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第九章 婚約

第186話:ゾンビダンス

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 翌朝、朝食の席はダンスの話で持ち切りだった。
「とにかく一曲踊れればいい。曲目も決まっているし、演奏時間はわずか三分半だ」と、ヴィルさんは言った。

 最初の一曲目は舞踏会の雰囲気を決める重要な曲なので、あらかじめ主催者が決めている。わたし達が踊るのは『小鳥の挨拶』という曲だそうだ。「リアが躍るならこれしかない」と陛下が指定したらしい。

 この国の貴族は、幼いうちからダンスを習い始め、何年もお稽古をするそうだ。しかし、わたしが練習に費やせる期間は極端に短い。効率よく学ばなければ、とてもではないけれども当日には間に合わない。
 執事長が昔、生徒を取ってダンスを教えていたことがあると言う。これ幸いと教えて頂くことになった。



 まずは執事長と侍女長が模範演技として踊って見せてくれた。
 てっきりお堅いクラシック音楽でガチガチフォーマルなダンスを踊るものと思い込んでいたけれども、それは杞憂だった。侍女のイルサが弾く軽快なピアノに合わせ、二人は優雅に、そして時に可愛らしく踊っていた。『小鳥の挨拶』は弾むような明るいワルツだ。

 わたしはひたすら侍女長の動きを目で追った。
 簡単そうな動きに見えるけれども、良い姿勢を維持したまま動くのは大変そうだ。下半身は複雑なステップを踏んでいる。前後左右への動きに加えて、ターンが何種類もあるように見えた。その一方で上半身も暇ではない。指先まで表現に使うので、まったく気が抜けない。

「おぉっと上体逸らし? んんー、また違うターンが……」

 ブツブツ言いながら見学していると、ヴィルさんが後ろからハグをしてきた。

「できそうか?」
「あの振り付けは皆同じですか? わたし達もまったく同じように踊るのですか?」
「いや、競技ではないから自由だよ。できない技はやらず、できる範囲で踊れば大丈夫だ。彼女は上級者だから、すべてを一通り見せてくれていると思えばいい」
「そうだったのですねぇ」

 初めから最後まで決められた振りつけがあるわけではなく、基本的なルールを守りつつ、できる範囲の技術を使って、楽しく踊れば良いらしい。
「ダンスは娯楽だから力まず楽しもう」と、彼は言う。楽しめるレベルに到達できるかは本人の努力次第という感じだ。

 リードは男性がしてくれるけれども、互いに相手がやろうとしていることを汲み取って動くのが基本らしい。しかし、初心者はその空気が読めないし、その場のノリで踊るということができない。
 そこで、わたし達は作戦を立てた。まず、最初から最後まできっちりと振り付けを決めてしまい、それをまるごと覚えて本番に臨むというものだ。
 ところが、執事長たちがオススメしてくる振り付けが、ことごとく難易度が高い。いきなり要求レベルが高すぎやしないかと思ったけれども「これを下回るのはあまり良くない」と言う。

 皆、はっきりとは口に出さないけれども、王族のヴィルさんとその婚約者である神薙に初心者ダンスを披露させるわけにはいかない、恥をかかせてはいけないという気持ちがあるようだ。
 わたしはこのダンスで、貴族の人達からオルランディアのものさしで価値をはかられるのだ。結婚相手が決まったからといって、すぐに安心して暮らせるというわけではないらしい。

 まずは基本を体に叩き込まなければ話にならない。
 ふと自転車の乗り方を教わった時のことを思い出した。
 「早く上達するから」と、父は自転車の命とも言うべきペダルを外してわたしに乗らせた。チャリンコをなめるなと、父は言った。バランスを取りながら、進行方向と速度の調整をし、自分で前進もさせなくてはならない。一人の人間が、それを同時に全部やるわけだから、とても操縦が難しい乗り物なのだと、父は力説していた。
 一番厄介なペダルを取り除き、それ以外をすべてできるようにしてから、ペダルをつけて仕上げをする。当時のわたしには理解できないやり方だったけれども、そのおかげで周りのお友達よりも早く自転車に乗れるようになった。
 ダンスも足と上半身を使う。『チャリンコ方式』で学べば効率が良いかも知れない。執事長とカリキュラムを確認し、教わる順番を相談した。

 わたしにとって最も難易度が高いのは、ステップとターンだ。
 ダンスの基本でもあるので、カリキュラムでも最大のウェイトを占めている。まずはそれを最優先で学ぶことにした。他のことを教わるのはステップの目途が経ってからだ。
 わたしが体に記憶しやすいよう、格好よりも結果を出すことにこだわって教えてほしいとお願いした。執事長いわく「これは相当に斬新な覚え方」らしい。

 背中を曲げてブツブツ言いながら、超ブサイクなステップを踏むわたしを、皆は終末世界をうろつくゾンビを見るような顔で見守っていた。
 しかし、ゾンビは気にしない。黙々と足だけに集中して覚えてゆく。

 ステップ以外のことも習い始めると、ようやく人間に見えるようになったのか、周りの見る目が変わった。皆、それまでとは打って変わり、明るい表情で応援してくれるようになった。
 次第にヴィルさんがソワソワ・ウロウロし始め、執事長が「実際のお相手と踊ってみましょう」と言うや否や、すごい速さで飛んできた。やはり彼は、どこか柴犬っぽい。

 レッスンが終わった後は自主練習だ。
 リビングだろうが玄関ホールだろうが、わたしは所かまわずブツブツ言いながらステップを踏んだ。それをヴィルさんが面白がって「どうせなら一緒に」と踊り出す。
 何度か彼の足を踏んでしまったけれど、彼は気にも止めず曲を口ずさみ、楽しそうにしていた。

 連日、朝から夕方まで踊り狂っていると、彼は「これなら舞踏会に間に合う」という結論を出した。

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※187は欠番です。
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