召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【1st】 Dream of seeing @ center of restart

うさぎとネフィリム

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(1)
 パールフェリカが落ち着いた頃、衛兵が戻り、国王への謁見が叶ったと伝えられた。パールフェリカは“うさぎのぬいぐるみ”を抱えたまますっくと立ち上がると、護衛のリディクディとエステリオがそれに従う。一呼吸遅れて、シュナヴュッツも前へ歩み出た。
「僕も行こう」
 シュナヴィッツには当然彼の護衛、ブレゼノが従った。
 エステリオは扉の前に残る衛兵に「トエド医師が来られたら中で待って頂いくように」と伝えた。


 そろそろ昼になる、自分を抱えるパールフェリカから小さな腹の音が聞こえてきたが、ミラノは空腹を感じなかった。
 再び廊下へ出て、ゾロゾロと歩く。
 角をいくつも曲がった後、また大きな廊下へ出る。廊下にも赤を基調とした絨毯が敷かれており、足音は響かない。
 しばらくしてパールフェリカの部屋のものの5倍はあろう、両開きの扉の前に出た。扉の横に立っていた衛兵二人が縦に長い取っ手を手前に引く。引き始めは重そうにしていたが、途中からすうっと軽く動く。反対側、扉の内側に居た衛兵二人が左右それぞれを押し開けている。
 シュナヴィッツ、その半歩後ろにパールフェリカ、その2歩後ろにブレゼノ、エステリオ、リディクディが歩いて、その扉をくぐった。
 赤い絨毯は続いており、それに沿って進む。
 左右には今までと違って、刃が見える状態の槍を右手に携え、構えをといた状態で衛兵が5歩置きに立っている。
 30歩程歩いた先、5段程階段があって、その先に玉座がある。
 ゆらりと、初老の男が玉座から立ち上がり、階段を降りた。ゆらりと見えたのは、動きが流麗でしなやかであったから。年齢を感じさせない柔らかな体運び。
 もちろん、この男が、王だ。
 シュナヴィッツとよく似た雰囲気の衣装だが、上衣の丈が膝下まである。基本の色はパールフェリカと同じ白と、彼女が赤の箇所が、王は紫だった。名をラナマルカという。
 亜麻色の髪には耳上から頭の後ろを半周して反対の耳へ下げられた金の装飾具で纏められている。髪の長さは肩甲骨には届かない程度。前髪は上に持ち上げている。彫の深い顔立ちで、思慮深い目元はパッチリしたパールフェリカやシュナヴィッツとはあまり似ていない。二人の目元は母親に似たのだ。ラナマルカ王はグレーに近い青い瞳を巡らせた。
「急ぎと聞いたが」
 シュナヴィッツとパールフェリカが王から5歩の距離で両膝をついた。あとの3人はさらに5歩後ろで同じように両膝をつき、さらに額と両手を床についている。
「パールフェリカ、こちらへおいで」
「とうさま!」
 王の優しい声音にパールフェリカの顔がぱっと閃き、立ち上がり駆け寄るとラナマルカ王の胸の抱きついた。ちなみに、その時“うさぎのぬいぐるみ”は放り出され、床に転がっている。
 ラナマルカ王は眦を下げてパールフェリカの頭をよしよしと撫でた。目線をシュナヴィッツに移す。
「シュナヴィッツも、遠路ご苦労だった。お前もこちらへ来なさい」
 シュナヴィッツも立ち上がりそっと近寄る。ラナマルカ王はハハッと笑った。
「シュナ、お前また背が伸びたな。私はもう抜かれてしまったかな」
「北はまだまだ害獣が暴れていますからね、体を動かさない日はありません。おかげでよく食べますので」
 シュナヴィッツは緩く肩をすくめて微笑った。
「そうか、激戦区を任せてすまないな」
「加減なくティアマトも暴れさせてやれますので、楽しいですよ」
「ははっ、そうか、それは良い」
 ラナマルカ王は、笑いをおさめるとパールフェリカを撫でる手を止めて覗き込む。
「パール、急ぎ話があると聞いたが?」
 その声に、パールフェリカはゆっくりと父王から手を離して、見上げた。
「それが……私の召喚が……その……」
 その時。
「やぁ、パールの召喚はどうなったんだい? 私もとても気になっていたんだ」
 玉座の向こう、垂れ布の間から20代半ば程の男が現れた。床をカッカッと蹴るようにキビキビとした動きだった。長い亜麻色の髪を緩く編んで左前へ垂らしている。
「ネフィリム、お前には“聖なる炎”の管理を任せていただろう?」
「“炎帝”はもう召喚し配置しています、彼女は私に忠実だから大丈夫ですよ、父上」
 自信に満ちた笑顔で、階段をとととっと降りてきて、パールフェリカの頭を撫でた。
「元気かい? お姫様」
「ネフィにいさま……」
 軽い口調で話しかけるネフィリムに対して、パールフェリカは眉を寄せてうつむいた。
「聖火の管理もお前が居てフェニックスを喚べるとなると、実に簡単な事のように感じてしまうな」
 式典につきものの“聖なる炎”は一定以上の大きさの火を保たなくてはならない決まりになっている。緑深い山間の都で巨大な火を維持し操るのは並々の労力ではない。通常10人以上の男達が寝ずに見張り、大量の水を用意して挑む。
 しかし、ガミカ国の第一位王位継承者であるネフィリムが居ると話は異なる。この男がフェニックスを召喚する、それで終わりだ。あとは全身に聖なる炎をたぎらせているフェニックス自身が台座に居るだけでいい。
 フェニックスは炎を操る、確かに大火を大きく招く事は可能だが、それ以上に燃え上がった炎を水などを必要としないで制御できる点が“ありえない能力”だった。その能力によって森の木々に燃え移らせる事も無ければ、自身に触れる人の子に熱を伝えず、燃やさずその背に乗せてやる事も出来る。
 ラナマルカ王の褒め言葉に、ネフィリムは眉を上げてにこりと笑った。
「兄上は少し黙っていてくれないか、貴方が口を挟むと話が長引いていけない」
 シュナヴィッツが腕を組んだ。五つ年上のネフィリムは弟の肩をぐっと組んだ。
「おお、シュナじゃないか、久しぶりだな! また……でかくなって……私はもう成長しないから、抜かれてしまうのもそう遠くないな」
 兄弟らの交流をラナマルカ王はも温かく見守っている。
 そこへ。
「──水を差すようで恐縮なのですが。急ぎならば、早く要件に移った方が良いのではないでしょうか?」
 女の声に、ラナマルカ王、ネフィリムが一瞬周囲を見回し、頭を下げているエステリオを見た。この場に女はパールフェリカを除けばエステリオしかいない、そういう理由だ。だがエステリオの声を二人は知っている。違う声だ。
「みーちゃん」
 パールフェリカの声とともに、床に転がっていた“うさぎのぬいぐるみ”が2本の足で立ち上がる。
 ネフィリムが目を細めた。
「ぬいぐるみに召喚霊を定着させた? 成功したのかい?」
 今まで誰一人として、召喚霊を実体としてこの大地に止められた者は居ない、それが出来たのかと聞いたのだ。人語を解するのは召喚霊の方だから。
「いや、兄上、あれは召喚獣の方らしい。そうだな? パール」
「……うん。異界から召喚して、その魂の導きがあったからそのまま……実体を与えて……そうしたらその……“人”だったの」
「“人”を召喚したのか」
 ラナマルカ王も驚きを言葉にした。
「父上、そのような事例、ご存知ですか」
 ネフィリムの軽口を言う表情は消えていた。
「残念ながら私の知る限りでは、無いな。王立図書院、召喚院の面々に調べさせよう。今日は、そうだな、体調が優れないとでもして民に見せるのは中止だ」
「では私の方で手配致します」
「ああ、頼む。いつも細かい事を任せてすまないな」
「いえ、これが私の仕事です……。で、みーちゃんと言うのかい?」
 後半は再び軽口に復活させてネフィリムはトントンと歩みを進めて、キリリと2本の足で立つうさぎのぬいぐるみの前で止まった。
「ヤマシタミラノです」
「ヤマシタ……変わった──」
「名はミラノの方です」
 兄弟で同じリアクションねとミラノは思った。
「異界から来た霊には強制力があって、返還する前にものの数秒で異界へ戻されると聞いた。まだここに居られるなんて、変な話だね。人語を解しているのだから霊だろうに」
「兄上、ミラノはニホンから来たそうですよ」
「ニホン……ニホンね。プロフェイブ国王の霊と同じ異界から来たのだね。しかし、プロフェイブ国王の霊がニホンから来たものだって知っている者は、そう居ない。悪戯で言うには知りようが無い情報と言えばそうなんだけどね、確かに」
 ネフィリムはしばらく黙して何やら考えているようだ。そして、口を開く。
「──パールと相性が良いのなら、私は問題無いと思いますが。父上はいかがですか?」
 ラナマルカ王は微笑んですぐ傍のパールフェリカの頭を撫でた。
「召喚士の声に応えたものがそれぞれにマイナスになる事はない。パール、仲良くしなさい」
「…………はい、とうさま」
 パールフェリカは目を潤ませて再び父王に抱きついた。
 責めも否定もされなかった事が、パールフェリカは嬉しかった。


(2)
 父と娘の温かな空気を、護衛役の3名もこっそり顔を上げて見て、笑みをこぼしていた。エステリオは思う、リディクディだけが、シュナヴィッツだけが愛らしいパールフェリカ姫に甘いんじゃない。大方の男と言う生き物が、愛らしい女の子という生き物に甘いんだ。
 一方で、ネフィリムはミラノの前にしゃがみこんで赤い瞳に顔を近づけてジロジロと見ている。
「私は召喚獣や召喚霊の類が大好きでね。シュナは実戦が好きらしいんだが」
「…………」
 ミラノは口を閉ざした。
 シュナヴィッツは比較的わかりやすい性格をしている。
 それは少し口をきいただけでもわかった。だが今目の前に居るネフィリムという第一位王位継承者はどうにも狸のように感じられた。
 鉄で出来ているとあだ名されてはいるが、女は女。その女の感とやらがそう告げてくる。彼の笑みには嫌味がない。それで表裏がある位、別に嫌いではないが。
「異界から来て人語を解し、実体を持ってこの大地に立てる。獣と霊、両方の特徴を持っているんだね」
 まるで、狩人のような目つきだ。ミラノは睨み返したいところだが、表情の変わらない“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目ではどうにもならない。
 ネフィリムはふと視線を逸らして、後ろを振り向いた。
「パール、ミラノの……“人”の時の形はどんなのだい?」
 その言葉に、パールフェリカはしばし考え、父王を見上げた。
「とうさま、国の人達にお披露目はしなくていいの?」
「ああ、しなくて良い。先ほどネフィリムが言ったように、両方の特徴を持つ召喚獣。詳しくわからない以上、他国へ知れるのもあまり良くはないだろう」
 初召喚の儀式はその時点での召喚士の能力を無視したようなのが出てくる事がある、その儀式の後に体調を崩してしまう事も、よくある話なのだ。実際ネフィリムは後日お披露目という形を取った。シュナヴィッツは根性でお披露目に挑んだが、その後5日寝込んだ。
「じゃあ!」
 パールフェリカは笑顔を閃めかせる。
「とうさま達だけ!」
 そう言ってパールフェリカはラナマルカ王から離れ、ネフィリムの隣に立った。そして、機嫌良く「はい離れて離れてー」とネフィリムをぐいぐい押しやった。ネフィリムは「はいはい」と笑って父王の隣に、シュナヴィッツが居るのとは反対側に立った。
 そして、パールフェリカが両手を口元にあてて何かぶつぶつと呟く。すると、ミラノの、“うさぎのぬいぐるみ”の足元に真っ白の魔法陣が浮かび上がる。煌々と光を放つ魔法陣は一気に回転して“うさぎのぬいぐるみ”を飲み込んだ。
 そして、光が消えた時。
 “うさぎのぬいぐるみ”は重心を失ってころりと倒れた。
 そのすぐ傍──。
「──驚いたわ」
 すらりと長身の女性が立っていた。
 瞬きをして両手を眺めている。今まで綿の入った丸い手であった事を考えればそれは驚きだろう。
 目尻側が少しつり上がった印象のある縦に細い眼鏡をかけ、その奥の瞳はしっとりとした闇色。きっちりと結い上げられたつやつやとした髪も、同じくどこまでも黒。光があたって反射する時、その箇所は白銀にも見える。唇は、ほんのりと塗られたグロスで柔かく輝く。西洋と中東の間辺りの外見の者が多いガミカ国においては、東洋人ミラノのナチュラルメイクは、彼ら基準での20歳前後に見せてしまうだろう。
 グレーで体の線にぴったりあったジャケット。下の白いブラウスは胸元が見えない程度に開いているが、かっちりした形で定まっている。スカートもグレーだ、これも体にぴっちりとフィットしている。そしてヒールが少しだけあるパンプス。立ち方にもそつも隙も無い。
「いや……僕も驚いた」
 茫然自失の態でシュナヴィッツが呟いた。
 ミラノの背中を見ている護衛役3名もあんぐりと口を開いていた。皆“うさぎのぬいぐるみ”みーちゃんとしてしか接した事が無かったせいだ。
 初召喚の儀式の折りにスーツ姿のミラノと話しているパールフェリカは、背筋を伸ばして立つ彼女に少しだけ目を細めた。
 さらに近寄るパールフェリカの足元に先ほどまで2本の足で立っていた“うさぎのぬいぐるみ”が当たってころりと転がった。動く様子はさっぱり無くなっている。
「みーちゃ……ミラノ!」
 パールフェリカはそう呼びかけて勢いよくミラノの肩に手を伸ばして抱きついた。“お姫様”だろうにパーソナルスペースが狭いらしい。パールフェリカの顔はミラノの胸に埋まった。ミラノは瞬きを2、3度繰り返してから、パールフェリカの頭を撫でた。『愛されっ娘ね』と、ミラノは心の内で思った。素直に、相手に可愛いと思わせる。
 ミラノはパールフェリカを覗き込んだ。
「平気?」
 ミラノの声はうさぎの時と同じだが、言葉に空気を感じられる事が、息吹である事がパールフェリカに妙なくすぐったさと安心感を与えた。
「うん! あの時は召喚もしたから、力尽きちゃって……。でも今もあんまり長くはもたないかも」
「そう……ムリをしないでね?」
「うん。ミラノ、ごめんね? いきなり異界から呼び出されて、驚いたでしょう?」
「……そうね」
 そう言った後、ミラノは、目を細め口角を上げ、微笑んだ。
「でも、悪くはないわ」
 その微笑みは、パールフェリカの笑顔とはまた違った破壊力を有していた。
「そ、そう? えっと……だってなんか変な召喚の仕方しちゃったみたいだもの、ごめんなさい……?」
 常にどこか突き放したような声音で話すミラノ、今の微笑みにはあまりにもギャップがある。優しさと人懐こさを持ち合わせていた。パールフェリカは咄嗟に適当に問い返しつ謝ると、ミラノは一度頷いた。そしてその顔を持ち上げた時には、あの微笑は消えていた。
 ミラノはそのままラナマルカ王を見る。
「はじめまして。ヤマシタミラノと申します」
「…………」
「…………」
「…………」
 本当に“人”であった事に、ラナマルカ王は言葉を失くし、それを本来フォローすべきネフィリムもまた目を丸くしてミラノを見つめるだけだ。シュナヴィッツは口の中が乾いてうまく言葉を紡げないでいる。その光景にミラノは緩く首を傾げた後、パールフェリカを見た。
「そろそろ、うさぎに戻してくれる?」
「え? もう??」
「後から辛くなっても困るでしょう? 私が“人”の形で居る意味はないから、戻しておいて」
「うん……なんか、ちょっともったいない……」
 パールフェリカはぶつぶつと文句を言いながらもミラノの言葉に素直に従ったのだった。


(3)
 念の為トエド医師に診てもらう予定である旨を伝え、パールフェリカは謁見の間から退いた。その際、ネフィリムは再び玉座の向こうに消えた。
 玉座の向こうには幾重にも金糸銀糸で刺繍を細かく施された色とりどりの厚手の布が垂れ下がっており、その向こうには扉がある。
 ラナマルカ王の執務室があるのだが、ネフィリムもそこで手伝いをしている時間が一日の中でも長い。
 今日、そこでは副宰相ゼーティスが書類と人と仕事を捌いている。
 普段なら彼にも執務室があるのだが、今日はパールフェリカの生誕式典でどたばたとしている為、王の補佐としてここへ来ている。宰相キサスの方は家族団らんの間だけ席を外しただけで、既に謁見の間に戻っている。代わる代わる姿を見せる来賓と王と共に挨拶を交わしているだろう。
 副宰相ゼーティスは50絡みのシルバーグレーの髪をした紳士然とした男である。ネフィリムはゼーティスに声をかけ、パールフェリカの召喚披露が中止になった事を伝えた。ゼーティスは驚いた風も無く手はずを整え、再び人を捌いていく。元々、召喚披露が中止される事は、その時のパールフェリカの体調に拠る為、想定内で特に問題は無かったのだ。
 ネフェリムは「後は頼む」と言って、別の扉からいくつか部屋を跨いで、廊下へ出た。そこにうさぎのミラノを両腕で抱きかかえ、エステリオとリディクディを従えたパールフェリカが角を曲がって姿を現した。玉座の裏にはいくつも部屋がありそれらには廊下が無い、入り組んだ謁見の間付近の廊下を通ってくるよりこちらの方が早いのだ。
「ネフィにいさま。あれ? さっきとうさまの執務室に戻ったんじゃ……?」
「おや? シュナは?」
「シュナにいさまは……なんかよくわかんない、話しかけても返事しないし……ブレゼノとどっか行ったみたい」
 ブレゼノはシュナヴィッツの後ろを付いて回っていた護衛だ。
 少し口を尖らせ、パールフェリカはうさぎのまだネジネジの皺の残る左耳を弄った。それを聞いて、ネフィリムはぷっと噴出しそうになるのを堪えて、ほうほうと顎を手に当ててニヤリと笑うに留めた。だがそれも直ぐに消した。
「心配しなくていいよ、パール。今日、パールの召喚お披露目が無くなったろう?そうなると、あとの注目は飛翔ドラゴンでの空中演舞だからね、あれはシュナのティアマトが主役だ。打ち合わせに行ったのさ」
 そしてぱちっと妹にウィンクした。
「そっか」
 パールフェリカはばっちり納得した。そしてにこっと微笑む。
「シュナにいさまは私の為に頑張ってくれてるのね。なんか変な感じって思っちゃって私ったら失礼な子になるところだったわ。ネフィにいさま、ありがとう!」
 素直に笑みを見せるパールフェリカに「うんうん」と笑顔で頷いてネフィリムはその頭を撫でた。一緒に視界に入るミラノを見て、笑いを堪えている。
 もし、空気を吐き出せるのであればミラノはパールフェリカの腕の中で溜息をこぼしていただろう。
 実際にシュナヴィッツの態度を見たミラノは、ネフィリムの笑いの正体を大体把握している。ネフィリムも、気づいているのだろう。
 自分を抱えるパールフェリカの両腕にミラノはそっと触れた。
「パール、降ろしてくれる?」
「どうしたの? 重くないよ?」
 それなりに重量のある“うさぎのぬいぐるみ”だったが、パールフェリカはいつも振り回していたので、重いとは感じない程度に腕力がある。
 うさぎは赤い目をネフィリムへ向け、見上げた。
「王立図書院……という所に行くのでしょう?」
 ネフィリムは目を細めて微笑んだ。彼にはその一言で通じてしまったらしい。
「パール、ちょっとそのうさぎ借りていいかい?」
「え……でも」
「どうせ今から支度で侍女に囲まれるのだろう? ミラノはきっと暇になるから、今手の空いてる私が軽く案内をするよ」
「そう……?」
 将来の王にそこまで言われてはお願いするしかない。
 誕生式典の衣装に着替え、手順を確認して国民らの前に出て挨拶をする。実際その間ずっと“うさぎのぬいぐるみ”は、部屋に置いておくしかないのだ。ただのぬいぐるみだった時はよかったが、今はミラノという人格のあるうさぎだから……もし自分が置いてけぼりで放ったらかしになったならと、パールフェリカは考えた。
「それじゃあネフィにいさま、おねがいします」
 そう微笑んで“うさぎのぬいぐるみ”を両手で差し出した。
「……降ろして……もらえる、かしら?」
 繰り返されたミラノの小さな言葉は無視され、“うさぎのぬいぐるみ”はネフィリムの腕に抱えられる事になった。
 ネフィリムはパールフェリカ、リディクディ、エステリオに軽く手を上げて見送った。
 ふうと力を抜くミラノに溜息の気配でも感じたか、ネリフィムは赤い目を見下ろした。
「式典が終わるまではとりあえず“ぬいぐるみ”のフリをしておきなさい、ややこしいから」
 そう言って“うさぎのぬいぐるみ”は荷物のように脇に抱えられたのだった。


 入り組んだ廊下を右へ左へ曲がり、何度か部屋を通り抜けた。これは簡単には覚えられない、そう思ってミラノは記憶しようと試みる事を止めた。
「王立図書院に、興味がある?」
 カッカッカッと──絨毯は音を鳴らさないが──ネフィリムは足早に歩く。
「今は知識が欲しいと思っています。そこで本を読ませてもらう事は可能でしょうか?」
「なるほど」
 感情の無い声、というより思案している声だった。
「今日、本を探したり読んだりは無理だろうから後日また、紹介してあげよう。今日は眺めるだけになるがいいかい? あそこの連中は頭が硬いのが多いが、君なら大丈夫だろうね。ただ、ニホンの文字とガミカの文字は、きっと違うだろう」
「ああ……そうね」
 うさぎはそれだけを淡白な声で言った。意味がわかってるのだろうかとネフィリムは思ったが、ミラノが続けた。
「覚えればいいだけだわ」
 その淡々とした様子に、ネフィリムはくくっと喉を鳴らして笑った。
「あー……面白い。シュナは確かにこういうのには免疫無いだろうな」
「……面倒は押し付けないで下さいね……大体私は“召喚獣”です」
 うさぎは遂にぐったりしたように力を完全に抜いてしまったのだった。15,6の乙女ではないのだ、シュナヴィッツのこちらを見る目が少し変わった事位、気付かないわけがない。
 ミラノがそう言うとネフィリムはますます面白いと笑うのだった。
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