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オジサンの日記です…

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 そこから先を読むと、オジサンの涙ぐましいガマンの記録だった。
 彼はガマンするために頭の中で算数をやっていた。すると、神薙様に「どこ見てんだ、このカス」と叱られた。仕方がないので、オジサンは気を散らすために食堂のおばちゃんの顔を思い浮かべた。しかし、それは強烈すぎてフニャッとなりかけた。いよいよガマンできなくなってきて、頭がおかしくなりそうになった。すると、頭の中で教会の鐘が大音量で鳴り響いた。そして、オジサンは、「あいッ!」という変な掛け声とともに果てたようだ。
 約二十ページに渡り、フィニッシュまでの葛藤と苦労の様子が書かれていた。
 もはや笑ってやるべきなのか、同情してやるべきなのか、よく分からない本である。

 ただ、収穫もあった。
 先代の神薙は、自分を満足させられなかった夫との間には『生命の宝珠』を作らなかったということが、この本から分かる。
 これがまかり通ったのならば、神薙がビッチなのに少子化を招いた謎にも説明がつく。

 『生命の宝珠』は神薙の財産の一つだけれども、神薙本人と国王の許可、それから神薙に支払う費用さえ用意できれば、夫側の遺伝情報を組み換えることができるし、譲渡も可能だった。
 つまり、夫になれなかった人にも後継ぎが持てる技術とルールが確立されている。
 しかし、そのルールの部分に、「もし神薙がワガママで意地悪な人物だったら」という想定がないのだと思う。
 作らない・あげない・売らない・法外の値段で売る、これらが簡単にできた可能性が高い。
 希少価値を高めて金額を吊り上げ、それ欲しさに寄ってくる人々をコントロールして財をしゃぶり尽くすこともできるだろう。
 悪いことをしようと思えばいくらでもできてしまうのだ。

 一斉検挙された魔導師団の家から、国に報告されていない大量の『生命の宝珠』が押収されたという記事が新聞に載っていた。それもこの件と無関係ではないと感じる。

 なんだか嫌な感じです、先代の神薙さん。
 黒いですねぇ……。

 わたしの視界にまで黒いものが垂れ込めてくるようだった。
 冷気が広がり、上から黒い霧が降りてくる。
 床がぐにゃりと上に向かって反り上がってきた。

 ん?
 違う、錯覚じゃない。
 わたし、なんだかおかしい。

「あれ?」

 ぐるんと世界が回った。
 ひどい眩暈で、わたしは後ろによろめいていた。

 あ……倒れ……。

 のぼせ気味のところ、水分補給もせずに突っ立っていたのがまずかったのかも知れない。
 オットット…と、後ろに体が倒れていくので、踏ん張ろう、バランスを取ろうと頑張った。
 ところが、なまじ部屋が広くて障害物がないため、そのままどんどんヨロヨロと後ろに進んでしまう。

 あっ、あぶっ、危ない……ッ…

「リア様! 誰か! 誰かーっ!」

 侍女長が叫んでいた。
 腰がチェステーブルにぶつかったところで止まったけれど、まだ頭がフラフラとしていた。勢い良くぶつけたところが少し痛い。
 この状況で人は呼びたくないけれど、そう思ったときにはもう遅かった。悲鳴を聞きつけ、部屋の外に立っていたオーディンス副団長がバァンとドアを開けて飛び込んできていた。

 目を見張るようなスピードだった。
 ズバッとわたしの後ろに回り込み、ガバッと抱き上げると、そっとソファーに座らせてくれた。
 体感でわずか数秒。
 ちょっと待って、この状況で護衛の人達を呼んだら、今すっぴんだし、ガウンは着ているけどナイトドレスだし! と、思ったときには、もうストンと座っていた。
 しかも、座らせるときに優しさを添える余裕すらある。
 彼は理解不能な機敏さを持ち、仏像なのに「中の人」がイケメンで、感情が分からない自動応答みたいな喋り方をするくせに、実は優しいのだ(ややこしい)

 そんなわけで仏像様にすっぴんを見られました。
 しくしくしく……

 侍女がグラスに注いでくれたレモン水をグイっと一気に飲み干した。じわっと体に染み込んでいくようだ。
 あっという間に二杯を飲み干し、さらに三杯目の半分までいった。
 温泉は入浴前後の水分補給が大事だと痛感する。反省しています(しょぼん)

 「もう大丈夫です。すみません」と、皆にお詫びをした。
 まだ心配そうにしている侍女トリオに手をふりふりして元気をアピールした。
 ところが、お部屋の中の空気は依然として暗く、ドンヨリと重苦しかった。

 う、うわぁ……皆さん、どうしちゃったのでしょう??

 オーディンス副団長はわたしの前に跪いて青ざめていた。
 普段、彼は石か鉄でできた像なのに(?)今日は妙に青くて青銅のようだ。
 その後ろでは侍女三人が身を寄せ合い、一様にションボリしていた。もう一人、ドアの前では隊長さんがボーゼンと立ち尽くしている。

 お、おーい……
 皆さん、しっかりしてください。

「申し訳ありません。あの本のせいで……おいたわしい。すべて私の責任です」

 彼がいつもの無表情を崩し、苦しげに言った。

 おいたわしい?
 本のせい?
 ……はっ! まさか、わたしがあの本のせいで倒れたと思っているの?
 違う違う違う。違いますっ。

「ちょっと長湯し過ぎただけですから、気にしないでください。大丈夫ですよ、ぜんぜんっ」
「最初に私がお止めしていれば、こんなことには」
「いや、それは違うと思……」
「申し訳ありません」
「はぅ……。平気……ですよ?」

 なんというか、周りのぶっちぎった過保護が、わたしを「ただの湯あたり」にしてくれない。本一冊で倒れるような人間ではないのだけど、とてもとてもナイーブな人だと勘違いされてしまっている気がする……。

 「神薙が退位すると、必ずあのような本が出るのです」と、彼は言った。

「え、暴露本なのですか? あれ」
「そのようなものです」

 あ、ああ~~! なるほど。
 だから教本でもなく、エッセイにしては上から目線で、何が目的なのかよく分からない日記のような本だったのですねぇ~。
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