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しおりを挟む「着いたぞ」
車を降り、雨月が目の前に建つ白塗りの壁が特徴的な邸宅を見上げる。その横顔はどことなく硬く見えた。
「何だよ、まさか緊張してんのか?」
「そう、かもしれません」
こちらを向いた雨月の眼は不安そうに揺れていて
「…なんつう顔してんだよ」
「っ」
ピシッと軽くその額を指で弾く。
「オレがいるんだ。大丈夫に決まってるだろ」
「…!」
口端を得意げに上げて見せると、雨月が目を見開く。そして、
「そう、でしたね…」
少しだけ、口角を上げた。
その安心したような微笑にオレの心臓が反応する。
あれから、少しずつだがふとした折りに雨月は小さな笑みを見せるようになった。
それを可愛いと思う反面、不意打ちの笑顔の度に脅かされる心臓がいつか止まってしまうのではないかと馬鹿な事も考えてしまう。
「い、行くぞ」
「? はい」
動揺を隠すようにわざとらしく咳払いして、雨月に背を向ける。
これから会うのは、こんな浮かれた気分でいては渡り合えない人だ。
しっかりしろ、と心の中で自分を叱咤した。
*****
勝手知ったる足取りで邸宅の中を歩き、オレはその人が待つリビングに足を踏み入れた。
「よく来たわね、三門」
「お久しぶりです、ゆりえさん」
ゆりえさんは腰掛けていたソファーから立ち上がると、笑顔でオレを出迎えた。
「さ、座ってちょうだい。今お茶を用意させるわ」
「ありがとうございます。でも、その前に会って欲しい奴がいます」
「? 誰かしら?」
首を傾げるゆりえさんを横目に、「来いよ」と待機させていた雨月を呼ぶ。
「お邪魔します」
「!!」
雨月が部屋へと入ってきた瞬間、ゆりえさんの眼が驚きに見開かれていくのが分かった。
「どうして、貴方がここに…」
オレと雨月を交互に見ながら、ゆりえさんが一歩後退る。
「…名雪彩子」
「!」
その名前を呟くと、ゆりえさんがピクリと反応を示す。
「ゆりえさん、おれたちは18年前の事故の真相を知るために来ました」
「……真相?何の事かしら?」
「…18年前、母は事故で亡くなりました。世間には飲酒が原因だったと報じられました」
「………」
「でも、それは嘘だった。本当は飲酒運転なんかじゃなかった。…あなたですよね?嘘の情報を流したのは…母を殺したのは」
暫し、雨月とゆりえさんの視線が交わる。
「…一体、何を言っているのか分からないわ。確かに、彩子と私は知己の間柄だったけれど…でもそれだけよ」
「嘘だ」
間髪入れずに入ったオレの鋭い声に、ゆりえさんがこちらを向く。
「…何が嘘なのかしら?三門」
顔は笑っているが、その眼は一切笑っていない。静かな圧を感じながら、オレは鞄からとある物を取り出す。
「っ、それは…」
「あなたには悪いと思いましたが、読ませて貰いました」
オレが手にしている物が自分の日記だと気付くと、ゆりえさんは刹那顔を歪ませた。
「ゆりえさん、あなたは夫の浮気相手だった母の事を憎く思っていた。だからあの日車に細工をして殺した。そしてその証拠を隠すために警察を買収して嘘の情報をでっち上げた」
「違いますか」と問う雨月に、ゆりえさんは暫く静かに見つめていたが
「…ふ、ふふ、あはははっ」
突然、笑い始めた。
その奇行に、オレと雨月は目を見合わせる。
「まさかそんなものがまだ残っていたなんてね。とっくの昔に捨てたと思っていたけれど…ばあやの仕業ね。…まあ、いいわ」
くつくつと喉を鳴らし、ゆりえさんは脚を組む。
「そうよ。私がやったの」
「!」
「!」
「だってあの女私を裏切って夫と浮気なんてしておきながら、図々しく養育費を求めてきたのよ?許せる訳ないじゃない。だから、少し痛い目にあわせてあげようと思ったのよ。なのにあの女、あっさり死んじゃって───」
その時だった。ゆりえさんの眼からぽたりと雫が流れ落ちたのは。
「…何よこれ、何でこんなものが…」
それを皮切りに、ぽたりぽたりと次から次へと流れ落ちていく自分の涙に、ゆりえさんは理解できないというように必死に涙を拭う。
だが、それでもゆりえさんの涙が止まる気配はなくて。
「…ゆりえさん、本当は後悔していたんじゃないですか?」
「後悔なんて──」
「日記には、母のお葬式に行ける訳がないと書かれていました。罪を犯したのだから、と」
雨月の言葉に、ゆりえさんの涙を拭う手が止まる。
「あなたは三門を引き取る程の罪悪感を感じていた。そんな人が後悔しなかったはずがないんです」
「っ、わ、たしは…」
「そんな訳ない」と譫言のように呟くゆりえさんに、雨月はオレに目配せをした。
その合図に、オレは鞄に入れていたもう一冊の物を取り出した。
「これは母の日記です」
「彩子の…?」
「読んでみて下さい。そうすれば、あなたがどうして今泣いているのか分かるでしょう」
ゆりえさんの物に比べれば少ないが、ここには彩子さんが残した大切な想いが綴られている。
恐る恐るというように受け取ると、ゆりえさんはゆっくりとページを捲り始めた。
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