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厨房に入れてくれません

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 そもそもわたしは自炊系女子なので、料理人がいなくても生きていける。もし作って頂くとしても、皆のまかないと同じメニューで十分だった。

 時折ハンバーガーをガブリとやりたくなるし、山盛りのミートソーススパゲティーとか、目玉焼き乗せハンバーグなどをもりもり食べたいと思う日もある。
 しかし、この宮殿ではサンドウィッチすらお上品な一口サイズにカットする過保護っぷりだ。一品だけガツンと食べるのも、品数規定により叶わない。
 キッチンをお借りできるのなら、早々に自炊生活へとシフトさせて頂きたいところだ。

 「先日もお伝えしましたが」と、わたしは切り出した。

「料理人の方には皆さんのまかないだけお願いして頂けませんか? キッチンさえお借りできれば、わたしは自分で作れますので……」

 自炊をさせてとお願いするわたしに、オーディンス副団長はこう言った。

「神薙が厨房で料理など、とんでもありません。けがれます」

 はあぁぁんっ、出ました~(泣)
 これがこの宮殿の名物、「怪人クソメガネさま」です……。

 側仕えの護衛である彼は、こうして毎日わたしの頭痛の種「怪人クソメガネさま」に変身するのだ。

 なにが「けがれます」ですか。
 ほとんどの家庭が厨房で料理をしているでしょうに。
 失礼しちゃうっ。

 わたしは負けじと言い返した。

けがれません。すぐでなくても構いませんので、自分でもお料理をさせて頂きたいです」
「それはいけません」
「では、お菓子ならいかがでしょうか」
「厨房はけがれた場所です。神薙様が立ち入るなど有り得ません」

 うわぁぁぁんっ……

 怪人クソメガネさまはわたしを大事にしたいのか、それとも意地悪をしたいのか良く分からない人だった。

 ──厨房はけがれている。

 彼がこの手の言ってはいけないことを口にするのは、これが初めてではなかった。
 彼は厨房だけでなく料理人のことまで「けがれている」と主張し、彼らと挨拶もさせてくれないのだ。

 徐々に庭師やメイド、そして厩務員に対しても同じようなことを言い始めた。
 彼は宮殿で働く人のほとんどを「穢れている」と言って、わたしが近寄っていくのを嫌がるような素振りを見せた。
 これが身分差別なのか人種差別なのか、はたまた面倒くさい潔癖症なのか、理由が全然分からない。

 これまで彼の隙をついたり裏をかいたりしながら、ほぼすべての従業員にしれっと声をかけ、ハジメマシテの挨拶を交わしてきた。
 急にパッと方向を変え、お目当ての従業員に声を掛けてしまえばこっちのものだ。彼は「あっ、やられた」という顔こそするものの、話に割り込んで文句を言うほどではなかった。
 この神薙様は東京の地獄のような通勤ラッシュで鍛えられているので、ヒールでの急なターンはお手のもの。

 わたしは毎日同じ場所にいる人たちとは仲良くしたい派だ。もちろんオーディンス副団長とも上手くやっていきたいと思っている。
 敷地内をお散歩する際は、従業員の皆さんと楽しく交流するようにしていた。
 しかし、厨房だけはガードが堅くて辿り着けない。
 彼はわたしを止めるために執事長にも協力してもらっていたので、他と比べて難易度が高いのだ。
 料理人は全員が宮殿の住み込みなので、せめて挨拶くらいはしておきたい。

「副団長さま、それは世界中の料理をする人に対して、とても侮辱的で失礼な言い方です」

 二度はスルーして堪えた。
 でも、それが三度目にもなると、もう看過することはできない。
 この宮殿はわたしのお家なので、わたし個人の意思が従業員の労働環境を大きく左右することになる。
 「けがれている」なんて、失礼かつ不名誉なことを言わせっぱなしにしておくわけにはいかなかった。
 料理人に肩身の狭い思いをさせていたらどうしよう。わたしが至らないせいで、嫌な思いをさせていたら……。

 わたしは彼と戦う覚悟を決めた。

 文句を言うときくらい迫力のある声を出したいのだけれど、わたしはマックスでも普通の人よりちょっと小さいくらいの声しか出ない。母からの遺伝で悲しいほどノドが弱いのだ。
 「腹から声を出せ」と言われても、「わたしの腹は声が出ない腹だ」としか言いようがない。
 迫力は皆無ですけれど頑張ります。

「厨房は穢れてなどいないと思います」
「いいえ、動物や魚の血で穢れております」
「では、わたしはけがれた場所で調理したものを口に入れているのですか?」

 石像が黙った。
 ただ無表情すぎて怒っているのか困っているのかは分からない。

「豚の血を使った美味しいソーセージを、副団長さまは食べないのですか?」

 イギリスで言うところのブラックプディング、ドイツで言うところのブルートヴルストがこの国にもある。
 動物の処理とソーセージ作りを同じ場所でやっている所でなければ作れない美食だ。

「動物の血を食べたわたしはけがれていますか?」
「とんでもありません。神薙様は王国で最も清らかな方です」

 彼は無表情のまま、まるでそんなふうには思ってなさそうな一本調子で言った。
 彼の話し方は終始棒読みに近く、音声合成ソフトにすら感情表現の豊かさで負けている。抑揚が迷子なのだ……。

 「では、食材の血がけがれているというのは誤りですね?」と言うと、また彼は押し黙った。

「神薙様は高貴な存在です。使用人と会話などしないものです」
「話をすり替えましたね? そうまでして思いどおりにしたいですか?」

 わたしはウ~ンと考えるふりをした。
 そして「そういえば、あの魔導師団もわたしを思いどおりにしたくて襲おうとしたのでしたねぇ?」と、とぼけて言った。
 すると、彼の鉄仮面は見る見る崩れて狼狽えた。

 今、例の魔導師団は、親や祖父の代まで遡るほどの組織的な悪行が明らかになりつつある。
  脱税、汚職、恐喝、背信、謀反、監禁等々、衝撃的なタイトルとともに新聞や雑誌を賑わせており、とても分かりやすい軽蔑の対象だった。
 気高い騎士がアレらと並べられたらたまったものではないだろう。

 「申し訳ありません。そんなつもりはないのですが……」と、彼は言った。
 「あ、そうでしたかぁ?」と、わたしはとぼけた。

「厨房に立ち入るような神薙は今まで一人もいないのです」
「では、わたしが最初になりますねぇ」
「いけません。それだけはおやめください」
「納得のいく理由がありませんし、副団長さまの個人的な思想を理由に行動を制限される筋合いではないのでやめません」

 彼とわたしの静かなる「ケガレ論争」は、その後も断続的に続いた。
 なぜ、彼はここまで頑なに厨房から遠ざけようとするのだろう……。

 次第にわたしは彼を説得することよりも、どうやったら料理人に会えるかを考えるようになっていった。
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