シスルの花束を

碧月 晶

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「…ん」
「起きたか」
「ここは…」
「寝室。お前、風呂場で倒れてたんだよ。覚えてねえのか」
「それは…ご迷惑をお掛けしました」

本当にそう思っているのか疑う程相変わらずの無表情で言う雨月うげつに、思わず心の内で舌打ちをする。

マジで人形みてえだな、こいつ

体調が悪いというのに、表情一つ動かさない様にそう思った。

「…お前んち、マジで何もねえのな」

この家には探したが、体温計も冷却シートも風邪薬さえもなかった。そのため、このマンションの一階部分に併設しているスーパーに買いに行く羽目になった。

なんでこのオレがよく知りもしない奴のために変装までして買いに来なきゃならんのだと思ったが、こいつには理由はどうあれ匿われている恩がある。

「このオレに看病なんかさせた奴はお前くらいだぞ」

分かってるのか。

「そうなんですか。それはありがとうございました。…そうですね、何が食べたいですか」
「あ?」

一瞬、意味が分からず目を瞬く。

「お礼です。作れるものなら何でも作りますよ」

変わらない無表情でされた提案。本来なら、そんなもんが礼になるかと返している所だが…

「…ローストビーフ」

自慢じゃないがオレの舌はそれなりに肥えていると自負している。このオレを満足させたものなんて今まで数える程しかない。

だが、その数える程しかないものの中にこいつの料理が入っているのもまた事実だった。

だから、逡巡した。そして、オレはそれが礼に足り得ると判断した。

そっぽを向いて柄にもなく小さく呟くように答えると、抑揚のない声で「分かりました」と返ってきた。

「~~もうちょっと寝とけ」

何となく負けたような気がして、引っ張り上げた布団を雨月の顔に被せる。

「? はい」

雨月は少しだけ不思議そうにしていたが、発熱のしんどさには敵わなかったのか直ぐに目を閉じた。

間もなく聞こえてきた寝息に、そっと振り返る。

「………」

普段は無表情オンリーな雨月だが、眠ると一気にあどけなく見えるのだから不思議だ。

────ブー

リビングに戻ってくると、スマートフォンにタイミングを見計らったように電話がかかってきた。
見ると、事務所のマネージャーの番号。そろそろかかってくるだろうとは思っていた。

「…んだよ」
『んだよ、じゃないわよ!貴方いったい今どこにいるの!』
「うるせえな。どこにいようがオレの勝手だろうが」
『おバカ!そういう訳にはいかないの!どこにいるのっ』

耳元で騒がれ、思わずスマートフォンを遠ざける。

「あー…分ぁったよ」

あまりのけたたましさに大まかな住所とマンション名を言う。

『そこって…高級マンションじゃない。貴方いつそんな所買ったのよ』
「あ?買ってねえよ」
『え?どういう……まさか、一般人の家じゃないわよね?』
「まあ、そうだな」

遠回しに一般人に匿われている事を伝えると、マネージャーの声量がそれまで以上にアップした。

『はあああ!?貴方一体何考えてるの!こんな時だっていうのに行方はくらますわ、やっと居場所が分かったかと思えばっ』

一般人の家にいる、と言いたかったのだろうが、流石そこはオレのマネージャー。誰が聞いているか分からないと我に返ったのだろう。

しばらく説教が続き、それを右から左へと受け流し続ける事十数分。

『…はあ、もういいわ。今更あなたを連れ戻せないし』
「そうだな」

こんな所に関係者が来れば、たちまちマスコミがオレがここにいると嗅ぎつけるだろう。

『そのマンションならセキュリティーはしっかりしてるでしょうし……その人、寒河江さがえさんだっけ?信用できる人なの?』
「……今のところは」
『その間が気になるけど…まあ貴方が言うなら大丈夫でしょう。…いい?これは特例なんだからね?』
「はいはい」
『「はい」は一回!社長には上手く言っておくから、くれぐれも!そこで大人しくしてるのよ!あと!』
「何だよ、まだあんのか」
『ほとぼりが冷めたら、その人にお礼させなさいよね!』

最後にそう言い切るや否や、通話はぶつりと切れた。

「相変わらず口うるさい奴だな」

ぽいっとテーブルの上にスマートフォンを置き、再び寝室へと戻る。

「…すー…すー…」

雨月は先程と変わらず、寝ていた。あの騒音でも起きないとは。

「…ん、……さ、」

不意に、雨月が何言かを呟いた。

起きたのか、寝言なのか。確かめるべく近付くと、今度ははっきりと聞こえた。

「かあ、さん」
「…!」

瞬間、目にした光景に驚愕した。

頬に影を落とす程長い睫毛を濡らし、雨月は一筋の涙を流した。

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