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8−2:出会い(POV:ヴィル)

第138話:フギンの二番

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「アレン、ちょっと頼みたいことがある。いいことを思いついた」

 俺は机の引き出しを開け、濃紺に光る細身のペンを取り出した。以前、褒賞として叔父から貰ったものだ。
 なかなかに上質なペンだが、今はもう少し軸の太いものを愛用しているため、しばらく使っていなかった。神薙の小さな手でも、これならば馴染むだろう。

「これをお前のペンだと言って神薙に貸せ。インクをつける必要がなく、滲まないから便利だと言えばいい」
「しかし、これは……」

 クリスがまたもやヌッと首を出し、「ほーん、エルディル防衛の時の褒賞か」と言った。

「今思えば、あの頃はご褒美が出ただけ幸せだったよな。最近なんかタダ働きだぞ?」
「そうボヤくな。これをリア様に?」

 俺は頷いた。

 魔力ペンは、ペスキーという魔法植物が内蔵されており、人の魔力に反応してインクを生成する仕組みだ。
 ペスキーはペン軸に入るほど小さな植物で、魔力を食い、インクを吐き出す。エサとして必要な魔力はごく微量で、蓄えた魔力で十年くらいなら食わなくても平気で生きていられる。
 インクとしては実に優秀だが、草むらに入ると色とりどりの野生ペスキーが服にくっついて服を汚すので、別名は「ひっつき虫」だ。
 人の魔力量を測る……というより値踏みする・・・・・能力を持っているため、魔力測定器の機構の一部としても利用されている。
 性格はひねくれていて最悪。見た目に反してちっとも可愛げがない。

 我々はインクを出させるために少しだけ魔力を流してエサをやってから字を書くが、魔力操作のできない神薙は、そもそも魔力を垂れ流している可能性が高い。
 それを踏まえると、魔力ペンとの親和性は最高だ。
 ペスキーは大喜びで神薙の魔力を食うだろう。しかし、とても全部は食べ切れない。そうすると取り込んだものがインクに混じって出てくる。神薙の手から漏れた魔力が、すべての字に移るはずだ。
 インクと共に紙に染み込むわけだから、定着率も高いのではないだろうか。我ながら名案だ。

 「しかし、これは高魔力者用ですよ?」と、アレンが言うと、クリスがペンの職人名と型式を聞いた。

「フギンの二番と書いてあります。リア様の魔力量が我々と同程度以上でないと使えません」
「魔力量はともかく、しばらく使っていないペンなら試し書きをしたほうがいい。ペスキーが生きていても機嫌が悪いとインクは出ないぞ。ヴィル、なんか紙ないか?」

 俺はやけくそ気味に「そこら中に散らばっているだろう」と答えた。
 少し前からアレンが拾い集めてはいたが、依然として部屋はひどい有り様で、足の踏み場もない。
 俺は床を見渡し、落ちている紙の中から落書きをしても良さそうなものを見つけてクリスに渡した。

「お、ちゃんと書ける。ほら見ろ、クマだ」

 クリスは死ぬほど下手くそなクマの絵を描いていた。
 耳が頭の上と真横に二つずつ付いていて、目の焦点が合っておらず、人と同じ形の鼻が付いていた。口から見える歯はサメのようにギザギザだ。
 うっかり見てしまったアレンが、腹を抱えて痙攣していた。可哀想に。油断したな……。

「アレン、こいつの絵を見てはいけないと、昔教えてやっただろう」
「失礼だな。クランツ画伯と呼びたまえ」
「これはクマを見たことがない人が描く絵だぞ。耳が四つもある」
「ふっ……さては、俺の才能が恐ろしくなったな?」
「常々、別の意味で恐ろしいとは思っているよ」

 「これこそがゲイジュツだ」とふざけているクリスからペンを奪い、腹を押さえて死にそうになっているアレンに手渡した。

「使えなかったら別のものを用意すると伝えろ。いずれにせよ、字を書くなら魔力ペンは買ったほうがいい」

 アレンはぷるぷるしながら「分かりました」と言うと、ペンを胸のポケットに入れた。

 クリスの良いところは手紙を見せろとまでは言わないところで、何だかんだ文句を言いながらも部屋を片付けてくれるのがアレンの良いところだ。俺は友人に恵まれている。


 二人が帰った後、懐から神薙の手紙を取り出した。
 バラの印で封をしてある。
 神薙の紋は百合だ。別の印を誰かに用意させたのだろうか。自分が神薙だと分からないようにしたいらしい。

 出会った日、彼女は名前こそ名乗ったものの神薙だとは言わず「外国から来たばかり」とだけ言った。
 嘘ではないにせよ、なぜ隠す必要があるのだろうか。神薙だと言えば俺に何でも言うことを聞かせられるのに。

 しかし、俺にとっては好都合だった。
 ヴィルヘルムなんて、どこにでもよくいる名で良かった。
 ややこしい出自のせいで近寄ってくるのは下心が見え見えの連中ばかり。こちらの顔色を気にしない人物との交流は貴重だ。
 ましてやそれが異世界から来た可憐な神薙なら、なおさら歓迎だった。

 封を開けると、あの横道で出会った日と同じ花の香りが広がった。うっかりすると理性をぶっ飛ばされそうな魅力的な香りだ。
 これで本人がまるで無意識だというから、側近の護衛は色々な意味で大変だ。アレンが神経質になるのも納得だった。

 俺の腕の中で恥じらってうなじまで真っ赤になっていた彼女を思い出した。あれしきのことで恥じらうなんて、とても神薙とは思えない。

「字も可憐か……」

 便箋に並ぶ小さな字は、濃いところと薄いところがあった。ヒト族のペンとインクで書いたのが一目瞭然だ。
 文字を指でなぞってみたが、文字から魔力の気配は感じられない。
 右の三本指に意識を集中して便箋全体をゆっくりなぞると、魔力を感じる箇所となんともない箇所があった。
 魔力残りは便箋の左端にまとまっているようだ。字を書くときに押さえていた場所……神薙が長時間触れていた場所に多く残っているのかもしれない。

「この花の香りはどこからだ? 紙全体ではないな……これも端のほうだ」

 花の香りの発生源と魔力残りは、必ずしも場所が一致していなかった。

 手紙を撫でまわし匂いを嗅ぐ自分の姿を客観的に見るとほとんど変態だ。そう言えばクリスも「ド変態野郎」と言っていたっけ。
 研究熱心と言ってほしいところだが、まあ変態でも結構だ。

 神薙の手紙は予想以上にきちんとしていた。
 助けてもらったことへのお礼と、無事に回復したことの報告が書かれていた。
 お礼の菓子を用意したとは書いてあったが、アレンを騙して自分で作ったとは書いていなかった。

 卓上のベルを鳴らした。
 従者のキースが「お呼びですか?」と言って入ってくる。

「ベルソールに使いを出してくれ。菓子以外で、若い女性が喜びそうなものを買いたい。あまり高額でなく、しかし国内で市販されていない上質なものがいい。相手に礼を言わせるのが目的だと伝えてくれ」
「はい。かしこまりました」

 可憐な神薙よ。
 魔力ペンを使って、もう一度俺に手紙を書いてもらうぞ。
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