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第十二章 重圧

第266話:ヴィルさんと食の因縁

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 「──そろそろ例の件に向けて本腰を入れるかぁ」

 ヴィルさんはくわを握りしめ、畑に向かって意味深なことを呟いた。

「例の件ってなんでしょう? まさか、本当にこのまま農家になるつもりとか??」

 ヒソヒソ話すと、アレンさんは首を振った。

「さすがにそれはないですが、リア様の料理を目当てに畑仕事をやっているのは間違いありません」

 わたしの婚約者は早朝トレーニングを済ませると、とっとと長靴に履き替えて畑仕事をするのが日課になっていた。
 彼は最近、第一騎士団の仕事は副団長三人にほぼ任せきりで、王族としての仕事がメインになっている。
 畑なんかいじっていて、仕事に良くない影響を及ぼしていないか心配になっていたところだ。

「なにも種から育てなくとも、食材をお店で買うだけでいいのに」
「それが……実は本人も戸惑っているようなのですが、食に対して興味を持ったのが幼いころ以来で『うまく制御ができない』と話していました」

 わたしが作るものに興味があり、探求心と食欲がごちゃ混ぜになったような食への衝動が抑えられないのだとか。
 自らの暴走を阻止するために「自分で食材を作ったらお願いする」というマイルールを設けたらしい。

 ヴィルさんは食に関して異様なほど保守的かつ消極的だ。特に魚介類については情報遮断状態で深刻な食わず嫌いになっている。


 「リア様にも知っておいて欲しい」

 舞踏会の夜、そう言って経緯を話してくれたのはくまんつ様だった。
 ヴィルさんが食べ物に興味を持たなくなったのは、過去の辛い経験が影響しているそうだ。

 それは、ヴィルさんとくまんつ様が学校に入って間もない頃の話。
 天人族の子どもは五歳くらいで学校に入る子が多く、特殊な事情がないかぎり全員が寮に入る。

 ある日、ヴィルさん宛てにお父様からお菓子の差し入れが届いた。
 彼はお友達と大喜びし、当時流行していたカラフルなカップケーキを皆で分けて食べたそうだ。
 そして夕食の時間になってダイニングへ行くと、お父様が差し入れしたポルト・デリングのお魚を使った献立が並んでいた。

 ダイニングに来るのが遅れてしまったヴィルさんは普段と違う席に着いていたけれど、中央付近の定位置に陣取っているくまんつ様の隣に行きたかった。
 そこで彼はお互いに都合の良さそうなお友達に声を掛け、配膳された食事に手をつける前に席を交換した。

 いつもの仲間と食事を始めると、彼が席を移動していることに気づいた寮母が「あっ!」と声を上げた。
 それとほぼ同時に、入り口近くの席にいた子どもが突然苦しみ出したという。
 それはヴィルさんと席を交換したヒト族の子どもだった。

 騒然とするダイニングで「公爵様からお預かりしている解毒剤を」と寮母が声をひそめて言った。ヴィルさんとくまんつ様はそれを聞き逃さなかった。
「解毒剤を」と言うからには毒なのだろうと考えた。

 寮母は「然るべき人に然るべき説明をするので騒ぐな」と言い、ほかの食事は大丈夫だから気にせず食べるように、とも言った。
 しかし、ヴィルさん達は「然るべき説明をする」対象ではなかったらしく、何の説明も受けられなかった。
 その子の回復には時間がかかり、一か月近く学校を休むことになったらしい。

 後日、ヒト族の友人を介して二人に「内緒話」として詳細が伝わってきた。
 ヴィルさんが鑑定魔法の習得に時間がかかっていて、お父様が戒めのために少量の毒を盛った、というショッキングな話だった。

 これについて、くまんつ様はこう話していた。

「大人になって思い返してみても、お灸をすえるには時期が早すぎた。まるで後からこじつけたような不自然な理由だ」

 的確に息子だけに毒を盛りたければ菓子のほうに入れていたはずだし、そのほうが確実だったはずなのに……というのがくまんつ様の見解だ。

「それに俺が知っているヴィルの父上は、そういう感じの親ではなかった。陛下は常に近い場所にいて一から十まで細かく叱る人だったが、カール殿下は一度だけ静かに諭すように注意して、あとは遠くから見ている感じだった」

 その後、ヴィルさんは無事に鑑定魔法を習得し、口に入れるものはお友達の分も含めてすべて調べるようになる。
 しかし、前のように喜んでお菓子を食べることはしなくなった。

 彼はダイニングに遅れていくこともなくなったけれど、海のものは一切食べなくなり、食べ物に対して興味を示さなくなった。
 お父様からの差し入れは中身を見ずにすべて受け取りを拒否した。
 食事中、常に周りを気にしていて、また誰か倒れるのではないかと不安そうにしていた。
 ストレスで体調を崩すことが何度かあったらしい。
 幼いヴィルさんは、深く傷ついていた。

 ヴィルさんがその件についてお父様と直接対話を持つことはなく、長年お父様とはギクシャクしたまま。そして真相も分からないままだそうだ。

「ヴィルにはお父上を恨むことはできない。子どものように拒絶する以外のこともできない。信用できないのに信じたい気持ちが捨てられず、その気持ちを吐露することもできない。彼は親への気持ちをひどく拗らせている」

 くまんつ様は長年、彼が苦しむ姿を一番近くで見てきた。
 だから、彼があれを食べたい・これを食べたいと言うのは奇跡のようだと言う。

「しかし、これはあいつ自身が自ら行動しない限り解決しない。彼に対してお父上はずっと変わらない。叱って諭す、見守る。これを繰り返している。あいつはお父上が他人に対して見せる姿を、自分に向けられたものと混同している気がする」

 過去に何かあったのだろうとは思っていたので、くまんつ様から話を聞けて良かった。

 わたしが厨房にいる間、ヴィルさんはそばにいて話をしたり、お手伝いをしてくれたり、時間が許すかぎり一緒に過ごしてくれる。
 海のものは嫌いだと言っていたのに、わたしが作ったものに何が入っていようと「美味い」と言う。
 一度食べた料理は、仮に料理人が調理しても「リアの料理」と認識しているらしく、喜んで食べていた。

 彼の口から、魚介類を嫌う人にありがちな「味や匂いが嫌い」「見た目が気持ち悪い」という類の言葉が出たことは一度もなかったし、美味い美味いと口に運ぶ様子は食にトラウマを抱えた人には見えなかった。
 ヴィルさんの食わず嫌いは、お父様に対する複雑な思いが食と結びついてしまった結果なのだろう。


 「あるがままでいい」と、アレンさんは言った。

「リア様といれば、放っておいても何でも食べられるようになります」
「わたしはシンドリ先生の作ったもの以外は何でも美味しく頂けますのでね」
「この間は、私と一緒に平民に紛れて揚げ鶏にかぶりつきましたね」
「ホホホッ、母国では淑女も揚げ鶏をガブリとやるのが当たり前ですものっ」
「今度、シンドリが監修した薬膳料理の店に行ってみませんか?」
「ええっ! シンドリ先生が料理の監修? それ、大丈夫なのでしょうか……」
「奇跡的に美味らしいですよ。体に良いと話題で、行列ができているそうです」
「わぁ♪ それは行かなくてはですねぇ」

 わたし達もあるがまま。
 ヴィルさんに「何か作って」と言われたら、できる範囲で応えたい。
 幸いプロの料理人がそばにいる。皆に協力してもらいながら色々と作っていくつもりだ。
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