召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【2nd】 ─ RANBU of blood ─

”みーちゃん”の手

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(1)
 ネフィリムが一しきり笑い終えたのを見て──ラナマルカ王もシュナヴィッツを傷つけない程度に笑っていたのだが──口を開く。
「ところでネフィリム、サルア・ウェティスの件だが──」
「はー……面白かった──。はい。私が行きますよ」
「え!?」
 目尻を乱暴に拭いながら笑いをおさめるネフィリムに、シュナヴィッツが顔を向けた。
「ん? なんだ? シュナ、行きたいのか? その怪我で?」
 ネフィリムがシュナヴィッツの左胸の上辺りを右手の甲でぽんと軽く押した。シュナヴィッツは少し下がって顔を一瞬だけしかめた。どうやら服の下も包帯で巻かれているようだ。
「……いえ、僕の怪我は大した事ありません。だから──」
「シュナにいさまの大した事ない怪我って当てにならないのよね? あのワイバーンの怪我? だって、毒? で死にそうだったんでしょう? サリアに聞いたんだから! “私の”ミラノが居なかったら、にいさま死んじゃってたって!」
 パールフェリカは“私の”を殊更強調した。サリアはパールフェリカのお気に入りの歳の近い侍女である。
 ミラノにたしなめられてパールフェリカは、ユニコーンの背に戻っている。体をその首に預け、だらーんと手足を垂れ下げたまま、非常にリラックスした状態で言った。
「……──」
 ミラノが発見してくれてさっさと治療していなかったら、確かに毒で死んでいたのは事実なので、シュナヴィッツは押し黙るしかない。
「ネフィリム、サルア・ウェティスは頼む」
「はい、あれだけの事がありましたからね、モンスター共も様子見でしばらくは来ないでしょう。物資の運搬に少し時間が──」
 と、先ほどまであれほど爆笑していたネフィリムとは別人のように仕事モードに入っている。そうなると、パールフェリカもシュナヴィッツも間には入れない。
「──怪我、酷いのですか?」
 ふと出来た間に、“うさぎのぬいぐるみ”がシュナヴィッツを見上げている。
 ミラノはワイバーンから受けた毒の傷を実際に見ている。他に怪我が増えていそうなのは見てわかる。
「え……いや、大した事はない」
「──それで、休まずに仕事をしようとしていたんですか?」
「大した怪我じゃないから問題ない」
「──私はよく知りませんが、こちらの皆さんも体が資本でしょう? 具合が悪いならしっかり休むべきだと思います、無駄に鞭打ったところで将来、体の寿命が縮むだけです。大した怪我ではないと、見栄をはる必要のない相手にそうする意味は無いと思いますが? あなたの怪我の状態は、きっとそこのお二人には医師の方から伝わっているでしょうし」
 “うさぎのぬいぐるみ”が相も変わらず淡々とそう言うと、シュナヴィッツは黙って、間を空けて低い声で言う。
「……それで、僕はミラノに何て言えばいいんだ? 謝るのか?」
 ややムッとしている。ミラノは小さく息を詰まらせた後。
「……いいえ、私の方が失礼をしました。すいません」
 “うさぎのぬいぐるみ”が小さく首を下げ、謝った。シュナヴィッツは若いのだし、小うるさい言い回しで気を悪くしたのだろう、そう思ってミラノは謝ったが、内容を訂正するつもりは無かった。
「──まぁまぁ、シュナは男の子だもんな!」
 ニヤリと笑ったネフィリムが間に入った。王との話もいつの間にやら終わっていたらしい。
「兄上、“男の子”ってなんです、僕は──」
 シュナヴィッツをネフィリムは遮るように口を開く。
「シュナは、そんなにサルア・ウェティスが気になるか? 私が行くのでは、問題があるかな?」
「いえ……兄上が行ってくれるのであれば僕が行くよりずっと良い結果になると思いますが……ただ、少し、頭を冷やしたくて──」
「……頭を、冷やす──?」
 ネフィリムは呟くように言った後、シュナヴィッツの首にぎゅっと抱きついた。自然、ネフィリムはシュナヴィッツの後ろにいる“うさぎのぬいぐるみ”と目があう。ネフィリムの目はニヤニヤとしている。
 赤い目とその蒼い目があう。ネフィリムの目はますますにや~と弧を描く。そもそも笑っているのを隠す為に抱きついているらしい。
 笑いを堪えようとしてニヤリとする蒼い目を見て、ミラノも気付いた。顔を背けた。
 何から頭を冷やすのか、察しが付いたから。
 ネフィリムはシュナヴィッツの背をぽんぽんと軽く叩いて、体を離した。顔は真顔に戻っている。
「ともかく、休んでいたらいい。私は無傷だからな。3ヶ月ずっとあっちに詰めていたんだから、たまの休暇だと思いなさい。怪我が治ってから、また頑張ってくれたら私は嬉しい」
「──はい」
 シュナヴィッツの返事を確認すると、ネフィリムは“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろした。
「ミラノ」
「はい?」
「図書院へ連れて行くと約束していたと思うが──」
 ワイバーン襲撃の前の話である。
「ぜひ、お願いします」
 “うさぎのぬいぐるみ”は一度頷いて、感情の無い声で返事をした。その返事にネフィリムも小さく頷いた。
「では、父上、失礼致します。サルア・ウェティスへ発つ前にまた伺います」
「わかった」
 ネフィリムは王にそう挨拶をすると“うさぎのぬいぐるみ”をひょいと小脇に抱えてキビキビと扉へ歩き出した。
「あ──。とうさま、私も失礼します! ──ネフィにいさま! “みーちゃん”返して!」
 パールフェリカは馬上から父に礼をして、ネフィリムをそのまま追いかける。横にはユニコーンに綱を付けた少女が付き添う。
「父上、僕も失礼します」
「ああ、充分静養するのだぞ?」
「──はい」


 廊下に出たところで、ネフィリムが足を止めた。
「パールは、そろそろ勉強の時間じゃないか?」
「──え……」
「はい、ネフィリム様のおっしゃる通りです。さぁパール様、お部屋へ戻りましょう。もうスーリヤ先生がおいでのはずです」
 よくぞ仰って下さったと言わんばかりに、この兄弟に唯一付き添っていた護衛騎士エステリオが言った。ネフィリムとシュナヴィッツの護衛騎士は4人ともサルア・ウェティスに残っている。護衛の意味を微塵も成していないが、護衛される方は全く気にしていない……護衛する側は毎度反対をするのだが、それも最早形だけになりつつある。
「い、いやよ……私もミラノと……」
 小さな声で抵抗するパールフェリカをよそに、ネフィリムは彼女の乗ったユニコーンを引く少女の横に立ち、“女”という性別であれば絶対に拒否出来ない笑顔で、パールフェリカの部屋の方へ促した。
 ネフィリムとうさぎ、シュナヴィッツから離されていくパールフェリカは馬上から「えぇ~ーー……」と文句をこぼしながらも、ユニコーンから飛び降りてこちらへ来るという事は無く、大人しく部屋へ帰ったのだった。


(2)
 パールフェリカらを見送ってから、ネフィリムが大きく一歩を踏み出して、キビキビと足早に歩き始める。シュナヴィッツはそのほぼ真横──靴一足分だけ後ろ──を付いていく。二人とも歩幅があるので早い。
 廊下は彼らだけのものでは無いので、すれ違う侍女や衛兵が慌てて道を空けて敬礼をする。それらに目もくれず、二人は歩く。
「私が行くまで、スティラードは大丈夫かな?」
 スティラードとは、パールフェリカの誕生式典の時もサルア・ウェティスに残って詰めていたシュナヴィッツの護衛騎士である。今も、シュナヴィッツの護衛騎士スティラードとブレゼノ、さらにネフィリムの護衛騎士アルフォリスとレザードはサルア・ウェティスに居る。
「大丈夫でしょう。彼は元々兄上の護衛騎士じゃないですか──適任だと思いますよ。ずっとサルア・ウェティスに棲み付いているようなものですし」
「事戦いに関して心配はしないんだが、事務処理が苦手だろう? 今更計算の勉強などしたくないと体鍛えながらふてぶてしく言うヤツだからな。今回はどちらかと言えばそういった事務仕事が多そうなんだが」
 サルア・ウェティスでのネフィリムの第一の仕事は、復旧である。砦の再建の日程に人工、振り分け、物資手配、実際の労働者の受け入れ、物資の搬入から何から計画書は出させても、妥当か判断し指揮しなくてはならない。作業が終わっても報酬裁量が待っている。体を使う事は、稀だ。
「ああ……そうですね。先ほどクロードと会いましたが、それでサルア・ウェティスに行きたく無さそうだったのか」
 クロードは、この国の軍部最高責任者で大将軍である。ただし、飛翔系召喚獣ではないので王都に詰めている事が多い。そうでありながら彼も、体を動かしている方がマシ、というタイプである。ワイバーン襲撃の際、地上の指揮を執っていたのは実はこの大将軍である。
「──クロードめ。“サルア・ウェティスは殿下を待っておりますぞ。王都は、私めにお任せ下さい”とかぬかしていた。あれも頭脳労働を怠けすぎだ」
 眉間に皺は寄っているが目は笑っている。大将軍クロードは王だけでなくネフィリムとも軽口を叩ける仲なのだ。
「兄上は、今日にも発たれるのですか?」
「ああ。絶対今日発つ」
「?」
「今夜、延期していた国内の貴族を招いてのパールの召喚披露パーティがある」
「あぁ──……僕もサルア・ウェティスに行きたい……」
 力なくシュナヴィッツが言うとネフィリムは笑った。
「たまにはちゃんと皆に顔を見せておけ。忘れられるぞ?」
 忘れられている方が楽です、とシュナヴィッツは小さく呟いた。
「兄上だって──」
 ネフィリムは晴れやかに笑う。
「私はずっと王都に居るじゃないか。たまには私も解放されたいのさ。今回はシュナが頑張れ」
 シュナヴィッツはしばし思案する。ネフィリムは基本的に“嫌がる”という素振りを誰にも見せない。それが開放されたいと言う。
「……アンジェリカ姫も来られるので?」
「ああ。全く、彼女も懲りない。というよりも、見えていないのだろうな。色々と」
「アンジェリカ姫も、大人になれば変わると思っていたのですが」
 シュナヴィッツは20歳、アンジェリカ姫は21歳である。年上相手に言う台詞では無いが、1歳差というせいでその意識も薄れている。
「私だってそれなりに期待をしたが。王妃には血筋だって重要だからな。だがあれではダメだ、私は“恋する女の子”という女性には用が無いんだ。いずれ、プロフェイブの王には直接話す。話のわからない方ではないし、私の言を軽く受け止めはしないだろう」
 はっきり言い切って、ネフィリムは足を緩めなかった。一瞬足を止めかけたシュナヴィッツは慌てて追う。
 ラナマルカ王に、兄がさっさと結婚してくれればと言いはしたが、シュナヴィッツだって彼が望まぬ相手と結ばれる事は嬉しくない。ガミカ国には大国プロフェイブと違って後宮はない、王妃選びは慎重にもなるのだ。
 プロフェイブの王は確かに大国の王として、筋の通った人物、召喚士としても、この世界で唯一実力逼迫するネフィリムを、ガミカの王となる者の言葉を無碍にはしないだろう。
「とはいえ、まだ時ではないし、はっきり断るなら代わりの相手を見せ付けないとなぁ」
 ネフィリムはぼやくように言って先を歩いたのだった。
 角をくるっと曲がると、小脇に抱えられていた“うさぎのぬいぐるみ”の耳がぺこっと折れ曲がった後、ぺふっぺふっと壁をバウンドして、また風を切る。
 ──兄上、あれがミラノだって忘れてるな……。
 また“うさぎのぬいぐるみ”の力ぬ抜け具合も、本物のぬいぐるみを思わせる、シュナヴィッツは何とも言いがたい、妙な感じがしたのだった。


 王立図書院は、国の蔵書を全て管理している機関だ。施設自体は城の中にある。城の中の位置としては、謁見の間よりも奥にある。一番奥の、地下。
 歩くのが早い二人でも、城の中の構造は入り組み、階段はずっと続かないし、行き止まりも多いせいで時間がかかった。通路を熟知している二人が近道を選んでも10分近くかかってしまう。
 地下と言っても暗いという事は無い。城には元々窓は少ない。どこの廊下でも、自然発光する石材が用いられているので、煌々ととは言えないが、十分に明るかった。
 王立図書院には、召喚古王国の長い歴史を綴った書物から、召喚獣や召喚霊に関する資料が山と積まれている。国内外からこれの閲覧許可を求める声は絶えない。国外の者が閲覧を希望する場合はまず、自国の王に認められ、紹介状を書かせられるだけの実力者にならなければならない。その上で、その国とガミカ国の関係が関わってくる。国内の者の閲覧はそれに比べれば容易とはいえ、国内には教育を司り、実施する学院がいくつかあるのだが、そこで優秀な成績を修めた者で、図書院が行う試験に合格できる者しか出入り出来ない。そういう場所に、ネフィリムなどは幼い頃から入り浸っていた。ネフィリムが目を通していない召喚獣や召喚霊に関する書物などほとんど無いほど。
 図書院への入り口の、搬入に容易な大きな両開きの扉をネフィリムは押し開けた。
「──フラースは居るか」
 廊下と入り口は似たようなものばかりだが、内装の大小は異なる場合が多い。この図書院も、例に漏れず、入り口はパールフェリカの部屋と大きくは違わないのだが、1フロアで100畳はある。6畳間が16並んだ広さだ。そこに背の低い、せいぜい3段程度の本棚が並んでいる。壁には扉があり、このようなフロアがいくつか連なっている。また、さらに地下にもまだ続く。それらは全て、この部屋を通らねば進めない作りになっている。入り口から入ってすぐ、左手に間仕切りで区切られた小室がある。20畳分はこれである。6人程、仕立ての良い、白を基調とした貫頭衣を着た男女がに居る。頭には角《かど》が二つある、ベレー帽に似た青のラインの入った白の帽子を被っている。
 ネフィリムとシュナヴィッツの登場に、図書院に居た全ての人が気づき、皆右手を折り曲げ胸元へ当て、敬礼をする。入り口から見えるだけで2、30名は居る。年若い10代の学生風から6、70の知的な老貴族などだ。
 間仕切りの奥から、白髪交じりの赤毛の男が出てきた。帽子を握るように掴んで外し、それをもそもそと胸元へ畳み込みながら、彼は鼻に乗っけた丸い眼鏡の奥の目を細めた。
「ネフィリム様、本日はお越しの予定でしたかな」
 彼がフラースである。40代半ばの男で、ネフィリムがこの図書院に頻繁に出入りしていた時代から職員として勤めている。言わば顔見知りで、ネフィリムからすると、唯一召喚獣、霊に関する知識を同水準で共有できる友である。
「奥で話がしたい」
 ネフィリムがそう告げると、フラースはどうぞ、とパーティションの中に案内する。シュナヴィッツも後に続く。ネフィリムらの姿が見えなくなると、図書院にはホッと吐き出される息がはっきり聞こえる程いくつか上がった。突然の王族の来訪に緊張していた空気が、解けたのだ。

 パーティションで囲われた職員の机の間には、貸し出し、返却処理中の書籍、彼らが書記する新しい書類が山のように積まれている。その間を抜けると、この間仕切り内からのみ通じる扉がある。その奥にフラースはネフィリムと“うさぎのぬいぐるみ”、シュナヴィッツを通した。
 部屋は、真ん中に机があるだけの8畳間程度。
 フラースが扉を閉めると、ネフィリムはその机に“うさぎのぬいぐるみ”を立たせた。
 ──取調べ室みたいね。
 ミラノは心の内でそう呟く。お世話になった事が無いので、ドラマや想像上の、であるが。
 そして、扉を閉めてこちらを振り返ったフラースがしっかりと2本の足で立つ“うさぎのぬいぐるみ”を見てぎょっとしたのだった。猫背で曲がった背中がデフォルトのフラースの背筋がぴんとした。
 ネフィリムはにまっと笑って、しかし何も言わず、“うさぎのぬいぐるみ”を見る。
 “うさぎのぬいぐるみ”の首が少しだけ左右に振れる。そして、赤い目をフラースへ真っ直ぐ向けた。
「……はじめまして。ヤマシタミラノと申します」
 “うさぎのぬいぐるみ”は名乗った。
「………………──」
 フラースは絶句している。それを見て、ネフィリムは満足そうに微笑んでいる。
「あぁ、これはミラノに感謝だな。フラースのこれ程驚いた顔、初めてだ」
「い、い、いえ……で、殿下……! こ、こ、これ……パール姫様のぬいぐるみ、ですよね??」
 見事に声を震わせて、背筋を伸ばしたままフラースは言う。
 机には椅子が対面で1つずつある。奥側にネフィリムは腰を下ろし、正面、扉側の椅子をフラースを勧めた。シュナヴィッツはネフィリムのやや後ろに立っている。
 フラースがもそもそと座ると、男二人に見上げられる形になったミラノは、いくら“うさぎのぬいぐるみ”でも居心地が悪くなり、丸い手と足を駆使して、ひょいと机から飛び降りた。そのそばから、ネフィリムは“うさぎのぬいぐるみ”を捕まえ、再び机の上に座らせた。
 “うさぎのぬいぐるみ”の赤い目がじっとネフィリムを見る。“うさぎのぬいぐるみ”なので無表情にしか見えないが、人なら明らかに抗議の目である。が、彼は気にした風も無く、席に付き、机にかじりつく様にして“うさぎのぬいぐるみ”を凝視しているフラースを見た。
「どういったものかは報告がいっていないだろう? パールの召喚獣に関して」
 ネフィリムの言葉にフラースがさらに身を乗り出した。
「え!? もしやこの“うさぎのぬいぐるみ”が!? 本当ですか!? パール姫様の召喚獣!?」
「ああ、これだ」
「いえ、しかし。人語を話しましたよ!?」
「だから、まだ発表出来ないし、今夜のお披露目でも見せる事は無い」
「──新種、全く新しいモノ、そういう事ですか」
 フラースはそう言ってズレた眼鏡を直した。じわじわと猫背に戻っていく。
 ネフィリムは声を潜め、低い声で言う。
「他言無用だ」
「わかりました。──黒の魔法陣のお話は伺っております。ヤマシタミラノ……様とおっしゃいますか」
 ティアマトやフェニックスを様付けしないのに変な感じがする──そういう心の声が聞こえてきそうな、戸惑いのある声音だった。
 うさぎは一度首を傾けた後、再び机を飛び降りた。今度はネフィリムの手も伸びて来なかった。
 そして、“うさぎのぬいぐるみ”は両手を器用に組んで見せた。ぬいぐるみの状態でもモデル立ちをしているのだが、逆に滑稽な状態である。“うさぎのぬいぐるみ”もそれに気づいたのか、数秒の後、再びたるんと両手を下ろした。
「ワイバーン撃退の完璧な援護、さらに“神”の召喚獣リヴァイアサンを強制的に召喚解除した黒の魔法陣──。一体、あなたは何をなさったんです? なぜ、召喚されたモノが、召喚術を使うのです? あなたは、召喚士ですか?」
 フラースは椅子から体の向きをズラして、机の横に立つうさぎを見た。矢継ぎ早の問いに、しかし“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりと丸い顔を持ち上げ、フラースを見る。
「残念ながら、何もわかりません。協力出来る事は何一つありません。ですから、こちらの書物を見せて頂いて調べたいと、私は思っています。先ほど書棚を見ました、やはり文字が私の居た所とは違うようなので、覚えたいのですが」
「──ええっと、文字を覚えたい──でよろしいので? 少々お待ちください?」
 フラースはそう言って一度退室した。
 シュナヴィッツと“うさぎのぬいぐるみ”、周りの者がそれだけになるとネフィリムがくくくっと笑う。
「ああ、もう、傑作だ! フラースはいつも“何でも知っている、私にわからない事はありません”という顔をしてるんだ。それが、あの驚きっぷり……く、くくくっ」
 ネフィリムは、シュナヴィッツ絡みの話の時も必死で笑いを堪えていたわけだが、この場面でもそのようだったらしい。
 うさぎはポーカーフェイスの得意なネフィリムを見上げた。
「いえ、兄上、この“うさぎのぬいぐるみ”に関しては誰でも驚きますって……」
 同じ被害にあってると本人は気づいているのか気づいていないのか、シュナヴィッツはフラースをフォローしてやっている。それに対してもネフィリムは目をきゅっと細めて楽しそうである。
 だがそれも、再び扉ががちゃりと音を立てるとすっと消して、至って真面目な顔をする。
「幼児向けの絵本のようなものでも、よろしいのでしょうか」
 自信無さそうに、子供でも手に取りやすい大きさのせいぜ3、40ページ程度の本を3冊、うさぎに渡す。“うさぎのぬいぐるみ”の大きさは人で言うならば3歳児サイズなので、それでも両手を広げて本を受け取り、2冊を床に置いた。
 そして、手にした1冊をはらっと開きページを────。
 すぐに“うさぎのぬいぐるみ”はじーっとネフィリムを見上げた。
 ネフィリムは“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろしていて、既に必死で笑いを堪えている。
「──あの……ページがめくれません」
 丸いその手を見せ、“うさぎのぬいぐるみ”は淡々とした声で訴えたのだった。それを合図に、ネフィリムの笑い声が狭い部屋に響いた。


(3)
 笑い終えたネフィリムが、城下町に住むクライスラーを呼ばせて1時間が経った。クライスラーとは、この“うさぎのぬいぐるみ”を作った張本人、精緻な“人形”を作らせたらこの国で右に出る者は居ない人形師だ。
 クライスラーが到着するまでの間、王立図書院長官フラースのミラノへのヒアリングが行われていた。国内での出来事や情報を収集して記録するのが王立図書院の最大の役割で、この部屋は関係者へのヒアリングに使用される。それで、ワイバーン襲撃から“神”の召喚獣リヴァイアサンの件についてミラノからの話を聞いていたのだが、ミラノの返事は“わからない”か“知らない”のどちらかだった。
 諦めて“仕事がありますので”とフラースが下がってしばらくして、全身灰色のよれよれ庶民服で身を固めた表情の暗い男がやって来た。30前後のまだまだ若い男なのだが血色が悪く無表情のせいで老けて見える。視力はそれほど良くないのに眼鏡をかけていない。人の表情が見えないのが楽──周囲にそう明言する職人である。よれよれの大きな袋のような帽子で目元も見えない。片手には大きな鞄を持ち、背中にはさらに大きな、棺桶のような、体より大きな角ばったリュックを背負っている。修理依頼で呼んだ為だ。
 入り口でガツンガツンとぶつかりながら入ってくる──いや、入れない。隙間からあちらを覗けば、散らばった書籍や書類を拾っている職員が見えた。
「クライスラー、ここ、左よ、左がひっかかってるわ」
 クライスラーがリュックをガンガンと入り口に打ち付ける音と一緒に女の子の声がする。シュナヴィッツが扉に近付いた。
「パール?」
 リュックの間からあちらを見下ろすと、亜麻色の髪の頭がひょこっと動いた。
「あ。シュナにいさま、ちょっとリュックのこの角、持ち上げて」
 クライスラーは相変わらずガツンガツンと前へ進もうとしているだけである。
「クライスラー、ちょっと待て」
 シュナヴィッツは一度クライスラーを止めてから、横に回りこんでリュックを押し上げた。「よし」とシュナヴィッツが言うとクライスラーは先程までの勢いでガンっと足と進め──ひっかかりが無くなっていたので──たたらを踏んで部屋に飛びこんで、ずっこけ、棺桶リュックの下敷きになった。
 そして、クライスラーが顔を上げた先に、白いぬいぐるみの足があった。
 シュナヴィッツがリュックを取り除いて壁際に置いてやると、クライスラーは立ち上がり、そして呻く。
「……お…………おぉ?……?……」
 膝立ちまで立ち上がるクライスラーの正面に、2本の足で“うさぎのぬいぐるみ”がどーんと立っていたのである。
 無精ひげと帽子の間の目は大きかったらしい、それをさらに大きく見開いてうさぎを見ている。
「ど……どうやって……? はりがね?」
 舌っ足らずのまだるっこしい声が、“うさぎのぬいぐるみ”の顔を真正面から見て出てきた。“うさぎのぬいぐるみ”はそれに対して、ゆるく首をひねった。
「え? うごいた? からくり? え? むりですよね? 糸もでてないですよね?」
 クライスラーは“うさぎのぬいぐるみ”を遠慮なく持ち上げくるくる回す。
「あの──」
 頭を真下にされて両耳が床に転がったところで“うさぎのぬいぐるみ”から声が出る。びくりとしたクライスラーの隙をついて、パールフェリカがうさぎを取り上げた。
「いくらクライスラーでもちょっと扱いが荒いわよ!」
 普段から振り回しているパールフェリカの言えた事ではないが、シュナヴィッツが小さく頷いた。
 王女と王子が注意しているというのにクライスラーは気にした様子もなく、“うさぎのぬいぐるみ”を指差した。
「え? しゃべった? しゃべりマシタか? 俺そんな風に作ってないよ? え? 今それがしゃべったの?」
「クライスラー」
 ネフィリムがその名を呼ぶと、さすがにクライスラーも帽子を外した。姿勢はそのままだったが椅子に悠然と腰を下ろしているネフィリムを見上げた。
「事情があって、他言無用にして欲しい。出来るか?」
「え?……あ、はい……話すの、キライですから」
 もごもごと発せられた声は、妙な答えでネフィリムは眉をひくりと動かした。が、すぐに頷いた。
「お前の作ったその“うさぎのぬいぐるみ”に、パールフェリカの召喚したモノが入っているんだ」
「……はぁ」
 シュナヴィッツとパールフェリカがちらりと視線を交わした。
「それで、手が使いづらいらしいから、直してやってくれないか」
「手……?」
「本のページがめくれるようにしてやってくれ」
「これ……」
 そう言ってパールフェリカに抱かれた“うさぎのぬいぐるみ”の右腕を左手で取り、右手に持っていたカバンから取り出した大きなハサミでさくっと切り落とした。
 ぽとん……と、“うさぎのぬいぐるみ”の手の先10cmが床に転がった。
「……え」
 呆気に取られるパールフェリカをよそに、“うさぎのぬいぐるみ”のもう一方の手をちょっきんと切り落とした。
 “うさぎのぬいぐるみ”は、綿の出ている両手を顔の前に持ち上げ、赤い目で見た。
 はらりと白い綿は漏れ広がる。
 クライスラーはさっと立ち上がると壁に立てかけられたリュックを床にどすーんと倒して紐を解き、布を開いて、中の箱の蓋を外して放り投げた。
 中には、人形のパーツ、頭や目の玉やもちろん手足から胴がバラバラに詰め込んである。その中から小さな手の左右を取り出す。
 そしてパールフェリカから“うさぎのぬいぐるみ”をひょいと取り上げると胡座を掻いてその上に乗せ、先の無くなった両手と取り出した“人形”の、5本の指があり関節も作られた肌色──薄いクリーム色──の手首をだーっと細かい目で縫いとめた。
「補強でもう一度縫いますね」
 言ってクライスラーはその姿勢のまま鞄に手を伸ばす。“うさぎのぬいぐるみ”にはサイズぴったりの幼児の手が付いた感じである。
 ミラノはクライスラーの膝の上で両手を持ち上げた。
「これは──」
 呟いた後、モキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキと“うさぎのぬいぐるみ”の合計10本の指が滑らかに、ピアニストのそれの如く蠢いた。
「いやあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 高速タイピングの得意なミラノの動かす“うさぎのぬいぐるみ”の指は、実にしなやかに流れるように──その両手をパールフェリカががしっと掴んで止めた。
「なんで!?」
 パールフェリカの目には涙が溜まっていた。“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目を見た後、クライスラーに視線を移した。
「なんでこんなことするの!?」
 そのパールフェリカを無視して、“うさぎのぬいぐるみ”はクライスラーの無精ひげ面を見上げた。
「ありがとうございます、これなら問題無さそうです」
 日ごろ表情の無い声が、心なしか弾んでいるのである。
「いやよ! ミラノったら! なんでそんなに嬉しそうなの!? 信じられない!!」
 クライスラーが引き寄せた鞄から別の糸を取り出す。
「ちょっと! いやよ!」
 そう言ってパールフェリカは乱暴に“うさぎのぬいぐるみ”の腕にハサミを当て、中途半端にジョキッと切る。“うさぎのぬいぐるみ”は、大きく退いて逃げた。まさかパールフェリカに切られるとは思っていなかったのだ。逃げた“うさぎのぬいぐるみ”は切られた箇所を抱えてうずくまる。
「……ミラノ?」
「……いえ──先ほどは驚いていたし、あっという間でしたし、我慢もしたのですが」
 左の人形の手が半分切れた状態で折れて垂れ下がっている。“うさぎのぬいぐるみ”は顔を上げた。
「パール、“人”にしてもらいたいのですが。どうにも痛覚があるらしくて──」
「え!?」
 見守っていたネフィリムとシュナヴィッツの方が動揺した。
「パ、パール!」
 シュナヴィッツは慌てて横に居たパールフェリカの背中を押した。
「え? う、うん」
 今いち状況を掴めないまま、パールフェリカはぶつぶつと呪文を唱え始める。クライスラーの膝から降りて床に立っていた“うさぎのぬいぐるみ”の足元に白い魔法陣がふわっと広がる。
 “うさぎのぬいぐるみ”が、ころりとクライスラーの膝に転げる。その先に、艶のあるパンプス、そこからすらりと細く伸びる脚。そのまま見上げていくクライスラーはそこでゴロンと後ろに倒れた。シュナヴィッツがミラノの横から長い足を出して、彼の肩を蹴倒したのだ。ミラノのスーツのスカートの丈は膝より高いから──。
 転がったままのクライスラーが、“人”になったミラノを見上げる。ミラノは本来の“人”の姿で、両手の手首と肘の間辺りをそれぞれ撫で擦っている。
「その状態では何ともないのかい?」
 ネフィリムが問うと、ミラノは彼を見て、首を傾げる。“うさぎのぬいぐるみ”の時にもよくやる仕草だ。
「何ともありません。不思議ですね」
 そう言ってクライスラーに右手を伸ばした。
「立てますか?」
 クライスラーは胡座をかいた足の形のままひっくり返っているのだ。手を繋いだ状態でクライスラーは完全に立ち上がるまでミラノに引っ張らせ、そのままクライスラーは食い入るようにミラノの顔を見ているのである。
 ミラノはすっと顔を逸らし、下に転がっているうさぎを拾った。
「パールが切ってしまいましたが、やはり“人形”の手を付けてもらってもいいですか?」
 そう言って渡す。クライスラーは相変わらずミラノを見つめ──。
「あなたの頼みなら、完璧に仕上げます!」
 舌っ足らずではっきりしない声音だったのが、これは背筋の伸びた、新人将校並の張りである。“うさぎのぬいぐるみ”を受け取り、何故かこの部屋の王族3人にもしなかった敬礼をミラノにして見せた。
「…………おねがいします」
 ミラノはそれだけ言うと、そっとパールフェリカの後ろへと回った。逃げた。
「え? ミラノ?」
 そして、ミラノは左手を胸の下に寄せ、その甲に右肘を乗せ、右手の指でこめかみを押さえているのだった。その様子にネフィリムがぷっと笑う。ミラノは目線だけをネフィリムに向けた。
 何か言おうとするミラノにクライスラーのはっきりした声が飛ぶ。
「両方とも“人形”の手でよろしいのですね! しっかり縫いとめます! 少々お待ちください!」
「え? いやよ! 待って! 待って!!」
 パールフェリカが食いついた。
 ──パールフェリカはうさぎの新しい手を“かわいくない!”、ミラノは丸いままでは“役立たず”だと言い張る。この手を“使うのは私だ”と主張するミラノに、パールフェリカは“所有者は私だ”とだだをこねる。
 結局、パールフェリカとミラノの妥協点は、左手が“うさぎのぬいぐるみ”の手、右手が“人形”の手という、奇怪極まりないものだった。
 パールフェリカの後ろでクライスラーの作業を眺めているミラノの横に、シュナヴィッツが移動した。
「ぬいぐるみで痛覚があるというのは、耳を掴まれたりぶつけられてる時も痛かったりしたのか?」
「いいえ? 耳はほとんど感覚が無いみたいでした。自在に動かせる箇所ほど、感覚があるみたいですね」
 ミラノはクライスラーとの間にパールフェリカを置くように立っていたのだが、彼は何故か出来上がった“うさぎのぬいぐるみ”をわざわざミラノに渡しに来る。
「新作を考えているんです。それには是非、貴女にモデルになって頂きたい! お願いします!!」
「……新作って……」
「現実に最も近づけ、肌の質感にもこだわった、等身大のフル稼動の“人形”です!」
 ミラノはぎゅーっと目を細め、眉をしかめた。基本的に表情の無いミラノが、珍しく心底嫌そうに顔をしかめている。ミラノの脳裏に浮かんでいるキーワードは“シリコン樹脂製高級ダッチワイフ”である。
「絶対に嫌」
「そ、そこをなんとか……!」
「嫌です。パール、“うさぎのぬいぐるみ”に戻して。“人”で居たくない」
 ミラノはクライスラーの記憶に留まりたくなくて、急かすようにパールフェリカに言った。
「あ、うん。あー……手が~……はぁ……」
 パールフェリカはため息をつきながらぶつぶつと呪文を唱えるのだった。
 うさぎに戻っている間にネフィリムの嫌な呟きが聞こえた。
「なるほど、ミラノはクライスラーみたいなのが苦手か」
「え!? 俺嫌われましたか!? ただその斬新な姿を“人形”にしたいと、そう思っているだけ……思っているだけなのに……」
 語尾が再び舌っ足らずの声に戻っていった。ミラノの“人”の姿が無くなってテンションも下がったらしい。
「……斬新?」
 うさぎが首をひねる。
「だって。そんなに足を出している女の人なんてそういませんしね。体の線がそんなにくっきり出るような服の人なんていませんしね。髪と瞳がそこまでしっかりと黒い色をしている人もいませんしね。よくある“美しい人形”というのは正直飽き飽きしているんですね。だから、こう、斬新な“モチーフ”を俺は探していて……」
「──“モチーフ”だとか、“モデル”だとか、そういうものとして見られる事が嫌なんです、理解して頂けなさそうですが」
 “うさぎのぬいぐるみ”がそう言うとクライスラーは帽子をかぶりなおし、小さく溜め息を吐いて頷いた。溜息を吐きたいのはこちらの方だと、ミラノは心の内で思っている。
「いいですよ、こっそり見に来ますから……俺執念深いし」
 自分でそう言ってクライスラーは荷物をまとめ部屋を出て行った。また、棺桶リュックを扉にガツンガツンぶつけながら。
 それを見送った後、“うさぎのぬいぐるみ”はネフィリムを見た。
「ああいう……ストーカーになりかねない“創作魂”とか“マニア”を紹介しないで下さい」
 “うさぎのぬいぐるみ”は一瞬だけシュナヴィッツを見、すぐネフィリムに視線を戻して続ける。
「……タチが悪いです……」
 淡々としたミラノの声は、トーンダウンしている。ネフィリムはそれをただ楽しそうに微笑むだけだった。
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