怨みつらみの愉快日録

夏風邪

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第二章

第65話 廃校舎の怪〈六〉

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 不穏な空気しか漂わない理科室の扉を後ろ手に閉める。
 廊下との繋がりは完全に遮断した。

 この理科室と、隣の準備室。
 外界から隔絶された空間内に存在するのは二人の人間と五体の霊のみ。

 千景と煉弥は理科室内には目もくれず、開けた放たれたままの扉からまっすぐ準備室に入る。

 全身に纏わりつくのはどす黒い瘴気。
 ありったけの怨みと憎悪を限界まで煮詰めたような、重苦しい怨念が容赦なく襲いかかってくる。

「…うひゃー、これは思ってた以上に怨みが強そうだねえ」

 その淀みきった空気に多少なりともダメージを受けはするが、数秒もあれば体が適応するので問題ない。


 もし悪霊に自我があるようなら様子を見つつ成仏させ、問答無用で襲いかかってきたならば調伏させる。
 煉弥と打ち合わせた結果、そういう方針でいざ死地に足を踏み入れてみたのだが。

 室内の様子は想像とは少し違ったものだった。

 目の前の光景に思わず眉根が寄る。 

 なんてことはないただの準備室。
 戸棚があって、薬品庫があって、机と椅子がある。埃をかぶって多少荒れてはいるものの、おそらく廃校となった当時のままの状態。

 そこに、愛おしそうに頭蓋骨を抱えた血まみれの少女さえいなければ。


《……だあれ、あなたたち………》


 俯いたまま前髪で目元を覆う少女からは尋常ではないほどの瘴気がとめどなく溢れ出ている。

 血で濡れた少女の手がするりするりと頭蓋骨を撫でる。
 ポタ、ポタ、と顎を伝う血がそのまま頭蓋骨に滴り落ち、白かったはずの骨を真っ赤に染めるあげる。

 よくよく周囲を見れば、少女の傍らには頭部以外の骨も転がっていた。
 肉片はない。けれどもかろうじて衣服のような汚れた布切れが骨に被さっている。

 ぺたりと床に座る少女は悪霊だ。
 おそらく、この校舎を心霊スポットと化した件の少女の一人。

 だがあの骨。頭蓋骨は。

(……どう見ても本物じゃんね…)

 ところどころ砕けたり変色したり、暗くてはっきりとは見えないが、やけに生々しい。
 模型では表現できないような現実味があった。
 
 漫画や映画だとこういう残酷描写を見かけることはあるが、やはりリアルだと迫力が違う。

 背を伝う冷や汗がいつも以上に冷たく感じる。

(…だからなんで毎回毎回グロ要素強めなんだよ。血まみれホラーまじ怖いんですけど……)

 白骨化した死体と悪霊が共存する異質な空間。

 千景は早くも帰りたくなっていた。



《……ねえ、みてェ……これ…》


 少女は大事そうに抱える血まみれの頭蓋骨を両手で持ち上げ、顔を俯かせたまま差し出すようにこちらに見てせきた。
 綺麗な状態とはとても言い難いそれは、目の周りだけがやけに砕けていた。


《……これね、私のだいじなものなのぉ………私の、ダイスキなダイスキな、先生なの……ウフフ……》


 うっとりとした恍惚な声で、少女は何度も何度もそれに頬を寄せる。

 先生、と。
 頭蓋骨と床に散らばる骨をそう呼んだ少女の言葉から、なんとなくだが、事のあらましが読めてしまった。


《……あのときは、憎くて憎くてたまらなかったの…………でもねぇ、大好きだった先生が…朽ちていくのをみてると……やっぱりなんだか、愛おしくなっちゃって……》


 紡がれる言葉とは反比例するように、少女から放たれる怨念はどんどん濃くなっていく。

 ああ、帰りたい。

 何度目かもわからない願望を胸中で唱えるのと、バタンッ、と背後の扉が閉まったのはほぼ同時だった。


《……ねえ……アナタも、そう思うでしょ……?》


 ふらりと立ち上がった少女。
 ペタ、ペタ、と濡れた足音を鳴らしながら千景に歩み寄ってくる。

 離れようと思えば簡単に離れられる。
 けれどもやはり、千景はその場から動かなかった。
 招き入れるように少女の接近を許す。

 もう少し間近で、少女の真相・・を確かめたいと思ったから。


《……フフ…ウフフ……こんなにキレイな顔して……うらやましいなぁ……》


 ケタケタと狂ったように笑い出した少女の口はニンマリと弧を描く。

 そのままゆっくり持ち上げられた顔を見て、驚きとか恐怖よりもさきに、やっぱりなと思ってしまった。


《…ウフフフ……もうなぁんにも、みえないんだぁ…》


 両目が、ない。

 涙のように真っ赤な血を流すそこには、本来あるべき眼球が埋まっていない。

 綺麗な二重と長い睫毛に縁取られたそこは、ぽっかり穴が空いている。
 きっと生前は可愛らしい少女だったのだろう。けれども抉り取られた両目が少女を醜い顔へと変貌させてしまった。


《………だい…、…うだいよ……こんな顔はいや……いやなのぉ…………ねえ、あなたの目をちょうだい……ちょうだいよぉ……!!》


 先ほどまでの比較的穏やかな口調とは一変して。

 金切り声が混ざる少女の叫び声は虚しく響いた。

 血に濡れた手が千景の顔に伸ばされる。
 鋭く尖った爪先が迷わず両目に伸びてくる。


(───…ああ、可哀想な子)


 無意識のうちに、千景の口元が笑みをかたどる。

 大好きだった先生に殺されて、両目を奪われて。
 憎んでも憎んでも憎みきれないほどの憎悪にとらわれて。それでも死してなお、先生に曲解した愛情を抱いてしまって。

 ああ、なんて可哀想で、なんて憐れな少女なのだろうか。


 ふわりと笑う千景の瞳に少女の指が届く──。

 しかしその前に、強い力で腕を引かれた。
 バランスを崩した千景の体はそのまま後方に倒れこんだ。

 トス、と背を受け止めてくれたのは人の体温。

 見上げた先の冷たい青玉は、珍しく呆れ果てているようだった。

「遊びすぎだ」

「ごめんね」

「霊に両目でもくれてやる気か」

「まっさかあ。慈悲を込めて同情してただけだよ」

「冷酷人間がよく言う」

「それって私のこと? ふふ、お前にだけは言われたくねえよ」
 
 悪霊からまったく離れるそぶりのなかった千景を見兼ねた煉弥に強制的に引き離された。
 ついでに聞き捨てならないレッテルを貼られた気もするが気にしたら負けだと思っている。


 少女の口ぶりとここが理科室であることから、あの骨は少女たちが失踪した当時、この学校の理科教師だった男のもので間違いないだろう。

 その男の骨がなぜここにあるのか。
 それは千景の推測でしかないが、おそらく悪霊と化した少女たちの怨念に導かれて、ここに来て。

 そして呪い殺された。


 悪霊が抱く強い念に、その根源となる者が呪われるケースは少なくない。
 積もりに積もった怨みが生きた人間に害を為す。

 呪いというのは術師が扱う呪術の一種だ。
 こういう場合は”祟り”と呼ぶのが正しいのかもしれないが。
 
 この事件は少女たちが男に復讐を果たした時点で決着していたのだ。
 だが、今もまだ成仏できずにここにとどまっているのは、おそらく身の内に溜めた怨念を制御しきれていないから。

 そして、失くした体の一部を取り戻すことができていないから。
 
「除霊は俺がやる」

「うん。私は残りの悪霊を探す」

 目星はついている。
 頭蓋骨を抱えた少女の怨念が強くなるのに呼応して、この室内にいるであろう残り二体の念も強まった。

 あとはR指定のホラーに千景の心臓がもつかどうかの話だ。

「ねえ、煉」

「なに」

「…私たちには関係ないことだけど、この子たちに罪はないからさ。安らかに成仏させてやってよ」

「相変わらず注文が多いな。……少し、時間をもらう」

「毎度悪いね。頼んだよ」

 少女たちは悪霊だ。祓うのは当たり前。
 だからといって問答無用で魂ごと消し去ってしまうのはあまりにも無慈悲すぎるというもの。


 我々は呪術を扱う術師だ。

 今でこそ呪いが仕事の主流になりつつあるが、そもそもは死者の魂を極楽浄土へ導くことが勤めであったはず。
 
 千景とてなにもすべての死霊・悪霊に慈悲をもって接する気はさらさらない。

 だが、こういうどうしようもない憎しみにとらわれて苦しみ続けるしかない者たち、とくに年端もいかない少年少女たちにはせめてもの救済をしてあげるべきだと思う。

 偽善で結構。
 自己満足と言われようと構わない。
 今さら潔白を装ったところで、血に濡れ穢れきったこの身が清算されるわけでもない。

 けれども、だからこそ。
 自分が人間であるための核だけは、見失ってはいけない。

 誰のためでもなく、自分のために。
 ”千景”と名付けられた、ただの人間であるために。

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