いに勇気付けられた。
 一方、聖火台では、梟のような首をぐるんと回して王都を見渡すレイムラースが、その光景を苦々しく見つめている。
 レイムラースは“人間”にはほとんど伝えられていない。彼は、獣達を守護する天使。
 “神”には“封じる”役割を与えられていた。今はその役割を放棄し、堕天使となって醜い姿を晒している。
 レイムラースの蛇の口がわなわなと揺れる。七大天使が片っ端から殺して回っているのは、レイムラースが連れてきた獣、モンスター達である。
 七大天使がなぜ召喚されたのか、わからない。
「……なぜ、召喚術が使えた?」
 レイムラースはパールフェリカの喉の、自ら施した黒い刻印を見る。力を遮断しているはずなのに。“封じ”たはずなのに。現在、“あれ”の力の源となっているであろう召喚士の力は、封じてあるというのに。
 梟に似た丸い目はどこを見ているのかはっきりしない。淀んだ瞳が、はたと気付いて揺れた。
「……そうか、今ある“実体”を使っているのか。そこには確かに、力が残っているだろう。器用な真似をする。さすが、と言うべきか。だが……」
 ──だが、体を維持出来なくなったとき、どうなるのかわかっているのだろうか。
 そうして、にやりと蛇の口を歪めて笑う。
「その方が、私には好都合だ」


 七大天使によって助けられた人々は、その召喚主を人伝てに聞いて知ると、声を上げる。
 既にバルコニーに姿は無いが、そちらを向き、歓声を投げかける。
 ──ミラノ、ミラノ! と。
 その声に背を向けて、ミラノは広間の中程に居るラナマルカ王の傍へ行く。レザードに言われたという事もあるが、護ってもらうという点での効率を考えるならば、傍に行いくべきだとわかる。
 すれ違った大将軍クロードが、ミラノを見て目だけ伏せてお辞儀をし、また別のモンスターへ駆けていく。
 シュナヴィッツは少し離れた所で、召喚術を交え、刀を振り上げ暴れている。彼の方へは左半身が見えないように、ミラノは移動した。──きっと心配する。
 ミラノを除いて、皆鎧に身を包んでいるが、兜は外しているようだ。広間のような室内では、視界がさらに悪くなるのだろう。敵は巨大なものではなく、人より少し大きい程度で、何より速い。視認性と敏捷性を上げる為、兜を捨てたのだ。彼らは手に刀や剣を持ち、構えの姿勢を崩さない。
 ミラノがざっと見ても、広間にはモンスターの数の方が多い。さらにまだ、バルコニーからこちらへ上がってくる。
 城前広場さえ片付けば、レザードが来てくれるか、七大天使を呼び戻せるのだが。
「……助かった。ありがとう」
 王の手にも刀が握られている。周囲に注意を配りながら、ラナマルカ王はミラノに礼を言った。修練を怠らないネフィリムやシュナヴィッツの父というだけあって、彼もまた年齢を感じさせない練達の動きで、敵モンスターと相対している。
 ミラノはと言えば、どうしたらいいのかわからず、結局いつものモデル立ちである。一番偉そうな立ち姿だ。
「いえ……パールの力です。それをちゃんと覚えておいて下さい。あの子を、褒めてあげて下さい」
「…………わかった。だが、もう一度来てくれるとは思わなかった。あなたは、自分の力で無い事で、面に立つのを嫌がると思っていた」
 一国の主だけあって人を見る目は確かなようで、少ない接触ながらミラノの性格を多少は把握していたようだ。
「──でも今、そんな事を言っていられる状況ではないでしょう」
 気分が乗らないから嫌だ、などと言うのは簡単だ。やりたくないからしない、と我侭を通そうとする事も、周りさえ見なければ案外容易い。だが、当然ながら、そんな子供じみた甘えに振り回されない程度には、ミラノは年を食っている。
 ミラノはバルコニーの外を見る。七大天使が思い思い飛び回り、それぞれの能力を遺憾なく振るっている。
 広間内、ミラノの周囲では、大将軍クロードやラナマルカ王の護衛騎士の打ち下ろす剣の斬撃音と、黒い狼のようなモンスターの唸り声が聞こえている。
 ミラノは、目を伏せる。
 そうすると、簡単にはっきりと、鮮やかにエステリオの最期が蘇る。
 やらなければならないと、強く思う。
 早く、パールフェリカのもとまで行かなければと。パールフェリカの護衛騎士であったエステリオの仕事を、せめて、やってやらなければと。
 ミラノはすいと、瞼を上げた。
「必要で、出来る事があるのにやらないでいるのは、自分で許せません。──私の名も、好きなだけ呼ばせてあげます」
 ミラノは笑みさえ浮かべる。パールフェリカらに見せてきた柔らかい微笑みではない。強く、人の心を抉る、はっきりした意思のある笑み。それは造作に関係なく、鮮烈な美を放つ。
 ミラノはラナマルカ王を見る。彼もまた、その蒼い瞳でミラノを見ている。
「私の名前、あちらで“未来の希望”という意味があるのです。好きなだけ、叫んでおけば良いのです。それで、気が済むのなら」
「…………彼らには、それしかできない」
「だから、好きにすれば良いのです。でも、私も、好きにします。文句は、受け付けません」
 廊下の向こうに居るであろう重鎮らに、視線をくれてやる事は無い。外野でぎゃーぎゃー言うだけの、結局何もせず、出来ず、悪態ばかりつく連中は、無視だ。
 今自分がやれるだけの事を、やる。
 とはいえ、そう強く思っていても、やはり不安はある。
 パールフェリカから供給されていた“召喚士の力”が、絆が途絶えた事で無くなった今、残されたこの実体を形成する“力”を使えるのかどうか、確証は無かった。魔法陣を生み出す、そう強く願い、“やってみた”。出来たが、同時に体は、魔法陣を生み出す度に消えていく。
 ──かえれず、元の自分も、今もこの自分も消えてしまったら、私はどこにいくのかしら、ね。
 ミラノは左袖を淡々とした目で見た。右手で何も無いそこを緩く2度さすり、袖を引っ張って隠した。無駄だと、わかっていても。
 再び、バルコニーの向こう、青い空を見た。
 遠く、敵ドラゴンら居た辺りには、2枚の巨大な魔法陣が広がって、ぎゅるぎゅると回っている。
 その内の一枚から、“神の召喚獣”リヴァイアサンが、その巨体をすべて、見せようとしていた。
 絶望的な状況は、さらに苛烈なものへと深まる。
 ミラノは唇を噛むのを、我慢する。
 ──未来の希望? そんなもの知らない。先の事なんてわからない。ただ、未来へ繋がる為に、手を伸ばす為に、今、やるだけ。
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