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8−2:出会い(POV:ヴィル)

第135話:厨房の秘密

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 アレンは神薙と使用人の距離が近すぎると感じていた。
 仲良くなりすぎると主従の均衡が崩れる。神薙に不敬を働く者が宮殿の中に現れると厄介だ。
 彼は本来あるべき適切な距離になるよう、使用人からも少し距離を置かせようとした。

 ところが、神薙はすばしっこい小リスだ。
 アレンと二人で宮殿内を歩いているとき、急にひらりと身を翻したかと思うと使用人に近づいていった。
 彼は後になって、この時すでに巧みな陽動の片鱗を見せていたと話している。
 神薙は彼の一瞬の隙を突くように次々と使用人に接触し、密接な関係を築いて仲間に引き込んでいった。

 喋りながらメイド達の掃除を手伝い始めてしまい、アレンが全力で止めたという話は、腹を抱えて笑った。
 俺が「やらせてやれば良かったじゃないか」と言うと、アレンは顔を真っ赤にして「もうやっていたのですよ! 恐ろしく慣れた手つきで雑巾を絞っていたのです! あの白い手に雑巾、もう耐えられない!」と悲鳴を上げていた。
 当代の神薙に対して若干潔癖の気がある彼にとって、雑巾を絞る姿は衝撃的だったようだ。

 神薙はセッセと宮殿の中を散歩していた。
 厩舎には馬に差し入れを持って会いに行くらしい。気性は最悪だが脚だけは速いスロウという馬が、神薙にだけは大人しく懐くそうだ。居候の猫達とも仲が良いという。

 人も動物も神薙の味方につく。アレンは徐々に追い詰められていた。

 アレンは苦し紛れに「けがれているから厨房と使用人には近づくな」と言った。
 しかし、神薙は自分の宮殿の使用人を侮辱するなと言って、アレンと舌戦を繰り広げた。
 神薙が平民の味方をして侯爵嫡男を叱ったのだ。まったく面白すぎる。

 予想外の展開にアレンは動揺した。
 彼は彼で神薙がどのような人物かが分からない中で手探りをする毎日だった。
 かつての神薙とは違う。それは見れば分かる。ではどう違うのか。細かいことは一つ一つ確認するしかなかった。

 やり方を間違えたのではないかと気づいたときには、もう引っ込みがつかない状況だった。
 苦しい言い訳で遠ざけようとすればするほど、神薙は厨房へ近づきたがった。

 当初「料理がしたい」と言っていた神薙は、一般常識として料理が駄目なのは理解したが、せめて料理人に挨拶をさせろと要求してきた。
 それが一番良くない。料理人に会わせたくないから厨房に近づいてほしくないのだ。
 その頃には、アレンも詳しい事情を知っていた。

 俺が最初にきちんと説明をしておけば、また違った状況になっていたかも知れない。少なくとも「穢れているから近づくな」とは言わなかったはずだ。
 もはやアレンの味方は、諸事情を知っている執事長のみだった。

 最初から俺達の敗北は決定していた。
 あの神薙には、すべて本当のことを説明して「料理長への配慮をお願いする」という対応が正しかったのだろう。

 ついつい動物的だった先代の神薙と同じように扱ってしまう。これは叔父も同じことを言っていた。
 神薙と聞くと習慣的にそうなってしまうのだ。我々は意識を改めなければならない。

 神薙はアレンに奇襲をかけ、正面突破して厨房へ辿り着いた。
 その後、料理長に何かあったという報告は上がっていない。
 料理長さえ何ともないのなら神薙は自由だ。料理がしたいのなら常識の範囲内でコッソリとやればいい。

 「料理長は元気か?」と尋ねた。
 「何の影響も受けていないようです」と、アレンは答えた。

「神薙は料理長と話をするのか?」
「はい。かなり頻繁に」
「そうか。それならもう自由にさせてやれ」
「承知しました」
「ヒト族の男が何ともないのと同じなのだな……」
「おそらくは。それに、リア様は先代と違って、常にあの妙な力を撒き散らかしているわけではありません」
「まあ、いつ出るか分からないから用心に越したことはない」

 「発情すると出るのだろう?」と、クリスがよそ見をしながら言った。

「それは間違いないです。でも、うちの団員を見ても特にそういう気配はないですね」
「つくづく優等生だ。相変わらず一人で寝ているのだろう?」
「はい。たまに抱いているものと言えばクッションですね」
「はははっ」

 アレンの話に笑っていると、クリスがこちらを見ながら神薙のパイをサクサクと齧っていた。

 おいぃ……
 なぜ お前が 食べるのだ……。

「ヴィル、すごいぞ。めっちゃくちゃ美味だ」
「先に食べるな!」
「もっと良い茶を持ってくるべきだったなぁ」
「普通の茶を買ってこい!」
「食べ終わってからな」
「お前はそれ以上食べるな!」
「けちけちするな」
「俺への贈り物だぞ」
「リア様が宮廷訛りだと教えたのは誰だったかな?」
「くそ……、半分までだ!」
「ヴィル、茶を頼んでくれ」
「自分で行け。いない隙にすべて食べるのが見え見えだ!」
「物凄く美味いが、水分が欲しい」
「お前が頼んでこい!」

 結局、我々の醜い争いを見かねたアレンが喫茶室へ茶を買いに行ってくれた。
 トレイにカップを三つ乗せて戻ってきた彼は「いい歳の男が菓子を取り合って食べるのはいかがなものかと思いますよ」と呆れていた。

 俺も心からそう思う。
 しかし、ここで俺が何もしなければ、クリスがすべて食べ尽くす。
 俺は致し方なくこの毛むくじゃらに対抗しているのだ。これは決して本意ではない。

 「書記も食べたのか?」と、クリスが尋ねた。
 「はい。美味だったので、おかわりも頂きました」と、アレンは言った。

「いい歳の男が菓子をおかわりとはいかがなものか」
「人のものを奪って食べている人に言われたくないですよ……」

 またアレンのため息が聞こえた。
 いいぞ、アレン、もっと言ってやれ。

 二十分もすると、俺とクリスはホウ~っと満足の吐息をついていた。
 異世界の菓子は甘さがちょうど良い。微かに塩が利いていて美味だった。
 アレンが持ってきた普通の茶との相性も良かった。

 「最初の茶は芝生みたいな味がしたな。お前が何ともなさそうだからあえて言わなかったのだが」と、クリスが言った。

 なんてひどい奴だろう。
 ミントの茶だと言って持ってきたのは彼だというのに。
 俺は悲しくなってきた。

「あれ、好きじゃない……」
「泣くなよ、悪かったよ」
「泣いていない」
「お前が口に入れるものにあまり興味を持たないからだぞ?」
「んむ……」
「少し刺激してやろうと思って、色々持ってきているだけだからな?」

 「分かっている。ありがとう」と、俺は言った。
 黙って聞いていたアレンが、僅かに口角を上げた。
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