召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【1st】 Dream of seeing @ center of restart

パールフェリカ姫の生誕式典

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(1)
 結局あまり時間も無かった事から、パールフェリカはトエド医師の診察を断り、待っていた彼を退がらせた。
 パールフェリカの正面で、ぎゅっぎゅと幅広の帯を絞っていた年若い侍女が顔を上げる。
「苦しくはありませんか?」
「大丈夫よ、サリア。……お腹が空いてる位で……」
 侍女サリアの目の前でパールフェリアの腹部がきゅ~んと鳴いた。
 サリアはゆったりと表情を変え、ふふっと微笑んだ。そうでありながらテキパキと支度を整えていく。この侍女サリアも他の侍女らと全く同じ衣装を着ているのだが、中でもパールフェリカと親しげによく口をきいている。今日13歳になったばかりのパールフェリカと一番歳が近い17歳なのだ。姉のような、と言うには上下関係が邪魔をしているが。
「式典もパール様の出番は5分足らずですし、後は座っていらっしゃればいいだけですので、もう少し我慢してくださいね」
「ええ」
 今日のこの日の為に、どれだけ沢山の人が準備を進め、パールフェリカを祝ってくれているかを知っている。それはちゃんと、胸に刻んである。
「召喚お披露目が出来なくて残念だわ……ちゃんと“居る”のに」
 着替えは、寝室の方で5人の侍女に囲まれてされるがままに任せていた。寝室の扉はしっかりと閉められてその内側にエステリオが立っている。扉の向こうにはリディクディが控えているだろう。
 先ほどまで着ていた衣装より派手さがアップしている。
 刺繍はよりコントラストの強い柄。遠目でもその仕立ての美しさが伝わる事だろう。
「本当に、不思議な召喚獣ですね……パール様のミラノ様は」
 何だか変な言い回しねとパールフェリカは思った。獣で様付けだなんて。
 とはいえパールフェリカはうさぎのみーちゃん、ミラノを思い浮かべてふふっと笑った。
「うん」
 初めて、目の前、光の中に現れたミラノを思い出す。
 人の姿をしていたから、獣ではないと感じて、霊が来たと思ったのに、実体を与えよと導きがあった。これは召喚獣を召喚した際に召喚士が本能的に察知する部分で、それに従わないとどうも落ち着かない、という類のものだ。霊に対しては発生しないし、実体を与えようとしても無駄で、霊はその実体を受け入れず、さっさと還ってしまう。だから、その瞬間とても戸惑ってしまった。パニック寸前、そんな所だった。
 召喚術から気持ちが離れてはいけないのに、ままならなくなりそうだった。そして思わず言ってしまった、“ああ、こんなことってあるのかしら”と。それが、きっと始まり。
 困惑した自分に、その人はすいと眼差しを向けてきた。
 何もかもを吸い込み、しかし染まらない漆黒の瞳。とても静かな問いかけ──“あなたは?”
 周囲には、召喚の圧力で空気が渦巻いていた。天井から垂れ下がるカラフルな布は厚手であるのにばさばさと大きくしなり、揺れていた。そんな音が、急速に遠のいた。いや、その静かな声が退けた。
 たったの4文字、それで全て取り戻せた。自分に向けられた、しかし何でもない問いなのに。まっすぐ、まちがいなく、自分に向けられた視線。
 柔らかな白い光が辺りを包んでいる、その中央に立つ、キリリと怜悧な面差しの、大人の女性。
 その時の気持ちをどう表現したらいいのか、パールフェリカにはよくわからなかった。とにかく離れ難く、側に在りたい、その眼差しの中央に、見つめられていたい──そんな感じだった気がする。それがどんな理由かなんてものは無い。原初の願いというものがあるのならば、きっとそれだと、パールフェリカは決め付けた。
 実体をと求められて、彼女がやって来た霊の姿のままこの地上で存在する為の形を召喚術の導きのまま作り上げたが、保たなかった。
 初召喚の儀式で、召喚されたものに対して召喚士の力が足りない事はよくある、それは教えられてわかってはいた。それでもどうしてもそこに留めたくて、共に在りたくて頑張ったがダメだった。ダメだとわかって、召喚術の手順に従って彼女を元へ還そうとしたが、術はすかすかすり抜けるように届かなかった。
 それでつい言ってしまったのだ“こっちに移ってもらえない?”──“うさぎのぬいぐるみ”のみーちゃんを指して。
 目を覚ました時、その人の声が聞こえた。ちゃんと居てくれて、どこかに行ってしまわなくてホッとはしたけれど、初めての召喚が成功したのか失敗したのかもわからない。兄らのような世界唯一という強大な召喚獣でないにしても、成功位はしたかったのに。
 そんな不安も、抱きなれた生地の“うさぎのぬいぐるみ”の手が拭ってくれた。
「本当、不思議な召喚獣……私の……」
 パールフェリカはサリヤに頷いて小さく呟いた。
 その頃には、周囲に居た侍女らがささっと引く。
 寝室の扉の前で、肩から真っ直ぐ下ろした右腕を肘120度上へ曲げ、敬礼のポーズをエステリオが取っていた。
「姫様、お美しゅうございます」
 美に対する価値への評価力は、パールフェリカにはまだあまり無い。髪も服も全て侍女らに任せている。それでも、言葉の9割以上が小言のエステリオが言うと妙に有り難味があって、本当にそう思っているのだろうなと感じられる。姫として相応しくなければすぐ小言が飛んでくるのだし。
 パールフェリカはぐっと顔を持ち上げて穏やかな笑みを作った。
「──ありがとう」


 巨大な樹と絡み合うように、長い年月をかけて増改築され続けてきたガミカの巨城、エストルク。
 その正面、下る山の形のままに、巨大な広場がある。
 そこに今、1万人は下らない人々が押し合いへし合いひしめいている。皆、パールフェリカ姫と彼女の召喚するものを一目見よう、祝おうと国内から集まってきたのだ。
 彼らにとって“王家の尊いお方”であると同時に、崇拝するに値する召喚士がパールフェリカの兄らだ。
 ネフィリムは壮大神秘のフェニックスを、シュナヴィッツは最強にして優美なるドラゴン、ティアマトを召喚する。彼らが召喚士として一人前になってからというもの、ガミカ国内には人に仇成す害獣の類はなりを潜めつつある。害獣による大きな被害がある所、この二人が直接訪れ、巣ごと破壊してしまうからだ。この誇り高い王家の、末の美しい姫が今日、召喚士の仲間入りを果たす。これほど待ち遠しく、幸福で、喜ばしい式典は無い。
 巨城エストルク正面、2階部分の横に長いバルコニー辺り──エストルク自体は10階建てである──、濃い紺と金糸で装飾された上下の衣装をまとった男女数十名がさわさわと登場する。バルコニーには椅子があったり無かったりするが、必ずそこには大小様々な楽器が並んでいる。
 その上の階、3階にも横に長く、さらに2階よりも前へ突き出た広いバルコニーがある。草木が植えられ、今は淡い色の花が所狭しと飾られている。さながら空中庭園のようだ。その、建物の奥。
 先ほどと同じ格好の国王ラナマルカと、隣にはパールフェリカがやって来ていた。二人の周囲にはみっちりと護衛の騎士らが詰めている。
 パールフェリカの耳に正面広場に集まった国民達の声がわーわーと聞こえてくる。
 少し緊張してきた、そう思って胸元に手を当てるパールフェリカ。その頭をラナマルカ王が撫でた。見上げると、柔らかな笑顔がある。
「──はい」
 何を言われたわけでも無いが、パールフェリカは返事をした。ちょっと冷静になって、ふとよぎった思いがある。
「……それにしても、みーちゃんは大丈夫かしら。ネフィにいさま、召喚獣の事になると目の色変わるから……」
 考え出すと、自分の事も忘れて、大げさにもミラノの安否を心配するパールフェリカだった。


(2)
「“召喚獣”ね……」
 ひとしきり笑って、ネフィリムは至って真面目な声で呟いた。
「それにしては貴女は特殊すぎる」
 相変わらず長い耳をたるんたるんさせ小脇に抱えられているうさぎのぬいぐるみ、ミラノは答えようが無かった。召喚獣だと言われているから、そう言ったまでであるし、ただの逃げ口上に使っただけだ。
「だけど、面白いから問題ない」
「…………」
 何がどう面白いのかまでは言わないようだ。先程までの、シュナヴィッツ絡みの笑いの種の理由はわかりはしたのだが、真剣な表情のまま面白いと言われると、どうしたって謎にしか感じられない。やはり、読みにくいし、わかりにくい。ミラノは話を変える事にした。
「不思議な事があります。だから、本を読み調べたいと思うのですが」
「なに?」
 一度、ふうと思考するようにうさぎは息を吐き出したようだ。実際空気は動いていない、そのような声をさせただけだ。
「上位の召喚士が召喚する召喚霊は異界の“神”だと、言うのですよね? では、召喚獣は?」
「ただの獣さ、この地上で昔に亡くなったね」
 しばらく沈黙した後、うさぎは続ける。
「シュナヴィッツさんの召喚獣は、ティアマトという事だけれど」
「そうだね」
「……日本というか、私の居た世界では、ティアマトという“神”が居たわ」
「…………え?」
「私も、そう覚えているわけではないけれど。確か……バビロニア神話だったかしら。海を支配した神々の母、創世の母……だけど子供らに夫を殺され凶悪なドラゴンへと変化した……んだったかしら。その後孫に体を裂かれ、それは天と地を創造したとか」
 ネフィリムは一度頷きつつ、言う。
「それとは、こちらのドラゴン種のティアマトは関係が無いのではないかな。ドラゴン種は、ドラゴン種。絶滅しているけどね」
「絶滅?」
「何千年も昔にね。だから今見ることが出来るドラゴン種は全て、召喚獣なんだ」
 ミラノはさらに一つ息を吐き出した。やはり顔の尖った辺りが上から下へゆっくりと動いた程度だったが。
「それから、あなたが従えているという召喚獣」
「炎帝かい?」
「…………」
 炎帝はあだ名、二つ名だ。この男はフェニックスの名を呼ばないようだ。
「“フェニックス”それも、死んだ獣だというの?」
「そう、ずっと昔にね」
「……あちらにも“フェニックス”という存在の話があるの。“神”ではないわ。“炎帝”が二つ名ではないわ。──“不死鳥”、死なないという意味ではないけれど、必ず蘇る存在」
「…………それは困ったね、こちらでは死んで、そのままだから召喚獣なんだが」
「……エジプトの霊鳥だったかしら。炎の化身というわけではないのよね」
 右が前に、左が後ろに、耳がたるーんと垂れきっている。どこかしょんぼりした印象にネフィリムには見えた。
「ミラノ? 大丈夫かい?」
 ミラノは驚いてその赤い刺繍の目でネフィリムの顔を振り返った。当のネフィリムは「ん?」と返事する。
「……いいえ?」
 感情の無い声でミラノは言った。
 それからしばらく、両者の言葉は途絶えた。
 どこをどう歩いているのか、一度外らしき通路、回廊へ出る。どこもかしこも侍女やら衛兵やら、似たような格好の男女があちらこちらへと走り回っている。どうにも裏道、使用人専用通路のようで、片側には増改築用と思しき建材──柵に使用するのか先を尖らせた丸太や数人掛かりで使用するような巨大な鋸や斧、鋼らしき板が何枚も積み重ねられている──が、ミラノの感覚からすると都会の小学校の運動場並みの広さの場所に敷き詰められているのが、見えた。今日は式典という事で、そこで作業している者は一人も見えない。
 しばらく回廊を通り、再び城に入り込んだ。
 階段を前に、下へ降りようとしていたネフィリムが足を止めた。
 空いた手で懐からチェーンの付いた丸い懐中時計取り出し、ぱかりと開けている。
「……王立図書院に行っていたら間に合わないな。先に用事がある。いいかい?」
「どうぞ」
 ミラノの返事にネフィリム頷くと、階段を昇った。階段がずっと同じ場所で上へ向かっているわけではなく、何度か城内の廊下を抜け、別の場所にある上への階段を昇る。
 息が上がらないのが不思議な程、ネフィリムはずっと同じ調子、キビキビとした歩調で階段を上がり、廊下を抜けた。彼が通る度、全ての人が一度足を止め、両腕を胸の前で交差させ少し前に出し、腰から曲げてお辞儀をしている。それらに目もくれず、ネフィリムは足早に目的地を目指す。
 そして、最後開いた扉の向こうには、青い空が見えた。
 ──屋上だ。
 視界が一気に広がる。
 山の中腹辺りから、木々は間隔を広げまばらになり、それら木の上には板状に敷かれ造られた宅地によって街の形を成している様子が屋上からはよく見える。それらの木々は、この城の1階より高度は低い。山頂にある城の屋上から、全て見下ろせた。
 少し前、エステリオの召喚獣レッドヒポグリフで城へ来る途中見た辺りにはもう人だかりが黒く出来ていた。間もなく式典が始まるのだろう。
 城の正面の広場ももう人で埋め尽くされている。多くの人々の声が聞き取れない状態でわーわーと、屋上にも届く。
 この時点でミラノはやっと“式典”を感じた。人々の熱気からはオリンピックの開会式かなんか──テレビで見た程度でしか知りはしないが──を思い浮かべた程だ。
「ネフィリム殿下! お待ちしておりましたよ!! そりゃもう今か今かと! どこに行ってらしたんですか!?」
 声がした。見ると、リディクディと同じ背格好の男が居た。リディクディ同様マスクで顔形はわからない。リディクディは紺だったが、この男の衣服の色は薄い紫。
「いや、悪い。パールに会って来た」
「そういえば召喚お披露目はされるのですか?」
「残念だけど皆は見れないね」
「そうですか……。ですが──という事は、殿下はご覧になったんで?」
「もちろんだ」
「召喚獣、お好きですねぇ」
 男の声は好意的でとても親しげだ。護衛か何かだろうかと思った時点で、今までネフィリムには護衛の類が一切付いていなかった事に思い至った。パールフェリカには二人、シュナヴィッツでも一人張り付いていたのに。会話が途切れるタイミングがあれば聞くネタにしておこうとミラノは記憶に留めた。
 ネフィリムは男の方へキビキビと歩み寄る。
 この屋上はそれほど広いわけでは無さそうだ。
 せいぜいが、20台程度の車を留められる駐車場程。それを広く無いと言うのは、城自体が広壮だった為だ。
 見回すと、この屋上は城の中央、正面広場に向かうように出来ているらしい。城下もそれで見通しやすかったのだ。他にもいくつか、ここより低い箇所に屋上やバルコニーがいくつもあるようだった。
「やぁ、“炎帝”、いい子にしてたかい?」
 ネフィリムの声は後ろへ向けられていた。
 そちらを見れば、どうして気付かなかったのだろう、巨大な炎がごうごうと燃え上がっていた。暑さ寒さを感じない“うさぎのぬいぐるみ”の仕様を、ミラノは思い出した。
 うさぎの耳の先がへたへたっと床に付いた。ミラノは見上げたのだ。ネフィリムの胴と腕に挟まれた少し無理な姿勢になりながら。
 炎の大きさは二階建ての家1軒分に相当するだろう。
 赤からオレンジの炎がチロチロと舌を出しながら燃えている。
 その炎の中央、次第に形が生まれ始めた。
 炎の塊がぬるりと突き出てくる。普通乗用車の先が前へ突き出てきたような大きさで、炎が目の前に迫る。その塊は赤からオレンジ、黄色と色をたゆたわせながら、形を整えてゆく。
 そして、孔雀に似た顔が出来た。
 基本的に鳥の顔なのだが、きょろきょろと素早く首をひねるような動きは無い。動作はとてもゆったりとしていて、優雅だ。色は赤が基本、というより全て炎で出来ている。瞳すら。その瞳はじっとネフィリムを見つめている。
 ネフィリムもその瞳を愛おしそうに見つめ返しているように見えた。そして、“うさぎのぬいぐるみ”を抱えていない方の手をフェニックスに差し伸べた。巨大な嘴がネフィリムの全身に擦り寄ってくるようだった。ネフィリムはその手で閉じた炎帝の瞳の上辺りを撫で擦った。炎は、熱を持っていないようだった。
「──見せ付けてやろう。君の美しさを」
 ネフィリムは、そう囁いた。
 その後、ミラノは押し付けられるように先程の護衛らしき男に渡された。男はパールフェリカのぬいぐるみと信じているらしく、実際それは間違いではないので、やはり小脇に抱える。動いてぎょっとするならぎょっとしていたらいい、ミラノは適当にそう考えて、好奇心の赴くまま“うさぎのぬいぐるみ”の頭を巡らせ、見渡しやすい方向に目線をずらした。
 その時、階下からファンファーレの一音目が低く長く鳴り響く。
 城既に人で埋め尽くされていた前の広場へ、一斉に染み渡っていく。
「ああ、始まったね」
 静かな声の直後、目を閉じてネフィリムは炎──“炎帝”フェニックスにゆっくりと両腕を広げて見せる。
 はじめはゆっくりとした打楽器と、高く低く様々な金管楽器の滑らかな旋律が続く。次第に音も重なりテンポも早くなる打楽器のリズムに、人の声のような弦楽器が次々と増えて一気に広がっていく。
 壮大な音楽が頂点に達した瞬間、ネフィリムの目が開かれた。そして、頭だけだった“炎帝”の形が、炎の中から浮かび上がり、大気を巻き上げながら、一気に翼を大きく開いたのだった。
 ばさばさと風が唸り、床の砂利が吸い上げられていく。ネフィリムの束ねた亜麻色の髪も大きく揺れている。ミラノを抱えている男は、千切れて飛ばされそうなうさぎの両耳をかき集めて小脇にまとめた。
 “炎帝”フェニックスの両方の翼が広げられた時の景観を、ミラノは言葉で表現出来そうにないと感じた。
 美しい巨大な緋色の雄の孔雀が、ゆらめく炎をまとっているのだ。全ての羽を含めたならば、大きさは観覧車と変わらないだろう。体があったならば、震え、早くなった鼓動にきっと息が苦しくなったに違いない。
「……きれい……」
 ミラノは、小さな声で呟いていた。



(3)
 音楽が止むと、フェニックスは羽を閉じ、元の大きさに戻った。
「…………」
 嘴を摺り寄せるフェニックスにネフィリムは何か囁いているようだが、“うさぎのぬいぐるみ”の大きな耳でも聞き取れなかった。ネフィリムは時折微笑んでいる。ペットとのじゃれあい、戯れにしては、ペットがでかすぎる。
 ミラノは改めて、ネフィリムを見た。エステリオやリディクディがヒポグリフやペガサスで空を駆けていた以上のインパクトが、ネフィリムのフェニックスにはあった。壮麗で、躍動する様というものは、あまりに深く心に残った。
 ネフィリムの目元は、シュナヴィッツやパールフェリカと少し違って、父親に似て掘りがやや深めで男らしさがある。顔の造り自体は兄弟三人ともに華麗ではあるのだが。その蒼い瞳に赤い炎が写り込んで様々な色合いを醸している。
 ぼんやりと巨大な炎の鳥と男前のコラボレーションを眺めながらミラノは思案する。
 自分の立場は、彼の妹でありこの国のお姫様、パールフェリカの召喚獣。この召喚獣というのも厄介だ、どういう扱いをされるものか、あの炎の鳥を見ていてもさっぱりわからない。もう少し、立ち位置を把握するには時間が必要だろう。
 現実問題として、2ヶ月で家賃及び諸々の引き落としに通帳が耐えられなくなる、あちらで生活をしないなら3ヶ月分引き落とされたら、貯金はほぼ0だ。職探しをして働いて給料をもらうには底を突く1ヵ月半前には帰りたい。となると、猶予は約45日。長いのか短いのか、現状ではわからない。早く帰れればそれに越した事は無い、としか今は言えない。だからと言って焦るのも馬鹿馬鹿しい。
 日本という国は、この世界では“異世界”として認識されている。召喚霊の居る世界として。
 もっとたくさん、元居た日本との共通点を探そう。かえり方に繋がるかもしれない。
 本を調べたいが、無理に動くのも得策ではないだろう。何せ自分は“うさぎのぬいぐるみ”である。
 世界は自分を中心に回っているのではない、そこに居る一人一人とともに別の一人一人を含む世界が、回っているのだ。一人足掻いたところで空回りするのがオチ。自分の立ち位置、“うさぎのぬいぐるみ”というこの存在の意味を把握してからでも、遅くは無いはずだ。
 ミラノは、とんと縁の無かった海外旅行の気分でも満喫したらいいと、腹をくくりはじめていた。
 短期であちこちの会社を回った元派遣社員は、環境への馴染み方と、その努力の仕方、手の抜き方、気分転換の方法を、大体は心得ているのだ。それでも、このストレスは随分と大きそうだと、感じてはいる。子供ではないのだ、体調の管理……不調の兆しも自分の体の事は大体わかる。妙な言い回しではあるが、ちゃんと手を抜いて頑張れば、なんとかなるはずだ。ミラノは自分にそう言い聞かせ、広場の方へと目を移し、そのまま見渡した。そして、自分の世界と共通してある空を、見上げた。
 しばらく、そのまま空を見ていた。屋上なので、木々に生い茂る緑の天井も無い。まばらであった白い雲も、すでに遠のき始めている。快晴だ。
「そろそろ、挨拶が終わっている頃だろう」
 いつの間にか横に来ていたらしいネフィリムが、護衛の男から“うさぎのぬいぐるみ”を取り上げた。
「もう少し、ぎりぎりまで行けば……」
 そう言って広場側の石造りの柵までミラノを持って行き、下を覗かせた。
 高さは、ビル10階建て相当──ネフィリムは“うさぎのぬいぐるみ”の体を片手で掴んでぶら下げたのだ。
「…………何がしたいのかしら?」
 唐突にネフィリムの腕1本に掴まれて、足場も無く高い所で吊るされているミラノは、感情の無い声で言った。ゆらゆらと、重みで下へ垂れ下がり、頬の布をひっぱる長い耳が、静かに風に揺れている。
「やっぱり悲鳴は無いのだね」
 そう言ってネフィリムはまたくくっと笑っている。
 悲鳴を上げるどころの恐怖ではなく、声が出ない状態になっただけなのだが──。
 ネフィリムの突然の行動に対する腹立ちが恐怖より先に大きくなって、さっさと冷静さが戻ってきただけだ。
 高さが高さだ、ひゅうひゅうと吹く風の中、うさぎの耳も揺れる。地上30メートル、さらに下り坂で城下町は続きそこまで入れたら一体どれ程の高さになるのやら。
 ミラノが召喚獣で、“人”の形をしていない、“うさぎのぬいぐるみ”なので、彼も容赦無い行動に簡単に出てしまうのだろう。わからなくもないが。
 一度冷静さを取り戻してしまうと、そこは“鉄の女”。ネフィリムがいくらなんでも離したりはしないだろうと、その程度の節度はあるだろうと決め付けて、ゆっくりと下を眺めた。特に高所恐怖症という事はない。そうであったなら、ヒポグリフに乗せられた時点でびびっている。
 快晴の空に投げ出され、眼下には1万人を超える人で埋め尽くされた広場、見通せば木々の上と下に広がる城下町はその何倍もの人々がこちらを見ている。正確には、式典のヒロイン、パールフェリカを。
 ふと見下ろすと、7階分下のバルコニーに人の頭がいくつも見えた。
 じっと見ていると、一人、動いた。
 こちらをぐりっと見上げたその頭は、パールフェリカのものだ。
 遠目でもその愛らしく大きな瞳がさらに大きく見開かれたのがわかった。ミラノは、ぷらぷらと垂れ下がったまま、自分からも右手を緩く振った。すると、パールフェリカは顔を真っ青にして両手をこそっと上げ、しかし周囲を見渡して下げかけ、しかし上げようとしつつ……横に居たラナマルカ王に顔を近づけられ何か言葉をかけられ、大人しく正面を向いた。そして、何度もチラチラとこちらを見上げている。その様子にミラノもいい加減吊るされている状態をどうにかすべきだと感じた。
「ネフィリムさん、パールが心配しています。戻してください」
 ネフィリムは“うさぎのぬいぐるみ”を引き寄せて、辺りが見渡せるように小脇に抱えた。
「パールが気付いたのかい、それはまた面白いね」
 ネフィリムはにっこりと微笑んだ。
「やはり、召喚主と召喚獣としての絆が、あるのだね」
「どういう意味です?」
 ミラノの問いに、ネフィリムは「そのうちわかる」とだけ言って空を見上げた。
「──来たね」
 ネフィリムは空いた手を額に当てて、太陽を睨んだ。ミラノも同じように太陽を見上げる。
 太陽に、黒い点が──。
 気付いてすぐ、それは次第に大きくなり、形が見えた。ワニとトカゲの間、爬虫類のような頭──ドラゴン!
 ミラノの頭の中で、それはファンタジー世界では定番ではあるが、現実としては“幻獣”のドラゴンであると閃いた。
 頭を下に滑空というより、翼も後ろへたたんでいるらしく、落下してくる。
 風を唸らせ、7つの影が目の前をよぎった。
 人々の間から、わっと歓声が上がる。
 早すぎてよくわからないが、目の前を通り過ぎながら旋回している。そして、背後で再びフェニックスが大きく翼を広げた。そちらに目をやると、片手を上げてフェニックスに合図をしたらしいネフィリムの背中があった。
 フェニックスのシルエットを背にして、その円形をなぞるように7つの影が三周程旋回して、再び大空へ舞い上がる。
 再び大きな悲鳴ともつかぬ歓声が辺りを包む。
 パールフェリカらの居るバルコニーの正面から三百メートル先、広場の真上辺りで、7つの影がゆっくりと舞う。
 姿が、はっきりした。
 西洋風の、4本足、背には大きなこうもりのような翼がある。体は魚のような鱗が覆っているらしく、それらがきらきらと光を照り返している。6体は深い青色をしているが、1匹は光を照り返しすぎていて色が分からない。それ自体がキラキラと光を放っているかのようにも見えた。
 翼を除いて見た時のドラゴンの形はシャープでスマートだ。どっしりとした重量感というより飛翔する時の疾走感の方がしっくりくる。滞空するのに巨大な翼がゆるりゆるりと羽ばたいている。ドラゴンの背には乗馬するような鞍がぎっちりと留められていて、そこに乗る人の姿がある。全員ゴテゴテはしていない、すっきりした鎧を纏っている。兜も被っているようだが、それよりも角の尖ったゴーグルの方が目立つ。それぞれの顔はわからない。
 やはり、1匹だけ色の違うドラゴンに騎乗する人は、鎧、兜ゴーグルが、一人異なる。ベースは鋼だが鋲や継ぎ目が紫色をしている……。その光るドラゴンがバサリバサリと1匹上昇する。
 人々の見上げる高さ、ミラノにとっては正面の高さ。
 ミラノは気付いてしまった。
 その兜とゴーグルの隙間からこぼれる亜麻色の髪に。
 鈍感でなければ気付くぞとミラノは顔を逸らした。
 他の6匹は広場、人々の方を向いているのに、この1匹だけ上昇してこちらを見ているのだ。
「シュナ…………そんなに気合が入ってるとは……そんな演舞じゃないだろう」
 背後でネフィリムの笑いをこらえた声が聞こえた。
 数秒の後、目の前の白銀に光るドラゴン──ティアマト──がさらに上昇し、それの後を追うように下に居た残り6匹の深い青色のドラゴンが上昇した。巻き上がる風に、うさぎの耳がばさばさと揺らぐ。
「……自意識過剰だと祈ってていいですか」
「祈ってもいいとは思うが、無駄だろうね。──本当、あんなシュナは初めて見るよ」
 ネフィリムはしみじみとそう言って脱力するうさぎを抱えたまま笑うのだった。
 そして、7匹のドラゴン編隊のアクロバティック飛行が始まった。
 既にファンファーレのように音楽が鳴り響き、人々の拍手喝采が飛び交っている。
 ミラノがテレビで見たことのあるような航空ショーとはまた違った迫力があった。
 剥き出しの人の駆る竜が、その大きな翼を広げて高速で飛び交うのだ。ぶつかると思わせてそれぞれ回転しながらの腹の下ぎりぎりをすり抜けて行ったり、人々の頭上すれすれを飛行する。小回りが利き、かつ召喚主と召喚獣であるドラゴンの息が完璧にあっていなければ出来ない芸当の数々。
 色々と思う所がありながらも、ミラノはストレス発散の一つとして楽しんでいた。
「──?」
 ネフィリムが後ろを見た。
「?」
 釣られてミラノはネフィリムを見上げる。彼はフェニックスを振り返っている。そちらを見れば、フェニックスはじっとネフィリムの瞳を見つめている。
 しばらくして、ネフィリムはフェニックスから目を逸らし、近くに居た護衛の男に声をかけた。
「アルフォリス、少し飛んでくれ。北北東だ。一時の方向。どうも“くさい”らしい」
 目元だけを露にしたその男のエメラルドグリーンの瞳が揺れた。眉間に皺を寄せ、すぐに右手の人差し指をマスクの前にかざし、何か呟いている。これは何度か見た、何か召喚するようだ。すぐに、男の足元に濃い赤の魔法陣が浮かび、現れたのは赤いヒポグリフ。エステリオが召喚したものに似ている。それよりは色が濃い。
 アルフォリスと呼ばれた男は赤いヒポグリフに飛び乗った。そのまま城の裏手へ屋上からふわりと風に乗るように降り、少し先、翼をばさりばさりと揺らして一気に上昇すると、ネフィリムの言った方角へひっそり飛んだ。


 アルフォリスのレッドヒポグリフは単機山々を超え、しかし、“それ”を見つけるとすぐに都へ引き返した。
 ──快晴の空を黒く覆う、数約500越のモンスターの群れ──
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