4 / 8
その4:王宮医ブロックル
しおりを挟む
鞄を抱えて外に出てみると、今までの人生で乗ったことのない素晴らしい馬車が待っていた。
車好きのペドロが興奮して鼻息を荒くしている。
「御師様、すごいですよ。これは六人乗りのフィアレという車種です。しかもそれのいいやつです。上位車種ですよ! うわあ、すごい。内装まですごい!」
「これ、ペドロ。よしなさい」
騎士がくすりと笑いながら、シンドリのために扉を開けてくれた。
「これはグレンデルフィアレの最新の型です。うちの副団長がこだわって、振動を極限まで抑える部品を追加させた特別仕様車になっています。しかし、少し飛ばしますので、乗ったらベルトを締めてください」
「あい分かりました」
「御師様、あとで乗り心地を教えてくださいね!」
「はいはい。店を頼みますよ」
「お任せください!」
こんな素晴らしい馬車で旅ができたら、さぞ楽しいだろうと、シンドリの心は再び美食と温泉の引退旅行へ向いた。
しかし、格好の良い去り方は思いつかない。彼は堂々巡りをしていた。
それにしても、なぜ神薙のような身分の高い人から自分が呼ばるのだろうかと彼は思った。
王と同じ地位にある生き神ともなると、その体に触れられる人物は限られている。
「王宮医のブロックル先生がお忙しいのだろうか……」
どこかへ出かけているのかも知れない。
そんな時に事件か事故が起きた?
縁があって、王兄殿下の蕁麻疹の薬は随分と前から作っていた。その関係で自分のことを知ったのかも知れない。だからただの王命ではなく、王とカール殿下の命で迎えが来たのだろう。
シンドリは乗り心地の良い馬車に揺られながら考察していた。
シンドリと王宮医ブロックル・ミンテグレンは旧知の仲だった。
ブロックルは魔法が使える天人族の貴族で、シンドリは魔法とは無縁のヒト族の平民だ。
しかし、二人は時折会って食事やお茶を共にして医療について語り合っていた。
医師であり治癒師でもあるブロックルは、若い頃からこの王都で指折りの人気治癒師だった。
彼が王宮医になったのも当然のことだとシンドリは考えている。
治癒師には一日に治療できる人数に限界があった。
天人族は魔力が減りすぎると体調を崩し、枯渇すると死に至る。本人が安全な範囲でしか治療は行わないものだ。
ブロックルは他の治癒師に比べて一日に治療できる人数が多いことで有名だった。
しかし、彼は人命を救うために、度々その上限人数を超えて治療を施した。使命感あふれる治癒師の宿命か、無理が原因で若い時分に何度か体を壊している。
二人が出会ったのは、シンドリがニケの店を引き継いで数年後のことだった。
ブロックルが一般市民向けに講演会を開くと言うので、興味を持ったシンドリは足を運んだ。
満員の聴衆は一体どのような治癒魔法の話が聞けるのだろうかと期待に胸を弾ませていたが、ブロックルは彼らに向かってこう言った。
十人が風邪を薬で治してくれたなら、治癒師はその分の魔力で命の危機に瀕した人を少なくとも二人救える。
だから薬を使ってくれ。薬師の知恵にも頼ってくれ。
医師の診察しか信用できぬと言うのなら、診察を受けて処方箋をもらい、それを持って薬師のもとへ行ってくれ。
ブロックルは魔法の話などそっちのけで、薬草の効果とそれを扱う薬師の重要性を説いていた。
当時の王都では、医師と治癒師と薬師は完全に別々のものだった。
医師は医療知識持つだけの人であり、研究者に近い存在だった。日中の僅かな時間を一般市民の診察にあてる者はいたが、基本的に診断と助言だけをしていた。
高度な教育を受けねばなれない職業だったため、全体の人数は少なかった。
病気や怪我を治すには、治癒師か薬師が必要だった。
多少高額になってもすぐに治療してもらいたい人は治癒院へ行く。そうでない者は薬屋へ行った。
治癒師は天人族のごく一部にしかなれない職業であるため、そもそも数が少ない。加えて、各人の魔力の限界があるため、早い者順だった。
しかし、薬師は勉強さえすればヒト族でもなれる職業だ。学校へ行く経済的余裕がなくても、シンドリのように誰かに弟子入りして学ぶこともできた。大変な努力は必要だが、入り口が広いため治癒師に比べれば大勢いる。
お互いに商売敵と言うほどではないが、治癒師の口から「薬を使え」という言葉が出ることは有り得ない世の中だった。ましてや医師まで巻き込んで互いに協力し合うことも考えられなかった。
ブロックルはその高い知名度を利用して、王都の医療に対する意識改革をしようとしていた。
講演を聞き終えたシンドリはそのまま真っすぐは帰れなかった。
関係者と思しき人に、感想を伝えてもらおうと声を掛けたところ、ブロックルの控え室に通された。
そこで二人は出会った。
当時シンドリは三十八歳だった。
ブロックルは彼よりも十歳若いが、いくつかの戦場を経験していたせいか、その年齢には見えないほど落ち着いていた。
その日以降、二人は時々会って食事を共にし、お茶を飲みながら王都の医療や健康について語り合うようになった。
そして、会うよりも頻繁に患者を紹介し合った。
ブロックルは薬で治る病人を率先してシンドリに紹介し、シンドリは薬では完治が難しい患者をブロックルに紹介した。
ブロックルはシンドリの紹介状を持ってきた患者には、問診もそこそこに急いで治癒魔法を施した。代金は長期の分割払いもできるようにしてくれた。
シンドリはブロックルの処方箋を見ると、すぐに調合に取り掛かった。
王都の健康を守るという共通の使命感を持つ二人の間には、言葉で語り合うよりも強固な信頼関係が築かれていった。
その後、ブロックルは王宮医になった。
街中にあった治癒院を別の治癒師に譲り、第一線を退いた。
もはや王都でブロックルとシンドリの名を知らない者はいない。本人たちが思っている以上に二人は有名人だった。
車好きのペドロが興奮して鼻息を荒くしている。
「御師様、すごいですよ。これは六人乗りのフィアレという車種です。しかもそれのいいやつです。上位車種ですよ! うわあ、すごい。内装まですごい!」
「これ、ペドロ。よしなさい」
騎士がくすりと笑いながら、シンドリのために扉を開けてくれた。
「これはグレンデルフィアレの最新の型です。うちの副団長がこだわって、振動を極限まで抑える部品を追加させた特別仕様車になっています。しかし、少し飛ばしますので、乗ったらベルトを締めてください」
「あい分かりました」
「御師様、あとで乗り心地を教えてくださいね!」
「はいはい。店を頼みますよ」
「お任せください!」
こんな素晴らしい馬車で旅ができたら、さぞ楽しいだろうと、シンドリの心は再び美食と温泉の引退旅行へ向いた。
しかし、格好の良い去り方は思いつかない。彼は堂々巡りをしていた。
それにしても、なぜ神薙のような身分の高い人から自分が呼ばるのだろうかと彼は思った。
王と同じ地位にある生き神ともなると、その体に触れられる人物は限られている。
「王宮医のブロックル先生がお忙しいのだろうか……」
どこかへ出かけているのかも知れない。
そんな時に事件か事故が起きた?
縁があって、王兄殿下の蕁麻疹の薬は随分と前から作っていた。その関係で自分のことを知ったのかも知れない。だからただの王命ではなく、王とカール殿下の命で迎えが来たのだろう。
シンドリは乗り心地の良い馬車に揺られながら考察していた。
シンドリと王宮医ブロックル・ミンテグレンは旧知の仲だった。
ブロックルは魔法が使える天人族の貴族で、シンドリは魔法とは無縁のヒト族の平民だ。
しかし、二人は時折会って食事やお茶を共にして医療について語り合っていた。
医師であり治癒師でもあるブロックルは、若い頃からこの王都で指折りの人気治癒師だった。
彼が王宮医になったのも当然のことだとシンドリは考えている。
治癒師には一日に治療できる人数に限界があった。
天人族は魔力が減りすぎると体調を崩し、枯渇すると死に至る。本人が安全な範囲でしか治療は行わないものだ。
ブロックルは他の治癒師に比べて一日に治療できる人数が多いことで有名だった。
しかし、彼は人命を救うために、度々その上限人数を超えて治療を施した。使命感あふれる治癒師の宿命か、無理が原因で若い時分に何度か体を壊している。
二人が出会ったのは、シンドリがニケの店を引き継いで数年後のことだった。
ブロックルが一般市民向けに講演会を開くと言うので、興味を持ったシンドリは足を運んだ。
満員の聴衆は一体どのような治癒魔法の話が聞けるのだろうかと期待に胸を弾ませていたが、ブロックルは彼らに向かってこう言った。
十人が風邪を薬で治してくれたなら、治癒師はその分の魔力で命の危機に瀕した人を少なくとも二人救える。
だから薬を使ってくれ。薬師の知恵にも頼ってくれ。
医師の診察しか信用できぬと言うのなら、診察を受けて処方箋をもらい、それを持って薬師のもとへ行ってくれ。
ブロックルは魔法の話などそっちのけで、薬草の効果とそれを扱う薬師の重要性を説いていた。
当時の王都では、医師と治癒師と薬師は完全に別々のものだった。
医師は医療知識持つだけの人であり、研究者に近い存在だった。日中の僅かな時間を一般市民の診察にあてる者はいたが、基本的に診断と助言だけをしていた。
高度な教育を受けねばなれない職業だったため、全体の人数は少なかった。
病気や怪我を治すには、治癒師か薬師が必要だった。
多少高額になってもすぐに治療してもらいたい人は治癒院へ行く。そうでない者は薬屋へ行った。
治癒師は天人族のごく一部にしかなれない職業であるため、そもそも数が少ない。加えて、各人の魔力の限界があるため、早い者順だった。
しかし、薬師は勉強さえすればヒト族でもなれる職業だ。学校へ行く経済的余裕がなくても、シンドリのように誰かに弟子入りして学ぶこともできた。大変な努力は必要だが、入り口が広いため治癒師に比べれば大勢いる。
お互いに商売敵と言うほどではないが、治癒師の口から「薬を使え」という言葉が出ることは有り得ない世の中だった。ましてや医師まで巻き込んで互いに協力し合うことも考えられなかった。
ブロックルはその高い知名度を利用して、王都の医療に対する意識改革をしようとしていた。
講演を聞き終えたシンドリはそのまま真っすぐは帰れなかった。
関係者と思しき人に、感想を伝えてもらおうと声を掛けたところ、ブロックルの控え室に通された。
そこで二人は出会った。
当時シンドリは三十八歳だった。
ブロックルは彼よりも十歳若いが、いくつかの戦場を経験していたせいか、その年齢には見えないほど落ち着いていた。
その日以降、二人は時々会って食事を共にし、お茶を飲みながら王都の医療や健康について語り合うようになった。
そして、会うよりも頻繁に患者を紹介し合った。
ブロックルは薬で治る病人を率先してシンドリに紹介し、シンドリは薬では完治が難しい患者をブロックルに紹介した。
ブロックルはシンドリの紹介状を持ってきた患者には、問診もそこそこに急いで治癒魔法を施した。代金は長期の分割払いもできるようにしてくれた。
シンドリはブロックルの処方箋を見ると、すぐに調合に取り掛かった。
王都の健康を守るという共通の使命感を持つ二人の間には、言葉で語り合うよりも強固な信頼関係が築かれていった。
その後、ブロックルは王宮医になった。
街中にあった治癒院を別の治癒師に譲り、第一線を退いた。
もはや王都でブロックルとシンドリの名を知らない者はいない。本人たちが思っている以上に二人は有名人だった。
31
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?
いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、
たまたま付き人と、
「婚約者のことが好きなわけじゃないー
王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」
と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。
私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、
「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」
なんで執着するんてすか??
策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー
基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
黎
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

私、平凡ですので……。~求婚してきた将軍さまは、バツ3のイケメンでした~
玉響なつめ
ファンタジー
転生したけど、平凡なセリナ。
平凡に生まれて平凡に生きて、このまま平凡にいくんだろうと思ったある日唐突に求婚された。
それが噂のバツ3将軍。
しかも前の奥さんたちは行方不明ときたもんだ。
求婚されたセリナの困惑とは裏腹に、トントン拍子に話は進む。
果たして彼女は幸せな結婚生活を送れるのか?
※小説家になろう。でも公開しています
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる