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悪魔の独り言2(ヴィルフリート視点)

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「春の女神……」

 思わず口に出た言葉に、母上が笑いだす。

「そうよ。春の女神よ!よく知っていたわね」
「姉様…この子の年を考えれば、私の昔のあだ名など知りませんよ」

 女神は母上を軽く睨み、それから再び微笑みを浮かべて私を見た。

「あなたがヴィルフリート様ね。話に聞いた通り、綺麗なお顔ね。私はエーディット。あなたの母上の妹よ」
「妹」

 ああ、だから顔が似ているのだ。

「髪が直毛と巻き毛だし、目の色が違うから印象が大分違うけど、顔は少し似ているでしょう?」

 母上の説明に、女神が自分の髪を摘まむ。

「相変わらずあちこち絡むのよね。姉様の直毛が羨ましいわ」
「あら?私はあなたの豪奢な巻き毛が羨ましいわ。華やかで」
「お互い、昔からないものねだりよね」

 くすくすと顔を見合わせて笑いあう二人は、そこだけ別次元のような美しさだ。

 夢の中にいるみたいで、ぼんやりとそれを眺めていると、女神が自分の膝の上に抱いていた小さな子供を私の前に下ろした。

「!」

 女神をそっくりそのまま小さくしたような、綺麗な女の子。

 彼女は目の前の私に驚いたような顔をし、それから自分の母を問いかけるように見上げる。

 これは誰?と。

「シルヴィの従兄妹になったヴィルフリート兄様よ」

 女神の返答に、小さな女神が首を傾げる。

「にーしゃま?」
「そう、ヴィルフリート兄様よ。…まだ難しくて言えないかな?」
「ヴィーにー」
「じゃあ、兄様」
「にーしゃま!」 

 ようやく言えた事に満足した彼女が、両手を上げ、満面の笑みを浮かべる。

 清らかで、愛らしい微笑みは私の胸を打ち、ついでに隣にいた母上の胸も流れ打った。

「可愛いっ!なんて可愛らしいの!うちのヴィルも可愛いけど、違う種類の愛らしさよ!」

 自身の胸を押さえ叫ぶ母上。どさくさ紛れに私の事まで『可愛い』と言ってくれるのは、ちょっと嬉しかったけれど、それ以上に彼女の意見にまるっと同意で、思わずうなずいてしまう。

 母上のリアクションが面白かったのか、小さな女神が声を出して笑う。

 頭を揺らすと、金の巻き毛の毛先が光を弾く。きらきらと。まるで彼女自身が輝いているように。

 透き通る黄緑に近い瞳が、一度周囲を見回し、再び私の前で止まる。

「にーしゃま、きれい」

 綺麗なのは君だ。そう言いたくて。でも言葉が出ない。

 それを察してくれたのは大人の女神で、彼女はベンチから腰を上げ、改めて私の前で腰を屈めた。視線に合わせるように。

「ヴィルフリート様…ヴィルフリートと呼んでも?」
「あ、はい。勿論です」

 母上の妹という事は、叔母の立場なのだからどう呼んでくれても構わない。むしろ親しく呼んでくれた方が、嬉しいくらいだ。

 頷いた私に彼女はにっこりと笑い

「改めて紹介させていただくわね。貴方の叔母になるエーディット・フロリア・リューシュエよ。この子はシルヴェーヌ・ベアトリス・リューシュエ。シルヴィよ」
「シルヴィ…」

 口の中で名前を反芻すると、呼ばれたと思ったシルヴィが「あい」と返事をする。可愛すぎる。

「でもリューシュエって…」
「あら?もう貴族年鑑を覚えたの?賢いわね。そう。私たち帝国の貴族じゃないの。ベルフォレの貴族なの」
「残念ながら、ね」

 愚痴のような母上の言葉に、エーディット様が苦笑する。

「恋愛結婚でベルフォレに嫁いだの。今回は初めてのお里帰り」
「隣国でもないから、なかなか帰って来られないのよね」
「まあ、帰るだけなら転移魔法もあるのだけど、もう実家にはお嫁さんがいるし、何日もお世話になるのは彼女に悪いわ」
「…それはないと思うけど」

 当時はわからなかったけれど、今ならわかる。

 母上のご実家、ヴァイスヴァルトの当主は妹たち激ラブの病的なシスコンで、その妻はエーディット様の親衛隊も務めた女性。夫と結婚した理由を「エーディット様と縁続きになりたいから!」と言い切る方だ。里帰りというなら、何日どころか永久にだってウェルカムどころか、下手をすれば国に返さなくなるほど。

 エーディット様がこの時我が家に滞在したのは、母上が心を開かない私を心配して、大人ばかりでなく子供と交流させたいと思ったのが大半だが、実家の事情もあったのかもしれない。

 ともあれ。

 それから二人は我が家に滞在することになり、私は自ら買って出てシルヴィの世話をした。

 最初は「お客様だから」という気持ちからだと思っていた。だけどすぐに違うとわかった。

 使用人たちが彼女を世話するのを見るのが嫌だった。時に、父上が彼女を抱き上げるのすら我慢できないくらい嫌だと思った。

 彼女がかかわる事全てを自分がしたいと思うようになるまで、時間はかからなかった。

 勿論、子供だったから「全て」とはいかない。母上や使用人たちに協力してもらい、時に反発したりして日々を過ごした。

 その間もシルヴィは可愛かった。可愛い。可愛くて目が離せない。

 ちょこちょこと私の後を追いかけ、小さな我儘や悪戯を繰り返し、その度に二人で感情をわけあった。

 感動も感情も動かないと思っていた心が、彼女の前で動き出す。凍り付いた大地が、春の日差しに溶け、植物を芽吹かせるように。

 他の者にとってどうかはわからない。ただ私にとって彼女は暗闇の世界を終わらせた春の女神そのものだった。 

 それと同時に、私はそれまで見ないようにしていた周囲の人たちに気づく。父上、母上は勿論、彼らの友人、兄妹、そして使用人たち。養子という立場を超え、慈しみや愛をくれている人々。

 自分でも気づかなかったけれど、いつの間にか私は光の中にいたのだ。それを自覚できたのも、シルヴィの存在があったから。

 依存だったのかもしれない。でもそれでよかった。自覚した時には、シルヴィのいない時間なんて考えられなくなっていた。

 私の様子に、当初三か月の予定だった叔母上とシルヴィの滞在は伸びた。

 以前より良くなったとはいえ、今度は大人が考えていた以上に、私の彼女への『依存』が出てきてしまったからだ。いつ二人を離したらいいのか、そのタイミングがわからなかったのだろう。

 滞在が伸びる中、私たちは皇宮の私的なお茶会に出された。

 私はともかく、シルヴィまで相互依存にならないようにという配慮と、私は私でシルヴィ以外の、できれば同じ年くらいの心を許せる友人を作るため。

 それで選ばれたのが、第一皇子や第二皇子というのは……。贅沢というか、普通はあちらが選ぶのではないか?と思ったのだが、母上曰く「友人の子が一番手っ取り早いと思ったのよ。向こうも友達作らせなきゃって言ってたし」だそうな。

 豪胆な人だが、王妃様も気質が同じなのか、そこが気に入っているのだろう。

 お茶会は最初の一回目から上手くいった。皇子たちも私もシルヴィと第一皇女を間に挟み、和やかに終始し、それ以降今に至るまで、本音で語り合える側近という名の友人関係にある。

 だから忘れていたのだ。

 私が『悪魔の子』であることを。





 ある日、公爵邸の庭でシルヴィと遊んでいると、一人の少年が近づいてきた。

 当然のことだが、公爵邸の警備は厳しい。

 皇子でも、先ぶれなしでは入れないくらい。

 なので、まず私は彼の存在に驚いた。どうやって侵入したのだと。そして、それ以上に驚いたのは、彼が見知った顔だったからだ。

 父の代わりに、子爵として家を継いだ叔父。その叔父の息子。同じ邸に住んでいたから、言葉は交わしたことがなくても、顔くらいは知っている。その彼が何故こんな場所にいるのか。

 理由を考えるより前に、私は自分の背にシルヴィを庇った。

 彼の表情に、友好的なものがないとわかったからだ。

「……子爵令息。お約束はしていないと思うのですが、何か?」

 最初から大きな声を出して、相手を刺激してはいけないと思い、できるかぎり冷静に声をかける。と、私の声に、彼の表情が歪んだ。

「お約束のない方とは会わない、と使用人にも徹底させているのですが、どうやってここまでいらっしゃったのですか?」

 邸の中、しかも奥の庭とあって、護衛の数は少ない。その彼らも突然現れた子供に、対処が遅れたようだ。そして今、私たちと彼が近づきすぎて動けないでいる。

 緊張という名の糸が張られた中、彼がゆるゆると口を開く。

「…こんないい暮らししてんだな…お前」
「…………」
「お前を殺そうとして、父様は捕まった…。お前の父親がやらかした商会も、立て直して…これからだって時に……」

 殺人未遂なのだから、捕まるのは仕方ないだろう。しかも立て直して、これからだって言うなら、何故、そのタイミングでそんな真似をしたのか。

「その上左足を失って、歩くことすらままならなくなった。商会は潰れ、母様は俺たちを置いて実家に戻ってしまった」

 気の毒に思うが、そもそも彼の父親が事件を起こさなければ、私の魔力暴走も起こらず、自身の体だって無事だったはず。

「お前に…。お前に関わらなければ、俺たちは幸せだったんだ!爵位もないような家でも……」

 無理に継いでもらったわけではない。庶子の私では駄目だというなら、爵位の返還という手段もあったはずだ。それを弟だからと邸に入り込み、爵位を継いだのはお前の父親だ。

 何を思って私を襲ったのかわからないが、被害者に加害者親族が文句を言う権利などない。

 きっぱりと言い切っても構わなかったが、今はシルヴィが一緒にいる。自分はともかく相手の目的が分からない以上、万が一にも相手を激昂させてシルヴィを危険な目に合わせるわけにはいかない。

 冷静に…冷静に…。

 相手から視線を外さないようにしつつ、頭の中でそれだけを唱える。

「『悪魔の子』!お前が存在しているだけで、周りは不幸になる!それなのに、何でお前は今ここにいる!?何不自由のない暮らしをして、大勢の人間に守られて!子爵にすらなれなかったのに、公爵だと!?ふざけるな!」

 彼の言っている事は確かだが、衣食住の面で何不自由ない暮らしをしていても、高位貴族としての義務はある。全て好き勝手に悠々自適に暮らしているわけではないのだ。

「この家の人たちも、お前が『悪魔の子』って知ったらどうなるかな?」

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