鬼と生け贄の話

碧月 晶

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決して大きくはない声。けれど、恐怖に支配されそうになっていた俺の心を落ち着かせるには充分な効力だった。

「蒼月、様…」
「遅くなって済まない。無事か?」

僅かに乱れた呼吸で、真っ先に俺の無事を確認してくれる。

俺は彼にとても酷い事を言ったのに。

それでも、探しに来てくれて、気遣ってくれて。

何故だが胸が痛くなった。

初めての感覚。だからだろうか。そのあまりの痛さに、泣きたくなった。

「おお。久しいな、蒼鬼そうきの頭領よ。このような所で何をしておる?」
「それは此方の台詞だ」
「なに、敵情視察というやつよ」
「………」
「カカッ、そう怖い顔をするでない。安心せい、親父殿の命ではない」
「それを信じると思っているのか」
「いいや?じゃが、そんな事は些末な事よ。儂は今、花嫁を見つけて機嫌が良いからの」
「…花嫁?」
「のう?人間よ」
「何?」

唐突に水を向けられ、二つの視線にびくりと身体が跳ねる。

「…まさか、了承したのか?」

驚いたような顔をした蒼月様にそんな質問をされ、俺は全力で首を横に振った。何故だか彼にだけは誤解されたくないと思った。

「そうか」

俺の反応を見て、短くそう言うと、どこかほっとしたような顔をした蒼月様を不思議に思いながらも誤解を回避できた事に内心で胸を撫で下ろす。
けれど、直ぐにどうして自分はいま安堵したのだろうと、はたと疑問に思った。

「…なんじゃ、そういう事か」

しかし、胸中に浮かんだ疑問に答えを出す暇は無かった。

それは、瞬きの間の出来事だった。

ぼそりと烏天狗が何かを呟いたと思ったその次の瞬間、その手に一瞬にして錫杖が現れ、凄い速さで蒼月様の背後に移動したと同時にそれを振り下ろしたのだ。

危ない。そう思った時には俺は既に走り出していた。

やけに動きがゆっくりと見える視界。錫杖がどんどん蒼月様の頭部に近付いてゆく。

間に合わない。無駄と分かっていながら手を伸ばしたその時だった。

辺り一帯に金属音が鳴り響いたのは。

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

だけど、眼前にはいつの間に抜いたのか、刀の切っ先を烏天狗の喉元に突き付けている蒼月様の姿があって。その光景を見て、俺は遅れて状況を理解した。

彼は烏天狗の攻撃が届く寸前に、抜刀して錫杖を弾いたのだ。

それはつまり、烏天狗の移動速度は辛うじて目で追えたのに対して、彼の抜刀速度はそれ以上に速かった事を意味している事になる。

その事を悟っているのか、烏天狗は悔しそうに歯をぎりっと食いしばると、赤い目を更につり上げた。

「この儂より速いなど!断じて認めん!」
「負け惜しみは要らん。実力の差を理解したのなら、疾く失せろ」
「…!」

鋭い金の視線と共にちゃきりと更に突き付けられた切っ先に、びくりと烏天狗が気圧されたように慄く。

誰が見ても力の差は明らかだった。

だが、烏天狗はニヤリと口角をつり上げ、不意に俺の方へと視線を向けた。

「…そうじゃ、儂の物にならぬなら壊してしまおう」
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