怨みつらみの愉快日録

夏風邪

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第一章

第19話 残滓

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「ふふ、そうですね。術師のレベルや用いる呪術にもよりますけど。軽いもので数十万から数百万、呪詛レベルの重いものにもなると数千万は堅いでしょうね。なんせ術師は命を懸けるわけですから」

「なるほど」

「一応参考までに教えておきますけど、術師の中にも呪いを解いてくれる人はたくさんいますけど、実際に呪いをかけてくれる人は少ないです。みんなリスクを被らずに術を成功させるほどの自信がないんでしょうね。まあ裏を返せば誰かを呪う系の依頼をぽんぽん引き受けてくれる術師は相当腕が立つという証明にもなるので、もし依頼したい場合はそういう人を頼ることをお勧めします。まあただの馬鹿ってパターンもあるので一概には言えませんけど」

 二人揃ってニコニコと物騒な話をする場面を目撃していた志摩は、なんだこいつら、とでもいうように引いた目をしていた。

「以上が呪術や術師、ひいてはまじないに関する基本的な知識になりますね。ここまでは大丈夫ですか?」

「ああ。問題ないよ」

 余裕綽々といった様子で頷いてみせる久瀬は大人の余裕を十二分に醸し出していた。

 正直、この男が霊相手に慄いている姿が全くといっていいほど想像できないが、先ほどの語り口からしてもそれなりに憂懼ゆうくしていることは確かだ。


 二杯目の温かいミルクティーをくるくる掻き混ぜながら再び久瀬に向き直る。
 その視線であちらも長い前置きのお喋りはここまでだと感じ取った。

「さて、ではそろそろ本題に戻りましょう」

 お洒落な店内には仕事帰りのOLやカップルの姿も増え、席もだいぶ埋まっているようだった。
 それぞれお茶を楽しんだり会話に興じているため他の席を気に留める人は少ない。

 しかし、全身に黒を纏う女と、いかにもヤンチャしていそうな金髪男、二人よりは幾らか年上の紳士然としたスーツの男というアンバランスな組み合わせはやはり注目を集める。

 そこに顔立ちの良さも加われば人目を惹くのは当然だった。

 それでも当の本人たちにそれを気にした様子はない。
 一貫してやや声量を落としているので、控えめなBGMと人の声が交錯する店内ではその内容が漏れる心配はなかった。


「以上のことを踏まえて今回の一件についてですけど、貴方はその女の霊に呪われているのか、それとも貴方を怨む人間に依頼された術師に呪われているのか。話を聞くだけではその辺をはっきりさせることはできませんが、何か心当たりはありますか?」

「うーん、それが全くないんだよね。立場上厳しい判断を下すこともあるからもしかしたら僕を怨んでいる人もいるかもしれないけど、これといった心当たりはないし。霊障を受けるような出来事に最近遭遇した記憶もないしね」

「そうですか。こればかりは実際に見てみるしかなさそうですね」

 前向きな千景の言動を聞いた久瀬に一縷の期待が見えた。
 
 頬杖をついて置物のように二人の会話を聞いていた志摩は話の終わりを感じ取り、グラスに残ったアイスコーヒーを一気に飲み干した。 

 カラン、と氷が音を鳴らす。

「とりあえずこの一件、私でよければ引き受けますよ。クレームとかは一切受け付けませんけど」

「ああ、ありがとう」

 悪戯っぽく笑った千景に久瀬は心底ホッとした表情を見せる。

「こういうのって前金とか支払った方がいいのかい? もちろん報酬は別でちゃんと渡すつもりだけど」

 まだ依頼を引き受けたというだけで最後まで遂行したわけではないが、久瀬はすでにそれ相応の謝礼をする気概をみせた。

 こういう時、根っからの善人とか正義感溢れる人であればボランティアの一環として片付けるのだろう。

 けれども千景の場合、こういうちょくちょく舞い込む術師としての仕事で生活の半分以上を賄っている。
 だからこの申し出を断るという選択肢は初めからない。

「私の場合は前金とかは結構ですよ。まだご期待に添える結果を出したわけでもないですしね。とりあえず全て終わってから諸々考慮して請求させていただきます」

「わかったよ」

「ではこれからお邪魔してもよろしいですか?」

「もちろん」

 快く頷いた久瀬は一足先に席を立ち、流れるように伝票を持って会計を済ませに行く。
 財布を取り出すどころか自分の分の支払いを申し出る隙すらない。そのスマートさに千景はただただ感服していた。

 それは同性である志摩も同じようで。

「なんか、男として負けた気がする」

「逆にどこが勝ってると思ったんだよ」

「…あー………顔?」

「私あんたのそういうところ好き。でもイケメンがイケメンと競ったところでイケメンでしかないからね」

「褒めてる? 貶してる?」

「ほめてるほめてる」

 嘘くせー、とぶつぶつ文句を言っている志摩を横目に、銀を腕に抱いて久瀬のあとを追う。

「お前はどうすんの」

「ついてっていい?」

「ん。極力私のそば離れんなよ」

「そんなにやべえの?」

「さあ、どうだろ。でもなんか嫌な予感がする」

「チカの嫌な予感は当たるからなー」

 苦笑した志摩と共にちょうど会計を済ませた久瀬に合流して店を出る。


 結構な時間話し込んでいたらしく外はとっぷりと日が暮れていた。
 穏やかでありながらも奇々怪々とした夜の気配に包まれる。

 視える人間である志摩と久瀬は一見何も変わらない様子だが、やはり夜は条件反射的にピリリと空気が鋭くなる。周囲を警戒している証拠だ。
 自分では対処する術を持てないがために自然と自己防衛が働くのだろう。

 実際昼でも夜でも視える人間にとっては遭遇率はあまり変わらないのだが、夜は霊が出るという人間のDNAに刻まれた本能が大きく作用しているらしい。
 
 クスリと思わず笑みが零れる。

「大丈夫だよ。私がいるから」

 月が綺麗だなあ、なんて呑気に夜空を見上げながらそう呟けば、志摩からは大きな溜め息が、久瀬からは楽しそうな笑いが聞こえた。

「ふふ、君はかっこいいね」

 他意が多分に含まれていそうな呟きを褒め言葉として受け取っておき、月明かりよりもネオンが煌々と照らす夜を千景は闊歩した。


 当初はそのまま久瀬のマンションへ行こうとしていたが、こんな空腹状態では今夜訪れるであろう恐怖の長丁場はもたないという男二人の意見が浮上。

 久瀬の誘いで案の定高級感溢れる店で夕食をご馳走になった。
 もちろん志摩共々誠心誠意「ごちそうさまでした」と感謝の意を表したが。

 久瀬が住んでいるというところは思った通り品格のある男によく似合った高層マンションだった。
 広々としたエントランスは柔らかい暖色照明で照らされ、よく磨かれた大理石の床には汚れ一つ見当たらない。

 一般人にはとてもではないが手が出せない格式高いホテルのような風貌の此処はいわゆる高級マンション。

 代表取締役という肩書きを持つことから漠然と感じ取っていたが、久瀬が大層な金持ちだということが確信に変わった。

 暫くエレベーターに運ばれて着いた先、久瀬の部屋は最上階にあった。
 廊下は今は明るく照らされているが深夜を回るとフットライトしか灯らないそうなので薄暗くなるらしい。

 
 ロックを解除する久瀬をなんとなく眺めていると、ふと、何かの気配を感じ取った。
 それは朱殷と銀も同じだったようで、二匹ともピクリと小さく反応する。

(…なんだこれ……どこ?)

 気配といってもごくごく小さな違和感程度。

 この場に誰かがいるとかそういうあからさまなものではなく、例えるなら残り香のような儚いものに近い。
 しかし確実にそこに存在するもしくは存在していたという些細で確かな記憶。

残滓ざんし、か)
 
 スッと目を細めた千景は神経を研ぎ澄ませる。

「どうした?」

 一向に中に入ろうとせず、加えて一瞬で空気がヒリついた千景を不審に思った志摩が首を傾げた。
 ドアを支えていた久瀬も訝しんだ顔つきでこちらの様子を窺っている。

 千景はちらりと視界の端で捉えた二人には目もくれず、おもむろに左手を伸ばしてドアに触れた。

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