炎のように

碧月 晶

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312.『ユアン』

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ヴィント様に礼を言って、視線だけの見送りを済ませた後

背中に柔らかくフィットするクッションに身を沈める。


「あの方も変わられましたねぇ」


その様子に苦笑して緩やかな笑みを零しているのは、王家専属の医師であるユアン。

俺に安静にするように診断を下した張本人だ。


「先生はここ長いんですよね」


『ユアン・クラール』と言えば、その温厚な人柄と慈愛溢れる微笑み、若いながらも治療の腕は超一流。

あの少年が瀕死の重傷だったにも関わらず、一命をとりとめたのはそんな彼の力によるところが大きいだろう。

それだけではない。
兵士や使用人に至るまで、老若男女に『先生』の愛称で幅広く敬われ、慕われている人物でもある。


「はい、幼少の頃からヴィント様とイグニート様には良くして頂いてます」
「…じゃあ、イグニート様の小さい頃ってどんなだったんですか」


ふと気になった事を尋ねてみると、じっと見られ、その眼差しにたじろぎそうになる。


この人のコレ、ちょっと苦手なんだよな…


けれどそれは一瞬で、直ぐに外された。


「イグニート様の…、そうですね…少なくともヴィント様とお話しされて笑うなんて事一切しないお方でしたね。口調も今よりも随分と荒かったですし」
「え」


思いもしなかった事実に目を丸くしていると、暫く思案顔をした後、先生は内緒話をするように人差し指を立てた。


「あまり大きな声では言えませんが、
ヴィント様の『王子』という立場に皆が畏まって、距離を置くように接する中でイグニート様だけは唯一そういう意味で好意的ではありませんでした」
「…てっきり昔から仲が良いもんだと」
「ふふっ、そうですね。
あなたが城に入られる前の事ですし、今のあの方達を見ればそう思うのも無理はないでしょう。でも…」
「でも?」


言葉を切った先生を見ると、面白可笑しそうに続けた。


「『お前が王子だから仕方なくしてるんだ。これが当たり前だと思うな』と、
ヴィント様に面と向かって言われた時は流石の僕もびっくりしました」
「は!?」


そんな事言ったのかあの人!?


「クスクス…今でもよく覚えてますよ。
イグニート様の御家の事情で長らくお暇を取られてから約2年ぶりの再会をされた時ですから、ヴィント様の方がもっと衝撃的だったでしょうね。
随分と初めて会われた時と雰囲気が変わられていましたから」
「いや笑い事ですか…。よく切られなかったもんですねイグニート様」
「ヴィント様がお伝えしなかったみたいですよ」
「何で…」
「…多分、周りにそんな人物がいらっしゃらなかったからだと思います。損得関係なく叱ってくれる人間なんてそうはいません。
だからヴィント様はただ嬉しかったんだと思います」
「………………」


空白の2年間、それはあの『夢』の出来事があった時だろうか。


「それからはどこへ行くにもヴィント様は彼にべったりで、今のような関係にするまでかなり苦労したと一度だけ話されていました」


懐かしむような、優しい眼差し。

それは兄弟や、家族へ向ける情と同じもののように思えた。
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