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その7:オーディンスの苦悩

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 ふとシンドリは不安になった。
 言うべきか少し迷ったが、伝えておくべきことだと思った。

「私がこのようなことを申し上げるのはおこがましいのですが」
「構わない。神薙のことであれば、私が発言を求めなくても自由に話して構わない。今日だけに限らず、今後ずっとそうだと考えて欲しい」

 おずおずと話すシンドリに対し、オーディンスは自由な発言を許可してくれた。

「ありがとうございます。私が心配になったのは、もし神薙様が大病をされたらどうなるのかということです。私が作る薬は治せる病に限界があります」

 「それです」と、ブロックルが言った。
「ありがとう、シンドリ先生。私もその話がしたかったのです。診察はできます。魔法を使った診察ですから確実な病名が分かる。私は医師ですから必要な治療方法や薬の知識もある。提案はできます。しかし分かっているのに治せないという事態が一番恐ろしい」

 重苦しい空気が漂ったが、それを破ったのはオーディンスだった。

「神薙自身が治癒魔法を使えるようになるしかない。しかし、彼女は剣の国から来た神薙なので、今すぐは無理だ」

 ブロックルが頭を抱えて「魔力操作か」と言った。
 シンドリは意味がわからずぽかんとした。

「シンドリ殿、魔力操作というのは我々天人族が子どもの頃から長い期間を費やして学ぶ技術だ。頭で考えてできるようになるものではない。繰り返し体に叩き込む類のものだ。つまり訓練が必要なのだ」

 「子どもが字を覚える過程に似ているのですよ」とブロックルが付け加えた。

「今の彼女は生まれたばかりの赤子同然の状態だ。魔法の知識を頭に詰め込んだとしても、魔力を扱う技術がない。相当な訓練を積まなければ治癒魔法を使えるようにはならない」

 オーディンスは嘆くように言った。

「訓練をするようにお勧めするのですか?」
「勧めはする。手伝いもするし、教えることもできる。しかし、本人が本気で取り組まなければできない。我々が幼いうちから学ぶ理由は、成長して魔力量が増えると訓練の難易度が上がるからなのだ」
「ほかの大陸の聖女様たちも、神薙様と同様に、どこかから来られた方々なのですよね? その方々はその魔力操作というものはどうしておられるのでしょうか」

 この世界には、各大陸に一人ずつ聖女がいた。いずれも神薙と同様の生き神だ。
 シンドリの暮らす東大陸だけは、諸事情あって聖女がおらず、代わりに神薙がいる。
 別の大陸で、簡単な訓練方法でも発見されていれば万々歳だとシンドリは考えた。

「確かに、聖女も神薙と似たような形で降りている。聖女も魔力を持っていることは間違いない。昔の聖女が魔法を使っていた記録も残っている。しかし、現在の聖女はおそらく誰も魔力操作は学んではいない」

 オーディンスは首を振った。
 「やはり訓練が大変であるためでしょうか」とシンドリが言うと、再び彼は首を振った。

「いや、シンドリ殿、昨今の聖女は魔法など使わないのだ。聖女は別の能力を高く買われている。そもそも魔法を使う必要がない」
「なるほど……」
「治癒魔法が効かないなどという特殊な事情でもないかぎり、このような悩みは発生しないだろう」

 オーディンスは目を伏せてため息をついた。

「生きるために必要だと言って、訓練を強いるのも違う気がしてならない。彼女はすでに、ここで生きるために毎日大変な努力をしている。彼女に『頑張れ』という言葉は掛けられない」
「オーディンス様……」
「神薙が治癒魔法を使えるようになるまで、お二人の世話になる。一生縁が切れないかも知れない。どうかよろしく頼む。大きな怪我と病気をしないよう、我々も最大限の努力をする」

 侯爵家の嫡男から頭を下げられ、シンドリとブロックルは慌ててもっと深く頭を下げた。ブロックルは王宮医として名は知れているが、貴族としては男爵の次男なので身分は高いほうではなかった。


 「今日一日で信じられないことにいくつも遭遇しました」

 帰りの馬車の中で、シンドリはブロックルと話していた。
 人生で侯爵の息子に頭を下げられることがあるなんて思いもしなかったと話すと、ブロックルは「私も驚きました」と笑った。

「ああいう方ではなかったのですけれどね」
「オーディンス様ですか?」
「ええ。どちらかというと、影のような人で。あんなに話す方だとは思いませんでした。無口で無表情な印象が強かったので」
「ほほう」

 ブロックルは神薙はたいそう可憐で朗らかな女性だと言った。
 周りの人々が我が事のように心配するほど、大事にされているのだろうとシンドリは思った。
 二人はそのまま食事に行き、久々に語り合った。
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