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第九章 婚約

第190話:探しもの

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 ある日の午後──

 「アレン、あとを頼む!」

 ヴィルさんは急にそう言って飛び出していった。
 ダンスの練習を始めてまだ三十分ほど。
 王宮から使者がやって来て、彼に急ぎの用だというので休憩にしたのだけど、そのまま練習を放棄していなくなってしまった。

 彼が使者の対応をしている間、わたしは腰に手を当て、スポーツドリンク(レモン味)をクピクピと飲んでいた。
 とは言っても、この国に市販のスポドリはない。
 水に砂糖と塩を加えて経口補水液のベースを作り、少し薄めのスポドリ程度まで砂糖を足して、レモン汁を加えた自家製だ。

 休憩しながら侍女とお喋りをしていると、ヴィルさんの歓喜する声が聞こえた。
 「見つかったのか!」と言っていたようなので、何か落とし物でもして、それが見つかったという連絡だったのかも知れない。
 そのまま王宮へすっ飛んでいってしまった。

 「今日はダンスの特訓だ!」と言い出したのはヴィルさんなのだけど、わたしは早々にポイ捨てされてしまったようだ。

 「相変わらずだな」と、アレンさんが言った。
 「お見送りすらさせてくださらないなんて」と、わたしは呟いた。
 「信じられない」と、ミストさんがため息をついた。
 「あの方はクビです」と、執事長が言った。皆で大笑いした。

 パートナーを変えて踊っていると、「おかげで私は得をしました」とアレンさんが涼しい顔で言った。

「練習とは言え、リア様と踊れるわけですから」
「足を踏んでも怒らないでくださいね」
「いくら踏んでいいですよ」
「まさか踏まれるのが好きとか、そっちの趣味が?」
「前言撤回。踏んだらお仕置きです」
「んなっ! あっ、あっ、動揺したらっ、動揺したらーっ」

 もう結構できるようになったと思っていたのに、少し動揺するとタイミングがズレてステップがめちゃくちゃになってしまう。
 アレンさんは修正不可能と察したのか、わたしをハグするようにヒョイと持ち上げ、「はい、ダメー」と笑った。
 往生際が悪いわたしの足は、宙に浮いてもなおジタバタと動いている。
 
「頭を使って踊る優等生なところが裏目に出始めています。そろそろ頭ではなく体で覚える頃合いですよ」
「やっと自信がついてきたところだったのに……」
「ここまで来ればもうすぐです」

 実のところ、踊りながらテキトーな話はできるようになったものの、頭の中では「右ぃ、左ぃ、回ってぇ、みーぎ、ひだりっ」と、念仏のように唱えているため、それが一度乱れるとリカバリーができないというのが最大の弱点だ。

「何事も慣れです。考える暇を与えないようにしながらお相手します。とりあえず、あなたが過去にもれなく動揺していたものでも試してみますか」

 わたしがもれなく動揺していたもの?
 首を傾げていると、彼はメガネを外して胸のポケットに入れ、わたしの手を取って踊る姿勢に戻った。
 ヒュっと喉が鳴る。

 ヤバい……。
 それは、ヤバいやつだ。
 彼に触れている両手と、彼が触れているわたしの腰に突如として人の柔らかさと体温が押し寄せ、前方にはペカーッと後光が差すイケメンである。さらに香水のいい匂い。
 ああああ、『中の人』のお目覚めである。

 い、いやぁぁぁ!
 至近距離でイケメンが出たぁー!

「音楽お願いします」
「アレンさん、それはダメだぁって……待っ、だあぁ~~ッ」
「さあ、無心になって頑張りましょう」
「が、がんっ、がんばっ……ッ、ひ、みぎっ、まわぁッッ?」
「それでは、オルランディアの歴史に関する質問です。三秒以内にお答えください。まずは第一問!」
「ちょ待っ、無理無理無理ッ」

 『中の人』が現れただけでなく、矢継ぎ早に歴史クイズが放たれ、もう右だの左だのと考えている暇もなく彼の足を踏みまくる。
 念仏なしでは踊っているのか振り回されているのか分からない有り様だった。
 ゾンビダンスに逆戻りだ。

 ヴィルさんは多少わたしがしくじっても、そこから仕切り直して曲の最後まで踊るように練習をさせてくれた。
 対してアレンさんは一度つっかえると「はい、だめー」と言ってわたしを持ち上げ、曲の最初から踊り直しにする。
 しかし、それを繰り返すうちに、不思議と同じ場所では止まらなくなった。

 念仏なしでも踊れる世界は徐々に開かれてゆく。
 比較的短時間で済んだのは、ヴィルさんが長い時間をかけて全体のレベルアップに付き合ってくれたからだと彼は言った。

「もう変な詠唱をせずとも踊れるでしょう」
「足、たくさん踏んじゃって、すみません……」
「頑張ったご褒美にオーディンス領名物の甘いお菓子がありますよ」
「アレンさんはいつも過保護です」
「ナッツを蜜と砂糖で包んで固めたもので、この辺りでも人気があります」
「では、お礼とお詫びを兼ねて珈琲を淹れますね」
「嬉しいです。リア様が淹れる珈琲は格別ですから」

 サッと汗を流して着替えた後、皆で珈琲タイムだ。
 結局ヴィルさんは何を探していたのだろう、という話になった。
 後を頼むと言われただけで、アレンさんも何の用かは知らなかった。
 しかし、おおかた財布でも落としたのだろう、と話していた。


 ヴィルさんは夕食前に興奮した様子で戻ってきて、「リアに会わせたい人物がいる」と言った。

「会わせたい人? どちら様ですか?」
「実は元魔導師団員なのだが」
「え、嫌です……」

 皆でワイワイと楽しく雑談をしていたサロンが凍り付いた。
 アレンさんの額にお怒りマークが浮かび上がる。
 そして、呆れた口調で「団長……会うわけないでしょう?」と言った。

「そもそも魔導師団は全員捕らえられたはずです。その残党がいるなら捕らえるのが先です。なぜリア様が会わねばならないのですか」

 平和だったわたしの一日にとんでもない刺激を持って帰ってきたヴィルさんは、それに反論した。

「リアを襲った魔導師ではない」
「では、一体どなたですか」
「ユミール・ヨンセン」
「ヨンセン卿? あの方は生きていたのですか?」

 ヴィルさんが「見つかった」と喜んでいた探し物は、お財布ではなく『人』だった。よりにもよって元魔導師団員の。
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