上 下
9 / 352
第一章 神薙降臨

第8話:自炊がしたい

しおりを挟む
 そもそもわたしは自炊系女子なので、料理人がいなくても生きていける。もし作って頂くとしても、皆のまかないと同じメニューで十分だった。

 時折ハンバーガーをガブリとやりたくなるし、山盛りのミートソーススパゲティーとか、目玉焼き乗せハンバーグなどをもりもり食べたいと思う日もある。
 しかし、この宮殿ではサンドウィッチすらお上品な一口サイズにカットする過保護っぷりだ。一品だけガツンと食べるのも、品数規定により叶わない。
 キッチンをお借りできるのなら、早々に自炊生活へとシフトさせて頂きたいところだ。

 「先日もお伝えしましたが」と、わたしは切り出した。

「料理人の方には皆さんのまかないだけお願いして頂けませんか? キッチンさえお借りできれば、わたしは自分で作れますので……」

 自炊をさせてとお願いするわたしに、オーディンス副団長はこう言った。

「神薙が厨房で料理など、とんでもありません。けがれます」

 はあぁぁんっ、出ました~(泣)
 これがこの宮殿の名物、「怪人クソメガネさま」です……。

 側仕えの護衛である彼は、こうして毎日わたしの頭痛の種「怪人クソメガネさま」に変身するのだ。

 なにが「けがれます」ですか。
 ほとんどの家庭が厨房で料理をしているでしょうに。
 失礼しちゃうっ。

 わたしは負けじと言い返した。

けがれません。すぐでなくても構いませんので、自分でもお料理をさせて頂きたいです」
「それはいけません」
「では、お菓子ならいかがでしょうか」
「厨房はけがれた場所です。神薙様が立ち入るなど有り得ません」

 うわぁぁぁんっ……

 怪人クソメガネさまはわたしを大事にしたいのか、それとも意地悪をしたいのか良く分からない人だった。

 ──厨房はけがれている。

 彼がこの手の言ってはいけないことを口にするのは、これが初めてではなかった。
 彼は厨房だけでなく料理人のことまで「けがれている」と主張し、彼らと挨拶もさせてくれないのだ。

 徐々に庭師やメイド、そして厩務員に対しても同じようなことを言い始めた。
 彼は宮殿で働く人のほとんどを「穢れている」と言って、わたしが近寄っていくのを嫌がるような素振りを見せた。
 これが身分差別なのか人種差別なのか、はたまた面倒くさい潔癖症なのか、理由が全然分からない。

 これまで彼の隙をついたり裏をかいたりしながら、ほぼすべての従業員にしれっと声をかけ、ハジメマシテの挨拶を交わしてきた。
 急にパッと方向を変え、お目当ての従業員に声を掛けてしまえばこっちのものだ。彼は「あっ、やられた」という顔こそするものの、話に割り込んで文句を言うほどではなかった。
 この神薙様は東京の地獄のような通勤ラッシュで鍛えられているので、ヒールでの急なターンはお手のもの。

 わたしは毎日同じ場所にいる人たちとは仲良くしたい派だ。もちろんオーディンス副団長とも上手くやっていきたいと思っている。
 敷地内をお散歩する際は、従業員の皆さんと楽しく交流するようにしていた。
 しかし、厨房だけはガードが堅くて辿り着けない。
 彼はわたしを止めるために執事長にも協力してもらっていたので、他と比べて難易度が高いのだ。
 料理人は全員が宮殿の住み込みなので、せめて挨拶くらいはしておきたい。

「副団長さま、それは世界中の料理をする人に対して、とても侮辱的で失礼な言い方です」

 二度はスルーして堪えた。
 でも、それが三度目にもなると、もう看過することはできない。
 この宮殿はわたしのお家なので、わたし個人の意思が従業員の労働環境を大きく左右することになる。
 「けがれている」なんて、失礼かつ不名誉なことを言わせっぱなしにしておくわけにはいかなかった。
 料理人に肩身の狭い思いをさせていたらどうしよう。わたしが至らないせいで、嫌な思いをさせていたら……。

 わたしは彼と戦う覚悟を決めた。

 文句を言うときくらい迫力のある声を出したいのだけれど、わたしはマックスでも普通の人よりちょっと小さいくらいの声しか出ない。母からの遺伝で悲しいほどノドが弱いのだ。
 「腹から声を出せ」と言われても、「わたしの腹は声が出ない腹だ」としか言いようがない。
 迫力は皆無ですけれど頑張ります。

「厨房は穢れてなどいないと思います」
「いいえ、動物や魚の血で穢れております」
「では、わたしはけがれた場所で調理したものを口に入れているのですか?」

 石像が黙った。
 ただ無表情すぎて怒っているのか困っているのかは分からない。

「豚の血を使った美味しいソーセージを、副団長さまは食べないのですか?」

 イギリスで言うところのブラックプディング、ドイツで言うところのブルートヴルストがこの国にもある。
 動物の処理とソーセージ作りを同じ場所でやっている所でなければ作れない美食だ。

「動物の血を食べたわたしはけがれていますか?」
「とんでもありません。神薙様は王国で最も清らかな方です」

 彼は無表情のまま、まるでそんなふうには思ってなさそうな一本調子で言った。
 彼の話し方は終始棒読みに近く、音声合成ソフトにすら感情表現の豊かさで負けている。抑揚が迷子なのだ……。

 「では、食材の血がけがれているというのは誤りですね?」と言うと、また彼は押し黙った。

「神薙様は高貴な存在です。使用人と会話などしないものです」
「話をすり替えましたね? そうまでして思いどおりにしたいですか?」

 わたしはウ~ンと考えるふりをした。
 そして「そういえば、あの魔導師団もわたしを思いどおりにしたくて襲おうとしたのでしたねぇ?」と、とぼけて言った。
 すると、彼の鉄仮面は見る見る崩れて狼狽えた。

 今、例の魔導師団は、親や祖父の代まで遡るほどの組織的な悪行が明らかになりつつある。
  脱税、汚職、恐喝、背信、謀反、監禁等々、衝撃的なタイトルとともに新聞や雑誌を賑わせており、とても分かりやすい軽蔑の対象だった。
 気高い騎士がアレらと並べられたらたまったものではないだろう。

 「申し訳ありません。そんなつもりはないのですが……」と、彼は言った。
 「あ、そうでしたかぁ?」と、わたしはとぼけた。

「厨房に立ち入るような神薙は今まで一人もいないのです」
「では、わたしが最初になりますねぇ」
「いけません。それだけはおやめください」
「納得のいく理由がありませんし、副団長さまの個人的な思想を理由に行動を制限される筋合いではないのでやめません」

 彼とわたしの静かなる「ケガレ論争」は、その後も断続的に続いた。
 なぜ、彼はここまで頑なに厨房から遠ざけようとするのだろう……。

 次第にわたしは彼を説得することよりも、どうやったら料理人に会えるかを考えるようになっていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美しくも残酷な世界に花嫁(仮)として召喚されたようです~酒好きアラサーは食糧難の世界で庭を育てて煩悩のままに生活する

くみたろう
ファンタジー
いつもと変わらない日常が一変するのをただの会社員である芽依はその身をもって知った。 世界が違った、価値観が違った、常識が違った、何もかもが違った。 意味がわからなかったが悲観はしなかった。 花嫁だと言われ、その甘い香りが人外者を狂わすと言われても、芽依の周りは優しさに包まれている。 そばに居るのは巨大な蟻で、いつも優しく格好良く守ってくれる。 奴隷となった大好きな二人は本心から芽依を愛して側にいてくれる。 麗しい領主やその周りの人外者達も、話を聞いてくれる。 周りは酷く残酷な世界だけれども、芽依はたまにセクハラをして齧りつきながら穏やかに心を育み生きていく。 それはこの美しく清廉で、残酷でいておぞましい御伽噺の世界の中でも慈しみ育む人外者達や異世界の人間が芽依を育て守ってくれる。 お互いの常識や考えを擦り合わせ歩み寄り、等価交換を基盤とした世界の中で、優しさを育てて自分の居場所作りに励む。 全ては幸せな気持ちで大好きなお酒を飲む為であり、素敵な酒のつまみを開発する日々を送るためだ。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!

伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。 いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。 衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!! パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。  *表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*  ー(*)のマークはRシーンがあります。ー  少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。  ホットランキング 1位(2021.10.17)  ファンタジーランキング1位(2021.10.17)  小説ランキング 1位(2021.10.17)  ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた

愛丸 リナ
恋愛
 少女は綺麗過ぎた。  整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。  最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?  でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。  クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……  たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた  それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない ______________________________ ATTENTION 自己満小説満載 一話ずつ、出来上がり次第投稿 急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする 文章が変な時があります 恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定 以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...