上 下
246 / 352
10-5 POV:リア

第240話:魔素茶ダッシュ

しおりを挟む
 ヴィルさんの甘いお口から放たれて宙を舞った魔素茶は、彼のお高い服と超高級カーペットにパタパタと落ちていった。

 シンドリ先生の真っ白で長いお髭と、柔和な笑顔に騙されてはいけない。
 あの方は美味しくないものを作る天才オジイチャンだ。

「おいしくないって言っているのに、たくさん口に入れるから……」
「お……お……おお……ぉ………」

 明日は朝一で二人分の服とカーペットのシミ抜きを頼まなくては。
 ああぁ、魔法が使えればシミ抜きなんて余裕なのにぃ。
 あとでヴィルさんの浄化魔法を試してもらおうかしら……
 そんなことを考えながら、言葉が出ないほどダメージを受けている彼の背中をさすった。

 魔素茶は苦い。
 口の中と脳がシビれるような苦さが襲ってくる。
 しかし、その苦みは長く続くものではなく、一瞬「あれ?平気かも?」という気にさせられる。だから一口目は飲み込むことができるのだ。
 そして調子に乗って二口目に差し掛かると、一拍遅れて謎のえぐみが口の奥をビリビリと刺激し始め、魔素茶は牙を剥く。
 口の痺れに動揺していると、今度は得体の知れぬ臭気が鼻の奥を突き上げ、体が全力でそれを拒絶するのだ。
 これは世界征服を企む天才オジイチャンが作り出した化学兵器のようなお茶だ。

 ヴィルさんの口元を拭いてあげると、彼は涙目でプルプルしていた。

「こんなに酷い茶は初めてだ。執務棟でクリスが買ってくる変な茶が美味にすら思える」

 わたしの目からも涙がテロテロと流れていたので、思わず窓から空を見上げた。
 綺麗なお月様が見える。
 良かった。えずいた時の生理現象で出た涙は天気に影響しないようだ。

 ヴィルさんは「砂糖を入れたら飲めるのではないか」と言ってシュガーポットを開けると、スプーンに山盛りにしたお砂糖を三回ほどカップに放り込んでグルグル混ぜていた。
 わたしは「余計マズくなる気がしますよ?」と言いながら、ショックで腰を抜かしていたメイドさんに声を掛けるため席を立った。
 かわいそうに、まさかここに美味しくないお茶が持ち込まれるなんて思いもしなかっただろう。知らぬ間に自分が毒入りのお茶を淹れてしまったと勘違いし、ショックを受けてしまったのだ。
 メイドさんと一緒にあちこちに飛んだマーライオンの飛沫を紙ナプキンで拭き取った。

「よし。リアはちょっと待っていろ。俺が毒味をする」

 彼は眉をキリリと上げて言うと、中腰でいつでも駆け出せるような体勢を取った。

 それはスピードスケートの選手が「位置について」の号令と同時にとる姿勢であって、決してお茶を飲むときの構えではない。
 しかし、再びここでマーライオンに変身して『ヴィル汁』をまき散らすよりは、その姿勢で飲んだほうが効率的で良いかも知れない。

 案の定、口に含んだ瞬間「ふぐッ」と顔をしかめ、彼はだいぶフライング気味にスタートを切った。
 そのまま猛スピードでバスルームへ向かってダッシュしていく。
 『魔素茶ダッシュ』初代ゴールドメダリストが誕生した瞬間である。

 わたしは「やっぱりね」と呟きながら、サロンを駆け抜ける未来の旦那様にハンカチを振った。
 こんな時に不謹慎だけれども、彼の走っている姿も素敵だ。腕の振り方がいい。フォームが美しいわ。

「変な化学変化を起こしているかも知れない。砂糖は危険だからやめておこう」

 彼はハンカチで涙を拭いながら鼻声で言った。涙目を通り越してボロボロと泣いている。
 口直しに普通のお茶を飲み、肺ごと吐き出しそうな勢いでため息をついた彼は「普通って尊いよな」と言った。
 もともと飲食に保守的な彼が、よくこんなものを何度も飲んだな……と感心してしまう。

「冷やしてみましょうか。わたしの国には千回振り出してもまだ苦いセンブリ茶というのがあって、それは冷やして飲むと多少マシだと聞いたことがあります」

 その冷やしたセンブリ茶もイタズラと罰ゲームでお馴染みだったけれど、とりあえずそれは言わないでおいた。
 彼は「よし! 冷やすのは得意だ」と言ってカップに手をかざし、モニョモニョっと詠唱をすると氷の粒を降らせてお茶を冷やしてくれた。
 冷えた魔素茶を二つのカップに分け、今度は同時に「せーの」で飲んだ。

「んおっ」
「んんん……」

 破滅的においしくないけれども、後から来る謎の臭みが熱い状態よりも多少マシだった。ただ、やっぱり一口が限界で、二口目の壁は破れない。

 翌朝、魔力量を計測してみると、魔素茶を飲む前と比べて回復量が多いことがわかった。
 その差はかなり大きく、間違いなく効果があることを数字が物語っている。これはもう頑張って飲む以外にない。

 結局、お茶として飲もうとしていることが間違えているのだという結論に至り、冷やしたものを「苦いお薬として」飲むことにした。
 一口ずつを一日に何度も飲めばいい。欲張らないことが大切だ。
 慣れてきたら少しずつ量を増やしてみようかな。


 地獄の山ごもり訓練から戻ってきたアレンさんは、帰ってくるなり魔素茶の話を聞かされた。

「たかが茶で泣くとか……フッ」

 鼻で笑ってバカにする彼に、ヴィルさんが砂糖入りの魔素茶を勧めた。

「まあそう言わずお前も飲んでみろ。これが飲めたら凄いぞ」

 アレンさんは自ら志願して魔素茶チャレンジを行い、まんまとバスルームにダッシュした。
 そして、ジャバジャバと滝のような涙を流しながら「なんてものを俺の神薙に飲ませているのだ!」とプリプリ怒っていた。

 毎食後、小さなお洒落グラスに注がれた魔素茶をクーっとひと思いに飲み込む新しい生活習慣ができた。

「んぐおぉぉ…ぉ……まぁっずぅ……」

 余裕があれば食前にも飲みます。
 三時のおやつの前後も頑張りますっ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美しくも残酷な世界に花嫁(仮)として召喚されたようです~酒好きアラサーは食糧難の世界で庭を育てて煩悩のままに生活する

くみたろう
ファンタジー
いつもと変わらない日常が一変するのをただの会社員である芽依はその身をもって知った。 世界が違った、価値観が違った、常識が違った、何もかもが違った。 意味がわからなかったが悲観はしなかった。 花嫁だと言われ、その甘い香りが人外者を狂わすと言われても、芽依の周りは優しさに包まれている。 そばに居るのは巨大な蟻で、いつも優しく格好良く守ってくれる。 奴隷となった大好きな二人は本心から芽依を愛して側にいてくれる。 麗しい領主やその周りの人外者達も、話を聞いてくれる。 周りは酷く残酷な世界だけれども、芽依はたまにセクハラをして齧りつきながら穏やかに心を育み生きていく。 それはこの美しく清廉で、残酷でいておぞましい御伽噺の世界の中でも慈しみ育む人外者達や異世界の人間が芽依を育て守ってくれる。 お互いの常識や考えを擦り合わせ歩み寄り、等価交換を基盤とした世界の中で、優しさを育てて自分の居場所作りに励む。 全ては幸せな気持ちで大好きなお酒を飲む為であり、素敵な酒のつまみを開発する日々を送るためだ。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!

伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。 いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。 衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!! パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。  *表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*  ー(*)のマークはRシーンがあります。ー  少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。  ホットランキング 1位(2021.10.17)  ファンタジーランキング1位(2021.10.17)  小説ランキング 1位(2021.10.17)  ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた

愛丸 リナ
恋愛
 少女は綺麗過ぎた。  整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。  最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?  でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。  クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……  たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた  それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない ______________________________ ATTENTION 自己満小説満載 一話ずつ、出来上がり次第投稿 急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする 文章が変な時があります 恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定 以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...