召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【3rd】BECOME HAPPY!

プロローグ~ネフィリム~

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プロローグ

 私達の母上の名はシルクリティという。
 13年前に亡くなった。
 私が12の時だ。

 母上がパールフェリカを生んで、3ヶ月ほど経ったある日。明け方の薄暗い寝室に、私がこっそりと忍んで行った時の事。
 乏しい灯りで、母上の顔色は普段よりますます青白く見えた。今のパールフェリカを大人にしても似ているか判断しにくい、それ程やせ細っていた。元気だった頃の母上と、パールフェリカは本当によく似ているのだが。
 母上はベッドの上で私に言う。
「ネフィリム、ごめんなさいね」
 困ったように、微笑う母上。
 私はベッドの淵に腰を下ろしていた。母上は腰の下辺りから柔らかい枕を重ね、少しだけ上半身を起こしている。私が、見下ろしている形だ。
 母上は少しだけ首を傾げるように、私を見上げる。
「あなたには、重いものばかり、残してしまうのかもしれないわ」
「──なぜ、そう思われるのですか?」
 そう問うと、母上はふふっと嬉しそうに笑った。
「あの人は──陛下はとても強そうに見えて、一人では立てない方。護るべき者の囁きで、立ち上がる方。この子は──」
 そう言って母上にしがみついて眠る、幼いシュナヴィッツを見た。サラサラした髪がシーツに流れている。シュナもこっそりとここへ来ていたようだ。
「そういう所が似てしまって、とても寂しがり屋。パールは、どんな子になるのかしら……まだまだ赤ちゃんだもの……──あなたは、見かけは陛下にとてもそっくりだけれど、性格は、きっと私そっくりだわ。眼差しが、よく似ているわ──きっと、私と同じ物の見方をしている。私を失った後のこの3人を、放っておけるわけがない……」
 目を弓形にして微笑んだままの母上を、私はじっと見る。母上は……。
「──母上はもう、覚悟なさっておいでか」
 母上は私の髪を、細い細い指で撫ぜた。一度だけ驚いたように瞬いて、すぐに微笑み、はっきりと唇を動かした。
「覚悟、しています」
 どきりとする。こちらが痛い。
 母上は私の頭の後ろに手をまわし、ぐいと引き寄せた。私の視界は、母上の細い首筋と肩と、ほんのりと光放つ白い寝着の間から見える、背中。
「あなたにばかり、重いかもしれません」
 母上の柔らかな栗色の髪が、私と母上の間にさらりとこぼれた。母上の頭もまた私の首から後ろにある。顎を私の背中の方へと摺り寄せた為だ。
 私の視線は、母上の細い首。ゆっくりと。私は横から見上げる、顎の辺りから、母上の、深い蒼の瞳を。
「──なぜ、そう思われるのですか?」
 母上の目は、うすく笑みを浮かべて、しかし瞳は潤み、涙が……。
 それはあまりに近い場所で、母上の頬ではなく、私の頬へと伝う。温かな吐息が何度か髪を揺らした。
「あなたは、私に似てるもの」
 言葉の振動も、口の動きも肌から肌に伝わる。
「真実と見つけた現実を、引き寄せるわ。心偽ろうとも。大切なものに気付いてしまったら、命も惜しまないわ、きっと」
「……母上は、それを重いと思われているのですか?」
 私の声も、母上の頬を伝う。母上は「いいえ」とゆっくりと首を横に小さく振った。それで、母上の涙がいくつかまとまって私の頬に落ちた。
 ──大丈夫です。
 私は耐えかね微笑む。母上の瞳を見て、真っ直ぐと声を発す。
「そうですか、ではやはり私は母上の仰る通り、母上に似ているのでしょうね。大切だと思えたら、私だって重さを感じませんよ?」
 私の気持ちが、伝わりますか? 母上。
 母上は一瞬表情を消して緩やかに笑みを浮かべるも、その弓形の目からは涙が止め処なく溢れ出す。それは私の頬へと流れ来る。
「あなたが、幸せである事を、心から、祈っています」
 震える母上の唇は、薄い色をしている。儚げな──。
 私はやはり笑って見せる。
「……母上が残してくださる父上や、シュナ、パールが居るのです。幸せになれないわけがありません」
 母上の──止まらない涙、心からの笑み、切なる祈り。
 私はそれを静かに、浴びる。
 ──母上が祈るのです。
 私が、幸せを掴みに行かないわけがないんです。
 だから、私が幸せを掴めないわけがないんです。

 翌日、容態の悪化。
 仕事で忙しい父は時折訪れ、シュナとパールは乳母に引き離され別室へ。
 翌々日、母上は眠るように……──。

 私だけ、母上のベッドの横から動かなかった。
 皆の分は、私が──見届けます。

 兄弟で、私が一番母上と一緒に居ましたから。
 私が一番、母上のお話を伺いましたから。
 母上を知っていますから。
 伝えますから。
 ──母上、貴女の代わりに、護りますから。


 だが、未だに、わからない。
 仕方が無い。
 だから、そのまま振舞っている。
 パールは、シュナは、父上は、幸せでいてくれているだろうか。
 時々不安で、顔を見せては笑って誤魔化す私に、気付いたりはしていないだろうか。
 ──結局、幸せが何かなどわからずにいる私に、気付いたりはしていないだろうか。

 そして、その目にドキリとするから、私は無理矢理笑いを作る。
 彼女の眼差しは、多くを見ている。見抜いてくる。それがわかる。
 だから、それから逃れる為に、話を逸らすように私は笑っている。
 まるで母上に、問い質されているような気に、なるから──。


 名称未定のモンスター組織“赤と黒の鎧”と繋がりがあると思しき“飛槍”の主力部隊がガミカから移動した、はずであったのにサルア・ウェティス側で掴める情報が無かった。まだ王都周辺でうろついている可能性が高かった為、護衛のアルフォリスだけを伴って王城エストルクへ戻る。
 すぐにユニコーンに乗ったままのパールが城下へ下り、行方不明になった事、エステリオ、シュナとミラノが先に捜索に出たという話を聞く。昼頃だ。
 シュナが街に下りているのならば私まで行く必要は無い。こちら側から出来るフォローをするまで。
 王都警備隊一番隊隊長とは懇意にしている。直接話してパール捜索に回らせた。
 この一番隊隊長カーディリュクスは有能かつ裏表の無い、一本気ではあるが、面白い男だ。逆境を楽しむ点も良い。三番隊から以下六番隊までの隊がワイバーン襲撃による疲弊で普段どおり動けずに居るが、カーディリュクスならばどれだけ忙しくともパール捜索を優先しつつ、職務もこなすだろう。
 緊急に、謁見の間で父上とキサス宰相、クロード大将軍と私の4人で会議を済ませた時には、もう夕刻が近かった。
 一人廊下を歩いているとフルアーマーではなく軽装のアルフォリスが腰に佩いた刀をがちゃがちゃ鳴らして駆けて来る。これは私の護衛騎士という事になっているが、実際は……。
「殿下! こちらにおいででしたか」
「ああ、アルフ……」
「パール姫とシュナ殿下、お2人とも健康状態に特に問題は無いそうです。パール姫は疲労、シュナ殿下の怪我は軽いようですが数があって、トエド医師がお説教中です。……ユニコーンは残念ながら……──」
 既に先ほど父上らと話した際に上がっていた情報だ。ここで既に聞いたとは言わない。同じ情報も、複数の人間から聞く事を私は軽んじていない。
「そうか。2人が無事なら良い。ユニコーンには……墓を。場所はゼーティスに預ける、ユニコーンに相応しい場所に建てるよう言え。キサスに伝えてもいいが、あれはこれから多忙だ、どうせゼーティスに回るだろう。──角は、私の部屋へ。“飛槍”拠点の処理はカーディリュクスにそのまま任せる……いや、いい。あいつの所へは私が後で行く」
 ゼーティスは副宰相の地位にある男、城の雑務が大好物なので、こういった細かい仕事は喜んでする。逆に宰相のキサスなどは大きな仕事がしたいと声高に言うタイプだ。
 会議中に上がった報告では、カーディリュクスは、ティアマトとエステリオがシュナとパールの位置を掴み、共にガミカにおける“飛槍”の拠点を発見したという。細かい話が聞きたい。
「…………」
 考え込んでいると、アルフォリスが声を潜める。
「──どうか、なさいましたか?」
「……面倒に面倒が重なった。シュナはしばらく城の留める、怪我をちゃんと回復させる。これは父上の命だ。シュナの代わりに私がサルア・ウェティスに赴いていたが、これを他の者を任せる事になった。その者はクロードが決め、手配する。私は城に残る。アルフ、一度にウェティスへ飛べ。レザード、スティラード、ブレゼノ──。最も足の早い聖《セント》ペガサスに次ぐお前のヒポグリフで飛び、全員戻るよう伝え、お前とブレゼノは先に戻れ。スティラードはクロードの決めた者が来るまで留まるよう伝えてくれ。今夜中には戻れるな?」
 アルフォリスとレザードは私の、ブレゼノとスティラードはシュナの護衛騎士。なのだが、実際は……護衛と言いながら手足の如く使ってしまっている。有能な者が傍に居るというのはありがたいが、雑用ばかりさせて申し訳ないと思う。出来ない事の方が少ないせいか色々押し付けてしまう。
 レザードの召喚獣は足が遅い。アルフォリスとブレゼノだけでも先に戻したい。
「戻れます。……何か、ございましたか?」
 どうやら、普段から何かしら命令を下す際でも、冗談を交える事の多い私の様子に勘付いたようだ。にやりと笑みがこぼれてしまう。だがそれもすぐにおさめる。
「万が一にと見張らせていたのだが……。クーニッドの大岩が光ったという急使があった。また、神の召喚だ……。ミラノが還してくれると助かるんだが、確実でない力にばかり頼るのはいけない」
「神の……! はい。それで面倒が重なったと?」
「かねてからこちらへ来ると煩かったプロフェイブの王子達が、この間のリヴァイアサン襲来時に援軍を送り付けてきた連中だが、また恩を売りにきたか、厄介事を持ってきたか──わざわざ忙しい時を狙って遊びに来て下さるそうだ」
 語尾にわずらわしさがのってしまう。プロフェイブの王子にしろ王女にしろ、あまり好きになれない。が、相手はする。
 この為に私はウェティスに行けなくなったのだが。
「ははぁ……こちらの様子見ですね。王都へのワイバーン大量襲撃とリヴァイアサン撃退。その報が動かしてしまいましたか」
「そうなるな……。パールの召喚獣は隠さないと、妙な方向に話が動きそうだ……」
 小さく息を吐いて、束ねて前に流していた髪を後ろへ跳ねた。
「……なんとでも、するがな」
 歩き始める私の横につくアルフォリス。
「殿下はどちらに?」
「2人を見舞ってカーディに会ってくる。何もなければあとは部屋にいる。……アルフ、雑用が多くて悪いな」
 顔を見て言うと、彼は途端に破顔した。
「いつもの事じゃないですか。ゼーティス様ほどではありませんが、あなたの役に立つのであれば雑用だろうが汚れだろうが大歓迎ですよ」
 ありがたい事を言ってくれる。つい口元が綻ぶ。
 アルフォリスは足を止めた。
「では、私はその用を済ませ、サルア・ウェティスへ向かいます」
「ああ、頼む」
 駆けていく後姿を見送って、私も足早に立ち去る。


 私に出来る事なら、そう、なんとでもする。
 母上、あなたの言う通り、私は、求める現実を、引き寄せる。
 大切なものを護る事に、命も惜しまない。
 その、幸せの為ならば。
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