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ヴィルさんはずるいです

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「ヴィルさん、お仕事は終わったのですか?」
「うん、さっきフィデルに頼んだ」
「フィデルさんは、護衛のお仕事中ですよ?」
「とても手伝いたそうな顔をしていた」

 ヴィルさんは嘘つきです。
 フィデルさんとは、あとで一緒に厨房へ行こうと約束をしていました。

 彼はニコニコしながら、わたしの体の向きを九十度くるりとさせると、軽く肩を押した。

「ん? 何をしているのですか?」
「リアはすぐに立っていられなくなってしまうから」
「んん?」
「寄りかかるところを作ってあげている」

 なぜかわたしは壁に押し付けられていた。
 上から甘くて危ない粉(?)がサラサラと降り注いでいる。
 嫌な予感。ナイヤガラが来る。

「こ、こんなに人が通るところで何を……?」
「誰も来ないさ」
「待っ、ここはメイドさんも通……っ」

 相変わらず彼は話を聞いてくれない。
 抵抗しようとした手に指を絡めて封じると、当たり前のように唇をふさいだ。

 誰が見るかも分からない、誰が聞いているかも分からない、そんな場所でも彼はいつもお構いなしだった。
 甘い音を立てながら何度もわたしの唇を奪い、思考を奪い、抵抗する気力を奪う。
 リアはすぐに立っていられなくなってしまうと彼は言うけれど、わたしも好きで腰を抜かしているわけではない。
 ヴィルさんが何もしなければ、そんなことにはならないのだ。

「……っ」

 僅かに唇が離れた隙に顔を背け、手で口を押さえた。

「リア、機嫌を損ねないでくれ」

 ちがう。
 機嫌が悪いわけじゃない。
 心臓がバクバクして、頭が真っ白になって、自分ではなくなっているような気がして怖いだけ。
 自分が彼に溺れていくような気がして、すごく怖い。
 彼のことは大好きなのだけど、なぜか怖くて体が震える。

 彼はわたしを軽々と抱き上げると、中央の階段を上がった。
 そして、わたしの部屋のドアを開けさせると、「呼ぶまで自由にしていてくれ」と言って、侍女と護衛の隊長さんを払った。

 自分がどんな顔をしているのかは大体想像がつく。
 わたしは恥ずかしくて、彼の胸に顔をうずめていた。
 アレンさんがそばにいたら、「ベタベタ触るな」と叱ってくれただろうに、彼は何か用を言いつけられていて今日はわたしのそばにいられなかった。


 王宮からの使者が、お見合い相手のリストを持って何度かやって来ていた。
 その一覧表は日々更新されており、わたしの手元に届いた最新版は五枚つづりだった。
 わたしはそれをめくりながら、たった一人の名前を探していた。お見合いをしなくても、夫探しを一撃で終わらせることが出来る人物の名前だった。
 
 ヴィルヘルム・ランドルフ……
 ヴィルヘルム・ランドルフ……

 リストは速報なので、明日も明後日も内容が変動する。
 王宮のふるいにかけられ、昨日まであった名前が翌日消えていることもあった。
 速報はあくまでも受付と審査が行われている状況を見るためのものであって、最終報が来るまでの間は一喜一憂しても仕方がないと分かっている。

 本人に聞く勇気があれば、そこに彼の名前がない理由は分かるはずだった。
 ただ、神薙は落ち込んだり悲しんだりしてはいけないと言われている。自ら傷つきにいくのは何か違うし、勇気は出なかった。
 次にリストが更新されたとき、また確認すればいいと思うようにした。


 彼はわたしをソファーに座らせると、左耳に小さなキスをした。

「リア、こっちを見てごらん」

 言われるがまま彼を見ると、エメラルドがこちらを見ていた。

「……っ」

 また体が強張って動けなくなった。

 ヴィルさんは、ずるい。
 そうやって見つめられると、わたしがこうなるのを知っているくせに。
 アレンさんとフィデルさんを遠ざけ、抵抗できないようにして、まるで恋人のように彼は振舞う。
 それなのに、現時点で彼はお見合いの対象にすらなっていなかった。

 ヴィルさん……
 好いてくれているように思えるのは、わたしの勘違いでしょうか。
 頑張っても、あなたの奥さんにはなれないのでしょうか。
 わたしが他の人と結婚しても、ヴィルさんはなんともないですか? やっぱり遊んでいるのでしょうか。

 ヴィルさんは、ずるい。
 わたしが彼を大好きなことも、全部、分かっているくせに……。

 お見合い相手のリストは何度か更新され、人数が増えたり減ったりした。
 そこには身分の高い者から順に名前が書かれているので、ヴィルさんの名前を書くとしたら、一番上になるはずだった。
 しかし、一番上は常にくまんつ様の名前が書いてあり、その下にアレンさんの名前があった。
 何かの間違いで下のほうに書かれているのではないかと、毎回すべてのページをめくって確認した。
 けれども、ヴィルさんの名前は一度も出てこなかった。

 色々考えすぎているせいかも知れないけれど、彼にぐいぐい迫られた日は知恵熱が出た。
 そして、そんなモヤモヤとした状況のまま、お見合いの日がやって来た。
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