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【Last】Summoner’s Tast
召喚“士”ヤマシタミラノ
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(1)
──バラしてやった!
兄、ネフィリムとシュナヴィッツをまとめてからかって、パールフェリカはくくくっと笑う。しだいにあははっと声を上げて寝室へ駆け入ると、パタンと扉を閉めてしまった。
「すっかりからかわれてしまったな」
ネフィリムはふぅと息を吐いて、パールフェリカの消えた寝室の扉を見た。
残された“うさぎのぬいぐるみ”は、ソファの上から部屋の中央に立ったままのネフィリムとシュナヴィッツを見た。
「そういえば、お2人とも怪我の具合はどうなのです?」
ミラノの声音はどこも変わらない。以前通りの淡々としたものだった。
ネフィリムにもシュナヴィッツにも、手やら首やらに包帯がちらちらと見えている。
「えっと、ミラノはその……」
やや後ろの腰に手を当て、もう片方の手は髪を梳きながら、シュナヴィッツは落ち着き無く言葉を選んでいる。問いに答えてくれる、というのでは無さそうである。
シュナヴィッツの言葉を全部待たず、ミラノは言う。
「パールの言っていた事ですか? 聞かなかった事にします。ですから、お2人も、そのようにして下されば良いです」
「え?」
きょとんとするシュナヴィッツの横で、ネフィリムがくくっと笑う。
「それではパールが悔しがるだろうなぁ。私たちをからかって遊びたかったのだろう、あれは」
「え? 兄上、そうなのですか?」
驚くシュナヴィッツに対して、“うさぎのぬいぐるみ”は器用に肩をすくめた。
「そうでしょうね。きっと、パールも疲れているのです、連日倒れて……今のままでは体が持ちません」
「えっとその……」
“うさぎのぬいぐるみ”はすっくとソファの上に立つ。
「シュナヴィッツさんのおっしゃりたい事は大体わかります。ですが、私はいずれ元の“人間”にかえります。“召喚獣”の私は、お2人ともの好意に応えられません。ですから、私の事はただの“うさぎのぬいぐるみ”と、思っていて下さい。もう、“人”の形にもなりません」
「………………」
絶句するシュナヴィッツの横で、目を細めてネフィリムが笑う。
「──ミラノ、何もまとめてフラなくてもいいじゃないか」
「……私なりに気は遣いましたが? 兄弟仲にも、差し障り、無いでしょう?」
「全く、ミラノはどこまでもミラノなのだな」
深く息を吐いて、ネフィリムはシュナヴィッツを見た。
「シュナ、お前はカーディリュクスと話を詰めて来い。飛翔召喚獣の指揮は任せる」
ネフィリムの仕事モードの厳しい声に、シュナヴィッツははっとして兄を見る。
「兄上は?」
「私はもう少し情報を集める。父上のところだ。その後は……エルトアニティ王子だな。どうしたものか」
言いながら歩き、ネフィリムは扉の前に着くとミラノを振り返った。
「ミラノ」
「はい?」
「ミラノがかえる事を望むなら、私は全力で手をかすから、何でも言ってくれたらいい。──今まで通りを選んでくれた君に、感謝する。ありがとう」
そう言って、ネフィリムは部屋を出た。
ネフィリムの背を見送ったシュナヴィッツは、しばらく下を向いていたものの、表情を引き締め、やはりミラノを見た。
「……僕も、ミラノの望む事には手をかす。ただ……今まで通りでもいいから、少し、もう少し傍に……いや……。その……出来れば、思っていても、かえるとは、言わないで欲しい。すまん」
それだけ言って、シュナヴィッツは駆け去った。
パタンと閉じる両開きの扉を、ミラノは赤い目でじっと見つめた。
今後、彼らの気持ちがどこへ向かうのかは、ミラノの関与すべき事ではない。
ミラノはフッた方なのだから。彼らの片想いが、ちゃんと消散するか、継続、増幅してしまうかは、彼らが決める事。
ソファの座面にすとんと降りると、ミラノは腰を下ろし、絵本を開いた。
寝室の扉にもたれかかり、聞き耳を立てていたパールフェリカは、薄暗い部屋の中、半眼で床を見て呟いた。
「……なんで……そんなツマラナイ方を選ぶのよ」
そうして、そっと扉を開く。“うさぎのぬいぐるみ”はやはり、ソファに座って本を見ていた。
「ミラノ」
寝室の扉を後ろ手で閉めて、パールフェリカは控えめにその名を呼んだ。
“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりとこちらを見る。赤い目に、もちろん感情は無い。
「何?」
ミラノの声に、パールフェリカはぱちぱちと瞬きをした後、口を開く。
「ミラノは、ドキドキとか、しない? ネフィにいさまもシュナにいさまも、とっても素敵な人だと思うんだけど? なんでそんなあっさりフってしまうの?? もうちょっと考えるとか──」
「私は、かえるつもりでいます」
両手の身振りを加えて詰め寄るパールフェリカを、ぴしゃりとしたミラノの声が遮った。
「私には、元の世界に、私の人生があるの、パール。とらなければならない責任も、残っているの。そして、ネフィリムさんにもシュナヴィッツさんにも、ここに人生が、きっと王族としての責務が、あるのよ、パール。世界は、たった一人を中心に回っているわけではないのよ。好き、嫌いで世界は動いていないの。ただそれでも……だからこそ、本当に相手を思うなら、それ相応の行動が必要なのよ」
「……ミラノが、にいさまたちの事も、考えたから? だからフったの?」
ミラノは開いていた絵本をぱたんと閉じると、自身の横に置いた。そして改めて、ソファの真横まで歩み寄ってきていたパールフェリカを見上げる。
「私は、かえる。かえれなかった時、私は“人間”じゃない。“召喚獣”という名の、“死者”でしょう? かえるにしろ、かえれないにしろ、選択肢は、2人に諦めてもらうしかないの。その為には、迷い無く私が、2人を“フる必要”があるの。ここで、パール、私の気持ちなんて関係ないのよ。わかる、かしら?」
パールフェリカは俯いた。下唇をきゅっと噛んで、顔を上げる。
「ミラノは、にいさまたちの事、好きじゃない?」
「……そうじゃないわ。いえ、異性としてならばそういった感情は無いけれど。人として、彼らが魅力的な人物である事は、わかっているわ」
「なら、なんで? なんでフっちゃうの? 私は、好きだったらずっと──」
「パール。こちらへいらっしゃい」
ミラノは横に置いた絵本をテーブルに移した。空いたソファの隣を、丸く白い手でぽふぽふと撫ぜた。その手元を見ていたパールフェリカは、ふいと顔を背けた。小さな声で呟く。
「……ミラノは、私の事も……」
「パール?」
ミラノの声にも背を向け、パールフェリカは部屋を出ていった。扉の横に控えていたエステリオが、その後を追う。
“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりと、ソファを降りる。歩き出そうとして、がくっとよろけて、テーブルに両手をつき、体を支えた。
体が少し、重い。理由は、わからない。
「……やれやれ、ね」
(2)
「──……フィリムの方でどうにかなるか? …………ネフィリム?」
「は、はい」
「聞いていたか?」
「申し訳ありません、エルトアニティ王子の件でしたら、私の方で帰って頂くよう促します」
謁見の間に移動したネフィリムは、父王ラナマルカの仕事──謁見の合間を縫って簡単に打ち合わせをしていた。話し始めて数分で、物思いが一瞬、胸を占めてしまったのだ。
「…………うむ。任せる。──大丈夫か? つい先日と、昨日フェニックスをそれぞれ強制解除されているだろう? 疲れているのではないか」
王は眉尻を下げた。心配をさせてしまったと、ネフィリムは自省する。
「いえ。問題ありません」
ぼんやりと聞き逃したのは、そういう理由ではない。自分ですらこうなのだからと、ネフィリムはこっそりと弟の心配をした。
「……そうか。なら良いが……無理を強いてすまないな。シュナのワイバーンの毒の時もそうだったが、今回ジズへと向かったお前を助けてくれたのも、ミラノだったそうだな……」
一つ、ラナマルカ王は息を吐き出した後、続ける。
「例の」
「はい」
「クーニッドからの報告だが、昨夜から光ったまま、消えないらしい。会議の後さらに報告もある……本来“人”のいない場所に竜種の影が、最低でも100目撃された、クーニッド付近だ。これも“そう”ではないかと、マルーディッチェ長老は言っている」
光ったままというのは、クーニッドの大岩、巨大水晶の事だろう。これが光ると“神の召喚獣”が現れると言われる。実際これが光った後に“リヴァイアサン”、“ジズ”が顕現した。また竜種とは、ドラゴン種の事である。
「……また、来ますか」
「来るとしたならば、最後の“神の召喚獣”か」
「最後……“神”のみが傷を付ける事の出来る──“ベヒモス”」
「ベヒモスはいまだかつて、地上に召喚をされた事は無いと聞いたが?」
王の問いにネフィリムは口を開く。
「はい。“神の召喚獣”と言われていますが、実際に召喚されたという記録はありません。伝承では、ベヒモスが生きて地上を支配していた頃は、後に神の判断で殲滅された竜種ですら、繁殖が難しく数も非常に少なかったとあります。さらに100の竜種ですか……竜は絶滅しましたからね、必ず“召喚獣”。ガミカ内で竜種を召喚出来る者は、召喚院で把握しています。彼らは全員サルア・ウェティスか王都に居ますし、元から100人も居ませんよ、28名です。近隣諸国の竜種召喚獣に至っては合わせて10も居ません。そうですね……“神の召喚獣”……なのでしょうね」
「……ネフィリム」
「はい」
「パールには負担が大きいだろうが、ミラノを“人”にしておくように伝えておいてほしい」
ネフィリムは一瞬動きを止め、父王を見る。
「は……いえ、なぜ」
「ミラノを、召喚士として皆に示す。リヴァイアサンを、ジズを退け、七大天使を召喚した、類まれな召喚士として」
「ち、父上! ミラノはパールの“召喚獣”です! その事が知れた時、一番危ないのはパールです!」
ミラノを得ようとするならば、また殺そうとするならば、彼女が“召喚獣”であるとつき止めた時、その首根っこたる“召喚士”を押さえれば事足りる。13歳のパールフェリカに危害が及んでしまう。
ミラノの召喚術が凄まじければ凄まじい程、パールフェリカが狙われるのだ。
だが、ネフィリムの主張を、ガミカ国王は声を大きくして潰す。
「それ以上に! 危険が迫っている。『本当は“召喚獣”だ』などと、どうでもいい事。民が、国が助かれば、良いのだ、それが私達の何よりも成さねばならない事だろう、ネフィリム。用が済めば召喚士としてのミラノは死んだ事にしたとて問題がない。パールには可哀想だが、以後は“うさぎのぬいぐるみ”に放り込ませておけばいい。今、目の前にある事態を回避するには──召喚“士”としてのミラノの力が、その“存在”が必要なのだ。度重なる“神の召喚獣”の襲撃に、対抗手段がちゃんとある事を示さねば“人の心”は耐えられない。それはもう、誰の目にも明らかだ。そうだろう? ネフィリム。判断を、誤ってはならない時なのだ」
正論を強く言われては、ネフィリムに何か言えるはずもない。
「……はい」
王の前を下がり、廊下に出たネフィリムは、眉間の皺を中指で解くようにさすった。
「ネフィリム殿下」
声にちらりと目線を動かせば、アルフォリスとレザードがいつものように帯刀して、鎧ではなく近衛騎士の装束で立っていた。エステリオやリディクディの着ていたような服で、この2人は薄紫が基調の色彩、刺繍などの装飾の類はほとんど無い。
ネフィリムは手を下ろしながら、部下の名を呼ぶ。
「……レザード」
「はい」
「パールの元へ行き、ミラノを“人”にするよう伝えよ。ミラノが嫌がるようなら父上の命だとパールに伝え、必ず“人”にさせておいてくれ。そのままレザードはミラノの護衛に。決して傍を離れず、必ず護れ。行け」
「はい」
レザードは鞘を鳴らして向きを変え、駆けていった。
「ネフィリム殿下?」
アルフォリスの声に、ネフィリムはそちらを見る。
「なんだ?」
「お疲れのようですが……」
ネフィリムにも機嫌の良くない時というのは間間あるが、今日はいつにも増して酷いように、アルフォリスには感じられたのだ。
「体の方は何とも無い。──エルトアニティ王子に会う」
「はい、お供致します」
いつものようにキビキビとした様子で歩き始めたネフィリムの後をアルフォリスは従った。
王城内、とある廊下にて──。
「ちょっとー、シュナヴィッツ殿下ー?」
「あ……すまん、カーディリュクス。何の話を──」
「ですからー、飛翔召喚獣の配置で……って、一体何回説明させるんです? 起きてらっしゃいますか??」
「す……すまない、本当に」
シュナヴィッツは恥じ入って下を向き、まっすぐの髪をゆるく混ぜるように頭を掻いた。
“うさぎのぬいぐるみ”はパールフェリカの部屋の中央でうつぶせに倒れていた。
「ミ、ミラノ様?」
「ごめんなさい、自力で立てないようなの」
レザードは“うさぎのぬいぐるみ”の肩辺りを両手で挟むように掴むと、目があう高さまで持ち上げた。
「パールフェリカ様はいらっしゃらないのですね」
衛兵から、パールフェリカはどこかへ行ったが、ミラノなら中に居ると聞かされて、部屋に入って来たのだ。
「パールを、追おうとしたのだけれど……」
「ミラノ様はパールフェリカ様の“召喚獣”なのですから、何処にいらっしゃるかわかりませんか?」
「……そう言われても……」
それは、以前パールフェリカが城下町へ飛び出してしまってシュナヴィッツと探しに出た時にも言われた言葉だ。
だが、ミラノはそう呟きながらも、五指に分かれた人形の右手を胸に当てた。その手を見下ろし、数秒で顔を上げた。
人形の指は人差し指で東を示す。
「あちらに、居るような気がしてしまうのだけど、なぜかしら?」
そう言うミラノに、レザードはにこりと微笑んだ。
「それが“召喚士”と“召喚獣”の間にある、“絆”の導きです」
今まで感じた事の無いような感覚で、パールフェリカを心に描くと、今指差した方向から熱が押し寄せて来るような気がするのだ。これが“絆”だというのだろうか。
ますます、“召喚獣”らしくなったとでも、いうのだろうか。
(3)
噴水はやや東、この空中庭園の中央にある。音は遠く、はっきりとは聞こえない程度ながら、水の気配はある。
城の居館に沿って、廊下が突き出すような形で小さな丸い部屋が増設されている、庭園を臨む、ガラス扉のある可愛らしい小部屋だ。
真っ白の内装の部屋には、薄桃色と水色と鮮やかな黄色の垂れ布が、小窓から入るゆるやかな風に揺れている。
部屋のど真ん中、額縁に入った絵が飾られている。
この丸く突き出した小部屋は総ガラス張りで、絵の人物が季節に彩られる庭園を眺められるようにと、作られた。
絵の人物は等身大より1.5倍大きく、額縁は高い位置に飾られている。
ゆったりと椅子に腰を下ろす人物の足が、パールフェリカの目の前辺りにくる。
パールフェリカがその小部屋に入り、ガラス扉を閉めると、エステリオはガラス扉の外で、庭園側を向いて立つ。パールフェリカはそれをちらりとだけ見て、額縁の方へ体を向けた。
深い紫に、銀糸をメインにした刺繍の入った衣服。幅の広いハーレムパンツが目の前に、そのひだも丁寧に描かれてある。
見上げる。
ウエスト辺りはゆるい、ジャラジャラとしたアクセサリではなく、レースの腰布が巻いてある。その腹は、ちょっとぽっこりしている。
パールフェリカが“そこ”に居た頃、この小部屋は作られ、その人は好んでここでお茶を飲んでいたと、聞かされた。
さらに見上げる。
自分そっくりの、そのまま大人にしただけといった顔が、そこにある。
蒼色の瞳はその色の深さまで同じ。違うのは髪の色、パールフェリカは亜麻色で、その人のそれは栗色。
口元は少しだけ開いて、笑みの形。目も弓形、濃い睫は今にも瞬いて、動き出しそうだ。今にも、瞳がこちらを向いて、語りかけてきそうな──。
パールフェリカが生まれる前に描かれた絵だという。
母、シルクリティ王妃の肖像画だ。
パールフェリカの最初の記憶は、2歳の頃。
今ではその片鱗も無いが、シュナヴィッツの罵倒だった。
『パールがかあさまをころしたんだ! かえせよ! かあさまを!』
その意味がわかるようになるには、それから少しだけかかった。
わかるようになった頃には、シュナヴィッツはパールフェリカにひたすら謝るばかりで、とても甘ったるい兄になっていた。顔をあわす度に謝るシュナヴィッツに、それをやめさせるのも、少し時間がかかった。
平気なのだとアピールするために、一杯笑っておどけた。クセになった。これが、パールフェリカが兄らをからかう事を覚えた土台にもなったのだが。
いまさら、そういった事を根に持つなどという感情は無い。
パールフェリカは、自分が生まれたという“きっかけ”で母が亡くなった事が、誰にもどうにもし難い事だったと、もうちゃんとわかっている。その頃も、きっと今であっても、誰にもどうにもできなかっただろうと。
自分のせいというわけでは、無い事も。
それだけは、泣いて眠れなかった日々に、父が毎夜頭を撫でて言い聞かせてくれた。
様々な言い回しで父は慰めてくれたが、その中で忘れられないものがある。
ただの病気で、事故で、あるいは謀略で亡くなるよるもずっと名誉のある素晴らしい死に様であり、他の誰にも不可能な、パールフェリカという世界にただ一つの存在を産み落とした功績は、何にも代えられない、と。
父との思い出は、これ以外あまり無いが、パールフェリカにとっては、とても深い。その思い出があるから、笑っていられた時もあった。
すれ違うかのように、自分は生を受け、母シルクリティは死んだ。
パールフェリカは肖像画を見上げる。
日に日に似ていく。この庭園の肖像画は、シルクリティが亡くなる数ヶ月前、33歳の頃のものだと聞いた。
似れば似る程、母を知る人は口々にその名を懐かしんで呟く。パールフェリカを、見て。
シルクリティ王妃の娘である事を、確かに実感出来る瞬間ではあるが、同時に、自分の存在を見てもらえているのかどうか、不安になる。そっくりだと言われる度、母との繋がりを感じられて寂しさが紛れるのに、同時に消えていくものがある。
私を──見て、私の話を、して。
そんな事は、言えない。
夢見てしまう。
物語の中の、庶民、ごくごく一般家庭の父親、母親、兄弟。下町を駆け回るぼろを着た少年少女が輝く笑顔で母親に「いってきます」と言って勉学に、冒険に飛び出す様子を。そこに、自分を投影して、重ねる。つらい事や苦しい事を、友と乗り越え、帰れば両親の温かな出迎えがある物語を。どれだけ夢見たって、パールフェリカの父や兄弟は忙しいし、母も居なければ、友達も居ない。
現実は遠くかけ離れていて、家族に会うのも許可がいる。
パールフェリカから会おうとするには、それでも身分が足りない。父や兄らに予定を合わせなければならず、緊急でもなければ10日待ち1ヶ月待ちが当たり前で、とても難しい。だから、ネフィリムもシュナヴィッツも、あちらから時間があれば足を運んでくれている、パールフェリカが寂しくないようにと。
シュナヴィッツは今この状況だから連日城に居るが、パールフェリカの誕生日まで3ヶ月、ずっと前線で戦っていた。その前も帰ってきている方が少なかった。ネフィリムは城に居はするがあまりに忙しく、部屋に来てくれてもパールフェリカが寝てしまった後というのはよくあった。行くからと言ってくれていて、結局来てもらえなかった事は、数えきれない。そういう時の残念に思う気持ちも、とっくに無くなった。
自分さえ生まれて来なければ、とは思わなくなったが、自分なんて居ても居なくても、と思う日はまだ無くならない。
家族といっても、自分はただのお荷物……そんな気持ちが消えない。城のみんなもきっと、そう思ってる。家族といっても、いつかお嫁に行って、それも途切れてしまう。きっとみんな、そう思ってる。
だから、一緒に居られるあと少しの間だけ、ちょっとはお役立ち度が上がればと、張り切って挑んだ初の召喚儀式。
──来てくれたのは、ミラノ。
最初は、なんだかよくわからなくて、兄達にも認めてもらえないかもしれないと不安もあった。
それでも、ミラノは真っ直ぐパールフェリカを見たから。
きりっとして、体の線のわかる見たことの無い変わった衣服で立つミラノは、揺るがず真っ直ぐ、自分を見てくれた。
“あなたは?”
思い出しても、涙が出そう。
そこに立っていたミラノにとって、お姫様というだけのパールフェリカでも、母の死の“きっかけ”として、代わりのように生まれて来たパールフェリカでも無かった。
ただの召喚士としての、今、そのままの、ありのままのパールフェリカで居られる。そんな確信を、ミラノの眼差しに感じた。その確信に間違いは無く、手は差し伸べられた。
ミラノを前にすると体の力が抜けてしまう。いや、逆かもしれない、体の上にのっかった色んなものが、ほどけて消えてしまう。そんなものを持っていてもいなくても、変わらないのよ、そう聞こえる。
……ミラノ……ミラノ……。
パールフェリカは、心の内でその名を呼ぶ。
不安が。
“あの声”が聞こえてきそうで怖い。“あの声”の主がやって来たら、ミラノを取られてしまうのかもしれない。渡すつもりはなくても、自分には抵抗出来ない気がするのだ。だって、いつでも、お荷物……。
同時に、少しずつ、事態が変わり始めている。
シュナヴィッツの目が、あの黒い瞳に奪われた。
相変わらずシュナヴィッツは頭を撫でてくれる、その目の奥に消えない後ろめたさがちらちらとある。けれど、その心の中心の在り処を、パールフェリカに隠している。目を逸らす。それに気付かないとでも、思っていたのだろうか。
ネフィリムの目もまた、その黒い髪を追い始める。いずれ国王となる事を背負った一番上の兄が、その伴侶をとても慎重に選んでいるのは見て来ていた。顔をあわせると優しい目も、見上げると厳しく周囲を見つめる。それと同じかそれ以上の目線で、広く世界を見られる相手を探しているのは、わかっていた。優秀な兄の要求を満たす存在はなかなか現れず、やがてそこには、誰も近寄る事の出来ない高い壁が堅く建っていた。そうやって隠されてしまった本性をも真っ直ぐ見抜いて受け入れてしまうミラノには、壁なんて意味も無く、奥の本心も自ら姿を見せるはずだ。そんな事に、気付かないとでも、思っていたのだろうか。
“召喚獣”としてやって来たミラノが見抜くように、その最も相性の良い“召喚士”たるパールフェリカにも、全部見えていた。
自分だけではなく兄達もまた、王族だとか、今以外の自分というしがらみから、ミラノの前では解き放たれる事を知ってしまった。その居心地の良さに、気付いてしまったのだ。
“あの声”と同じように、ほしいと、よこせと言い出すかもしれない。
茶化してからかって、でも不安は拭えない。
どうしたいのか、自分でもわけがわからなくなってくる。
笑っていたくてからかって、兄達やミラノをけしかける。滑稽なピエロを演じる。でも誰よりも、ミラノは自分のものだと言いたい気持ちがある。そんな気持ち、ミラノは知らない。きっと言ったって、うまく伝わるわけないんだ。
「パール」
「…………」
声に、振り返る。
エステリオがそっと開くガラス扉の向こう。
白い“うさぎのぬいぐるみ”が、両脇に花の咲き乱れる花壇に彩られるレンガの道を、よったよった歩いて来る。
後ろを見ると、兄ネフィリムの護衛騎士レザードが居た。また彼がミラノの護衛に就いているようだ。
──ネフィにいさま、ほんとに本気なのね。ミラノは、形を殺されたって私が再召喚すればいい、ちゃんと元に戻る存在“召喚獣”なのに、レザードをつけるなんて。
今までの物思いを引きずって、無表情で“うさぎのぬいぐるみ”を見ていた。だがすぐに、暗い気持ちなどどこへやら、我知らず、にまぁ~と笑みを浮かべていた。
“うさぎのぬいぐるみ”は左右にひょっこひょっこ、たたらを時々踏みながら、耳と手を総動員してバランスを取りながら、こちらへやって来るのだ。
「っも! かーわーいーい!!」
パールフェリカは堪えきれず叫び、“うさぎのぬいぐるみ”に滑り込んでぎゅむっと抱きしめた。勢いのまま花壇のレンガに突っ込んで、自分とレンガの間に“うさぎのぬいぐるみ”を挟んでしまったのは、ご愛嬌だ。
「パ、パール、離して。さすがにつぶれてしまいそうだわ」
「いや~ん。かわいい……。へちゃっとしてるミラノもかわいいわよ!」
「それは……わかったから……」
パールフェリカはそっと後ろに下がた。“うさぎのぬいぐるみ”を立たせるが、よろりと転びかけるので、立ち上がっていつものように胸の前に抱きかかえた。
「ね、ミラノ。それって足の裏のクッション、取っちゃったせい?」
ふらふらとして、真っ直ぐ立てないらしい。パールフェリカの問いに、ミラノの返事は少し時間がかかった。
「…………そうかもしれないわね。せっかく手が使えるようになったのに、足がこれではね……」
パールフェリカはあはっと笑う。
「クライスラーが来るまで我慢ね!」
どうせ──兄らがあんな反応をするのだ、それにミラノも“人”にはならないと言っていたのだ──しばらくはミラノを“人”にする事は無いだろう。
そう考えていると、横からレザードが口を開いた。
その内容を、パールフェリカは半眼で聞いていた。
父王ラナマルカの、兄王子ネフィリムからの命令に、逆らえるはずなどない。
“うさぎのぬいぐるみ”を地面に置き、両手を合わせて呪文を唱える。白色の魔法陣がきらきらとまわった。コロリと、地面に転がる空っぽの“うさぎのぬいぐるみ”をパールフェリカは拾い上げ、横に来ていたエステリオに押し付けた。魔法陣の消えていく辺り、“人”の姿として現れたミラノを、見上げる。
ミラノは特に何も言わず、素直に“人”になってくれた。
もう“人”にはならないと言っていたが、パールフェリカが逆らえない事を、ミラノはわかっているのだ。だから、何も言わず従ってくれた。そんな事も全部、わかる。
いつものグレーのスーツ姿で、黒い髪は結い上げて、細い眼鏡をかけてキリリとミラノは立っている。
“うさぎのぬいぐるみ”の時のようによろけてしまう事は無く、“人”になってすぐ、ミラノは何度か瞬いていた。パールフェリカが口を開く前に、別の近衛騎士がやって来てレザードと何か話している。ネフィリムのでも、シュナヴィッツのでも、パールフェリカのでも無ければ、他の近衛騎士は皆、父王ラナマルカの護衛だ。彼は謁見の間へ“ミラノ”を連れて来るよう告げ、先に去って行った。
「…………」
先を歩いていくミラノとレザード。エステリオは少し離れた距離のまま待っている。
パールフェリカは、一歩二歩と後ろへ下がり、丸い小部屋へ入って扉を閉めた。
──ねぇ、私はただ、ミラノを召喚する為だけに、居るの? 私の存在がまた、置いてけぼりにされてしまうの?
パールフェリカは自分そっくりの肖像画を見上げる。声は、知らず震えた。
「ねぇ、かあさま。私は、本当にここにいるのかしら? ちゃんと、生まれて来たのかしら? 私こそ、“生霊”……」
後は、言葉にならなかった。
シュナヴィッツも、ネフィリムも、父王ラナマルカも、甘い。
頬をぶたれる程、叱られてみたいなんて、思うのはおかしい? 今、父王の命令に逆らっていたら……何日か謹慎になる、ただそれだけだろう。
あれだけ大人の兄を、ミラノをからかってみても、聞こえてきたのは“同情”で、怒られもしなかった。
パールフェリカの手がふるふると小刻みに震え、そっと絵の中のシルクリティ王妃の足に触れた。両手を絵に当て、さらに頬を寄せた。額をこすりつけて、パールフェリカは瞳を閉じた。
「さみしい……かあさま。一つだけでいい。かあさまの声で、名前を呼ばれた思い出があれば、よかったのに……」
ガラス扉の向こうだが、エステリオには聞こえないようにと、パールフェリカは小さな声で呟いた。
玉座に座すのは父、ラナマルカ王。
その左右に、ネフィリムとシュナヴィッツが立っている。
広い謁見の間、赤絨毯の通路を避けて、その左右に白やら青の服の男女が膝を付いている。全部で100名は下らない。女性は3割程で、皆中高年。そのほとんどの顔をパールフェリカは知っている。この国を動かす重鎮達だ。最前列には大将軍クロードや宰相キサスが居る。
静まり返った謁見の間を、パールフェリカとミラノは並んで歩く。後ろからついて来ていたエステリオとレザードは、重鎮らの最後尾に膝を着いた。
玉座の前まで行くと、父が手招きをした。
階段を上がり、玉座と兄シュナヴィッツの間辺りにパールフェリカは立ち、ここへ来る前に昨日の服へ着替えたミラノを見た。ミラノは相変わらずキリリと立っているが、瞬きの回数が少し増えている。その差に、パールフェリカは気付く事が出来る。ミラノは、この状況に戸惑っている。
「ミラノ、こちらへ」
父王ラナマルカはミラノも呼び寄せる。
パールフェリカと反対側、玉座とネフィリムの間に、促されるままミラノは立つ。
厳粛な空気の中ながら、重鎮らの200の目が一斉にミラノに集まる。中には見覚えのある者もあるかもしれない。
そこへ、父王の声が通る。
「先ほど話した。神の召喚獣リヴァイアサンを、ジズを退け、七大天使を召喚して王都を護った──」
重鎮らが顔を見合わせ、やはりミラノを見上げる。
「召喚士ミラノだ」
パールフェリカは、全てから顔を背けた。
──バラしてやった!
兄、ネフィリムとシュナヴィッツをまとめてからかって、パールフェリカはくくくっと笑う。しだいにあははっと声を上げて寝室へ駆け入ると、パタンと扉を閉めてしまった。
「すっかりからかわれてしまったな」
ネフィリムはふぅと息を吐いて、パールフェリカの消えた寝室の扉を見た。
残された“うさぎのぬいぐるみ”は、ソファの上から部屋の中央に立ったままのネフィリムとシュナヴィッツを見た。
「そういえば、お2人とも怪我の具合はどうなのです?」
ミラノの声音はどこも変わらない。以前通りの淡々としたものだった。
ネフィリムにもシュナヴィッツにも、手やら首やらに包帯がちらちらと見えている。
「えっと、ミラノはその……」
やや後ろの腰に手を当て、もう片方の手は髪を梳きながら、シュナヴィッツは落ち着き無く言葉を選んでいる。問いに答えてくれる、というのでは無さそうである。
シュナヴィッツの言葉を全部待たず、ミラノは言う。
「パールの言っていた事ですか? 聞かなかった事にします。ですから、お2人も、そのようにして下されば良いです」
「え?」
きょとんとするシュナヴィッツの横で、ネフィリムがくくっと笑う。
「それではパールが悔しがるだろうなぁ。私たちをからかって遊びたかったのだろう、あれは」
「え? 兄上、そうなのですか?」
驚くシュナヴィッツに対して、“うさぎのぬいぐるみ”は器用に肩をすくめた。
「そうでしょうね。きっと、パールも疲れているのです、連日倒れて……今のままでは体が持ちません」
「えっとその……」
“うさぎのぬいぐるみ”はすっくとソファの上に立つ。
「シュナヴィッツさんのおっしゃりたい事は大体わかります。ですが、私はいずれ元の“人間”にかえります。“召喚獣”の私は、お2人ともの好意に応えられません。ですから、私の事はただの“うさぎのぬいぐるみ”と、思っていて下さい。もう、“人”の形にもなりません」
「………………」
絶句するシュナヴィッツの横で、目を細めてネフィリムが笑う。
「──ミラノ、何もまとめてフラなくてもいいじゃないか」
「……私なりに気は遣いましたが? 兄弟仲にも、差し障り、無いでしょう?」
「全く、ミラノはどこまでもミラノなのだな」
深く息を吐いて、ネフィリムはシュナヴィッツを見た。
「シュナ、お前はカーディリュクスと話を詰めて来い。飛翔召喚獣の指揮は任せる」
ネフィリムの仕事モードの厳しい声に、シュナヴィッツははっとして兄を見る。
「兄上は?」
「私はもう少し情報を集める。父上のところだ。その後は……エルトアニティ王子だな。どうしたものか」
言いながら歩き、ネフィリムは扉の前に着くとミラノを振り返った。
「ミラノ」
「はい?」
「ミラノがかえる事を望むなら、私は全力で手をかすから、何でも言ってくれたらいい。──今まで通りを選んでくれた君に、感謝する。ありがとう」
そう言って、ネフィリムは部屋を出た。
ネフィリムの背を見送ったシュナヴィッツは、しばらく下を向いていたものの、表情を引き締め、やはりミラノを見た。
「……僕も、ミラノの望む事には手をかす。ただ……今まで通りでもいいから、少し、もう少し傍に……いや……。その……出来れば、思っていても、かえるとは、言わないで欲しい。すまん」
それだけ言って、シュナヴィッツは駆け去った。
パタンと閉じる両開きの扉を、ミラノは赤い目でじっと見つめた。
今後、彼らの気持ちがどこへ向かうのかは、ミラノの関与すべき事ではない。
ミラノはフッた方なのだから。彼らの片想いが、ちゃんと消散するか、継続、増幅してしまうかは、彼らが決める事。
ソファの座面にすとんと降りると、ミラノは腰を下ろし、絵本を開いた。
寝室の扉にもたれかかり、聞き耳を立てていたパールフェリカは、薄暗い部屋の中、半眼で床を見て呟いた。
「……なんで……そんなツマラナイ方を選ぶのよ」
そうして、そっと扉を開く。“うさぎのぬいぐるみ”はやはり、ソファに座って本を見ていた。
「ミラノ」
寝室の扉を後ろ手で閉めて、パールフェリカは控えめにその名を呼んだ。
“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりとこちらを見る。赤い目に、もちろん感情は無い。
「何?」
ミラノの声に、パールフェリカはぱちぱちと瞬きをした後、口を開く。
「ミラノは、ドキドキとか、しない? ネフィにいさまもシュナにいさまも、とっても素敵な人だと思うんだけど? なんでそんなあっさりフってしまうの?? もうちょっと考えるとか──」
「私は、かえるつもりでいます」
両手の身振りを加えて詰め寄るパールフェリカを、ぴしゃりとしたミラノの声が遮った。
「私には、元の世界に、私の人生があるの、パール。とらなければならない責任も、残っているの。そして、ネフィリムさんにもシュナヴィッツさんにも、ここに人生が、きっと王族としての責務が、あるのよ、パール。世界は、たった一人を中心に回っているわけではないのよ。好き、嫌いで世界は動いていないの。ただそれでも……だからこそ、本当に相手を思うなら、それ相応の行動が必要なのよ」
「……ミラノが、にいさまたちの事も、考えたから? だからフったの?」
ミラノは開いていた絵本をぱたんと閉じると、自身の横に置いた。そして改めて、ソファの真横まで歩み寄ってきていたパールフェリカを見上げる。
「私は、かえる。かえれなかった時、私は“人間”じゃない。“召喚獣”という名の、“死者”でしょう? かえるにしろ、かえれないにしろ、選択肢は、2人に諦めてもらうしかないの。その為には、迷い無く私が、2人を“フる必要”があるの。ここで、パール、私の気持ちなんて関係ないのよ。わかる、かしら?」
パールフェリカは俯いた。下唇をきゅっと噛んで、顔を上げる。
「ミラノは、にいさまたちの事、好きじゃない?」
「……そうじゃないわ。いえ、異性としてならばそういった感情は無いけれど。人として、彼らが魅力的な人物である事は、わかっているわ」
「なら、なんで? なんでフっちゃうの? 私は、好きだったらずっと──」
「パール。こちらへいらっしゃい」
ミラノは横に置いた絵本をテーブルに移した。空いたソファの隣を、丸く白い手でぽふぽふと撫ぜた。その手元を見ていたパールフェリカは、ふいと顔を背けた。小さな声で呟く。
「……ミラノは、私の事も……」
「パール?」
ミラノの声にも背を向け、パールフェリカは部屋を出ていった。扉の横に控えていたエステリオが、その後を追う。
“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりと、ソファを降りる。歩き出そうとして、がくっとよろけて、テーブルに両手をつき、体を支えた。
体が少し、重い。理由は、わからない。
「……やれやれ、ね」
(2)
「──……フィリムの方でどうにかなるか? …………ネフィリム?」
「は、はい」
「聞いていたか?」
「申し訳ありません、エルトアニティ王子の件でしたら、私の方で帰って頂くよう促します」
謁見の間に移動したネフィリムは、父王ラナマルカの仕事──謁見の合間を縫って簡単に打ち合わせをしていた。話し始めて数分で、物思いが一瞬、胸を占めてしまったのだ。
「…………うむ。任せる。──大丈夫か? つい先日と、昨日フェニックスをそれぞれ強制解除されているだろう? 疲れているのではないか」
王は眉尻を下げた。心配をさせてしまったと、ネフィリムは自省する。
「いえ。問題ありません」
ぼんやりと聞き逃したのは、そういう理由ではない。自分ですらこうなのだからと、ネフィリムはこっそりと弟の心配をした。
「……そうか。なら良いが……無理を強いてすまないな。シュナのワイバーンの毒の時もそうだったが、今回ジズへと向かったお前を助けてくれたのも、ミラノだったそうだな……」
一つ、ラナマルカ王は息を吐き出した後、続ける。
「例の」
「はい」
「クーニッドからの報告だが、昨夜から光ったまま、消えないらしい。会議の後さらに報告もある……本来“人”のいない場所に竜種の影が、最低でも100目撃された、クーニッド付近だ。これも“そう”ではないかと、マルーディッチェ長老は言っている」
光ったままというのは、クーニッドの大岩、巨大水晶の事だろう。これが光ると“神の召喚獣”が現れると言われる。実際これが光った後に“リヴァイアサン”、“ジズ”が顕現した。また竜種とは、ドラゴン種の事である。
「……また、来ますか」
「来るとしたならば、最後の“神の召喚獣”か」
「最後……“神”のみが傷を付ける事の出来る──“ベヒモス”」
「ベヒモスはいまだかつて、地上に召喚をされた事は無いと聞いたが?」
王の問いにネフィリムは口を開く。
「はい。“神の召喚獣”と言われていますが、実際に召喚されたという記録はありません。伝承では、ベヒモスが生きて地上を支配していた頃は、後に神の判断で殲滅された竜種ですら、繁殖が難しく数も非常に少なかったとあります。さらに100の竜種ですか……竜は絶滅しましたからね、必ず“召喚獣”。ガミカ内で竜種を召喚出来る者は、召喚院で把握しています。彼らは全員サルア・ウェティスか王都に居ますし、元から100人も居ませんよ、28名です。近隣諸国の竜種召喚獣に至っては合わせて10も居ません。そうですね……“神の召喚獣”……なのでしょうね」
「……ネフィリム」
「はい」
「パールには負担が大きいだろうが、ミラノを“人”にしておくように伝えておいてほしい」
ネフィリムは一瞬動きを止め、父王を見る。
「は……いえ、なぜ」
「ミラノを、召喚士として皆に示す。リヴァイアサンを、ジズを退け、七大天使を召喚した、類まれな召喚士として」
「ち、父上! ミラノはパールの“召喚獣”です! その事が知れた時、一番危ないのはパールです!」
ミラノを得ようとするならば、また殺そうとするならば、彼女が“召喚獣”であるとつき止めた時、その首根っこたる“召喚士”を押さえれば事足りる。13歳のパールフェリカに危害が及んでしまう。
ミラノの召喚術が凄まじければ凄まじい程、パールフェリカが狙われるのだ。
だが、ネフィリムの主張を、ガミカ国王は声を大きくして潰す。
「それ以上に! 危険が迫っている。『本当は“召喚獣”だ』などと、どうでもいい事。民が、国が助かれば、良いのだ、それが私達の何よりも成さねばならない事だろう、ネフィリム。用が済めば召喚士としてのミラノは死んだ事にしたとて問題がない。パールには可哀想だが、以後は“うさぎのぬいぐるみ”に放り込ませておけばいい。今、目の前にある事態を回避するには──召喚“士”としてのミラノの力が、その“存在”が必要なのだ。度重なる“神の召喚獣”の襲撃に、対抗手段がちゃんとある事を示さねば“人の心”は耐えられない。それはもう、誰の目にも明らかだ。そうだろう? ネフィリム。判断を、誤ってはならない時なのだ」
正論を強く言われては、ネフィリムに何か言えるはずもない。
「……はい」
王の前を下がり、廊下に出たネフィリムは、眉間の皺を中指で解くようにさすった。
「ネフィリム殿下」
声にちらりと目線を動かせば、アルフォリスとレザードがいつものように帯刀して、鎧ではなく近衛騎士の装束で立っていた。エステリオやリディクディの着ていたような服で、この2人は薄紫が基調の色彩、刺繍などの装飾の類はほとんど無い。
ネフィリムは手を下ろしながら、部下の名を呼ぶ。
「……レザード」
「はい」
「パールの元へ行き、ミラノを“人”にするよう伝えよ。ミラノが嫌がるようなら父上の命だとパールに伝え、必ず“人”にさせておいてくれ。そのままレザードはミラノの護衛に。決して傍を離れず、必ず護れ。行け」
「はい」
レザードは鞘を鳴らして向きを変え、駆けていった。
「ネフィリム殿下?」
アルフォリスの声に、ネフィリムはそちらを見る。
「なんだ?」
「お疲れのようですが……」
ネフィリムにも機嫌の良くない時というのは間間あるが、今日はいつにも増して酷いように、アルフォリスには感じられたのだ。
「体の方は何とも無い。──エルトアニティ王子に会う」
「はい、お供致します」
いつものようにキビキビとした様子で歩き始めたネフィリムの後をアルフォリスは従った。
王城内、とある廊下にて──。
「ちょっとー、シュナヴィッツ殿下ー?」
「あ……すまん、カーディリュクス。何の話を──」
「ですからー、飛翔召喚獣の配置で……って、一体何回説明させるんです? 起きてらっしゃいますか??」
「す……すまない、本当に」
シュナヴィッツは恥じ入って下を向き、まっすぐの髪をゆるく混ぜるように頭を掻いた。
“うさぎのぬいぐるみ”はパールフェリカの部屋の中央でうつぶせに倒れていた。
「ミ、ミラノ様?」
「ごめんなさい、自力で立てないようなの」
レザードは“うさぎのぬいぐるみ”の肩辺りを両手で挟むように掴むと、目があう高さまで持ち上げた。
「パールフェリカ様はいらっしゃらないのですね」
衛兵から、パールフェリカはどこかへ行ったが、ミラノなら中に居ると聞かされて、部屋に入って来たのだ。
「パールを、追おうとしたのだけれど……」
「ミラノ様はパールフェリカ様の“召喚獣”なのですから、何処にいらっしゃるかわかりませんか?」
「……そう言われても……」
それは、以前パールフェリカが城下町へ飛び出してしまってシュナヴィッツと探しに出た時にも言われた言葉だ。
だが、ミラノはそう呟きながらも、五指に分かれた人形の右手を胸に当てた。その手を見下ろし、数秒で顔を上げた。
人形の指は人差し指で東を示す。
「あちらに、居るような気がしてしまうのだけど、なぜかしら?」
そう言うミラノに、レザードはにこりと微笑んだ。
「それが“召喚士”と“召喚獣”の間にある、“絆”の導きです」
今まで感じた事の無いような感覚で、パールフェリカを心に描くと、今指差した方向から熱が押し寄せて来るような気がするのだ。これが“絆”だというのだろうか。
ますます、“召喚獣”らしくなったとでも、いうのだろうか。
(3)
噴水はやや東、この空中庭園の中央にある。音は遠く、はっきりとは聞こえない程度ながら、水の気配はある。
城の居館に沿って、廊下が突き出すような形で小さな丸い部屋が増設されている、庭園を臨む、ガラス扉のある可愛らしい小部屋だ。
真っ白の内装の部屋には、薄桃色と水色と鮮やかな黄色の垂れ布が、小窓から入るゆるやかな風に揺れている。
部屋のど真ん中、額縁に入った絵が飾られている。
この丸く突き出した小部屋は総ガラス張りで、絵の人物が季節に彩られる庭園を眺められるようにと、作られた。
絵の人物は等身大より1.5倍大きく、額縁は高い位置に飾られている。
ゆったりと椅子に腰を下ろす人物の足が、パールフェリカの目の前辺りにくる。
パールフェリカがその小部屋に入り、ガラス扉を閉めると、エステリオはガラス扉の外で、庭園側を向いて立つ。パールフェリカはそれをちらりとだけ見て、額縁の方へ体を向けた。
深い紫に、銀糸をメインにした刺繍の入った衣服。幅の広いハーレムパンツが目の前に、そのひだも丁寧に描かれてある。
見上げる。
ウエスト辺りはゆるい、ジャラジャラとしたアクセサリではなく、レースの腰布が巻いてある。その腹は、ちょっとぽっこりしている。
パールフェリカが“そこ”に居た頃、この小部屋は作られ、その人は好んでここでお茶を飲んでいたと、聞かされた。
さらに見上げる。
自分そっくりの、そのまま大人にしただけといった顔が、そこにある。
蒼色の瞳はその色の深さまで同じ。違うのは髪の色、パールフェリカは亜麻色で、その人のそれは栗色。
口元は少しだけ開いて、笑みの形。目も弓形、濃い睫は今にも瞬いて、動き出しそうだ。今にも、瞳がこちらを向いて、語りかけてきそうな──。
パールフェリカが生まれる前に描かれた絵だという。
母、シルクリティ王妃の肖像画だ。
パールフェリカの最初の記憶は、2歳の頃。
今ではその片鱗も無いが、シュナヴィッツの罵倒だった。
『パールがかあさまをころしたんだ! かえせよ! かあさまを!』
その意味がわかるようになるには、それから少しだけかかった。
わかるようになった頃には、シュナヴィッツはパールフェリカにひたすら謝るばかりで、とても甘ったるい兄になっていた。顔をあわす度に謝るシュナヴィッツに、それをやめさせるのも、少し時間がかかった。
平気なのだとアピールするために、一杯笑っておどけた。クセになった。これが、パールフェリカが兄らをからかう事を覚えた土台にもなったのだが。
いまさら、そういった事を根に持つなどという感情は無い。
パールフェリカは、自分が生まれたという“きっかけ”で母が亡くなった事が、誰にもどうにもし難い事だったと、もうちゃんとわかっている。その頃も、きっと今であっても、誰にもどうにもできなかっただろうと。
自分のせいというわけでは、無い事も。
それだけは、泣いて眠れなかった日々に、父が毎夜頭を撫でて言い聞かせてくれた。
様々な言い回しで父は慰めてくれたが、その中で忘れられないものがある。
ただの病気で、事故で、あるいは謀略で亡くなるよるもずっと名誉のある素晴らしい死に様であり、他の誰にも不可能な、パールフェリカという世界にただ一つの存在を産み落とした功績は、何にも代えられない、と。
父との思い出は、これ以外あまり無いが、パールフェリカにとっては、とても深い。その思い出があるから、笑っていられた時もあった。
すれ違うかのように、自分は生を受け、母シルクリティは死んだ。
パールフェリカは肖像画を見上げる。
日に日に似ていく。この庭園の肖像画は、シルクリティが亡くなる数ヶ月前、33歳の頃のものだと聞いた。
似れば似る程、母を知る人は口々にその名を懐かしんで呟く。パールフェリカを、見て。
シルクリティ王妃の娘である事を、確かに実感出来る瞬間ではあるが、同時に、自分の存在を見てもらえているのかどうか、不安になる。そっくりだと言われる度、母との繋がりを感じられて寂しさが紛れるのに、同時に消えていくものがある。
私を──見て、私の話を、して。
そんな事は、言えない。
夢見てしまう。
物語の中の、庶民、ごくごく一般家庭の父親、母親、兄弟。下町を駆け回るぼろを着た少年少女が輝く笑顔で母親に「いってきます」と言って勉学に、冒険に飛び出す様子を。そこに、自分を投影して、重ねる。つらい事や苦しい事を、友と乗り越え、帰れば両親の温かな出迎えがある物語を。どれだけ夢見たって、パールフェリカの父や兄弟は忙しいし、母も居なければ、友達も居ない。
現実は遠くかけ離れていて、家族に会うのも許可がいる。
パールフェリカから会おうとするには、それでも身分が足りない。父や兄らに予定を合わせなければならず、緊急でもなければ10日待ち1ヶ月待ちが当たり前で、とても難しい。だから、ネフィリムもシュナヴィッツも、あちらから時間があれば足を運んでくれている、パールフェリカが寂しくないようにと。
シュナヴィッツは今この状況だから連日城に居るが、パールフェリカの誕生日まで3ヶ月、ずっと前線で戦っていた。その前も帰ってきている方が少なかった。ネフィリムは城に居はするがあまりに忙しく、部屋に来てくれてもパールフェリカが寝てしまった後というのはよくあった。行くからと言ってくれていて、結局来てもらえなかった事は、数えきれない。そういう時の残念に思う気持ちも、とっくに無くなった。
自分さえ生まれて来なければ、とは思わなくなったが、自分なんて居ても居なくても、と思う日はまだ無くならない。
家族といっても、自分はただのお荷物……そんな気持ちが消えない。城のみんなもきっと、そう思ってる。家族といっても、いつかお嫁に行って、それも途切れてしまう。きっとみんな、そう思ってる。
だから、一緒に居られるあと少しの間だけ、ちょっとはお役立ち度が上がればと、張り切って挑んだ初の召喚儀式。
──来てくれたのは、ミラノ。
最初は、なんだかよくわからなくて、兄達にも認めてもらえないかもしれないと不安もあった。
それでも、ミラノは真っ直ぐパールフェリカを見たから。
きりっとして、体の線のわかる見たことの無い変わった衣服で立つミラノは、揺るがず真っ直ぐ、自分を見てくれた。
“あなたは?”
思い出しても、涙が出そう。
そこに立っていたミラノにとって、お姫様というだけのパールフェリカでも、母の死の“きっかけ”として、代わりのように生まれて来たパールフェリカでも無かった。
ただの召喚士としての、今、そのままの、ありのままのパールフェリカで居られる。そんな確信を、ミラノの眼差しに感じた。その確信に間違いは無く、手は差し伸べられた。
ミラノを前にすると体の力が抜けてしまう。いや、逆かもしれない、体の上にのっかった色んなものが、ほどけて消えてしまう。そんなものを持っていてもいなくても、変わらないのよ、そう聞こえる。
……ミラノ……ミラノ……。
パールフェリカは、心の内でその名を呼ぶ。
不安が。
“あの声”が聞こえてきそうで怖い。“あの声”の主がやって来たら、ミラノを取られてしまうのかもしれない。渡すつもりはなくても、自分には抵抗出来ない気がするのだ。だって、いつでも、お荷物……。
同時に、少しずつ、事態が変わり始めている。
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ネフィリムの目もまた、その黒い髪を追い始める。いずれ国王となる事を背負った一番上の兄が、その伴侶をとても慎重に選んでいるのは見て来ていた。顔をあわせると優しい目も、見上げると厳しく周囲を見つめる。それと同じかそれ以上の目線で、広く世界を見られる相手を探しているのは、わかっていた。優秀な兄の要求を満たす存在はなかなか現れず、やがてそこには、誰も近寄る事の出来ない高い壁が堅く建っていた。そうやって隠されてしまった本性をも真っ直ぐ見抜いて受け入れてしまうミラノには、壁なんて意味も無く、奥の本心も自ら姿を見せるはずだ。そんな事に、気付かないとでも、思っていたのだろうか。
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自分だけではなく兄達もまた、王族だとか、今以外の自分というしがらみから、ミラノの前では解き放たれる事を知ってしまった。その居心地の良さに、気付いてしまったのだ。
“あの声”と同じように、ほしいと、よこせと言い出すかもしれない。
茶化してからかって、でも不安は拭えない。
どうしたいのか、自分でもわけがわからなくなってくる。
笑っていたくてからかって、兄達やミラノをけしかける。滑稽なピエロを演じる。でも誰よりも、ミラノは自分のものだと言いたい気持ちがある。そんな気持ち、ミラノは知らない。きっと言ったって、うまく伝わるわけないんだ。
「パール」
「…………」
声に、振り返る。
エステリオがそっと開くガラス扉の向こう。
白い“うさぎのぬいぐるみ”が、両脇に花の咲き乱れる花壇に彩られるレンガの道を、よったよった歩いて来る。
後ろを見ると、兄ネフィリムの護衛騎士レザードが居た。また彼がミラノの護衛に就いているようだ。
──ネフィにいさま、ほんとに本気なのね。ミラノは、形を殺されたって私が再召喚すればいい、ちゃんと元に戻る存在“召喚獣”なのに、レザードをつけるなんて。
今までの物思いを引きずって、無表情で“うさぎのぬいぐるみ”を見ていた。だがすぐに、暗い気持ちなどどこへやら、我知らず、にまぁ~と笑みを浮かべていた。
“うさぎのぬいぐるみ”は左右にひょっこひょっこ、たたらを時々踏みながら、耳と手を総動員してバランスを取りながら、こちらへやって来るのだ。
「っも! かーわーいーい!!」
パールフェリカは堪えきれず叫び、“うさぎのぬいぐるみ”に滑り込んでぎゅむっと抱きしめた。勢いのまま花壇のレンガに突っ込んで、自分とレンガの間に“うさぎのぬいぐるみ”を挟んでしまったのは、ご愛嬌だ。
「パ、パール、離して。さすがにつぶれてしまいそうだわ」
「いや~ん。かわいい……。へちゃっとしてるミラノもかわいいわよ!」
「それは……わかったから……」
パールフェリカはそっと後ろに下がた。“うさぎのぬいぐるみ”を立たせるが、よろりと転びかけるので、立ち上がっていつものように胸の前に抱きかかえた。
「ね、ミラノ。それって足の裏のクッション、取っちゃったせい?」
ふらふらとして、真っ直ぐ立てないらしい。パールフェリカの問いに、ミラノの返事は少し時間がかかった。
「…………そうかもしれないわね。せっかく手が使えるようになったのに、足がこれではね……」
パールフェリカはあはっと笑う。
「クライスラーが来るまで我慢ね!」
どうせ──兄らがあんな反応をするのだ、それにミラノも“人”にはならないと言っていたのだ──しばらくはミラノを“人”にする事は無いだろう。
そう考えていると、横からレザードが口を開いた。
その内容を、パールフェリカは半眼で聞いていた。
父王ラナマルカの、兄王子ネフィリムからの命令に、逆らえるはずなどない。
“うさぎのぬいぐるみ”を地面に置き、両手を合わせて呪文を唱える。白色の魔法陣がきらきらとまわった。コロリと、地面に転がる空っぽの“うさぎのぬいぐるみ”をパールフェリカは拾い上げ、横に来ていたエステリオに押し付けた。魔法陣の消えていく辺り、“人”の姿として現れたミラノを、見上げる。
ミラノは特に何も言わず、素直に“人”になってくれた。
もう“人”にはならないと言っていたが、パールフェリカが逆らえない事を、ミラノはわかっているのだ。だから、何も言わず従ってくれた。そんな事も全部、わかる。
いつものグレーのスーツ姿で、黒い髪は結い上げて、細い眼鏡をかけてキリリとミラノは立っている。
“うさぎのぬいぐるみ”の時のようによろけてしまう事は無く、“人”になってすぐ、ミラノは何度か瞬いていた。パールフェリカが口を開く前に、別の近衛騎士がやって来てレザードと何か話している。ネフィリムのでも、シュナヴィッツのでも、パールフェリカのでも無ければ、他の近衛騎士は皆、父王ラナマルカの護衛だ。彼は謁見の間へ“ミラノ”を連れて来るよう告げ、先に去って行った。
「…………」
先を歩いていくミラノとレザード。エステリオは少し離れた距離のまま待っている。
パールフェリカは、一歩二歩と後ろへ下がり、丸い小部屋へ入って扉を閉めた。
──ねぇ、私はただ、ミラノを召喚する為だけに、居るの? 私の存在がまた、置いてけぼりにされてしまうの?
パールフェリカは自分そっくりの肖像画を見上げる。声は、知らず震えた。
「ねぇ、かあさま。私は、本当にここにいるのかしら? ちゃんと、生まれて来たのかしら? 私こそ、“生霊”……」
後は、言葉にならなかった。
シュナヴィッツも、ネフィリムも、父王ラナマルカも、甘い。
頬をぶたれる程、叱られてみたいなんて、思うのはおかしい? 今、父王の命令に逆らっていたら……何日か謹慎になる、ただそれだけだろう。
あれだけ大人の兄を、ミラノをからかってみても、聞こえてきたのは“同情”で、怒られもしなかった。
パールフェリカの手がふるふると小刻みに震え、そっと絵の中のシルクリティ王妃の足に触れた。両手を絵に当て、さらに頬を寄せた。額をこすりつけて、パールフェリカは瞳を閉じた。
「さみしい……かあさま。一つだけでいい。かあさまの声で、名前を呼ばれた思い出があれば、よかったのに……」
ガラス扉の向こうだが、エステリオには聞こえないようにと、パールフェリカは小さな声で呟いた。
玉座に座すのは父、ラナマルカ王。
その左右に、ネフィリムとシュナヴィッツが立っている。
広い謁見の間、赤絨毯の通路を避けて、その左右に白やら青の服の男女が膝を付いている。全部で100名は下らない。女性は3割程で、皆中高年。そのほとんどの顔をパールフェリカは知っている。この国を動かす重鎮達だ。最前列には大将軍クロードや宰相キサスが居る。
静まり返った謁見の間を、パールフェリカとミラノは並んで歩く。後ろからついて来ていたエステリオとレザードは、重鎮らの最後尾に膝を着いた。
玉座の前まで行くと、父が手招きをした。
階段を上がり、玉座と兄シュナヴィッツの間辺りにパールフェリカは立ち、ここへ来る前に昨日の服へ着替えたミラノを見た。ミラノは相変わらずキリリと立っているが、瞬きの回数が少し増えている。その差に、パールフェリカは気付く事が出来る。ミラノは、この状況に戸惑っている。
「ミラノ、こちらへ」
父王ラナマルカはミラノも呼び寄せる。
パールフェリカと反対側、玉座とネフィリムの間に、促されるままミラノは立つ。
厳粛な空気の中ながら、重鎮らの200の目が一斉にミラノに集まる。中には見覚えのある者もあるかもしれない。
そこへ、父王の声が通る。
「先ほど話した。神の召喚獣リヴァイアサンを、ジズを退け、七大天使を召喚して王都を護った──」
重鎮らが顔を見合わせ、やはりミラノを見上げる。
「召喚士ミラノだ」
パールフェリカは、全てから顔を背けた。
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