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第十三章 呪兄

第293話:ヴィルパパの解呪

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 迷わず治癒魔法を発動させた。
 治癒を浴びて痛みや不快感を和らげながら少しでも前に進めるのであれば、魔力を温存しておく必要はない。

 お父様は少し安堵した顔で「助かる」と言うと、治癒魔法の中をゆっくりと歩いて赤い椅子を越えた。
 無事に全身が五メートルの解呪エリアに入ると、体の周りに黒いススのようなものが現れ、パラパラと床に落ちていった。
 お父様は深い吐息をついた。

「兄上、辛くないか?」
「痛みが消えた。倦怠感もない。おかしな眩暈も止まった」
「どこも何ともないのか?」
「ああ。驚いた……。ここまで急に効果が出るものだろうか」
「治癒魔法もありったけ浴びたからだろう」
「体が軽い。何十年ぶりだろうな。若返ったような錯覚すらあるぞ」

 二人はホッとした表情を見せていた。
 ヴィルさんはお父様の服に付いた大量の黒い粉をパタパタ払い落とすと、ほうーっと息を吐き出し、わたしの隣に立った。

「これでようやく紹介できます」

 彼の表情はやや複雑だったけれど、概ね嬉しそうだった。
 陛下とお父様も微笑んでいたし、アレンさんも嬉しそうにしていた。
 ようやく、本当にようやく……、義理の父になる人に紹介してもらえる。

「私の婚約者、神薙のリアです。以後、よろしくお見知りおきを」
「不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」

 顎を引き、左手を胸に当てながら片足を半歩引いて軽く膝を曲げた。
 この国の女性のフォーマルなお辞儀だ。

 スカートの裾が床に落ちると格好が悪いので、右手で軽くつまんで床すれすれのところまで持ち上げる。しかし、足首が見えるほど持ち上げるのは「はしたない」ので要注意。
 長いドレスだと足の動きは見えないけれども、背すじが伸びた状態で頭が上下に動いていることが重要だ。その高低差があるほど美しいとされているため、どちらの足でもいいから「より踏ん張れるほうでやる」のがポイントだ。
 オルランディア貴族になりたければ脚を鍛えておいて損はない。

 わたしの身分が高いこともあり、このフォーマルな膝折礼は使う場面がほとんどなかった。
 むしろ「安易に頭を下げるな」とさえ言われているので、数えられるほどしか使わないかも知れない。これはそのうちの貴重な一回だった。

 お父様も礼をもって応えてくれた。
 男性の場合も左手を胸に当てはするけれど、相手の顔を見たまま片足を一歩引くことによって上半身を前傾させる。同時に右手は腰(後ろ)へ回すことになっていた。
 この手の動きは、相手に対して敵意がないことを示すため、剣から離れた場所に手を置いたことが起源らしい。

「ご丁寧に痛み入る。このたびは大変な慈悲を賜り恐悦至極。我が名はカール・オルランド・ランドルフ。王兄で兵部大臣などを務める者……」

 そう言うと、お父様は微笑を浮かべた。
 こんな真面目な場面で不謹慎だけれども、やっぱりイケオジすぎる。

「かつては王太子だの黒豹だのと呼ばれていたのだが、最近では実弟から『呪われ兄貴』と言われ、愚息からは『ひょうきんなオッサン』呼ばわり。しかしながら、命を奪わんとする呪符が何枚も貼られた屋敷で、数十年生きていた奇跡のオヤジ」

 ぶふっ!
 ダメだ。
 「奇跡のオヤジ」で噴き出してしまった。
 とっさに口を押さえたけれど、とても誤魔化しきれない。

「腕っぷしと精神の頑丈さには自信がある。王国のため、そして大陸のため。仮に愚息が夫でなかったとしても貴女を守らせて頂く」

 「心強いお言葉をありがとうございます」と答えると、お父様はニッコリと満足そうに微笑んだ。

「よくできた神薙で驚いた。この短期間によくこれほどの技術と知識を身に着けたものだ。神薙にしておくのはもったいない」

 また褒められてテレテレしていると、微笑んでいたお父様は急に真顔になって「息子に飽きた際は私の存在を思い出して頂きたい」と言った。

 お父様はわざと真顔で冗談を言う人のようだ(笑)
 わたしがクスクス笑っていると、ヴィルさんが髪を逆立てた。

「父上ッッ!! 変なことは言わない約束でしょう!」
「なんだ? 冗談の通じない息子だな……」
「真顔で言うから、分からないのですよ!」
「分からないのはお前だけだ。空気を読め、空気を」
「はあああッッ!?」
「賢い者にしか分からない冗談だ」

 陛下が「ふぐっ、ぐくっ」と謎の音を出したかと思いきや、クックックと笑い出した。

 ヴィルさんのお父様は、色んな意味で想定外の楽しいオジサマだった。
 そしてヴィルさんは、やっぱり今日もワンワンキャンキャンしていた。

「リア、もう行こう!」
「あら? これからお父様の執務室も確認するのでは?」
「そうだった……。とっとと終わらせて帰るぞ!」
「でも、わたし、お聞きしたいことがあって」
「どうした?」

「あのぅ、少し気が早いのですが、お義父様とお呼びしてもよろしいでしょうか」

 殿下とか大臣とかランドルフ様とか、呼び方は色々あれど、どれも何だか変なので、もうオトーサマと呼ばせて頂けたらと思ったのだ。
 すると、お父様は嬉しそうに「是非に」と言ってくれた。

「こちらも周りにつられて、勝手にリアちゃんなどと呼んでしまっているが嫌ではないか?」
「そう呼んで頂けると嬉しいです。家族ですので呼び捨てで全然構いませんので」
「そうか、そうか」
「どうぞ末永くよろしくお願い致します」
「ああ。しかしまあ、笑うとまた愛らしいな……」

「ちーちーうえー、息子の婚約者を口説くのはやめて頂けますか!」
「事実を描写しただけだろう」
「まったく兄弟して油断も隙もない!」
「お前だけだぞ、そんなふうに考えているのは」

 プリプリするヴィルさんを見て陛下とお義父様は顔を見合わせて笑っている。
 ようやく落ち着いてお義父様と話ができると思いきや、突然ガバチョッと抱き上げられた。

「なっ、な……っ?!」

 犯人はヴィル太郎である。
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