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後始末3
しおりを挟む新たに私の心の同志となったフルニエ卿が倒れた後、少し周囲が騒がしくなったものの、その元凶たる兄様は何事もなかった顔で殿下に挨拶をする。
「何やら周囲が騒がしいようですが……。此度は瘴気の消滅、おめでとうございます」
「……此度は協力要請に応えてくださり、感謝します」
先程の電撃を食らった右手を庇いながら、顔色悪く殿下も挨拶を返す。
「いえ、こういうのは放っておくと広がる一方ですし。私個人としては、妻を危険な場所にやるのは嫌だったのですが、彼女でなければできないので仕方ありません」
「彼女でなければ……。それは、シルヴィが聖女だからですか?」
いや、違うから。
それを知っている兄様も、口に手を当てて苦笑を漏らす。
「おかしなことを…。彼女が聖女でないことはご存知のはずでしょう?」
「それは…」
兄様の一言に、何故か殿下の顔がより青くなる。
知らないわけはないわよね。何しろ、異世界から聖女が現れたから、婚約が白紙になったわけだし。
「今回の仕事の中心人物は、確かにシルヴィです。シルヴィは水系の魔導を使うのですが、水系魔導の中には、穢れを払うものがあるんですよ。彼女が使ったのは、その応用。瘴気を消滅させるレベルまで対応できるよう改良した魔導です。かなり複雑なものなので、我が国でもできる人間は限られていますが」
基本、魔導の塔は今の生活を軸にして新しい観点で、新しい魔導を作り出していく。
しかし中には、かつて先人達が編み出した魔導を、さらに深く、深く研究していくといったマニアな層もいるのだ。
今回私が使った魔導は、彼らが導き出した魔導式をさらに複雑にしたもの。
導き出すのが結構面倒くさかったけれど、これもすぐに彼らによってまた新しいものへと上書きされていくのだろう。寂しいけれど、それも仕方のないこと。
そんな風に一人でしみじみしていると、礼を解いた兄様がまた私の腰を抱いてくる。
人様の家で破廉恥なとか、そういう配慮はないようだわ。試しに一本外してみようかと思ったけれど、吸盤がついているみたいに外れない。それどころか、余裕の笑みなんて浮かべている。
「とにかく、今回はなるべく早く終わらせたかったので、予定通り終わって良かった」
「重ねてお礼を申し上げる」
「いえいえ。こちらもこれで、本格的な妊活に入れるというものですよ」
「「え?」」
なにそれ。聞いていませんけど。驚いて王太子とシンクロしちゃったわ。
「おや?こちらのヨアヒム様から聞いていませんか?実は皇帝は、今回こちらに魔導士を派遣するつもりはなかったのですよ。聖女様がいましたしね」
その辺りは私も聞いている。聞いているけれど。
兄様が仰るには、このまま放っておくと瘴気が広がる。帝国としては、自国と近隣をカバーしつつ、聖女が出るのをもう少し待つつもりだった。けれど、ヨアヒム伯父様が『待った』をかけた。そこまでは聞いていたわ。
伯父様が皇帝に意見したのは、一つには想定より早く被害が広がって来たこと。二つ目には私も知らなかったのだけれど、私の妊活の為らしい。
術ができても、展開できるのは今のところ私一人。これ以上広がると手一杯。というか今の段階でも手一杯。そこで伯父様は陛下に陳情した。
「シルヴィが妊娠したら、ヴィルフリートは出産まで邸から出しませんよ!その間に世界が滅亡したらどうするんですかっ!それに、その為に世界平和が訪れるまで、子供はつくりません!なんて言われたら、シルヴィの子供の顔を見るのが遅くなるじゃないですかっ!」
派遣を渋る皇帝の前で、そんな馬鹿げた自論を繰り広げ、かくして、私の早期派遣が決まった。……らしい。
因みに何故このメンバーなのかといえば、私に怪我をさせず、最短で仕事を終わらせることができ、尚且つ懸想の心配がない、という兄様の条件を満たしていたということだ。
「まあ、皇帝も私の意見に『それはいかん!』と即行認めてくれたんだからいいじゃないか」
伯父様が腕を組んで偉そうに言うけれど、認める、認めないというより何故、個人の家の家族計画に、周囲の人のほうが熱心なのか説明してほしい。
悩んでいると、正面に立った殿下が焦ったように声を上げた。
「あ、ああ。つまり今までは白い結婚だったのですね!」
「は?」
いや、さっき私自分の非処女を公開したわよね。どうしてそうなるの?
しかも何でちょっと嬉しそうなのよ。
「さ、さっきシルヴィは白い結婚ではないと言っていましたが、おかしいと思って!だって今現在魔導士として働いていて、その前は学生で…。おかしいですよね。妊娠の可能性を考えれば、家の中に入るものなのに……!」
確かに私も帝国に行った時、そう思っていた。白い結婚では困るから、関係を持って…。関係を持ったら、貴族の夫人として家に入るって。
いつ跡継ぎがお腹の中に芽生えるかもしれない状況なら、学校や就職など考えないだろう、と。
だから殿下がそう考えるのも無理はない。無理はないのだけれど……。
「?避妊しているから大丈夫ですよ?」
公爵家の考えは違ったのだ。
「は?」
「避妊魔導。ご存知ありませんか?」
あっさりと告げる兄様と、ぽかんとする殿下。多分知らないと思う。何しろ魔導士のいない国だから。私も聞くまで知らなかったし。
「一、二年はやっぱり新婚気分を味わいたいじゃないですか。だから避妊してるだけですよ」
何しろ慌ただしかったですから、と、兄様が笑う。
「これでやっと一段落できたので、とりあえず春頃に、伸び伸びになっていた結婚式をするんです。終わったら避妊魔導解除で妊活がはじまります」
そう。私としては、兄様と一緒にいられるだけで十分満足しているのだけど、周囲がそうはいかない。
この前の家族というか一族旅行の時にそんな話になって、皆、私のウエディングドレスが見たいと。で、その話がどこから漏れたのか、皇帝ご一家まで参加表明することになって、自然に盛大なものにって話になっていったの。今準備中。ウエディングドレスも皇都のお店で鋭意製作中。
その後の新婚旅行は検討途中だけど。何しろこのままでは新婚旅行というより、一族の団体旅行になってしまいそうだから。
それどころか、この先も結婚記念日とかで宰相家も魔導一家もその日は休みをとるだろうから、いっそのこと国民の休日にしたらどうか、という話まで出たくらいだ。
「とはいえ、今でも国にいる間は、私の隣で彼女がゆっくり眠れる夜なんてないですけどね」
「!」
「ちょっ!兄様!」
こんな、こんな昼間から破廉恥な話題を……!
「兄様!お言葉に気を付けて下さいっ!私たちのような大人ではない、ここには淑女が同席しておりますのよ!」
きっぱり言い切って、ローゼマリーやラウラさんを指さす。
が。
「お姉さまの『大人』基準ってよくわかりませんわ?ヤレば大人ってことなのですか?」
「いいじゃないですか!てかそれより、聞きました?聞きましたか?ヴィルフリート様のエロ声!かーっ!もうけしからん!誰かボイレコ持ってこいっ!」
「ボイレコが何か知らないけれど、声ならお父様が録ってるわよ。出張の時は記録用にずっと回しっぱなしだから」
「所長っ!って何でしれっと消してるんですかっ!世界的損失って言葉わからないんですか!消すくらいならまるっと私に寄越してください!」
淑女…どこ?
というか。どこまでも爽やかで涼やかな笑顔の兄様と、引きつりまくった笑顔の殿下の対比が凄すぎるのだけど。
そういえばさっき、嫁になれだとか言っていたわね。ということは、案の定政務が上手く回らなくなっているってことかしら?
…………………………………………
ま、関係ないわね。もうベルフォレの国民でもないし。とサクッと結論を出し、不都合を頭の中から消し去る。
それより気になる事がある。
「兄様、お時間大丈夫ですか?」
第一皇子が待っているのだ。そもそも時間が押していたから、兄様自らこちらに来たのに、さらに時間を取ってしまっている。
「ああ、そうだね」
兄様は頷き、それから一歩王太子に近づくと、彼の耳元で何かを呟く。何を言ったかは聞こえない。それでもロクな事は言っていないのはわかる。何故なら、その瞬間王太子の顔がサッと赤くなり、目じりが恐ろしく吊り上がったから。
そんな彼から顔を離し、兄様がニンマリと微笑む。ネズミを目にした猫みたいな笑い。残酷な捕食者のそれに、ついため息が漏れてしまう。
あの日和見で優しい王太子があんな顔をするくらいだもの、よほどの事を言ったのね。
兄様も優しいのだけれど、それは身内限定の優しさで、他には容赦ないから…。
少しの間二人は睨み(?)合っていたけれど、先に飽きたらしい兄様がこちらを振り返る。ああ、見事に甘い甘い笑顔。さっきまでの、酷薄な笑みはなんだったのかしら。
「さて、行こうか。あまり遅くなると、うるさいからな」
兄様はそういうと、改めて私を抱き寄せた。どうやら今度こそ、帰るらしい。
「帰宅が少し遅れると思うけど、待っていてくれるかな?」
「勿論ですわ」
片腕にすっぽりと抱かれ、耳元で囁かれた優しい声にうっとりと応える。
いろいろあっても、こうして兄様の腕の中に納まると安心しきってしまう。天国ってここなんじゃないかしら?ってくらい。
「伯父上、シルヴィは疲れているから、先に邸に戻しますね」
「こらこら、勝手な事を言うな!この後は陛下に報告の後、ヴァイスヴァルトでお疲れ様会を……」
「あ。そういうのいいですから。第一皇子には、自宅からそのまま出かけて、直帰するんで、報告は明日になるって伝えて置いてください」
「ヴィルフリート!お前自由すぎるだろっ!あ、待て!こらっ!」
足元が不意に青く光り「あ、これ兄様の魔導だ」と思う前に、目の前まで来た伯父様の姿が消える。
そして瞬き一つした後。
「あら、お帰りなさいシルヴィ」
目の前にあったのは、エリーザベト伯母様の綺麗な笑顔だった。
「た、ただいま帰りました」
「お疲れ様。お風呂の支度が終わったようだから、お入りなさい。その間に軽食とお茶の支度をしておくわね」
「あ、ありがとうございます」
伯母様にぎゅっとハグされた後、背中を押される。その先には準備万端整えたメイド達がいた。
彼女たちの元に行く前に、兄様を振り返り、一度ぎゅっと抱き着く。私のお仕事は終わったけれど、兄様は今からまた別のお仕事に向かうのだ。
「いってらっしゃいませ。旦那様」
「…すぐ戻ってくるから」
甘すぎて蜜がしたたり落ちそうな声で呟き、兄様の姿が消える。
何もなくなった空間を名残惜しく見送っていると、エリーザベト伯母様が盛大に顔を引きつらせた。
「シルヴィ、急ぎましょう。すぐ、と言ったらあのバカ息子は本当にすぐ帰ってくるわ。お風呂に乱入されたら嫌よね?」
「嫌です!」
「そうよね。一緒にお風呂ぐらいじゃ済まないものね。食事だってできないわ。さ、急いで、急いで。貴女たちも急いで頂戴」
伯母様の号令にメイドたちも慌ただしく動き出す。
そのお陰か、何とかお風呂も済ませ、食事にもありつけホッとしたのだけれど……。
「母上…よくもやってくれましたね」
「仕事帰りの妻も労わってやれないというの?同居の姑はね、こういう時のフォローの為にいるのよ」
その裏で、伯母様の魔導で兄様が閉め出しにあっていた事を知ったのは、二杯目のお茶を飲み切る頃だった。
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