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【3rd】BECOME HAPPY!

兄弟いろいろ

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(1)
 大国プロフェイブ第一王位継承者エルトアニティと第三位王位継承者キリトアーノは、ガミカ王ラナマルカとの謁見を済ませ、5歩先を歩く2人のガミカ兵の後ろに付いて迎賓室へ案内されているところだった。
 王子らの後ろでは、プロフェイブからつれて来た護衛騎士2人がガシャガシャと鎧を鳴らしている。
 アンジェリカ姫はガミカ国へ来る予定では無かった為、彼女の侍女と護衛が後からすっ飛んできて連れ帰った。
 腕を組んで歩くキリトアーノは、不機嫌そうに顎を斜めに上げる。銅色のまっすぐの髪は、動きに合わせ肩の前へ流れた。
 目を三角に尖らせ、ぽつりと言う。
「あの女、むかつく」
 キリトアーノの声は、よそ行きに威儀を正して真っ直ぐ出す時にはならないが、普段は頻繁に掠れる。
 半歩前のエルトアニティは足を緩め、弟の横を歩く。声を大きくしてしゃべらせる内容では無いらしいので、こちらがコントロールしてやらなければならない。
 エルトアニティの声質ははっきりした明るいものなので、意識して小さくする。
「突然なんだ」
「見下した態度が気に入らない」
「見下す?」
「顔には出していなかったがあの女、アンジェをあざけってたぞ」
 顔に出ていなかったと感じて、なぜあざけっていたとわかるのやら。
「そうか? 巻き込まれてしぶしぶアンジェの話を聞いていた風に見えたが。アンジェリカは……すぐ周囲《まわり》が見えなくなるから」
「俺の事も見下していた」
 エルトアニティはぶふっと吹いた。
「お前は阿呆か。もう少し人を見る目を鍛えないといけないな。あれは見下していない、完全に興味を持っていない目だ」
「……? どう違うんだエル兄《あに》」
 エルトアニティはキリトアーノを見たまま顎をひいて遠のいた。相変わらずこの弟は自分の感情すら整理出来ないらしい。
「自分で考えろ。私は、ああいうタイプの方が燃えるがな」
「え!? まじで!? エル兄趣味悪すぎ! 可愛くない女なんて女じゃないだろ??」
 キリトアーノは反射的に組んだ腕を解いて、心底信じられません、驚きましたとばかりに両手の指をがっばと開いている。
 彼の“可愛い女”の基準は──……。
「お前はあれだ、ヤれるかヤれないかで好みを決めすぎだ。それをもし見抜かれていたならば、見くびられたって仕方が無いと私は思うがな。お前のその反感はただの被害妄想だ。むかつくのは、お前も本当はわかってるんだろう。短時間ではあったがあの目は確実、お前を異性として──人として見ていない。良くてその辺の観葉植物扱いってとこだろう。まともに口をきかせる事も、会話を成立させる事もできないんじゃないか。適当にあしらわれてな。今のお前じゃ絶対に落とせない。それをなんとなく感じるから、むかつくんだろう?」
「なんだよそれ……なんだよ」
 考え込むように、一層不機嫌になって腕を組みなおし、キリトアーノはエルトアニティより前へ前へと足を進めた。その背に、エルトアニティは呟くように告げる。
「──気高い女だ、あれは」
 そしてペロリと下唇を舐めた。
「相応以上の男でなければ、彼女には見向きもされないだろうし、そういう男でなければ彼女の魅力はわからない」
 足を止め、また顎を斜めに持ち上げ、キリトアーノは兄を振り返る。
「なんだよ、つまり俺はそれだけの男じゃないって事か?」
 片眉だけをくいっと下げて、エルトアニティは鼻で笑う。
「そういう事なんだろう、つまり」
「なんだそりゃ! 余計むかつく!」
 エルトアニティはキリトアーノに追いつくと頭をぺしっと平手で打って「声を荒げるな、ここをどこだと思っている」とたしなめる。
「お前は、きゃーきゃー寄って来て喜んで股を開く女とでも戯れていたらいいだろう。どうせ王位は私が継ぐんだ、人生適当に遊んでいたらいいじゃないか」
 横並びになると2人は再び歩き始める。
「それはそうなんだけど……」
 不満気ながらもぼそぼそと呟くキリトアーノ。
 面白いので観察を続ける為、その自尊心を傷つけずに笑いを堪えるのも大変だ。エルトアニティはそっと弟から顔を逸らした。
 そんな兄の様子に気付く事も無く、キリトアーノは両手を組んだまま、正面を見据えて続ける。
「むかつくのには違いないんだ。あ、エル兄ちょっと俺を馬鹿にしてるだろ? 俺だって時々は頑張って落としにかかったりするんだぜ?」
 馬鹿にしているのはその点では全く無いし、ちょっとどころではないと言いたいところだ。
「…………」
 エルトアニティは笑いを堪えているので何も言わない。だが、同時に考えている事は冷酷だ。
 ──そのまま女と遊んでうつけっぷりを晒していろ。
「まぁパール姫はまだガキンチョだし、全然やる気出ないけど。はぁ~……ガミカはつまんねぇな」
 腹いせのように、後半の声には棘たっぷりでキリトアーノは言った。
 漸《ようよ》うやっと、笑いの波を押さえ込んだエルトアニティは正面を向いたまま、目線だけ横へやる。
「そうか……? パール姫だってあと2,3年もすれば確実に変わるのがわかるじゃないか。彼女は亡きシルク王妃に似ている。ガミカ一の美姫《びき》になるのは確実だ」
「でも性格がな、うるさそうだし、反抗しそうだ。馬鹿だし。今を見る限り、色気なんて身に付くのか疑問すぎる。あの女の艶のある黒髪は、触ってみたいと思わせるのに十分なんだが、性格がひどすぎる……! エル兄は気高いとか言うが、お高くとまってるだけなんじゃねーの?」
 エルトアニティは弟のあまりに間抜けな発言に、声は出さないまでも笑う。たったあれだけでお前に他人《ひと》の性格が全てわかるものか、と。
 パールフェリカ姫に至っては13歳になったという情報しかなく、キリトアーノ自身は会った事も無いはずだ。噂だけを鵜呑みにして判断するお前の方が馬鹿だと、心底言ってやりたい。
 そういえばキリトアーノの母である第三王妃も頭の中は空っぽの性欲の塊だったなと、エルトアニティは思い出す。そうすると一層呆れるような笑みがこみ上げて、自分で自分の首を締めてしまった事に気付く。再びくつくつと込み上げてくる笑いを堪える。
 勉学は年下の王子王女に劣り、女の事しか頭に無く、召喚獣も手乗り文鳥が如き幼鳥で騎乗も出来ない。かといって武に優れるという事も無く、体力だけが人並みという有様。王家の者だというのにこれだけ無能だと、哀れすぎて可愛がってもやれるというもの。
「我が大国プロフェイブ、その王子であるお前がそういうセリフを吐くのか? わかってるのか? もう負けているじゃないか」
 そう言った後、エルトアニティは真面目な顔をして、独り言のように呟く。
「──気位が高い、お前はそう言うが……そうじゃないだろう、あれは──品位。己の価値を知り、理知で立つ。……ネフィリム王子が隠しているのも気になる」
 目を細め、ついにキリトアーノにも聞こえない声で思考に潜る。
「ガミカの妃は後宮を抱えるプロフェイブと異なり、一人。代々女傑や女丈夫が望まれ、選ばれているからな……あれが本当の妃候補、かな?」
 一人で直接ネフィリムの部屋を訪れた、高貴な身なりの女。
 ネフィリムが言葉を遮ってまで退がらせた事が、エルトアニティは気になっていた。



(2)
「カーディリュクス、昨日は助かった」
 後ろから聞こえた声に、カーディリュクスは振り返り、さっと敬礼──右腕を曲げて拳を左肩辺りに当てる動作─をする。
「シュナ殿下、具合はいかがです?」
 ネフィリムの部屋を突然の来客で追い出された王都警備隊一番隊隊長、20代後半の巨躯のカーディリュクスは、足を止め後ろを振り返る。タタッと軽い足取りで駆け寄って来るのは、ミラノをネフィリムの部屋の前まで案内し、自室へ戻る途中だったシュナヴィッツだ。怪我をしてはいるが、危なげな様子も疲れた風でもない。
「この通り、何とも無い」
「本当ですか? 私は殿下の護衛騎士スティラードとは同期で飲み仲間ですから、時々聞きますよ? シュナヴィッツ殿下は我慢をしすぎる、とね」
「……そんな事を言っているのか、あいつは」
「殿下もほどほどになさいませ。スティラードは元々ネフィリム殿下の護衛ですからね。彼はネフィリム殿下のお気持ちもご存知だからこそ、シュナ殿下が心配なのですよ」
 シュナヴィッツは片方の口角を引いて、ほんの少し、幼さを見せる。幼少の頃から親しく知っている相手だと、出てしまう表情だ。
 気が緩んでこういう素振りを見せる辺り、近しい者にとってわかりやすいと言われてしまう所以だ。
「本当に疲れていたらちゃんと休む。僕は何度も言っているんだがな。──カーディ、時間はあるか?」
「ありますが?」
 ネフィリムとの約束は流れてしまったので、今の時間は空いている。
「証拠を見せてやる」
 シュナヴィッツはにまっと笑って先を歩いた。

 本殿東側の1階から、いくつかある訓練場の1つに出られる。
 城下町側ではなく、周囲を城、背面に巨大な樹を見上げる事が出来る場所。屋外にある。
 広さは周囲を大人が全速で走って30秒かかる程度。それほど広くはない。そこの手前にある準備室もまたあまり広くはない、大きな棚があって備品はそこに収められている。その棚を除いて、物らしい物は置いていない。
 城の深いところにあるこの第5訓練場を利用するのは、大将軍やエリート中のエリートである近衛騎士。彼らは王家に絶対の忠誠を誓う者として、その代名詞にもされる存在。さらに王族も姿を見せる。
 幼い頃からシュナヴィッツの修練場はここで、今も城に滞在中は毎日通っている。
 シュナヴィッツとカーディリュクスは昨日の事件──“飛槍”や“赤と黒の鎧”の連中の“ガミカ拠点”に関するゴタゴタ──はまだ内密なので、他愛ない雑談をしながらやって来た。
 ネフィリム程活発ではないが、シュナヴィッツも一定以上の要職に就く者らとは小まめにコミュニケーションをとっている。特に、将来大将軍の地位に就くつもりでいるので、城に居る限りは軍関係者とは接触するようにしていた。
 備品の棚からシュナヴィッツは包帯状に巻いた布を4巻取り出し、2つをカーディリュクスに投げた。
「素手ですか?」
「顔はバレやすいから、無しでな」
 カーディリュクスは呆れたように笑った。
「最近毎日のように実戦に出られてるじゃないですか、休まれないんですか?」
「…………体を動かしたい」
 シュナヴィッツは布を丁寧に拳に巻きつけながら、カーディリュクスに背を向けた。
「いらぬ事ばかり考える。体を動かしていたら、考えずに済む」
 そう言って一気に巻き終え、訓練場の方へと出て行った。
 カーディリュクスは、シュナヴィッツが武装無しの布の普段着のままなので、ライトアーマーを脱ぎ、慌てて拳に布を巻いて表へ出た。
 シュナヴィッツは腰の長刀と短刀を外し、地面に置く。昨日使用したものはカーディリュクスの部下らが回収してくれたが、使える代物ではなくなっているので、今は城の刀鍛冶の元にある。
 カーディリュクスも同様に自身の長剣を置いた。
 2人は4歩程距離を開け、姿勢を低くして構える。
 軽くとんとんと左へ回りながら、ゆるゆると距離をはかる。
 すぐに、シュナヴィッツが一気に駆け寄る。そのままカーディリュクスの太腿に左足を乗せ、高い蹴りを入れる。カーディリュクスは胸辺りに両腕を持ち上げ防御するも、ずしりとした重みによろめく。
 深い位置からシュナヴィッツはその足でさらに顎へ素早く膝蹴りを入れかけ、止めた。
 後ろにストンと降りる。
 とっさの防御態勢ではあったが、カーディリュクスはダメージを振り払うように首を左右に2,3度揺らした。布を巻いた拳の手の平を開いくと首を撫で、シュナヴィッツを見る。
「殿下、いきなり自分が顔面狙ってくるなんて、ひどいじゃないですか」
「すまん」
 シュナヴィッツはニヤリと笑った。
「──本気でいけば、良いんでしょう?」
 カーディリュクスも口角を上げ、シュナヴィッツの挑発に乗ったのだった。

「あれ?」
 東の塔への回廊を走っていたパールフェリカは、足を止めた。
 両手にアクセサリーをじゃらじゃら持ったまま、音のする方を覗く。
 この先には第5訓練場があるので、そういう音がしても不思議ではないのだが、天気の良い日は城の正面側にある第1から第3訓練場が使われる。それでも音がするのならば──。
 回廊から逸れて芝生へ、植えられた木々を抜けて訓練場の端に出た。
「あれ。シュナにいさま?」
「パール様、どちらまで行かれるのです?」
 後ろからついて来ていたエステリオがすぐに追いついた。
「ねぇエステル、シュナにいさまの相手は誰?」
 アクセサリーで一杯の右手で、パールフェリカは自分の視線の先を示す。銀のチェーンが垂れるのを、パールフェリカは腕をくるくる回して巻き上げた。
 エステリオは促されて訓練場を見る。
「訓練中ですか。シュナヴィッツ様、怪我をなさってトエド医師に止められているでしょうに、また……。相手は、あれはカーディリュクスですね」
 小言を交えながらもエステリオはパールフェリカの問いに答えた。
「かーでぃりゅくす?」
「王都警備隊一番隊隊長です」
 隊長クラスなら、運が良ければ次の昇進時には騎士に叙勲されるだろう。ちなみに、騎士らの憧れの的たる近衛騎士からの選り抜きが、王族直属の護衛騎士になる。エステリオやリディクディらだ。
 護衛騎士スティラードと度々つるんでいた為、カーディリュクスは異例中の異例で、身分差甚だしくもネフィリムやシュナヴィッツと懇意にしているのだ。
「へぇ~……見て行く!」
「ひ、ひ、ひめさま……待って……」
 ぜえぜえ喉を鳴らしながら、侍女サリアが追いついた。
 パールフェリカは準備室の扉の方へ、訓練場を回り込むように駆け出す。エステリオも一息置かず追う。サリアは、両膝に両腕を乗せてひーひー言った後、再びよたよたと走り始めた。


 何度か拳を交えた頃──。
「──シュナ……」
 訓練場の出入り口、準備室の扉に寄りかかるようにして、腕を組んだネフィリムがいた。その後ろから護衛のアルフォリス、さらに“人”型のままのミラノが歩み出てくる。
「あ……いえ……」
 シュナヴィッツは額から首まで伝う汗を、上衣の袖口で慌てて拭った。カーディリュクスも同様で息を整えていた。2人はばつの悪そうな顔を見合わせている。
「あー……ネフィリム殿下。私がお願いしたのです。3ヶ月もサルア・ウェティスに常駐して修行をされたその腕前を、ぜひにと。私もちょっと腕がなまってきてまして」
「あ、カーディ。いや、そんな事はない。僕が稽古をつけてもらおうと話をもちかけて──」
 ネフィリムは2人を半眼で見て、近寄ると口元に笑みを浮かべる。
「ほぉー……言いたいことはわかった。くそ忙しいカーディと怪我人のシュナ」
「えっと……」
「カーディ、なまっているんなら私にも稽古をつけてくれるか。何せ私は無傷の上、昨日“拠点”を潰したばかりのお前以上にとてもなまってるんだ」
 珍しく嫌味たっぷりのネフィリムの発言の直後。
「今度はカーディとネフィにいさま!?」
 唐突の声に全員がそちらを見た。
 準備室の壁に沿って5,6歩程行った辺り、パールフェリカとエステリオが立っていた。シュナヴィッツが驚いて口を開く。
「パール……見ていたのか」
「危ないから訓練場には顔を出してはいけないと、パール、何度言ったらわかるんだい?」
 ネフィリムは目を細めてパールフェリカの方を見ていたが、すぐに息を吐き出し、こめかみ辺りの髪へ乱暴に手を突っ込んだ。
 踵を返して準備室に入る。2人のしているものと同じ布を両手に巻きながら外に出て来て、腰の長刀を地面に置いた。
「カーディ。付き合え」
「え!?」
「私の気晴らしに付き合えと言っている」
 そう言ってネフィリムは笑った。
 シュナヴィッツはそろそろと後ろへ下がり、ネフィリムの視界の外でカーディリュクスに両手をあわせ「すまん、すまん」と謝った。そうして、自分の長刀と短刀を拾い上げる。
 一方、ネフィリムが準備している間に、ミラノとアルフォリスはパールフェリカの傍まで来ていた。
「うわぁ……カーディったら……」
 両手を頬に当て、笑みを堪えるようにパールフェリカは言った。アクセサリーは全て、追いついたサリアに回収されたので、手ぶらだ。
「シュナヴィッツさんは前線で体を動かすのが趣味のように聞いたけれど、ネフィリムさんもそうなの?」
 隣に立ってミラノが問うと、パールフェリカは首を大きく左右に振った。
「え? ううん。ネフィにいさまは部下をめいっぱい使うから、前線に行かないだけらしいわよ。凝り性のネフィにいさまは……今でもちゃんと毎日訓練してるの。格闘術も、召喚術も。だから毎日時間ぎりぎりで忙しいのよ」
 両手をおろしてパールフェリカはミラノを見上げた。
 ミラノの後ろにいたアルフォリスが、パールフェリカの言葉を受けて補足する。
「シュナヴィッツ殿下も日々の修練を欠かされないお方ですが、それもネフィリム殿下をご覧になっての事と、伺いました。武術と精神修練は密接な関わりがあります。ネフィリム殿下の場合、召喚術の根幹である精神修練として武術を始められたそうですが、パール姫様の仰る通り、凝り性な方ですから……」
 そして、今度はネフィリムとカーディリュクスの組手が始まる。
 体のほぐれていたカーディリュクスがネフィリムに近寄り、右拳を打ち込む。
 すり足からそれを読んでいたネフィリムは、左腕でカーディリュクスの腕の内側から受け流し、すかさず右の拳を打ち出す。引き抜く時にはカーディリュクスの首を下へ押し付けている。そこへ左拳を素早く縦に打ち込む。
 流れるような一連の返し技はあまりに鮮やか。
 パールフェリカは「うひょー!」と声を上げ、ぱちぱちと手を叩いて喜んでいる。
 膝を崩してよろめくカーディリュクス。
「ちょ……これ、顔はなしってルールなんですけど……」
 下から聞こえてくる声に、ネフィリムはにっと笑った。
「急所からは逸らしてある。シュナが怪我をしていると知っていて止めなかった罰だ、甘んじて受けておけ」
 はぁと息を吐いて顔を上げるカーディリュクスに、シュナヴィッツが離れた所からもう一度、「すまん」と謝ったのだった。



(3)
「……パール、あなたは?」
「え?」
「パールはどうしてここに?」
「私、来賓宿泊室のある東の塔に……──あれ!? アクセサリがない!」
 慌ててパールフェリカは両手を目の前まで持ち上げ、手の平を裏、面と回した。すぐに横に居たエステリオが表情を変える事無く言う。
「ここへ着いてすぐ、サリアが部屋へ持って戻りましたよ」
「え!? そうなの?? ──あ、ほんとだ。サリア居ない」
 パールフェリカは頷くエステリオを見て、ほっと息を吐いた。観戦に夢中で気付いていなかったらしい。
「そっか、よかったーー。落っことしたかとおもった! ……あれ?」
 次はミラノの方を向いた。
「ミラノはどうしてここに来たの? ここ来た事あったっけ? 道わかった?」
「東の庭園……あなたが綺麗と言っていたから、行く途中だったのよ」
 ネフィリムはカーディリュクスを探すと言い、気分転換になると言ってミラノも連れ出された。そこにアルフォリスが合流した。ネフィリムは随分と気を遣ってくれたようで、先に庭園を見せると言い案内してくれていたのだ──。
「3階の渡り廊下からこの訓練場が見えて──」
「あー!!」
 唐突にパールフェリカはミラノの首元を指差した。
「……何?」
「あ、いいや。ミラノが持ってるんなら」
 そう言ってパールフェリカは、ミラノの首元のシンプルなネックレスに手を触れた。これは、パールフェリカとサリアが見繕ったものでは派手だと感じたミラノが、こっそりと付け替えたものだ。
「ゴーブロンがくれたの、クーニッド辺りで採れる水晶がね、ほら」
 と言って両手で包む。ミラノはそっと腰をかがめパールフェリカが触れやすいようにしてやり、額をつき合わすようにして2人でペンダントを見ている。
「ここに入ってるの、それがね、この間から時々、内っ側が光るの。不思議ねーって思ってたから、ゴーブロンに聞こうと──……」
 そこでふと、顔を上げたパールフェリカは両手をするりとミラノの首にまわして、ぎゅうっと抱きついた。
「どうしたの?」
「……ミラノ、いい匂いー」
「そ、そう……ありがとう」
 若干戸惑いつつも振り解く事は出来ず、ミラノはパールフェリカの背に手をまわして、よしよしと撫でたのだった。
 また、訓練場の中央ではネフィリムが拳の具合を確かめ、しゃがむカーディリクスの腕を取って立たせている。
「じゃあここから稽古といくか」
「え!? まだやるんですか!?」
「気晴らしに付き合えと言っただろう? 面倒続きで軽く息を抜きたい。すぐ終わる」
 にっこりと笑ってネフィリムはカーディリュクスの肩を拳の裏でぽんぽんとゆるく弾いた。
 カーディリュクスは、はぁと溜め息を吐いた後、首を左右にこきこきと鳴らした。王子に怪我をさせないように素手で組手をするのは、街で重犯罪者を追うやら特殊任務につくやらよりもずっと、気を遣う。カーディリュクスは気合を入れなおして、ネフィリムの方を向いた。
「すぐ、終わりにしてくださいよ?」
「わかってる」
 そうして2人は距離を取りつつ動き始める。それをアルフォリスは至極真剣な眼差しで見ている。その横に、パールフェリカの傍らに居たエステリオがやって来た。
「アルフ兄さん、戻ってたんですね」
 ネフィリムの護衛として日々走り回っているアルフォリスは、エステリオの実の兄である。今朝ネフィリムの命令でサルア・ウェティスに飛び、夜までに戻るよう言われていたが、ついさっき帰ってきたのだ。この男は常に、ネフィリムの期待以上の仕事をする。その分、無茶もするが。
「ん。ああ。エステル、近い内に“事”がある。リディはまだ動けないのか? あの駿馬が居てくれると助かるんだがなぁ」
 “駿馬”とはリディクディの唯一の召喚獣、聖《セント》ペガサスを指している。
 答えつつもアルフォリスの視界には、ネフィリムがある。
「“事”? リディは今頃、許婚のお見舞いを受けて幸せ一杯ですよ、きっと」
 リディクディはリヴァイアサン騒動の折の怪我で療養中だ。エステリオもまた、自分の護衛対象であるパールフェリカから目を離すことはない。
「そう言うならお前もさっさと相手を探せばいいだろうに」
「兄さんより先に動くつもりないって何回言わせるの。それに、私は仕事の方が楽しい」
 そこでアルフォリスは一度妹を見て笑う。
「俺も」
 エステリオは口角を上げ、にまっと笑った。アルフォリスはすぐに表情を引き締める。お仕事モードだ。
「姫から目を離すなよ。必ずお護りしろ」
「ええ。当然です」
 同じく厳しい目つきに戻ったエステリオは応え、再び先程まで居た、最も護りやすい位置へと戻った。
 その時、準備室で両手の布を外し、汗を拭いてきたシュナヴィッツが訓練場に再び出て来て、ミラノにしがみついているパールフェリカを見てぎょっとしたのだった。
「──あら」
「え?」
 ミラノの声に、すんすん鼻を鳴らしていたパールフェリカは、やっと離れる。ミラノは左手上方を見上げている。小鳥サイズのフェニックスが訓練場の上をすいと旋回し、降りてくる。
 それに合わせ、ネフィリムとカーディリュクスが大きく離れた。
 ネフィリムは布を巻いた拳を掲げ、フェニックスを受け入れた。両者は顔を見合わせてすぐ、3階渡り廊下を見上げた。
 プロフェイブの王子、エルトアニティとキリトアーノが渡り廊下の柵を乗り越え、舞い降りてくる。彼らの外套は風をはらみ、ばさばさと揺れた。落下の速度ではなく、ゆるやかに、降りて来る。
「手前、赤髪のお方、大国プロフェイブ第一位王位継承者エルトアニティ様。奥、銅色の髪のお方、第三位王位継承者キリトアーノ様。姿形を見せてはいませんが、彼らはエルトアニティ様の召喚獣ワキンヤンの力で降りて来ています」
 エステリオがパールフェリカに耳打ちをした。それは必然、ミラノにも聞こえた。
「わきんやん?」
「“雷帝”──稲妻と風を操る巨鳥。プロフェイブでは“炎帝”に遅れをとってはいないと言われています。とても強力な、唯一の召喚獣です」
 エステリオはさっと半歩後ろ下がった。
 パールフェリカも、そっとミラノから体を離す。
 ミラノはちょっとだけ痛くなった背中を二度程さすって、姿勢を正した。
 地面に降り立った2人は、ゆるやかにネフィリムらに近付く。巻き起こっていた風は、瞬く間に消え去る。
 弟王子キリトアーノはちらりと兄王子エルトアニティを見た後、両手を腰の高さまで上げてネフィリムにさらに近寄る。
「回廊から拝見しておりました。さすがネフィリム殿下。お強いですね、僕にもぜひ稽古を付けてください」
 それを見たシュナヴィッツが亜麻色の髪を揺らし足早に歩み寄ると、ネフィリムの横に立つ。
「兄上はお疲れでしょう。僕が」
 アルフォリスも位置を少し変え、ネフィリムの近くへと移動した。
 それらを見計らい、エルトアニティはすすっと、パールフェリカとミラノの居る方へ移動した。
「パールフェリカ姫、ですかな?」
「はい、パールフェリカでございます。今日おいでになると伺っておりました。エルトアニティ殿下でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります」
 パールフェリカは頭を下げて言い、締めにはにっこりと笑みを見せ付けた。その笑顔にエルトアニティもまた微笑を返す。
「母君によく似てきていらっしゃいますね」
「母をご存知なのですか?」
「ええ、幼い頃、直接お話させて頂いた事がありますよ。とても美しく、賢い方でいらっしゃいました」
 自分は話した事が無いものの、母親を褒められ、パールフェリカは本心から嬉しそうに微笑み、照れて下を向いた。
 エルトアニティはミラノに視線を移す。
「先程、お会いしましたね」
 言葉と同時にエルトアニティはミラノに一気に詰め寄ると、彼女の顎に手を伸ばし、顔を近づけた。
「ええぇっ!!!???」
 ドでかい声を上げたのはパールフェリカである。顔を真っ赤にして、0距離のエルトアニティとミラノを見上げている。
 その声に、ネフィリムもシュナヴィッツも、全員がそちらを向いた。
 パールフェリカは口に両手をあてて息を飲んで見上げている。
 エステリオも、その狼藉が大国プロフェイブ第一位王位継承者のものなので、手を出すことができない。
 エルトアニティは言い訳をちゃんと用意している。后候補であると紹介されていなかったから、と言うつもりだ。
 ──が。
 エルトアニティはミラノの顎を、置いた指でなぞりながら、そっと離し、一歩退いた。
 自身の指3本を唇に乗せたミラノの、無表情が顕《あらわ》になる。
 突然の事ではあったが、しっかりとガードしていたミラノを、パールフェリカは目をぱちくりとさせて見上げている。
 ミラノはゆっくりと、口に当てていた手を顎まで下ろし、瞼を半分閉じて少しだけ目を泳がせている。考え、すぐにエルトアニティを見上げる。
 ──パールフェリカらに迷惑をかけてはいけない。
「失礼でしたら、お詫び致します。申し訳ありません。私は、初対面で口付けをする地域の出身ではありませんので、驚いてしまって……」
 驚いたという表情でエルトアニティを阻止したようには見えないが、相変わらずの無表情かつ淡々とした声で、いけしゃあしゃあと言った。
 向こうでシュナヴィッツが『プロフェイブにだってそんな習慣ないだろうが!』と無言でピキピキと青筋を立てている。
 エルトアニティは目を細めて微笑む。
「そうか、いや、それはこちらが失礼をした。貴女があまりに魅力的なもので」
 エルトアニティは顎を引いて、ちらりとネフィリムの反応を見る。
 それに気付いて、ネフィリムは一度ゆっくり瞬くと、エルトアニティの傍へと歩み寄った。
「エルトアニティ王子。我が召喚古王国ガミカにてそのような振る舞いはおやめください。ガミカの女は皆貞淑、ただ一人の伴侶に全てを捧げるよう教育されております。本意ではない相手からそのような行為を受け、自ら命を絶つ者もおります」
「いや、そんなつもりは無かった。配慮が足りず、申し訳なかった。次はもう無いので、許して欲しい」
「おわかり頂けたのでしたら、それで結構です」
 どうせ許すしかない。エルトアニティは大国の時期国王、方やミラノはこちらの王族でも無い。現在の格好は高貴に見える“人”の姿だが、貴族ですら──人間であるかどうかさえ、怪しい。彼女はパールフェリカの召喚獣なのだ。
 エルトアニティはネフィリムから視線を逸らし、じっとミラノを見つめた。
 ミラノは二度すばやく瞬いて、すぐに視線を逸らす。地面へと移した目線をどうしたものかとネフィリムへ向ける。だがその視界にエルトアニティの右手がそっと、割り込んでくる。
 一定の警戒が必要な相手と判断したミラノは、その手を見た。エルトアニティはその手を自分の胸へ当てる。自然、ミラノの視線はエルトアニティへ移動する。そうして、目が合う。
「あまりに、素敵な女性なので」
 エルトアニティはミラノに微笑を投げる。顔だけをネフィリムに、視線をミラノへ向けたままエルトアニティは言っている。
「プロフェイブへお招きする事は、できないだろうか」
 ネフィリムは、不快を面には出さず答える。
「……この女性《ひと》はパールフェリカの客人です。パール?」
「え?」
 突然話を振られ、パールフェリカは両頬にある手を下ろした。
「エルトアニティ王子は、彼女をプロフェイブへ連れて帰りたいそうだが?」
「ええ?? えーーーーーっ!!??」
 パールフェリカは顔を真っ赤にしたまま絶叫した。足を大きく開いてミラノの前に入り、エルトアニティを見上げた。
「何をおっしゃってるんですか??」
「姫をお迎えしたものかとラナマルカ王とはお話をさせて頂いていたのですが、私は27、姫は13におなりになったばかり。年の差もありますから、どうしたものかと決めあぐねていたのです」
「……へ? え? ネフィにいさま、エルトアニティ王子様は何をおっしゃってるんですか??」
「……………………パール。これだけ答えなさい。エルトアニティ王子は、ミラノをプロフェイブに連れて帰っても良いかとお尋ねだ」
 一瞬、パールフェリカはポカンとした後、じわじわと真顔になる。同時に紅潮した頬も普段のものに戻る。
 口を引き結んで、エルトアニティを見上げた。
「ミラノは誰にも渡しません!! エルトアニティ王子様にももちろんお渡し出来ません。 とうさまにだって……──例え、神様にだって!!」
 強い語調で言って、パールフェリカはミラノにがしっと抱きついて見せた。顔は、エルトアニティに向けている。ミラノは両腕まとめて抱きつかれて身動きが取れないまま、パールフェリカを静かに見下ろす。
 ネフィリムは肩を緩くすくめる素振りをした後、エルトアニティに言う。
「お断り致します」
 エルトアニティもまた肩をすくめた。
 ──后候補かどうか、これではわからないな。
「とても残念ですが、仕方ありませんね」
 その言葉尻に重ねるように、ざりっと地面を強く踏む音が聞こえる。
 布を巻いていない両の拳を2,3度握り、具合を確かめた後、シュナヴィッツはキリトアーノを見た。
「では、キリトアーノ王子、軽く手合わせ願います」
「え? あれ? ──なんか顔怖くなってませんか? シュナヴィッツ王子?」
 そして、服の下でほんのり痣になる程度にキリトアーノ王子は、八つ当たりとして、無理矢理稽古をつけられたのだった。
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