炎のように

碧月 晶

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374.名前を呼んで

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本当は怖かった。
とてつもなく、怖かった。


記憶が無い事も
忘れてしまった理由を覚えていない事も


『久しぶりだね、アイセ?』


己自身の事でさえ何一つ分からないのに


『忘れてるって、本当だったんだ』


まばらに思い出される記憶の欠片は不揃いで

集めても集めても、その形は一向に見えてこなくて


自分の知らないところで
一体何が起こっているのか、何が起こったのか。

知るのが、分からないのが────コワイ。



アイツらの嗤い声が聞こえてくるようで


自分は一体何なのだと、『俺』という人格が足元から崩れ去っていく心許なさと不安にどんどん侵食されていく。


いっそ耳が潰れれば良いと、何度思った事だろう。




「アル」




でも、俺を呼んでくれるこの声が耳を犯すだけで
嘘のようにその全てが透明になっていく。

心地良いこの声が発する言葉一つ一つが、俺が俺でいられる理由を与えてくれる。



俺だけに向けてくれるこの眼差しも、その想いも


浮かべる笑みが、まるで、もう諦めろと言っているようで…




もう何を言っても結果は変わらないと分かっているのに、素直になりきれない俺はまだ無駄な足掻きをしてしまうんだ。


それでも良いのと、念を押すように。




「俺、は…貴方を不幸に…したくない」
「お前がいれば俺は幸せだよ。好きな相手と一緒にいられるんだ。嬉しくない訳がないだろう?」
「…っ、力も、ふたつある」
「そうだな。だがお前がお前である事に変わりはない」
「…っ、いま、離れないと…も、後戻りできない…っ」
「構わない。俺はお前と共にあればいい。前にも言っただろう?俺はお前の前から消えないし、絶対に死なない。お前を置いていったりしない。独りにしない…そう、約束した」
「~~~~…ッ」
「心配事はそれだけか?なら、答えてくれるな?」




押し黙った俺を見て、ヴァンは恭(うやうや)しく手の甲に唇を近付けた。




「俺に、愛しい人の名前を呼ばせてくれませんか?」
「………っ!」






ズルい。
本当に、ヴァンはズルい。





呼んで欲しいと思ってしまった時点で、俺の負けは確定していたのだろう。











いつも、俺は独りだった。


独りでいなくちゃいけない
独りであるべきだと
それが正しいのだと



両親のように
誰かと歩む未来など、夢のまた夢物語で



ましてや、それを俺なんかに望んでくれる人など

御伽噺(おとぎばなし)でもなければ現れない




そう、思っていた。





「…ア…」





ねえ



いいかな?






もう独りは嫌なんだ。




共にいる幸せを、温かさを知ってしまったから
孤独に耐える術など、もう思い出せない。





この手を取っても良い?
俺は、欲張っても良い?




「アイ…セ…!」




愛しい人に名前を呼ばれたいと思っても良いですか────?
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