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神様の傑作

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 我が家の応接室に芸術品がいる。

 先ほどお花を摘みに行った帰り、邸の使用人たちがこそこそと話しているのを聞いて、さもありなんと頷いてしまう。

 生きる芸術品こと、ヴィルフリート・クラウス・フォン・エイシェンフォルト。

大陸内の広大な土地を領土とする帝国の宰相、エイシェンフォルト公爵の子息であり、私の母方の従兄。

 襟足付近で切られ、緩く後ろに撫でつけられた髪の色は、漆黒。どこまでも深い闇の色。先ほど見た聖女様の髪と一緒の色ではあるが、艶やかさが段違い。肌だって白くきめ細やかで、下手な女性よりもよほど美しい。

 因みにさっき聞いた話だと、手入れらしい手入れはしていないらしい。「男がそこまで手入れして美しくなっても、世界は喜ばないよ」と笑われてしまった。

 世の中間違っている。いろいろな面で。

 すっとした眉から続く高く細い鼻梁と、形のいい薄めの唇。そして、肉食獣を思わせるアーモンド型の目に嵌る、印象的な琥珀色の瞳。

 髪の色や、着ている服が黒いからか、闇の中の焔を想像させるそれは、琥珀の虹彩の中にオレンジの粒が火の粉みたいに散る。火がそうであるように、ずっと眺めていたいと思わせるものだ。

 それらが、男性らしい鋭角的な輪郭の中で完璧な形で納まると、まるで奇跡のように美しい人間が出来上がる。

 きっと兄様を作った神様は、今頃自分の腕で額の汗を拭い、満足気なため息をついているだろう。やった…やり遂げた、と。

 しかしながら、美しいと言っても、兄様のそれは女性的ではない。

 広い肩幅も、高い身長も、細く見えて筋肉で引き締まった体も、どれもが男性性を主張している。顔だって、女性的なまろやかさはない。なのに、彼を表す言葉はやはり『美しい』しかない。

 それは、美術館や神殿で見る芸術的に優れた男神の彫刻を見て、美しいと感じるのと同じなのだろう。

 今もお茶をただ飲んでいるだけというのに、その優美さといったら。すでにティールームのメイドが二人、膝から崩れ落ちて使い物にならなくなったわ。

「それにしても、面白いことになっているみたいですね」

 そのメイド達を落とした張本人は、涼しい顔でカップを置き、目の前に座るお母様に笑いかける。残ったメイドから小さく「キャー」と声が上がるが、お母様は気にした様子もなく肩を竦めた。お母様もお綺麗だから、美形耐性があるのかも知れないわね。

「でしょう?旦那様にはわからなかったみたいだけれど、私もあの子が王宮から運ばれてきたときには驚いたわ」
「何故、またこんなことに?」
「事故よ。事故。ああ、もう。ただでさえ面倒な事になったと思ったのに、それが倍に増えるなんて」
「私にとっては、計画外でも思わぬ僥倖でしたが」
「私は貴方の計画を知る神が、慌てて止めに入ったのかと思ったわ」

 何の話かしら?さっぱりわからないわ。

「まさか。でもまあ、その方がこの国にとってもいい話でしょうね」
「そうね。私もそう思うわ」

 やはり、聖女が降臨したという話かしら?確かに帝国と違い、魔導のないこの国では瘴気に太刀打ちができない。だから聖女が降臨して下さった事は、とてもありがたい話だと思うけど。

 何故、今そんな話をしているのか。

「シルヴィ?どうしてそんなところで立っているのかな?こっちへおいで」

 部屋に帰ってきた時のまま、入り口で首を傾げていると、気付いた兄様が自分の膝をポンポンと叩く。

 …そこに座れと?

 いや、さすがにそこはまずいでしょう。

 この人の頭の中では、私はまだ7歳の子供なのかしら?

「兄様、私はもう子供ではありません。デビューも果たした成人ですのよ」

 と、指摘するも

「勿論、わかっているよ。だから、ここにおいでと言っているのだけど」

 わかっていて、お膝の上に乗れというの?なんたる破廉恥。

「兄様!おふざけになるのは……」
「別にふざけてはいないよ。ただ、愛しい妻を膝に乗せて愛でたい。夫なら誰でもそう思うものだろう?」

 純粋に不思議そうな顔で、当たり前のことを言っていると言い切られ、こちらの常識が揺らぐ。

 そうなのかしら?普通の事なのかしら?膝の上に座るのが?それに愛しい妻って…愛しい妻って……ん?兄様に奥様はいらっしゃらないはずだけど。

「兄様、妻って、ご結婚なされましたの?」

 うわーショックだわーと思いつつも、それもそうかと思いなおす。

 兄様も数年前に学園を卒業し、二十歳を越えている。高位貴族で将来有望。おまけに美神も裸足で逃げ出す国宝どころか、世界遺産並みの超美形なのだもの。それは引く手数多よね。

 寂しいけれど、それは仕方ないことだわ。

 私にとっては初恋の方だったから悲しいけれど、ここは一つ無理にでも笑って、従兄妹としてお祝いの言葉を…と思っているとお母様がため息と共に告げた。

「貴女の事よ。シルヴィ」
「お母様?」
「とにかく、どこでもいいからお座りなさい」
「あ、はい」

 どこでも、と言われても膝の上は嫌なので、取り敢えず兄様の隣に腰をかける。本当はお母様の隣が良かったのだが、「こちらに来い」という美形の笑顔の圧力に勝てなかった。兄様、目が笑ってなかったし。

「さて、話だけど…」

 そんな私たちの様子に構うことなく、座ると同時にお母様が口を開く。先ほど兄様に急いでいると言っていたのは、嘘ではなかったようね。

「あのね、シルヴィが寝込んでいる間、旦那様と話し合ったことなのだけど」

 お母様のお話は、私の今後の事だった。




 聖女が降臨なさって、王太子と私との婚約がなくなった。

 それはいい。誰が悪いのではないし、この国の状況を考えれば仕方のないことだ。

 立場や身分を考えて、聖女は殿下の妻となる。

 これもわからないではない。

 だが、聖女としての彼女はともかく、王太子妃としての彼女はどうだろう。

 例えば今後、彼女の活躍のお陰で瘴気がなくなったとする。その後はどうなる?

 王太子の婚約者なのだから、王太子妃になるのだろう。けれど、王太子妃という立場は、何の教育も受けていない彼女に務まるようなものなのか。

 答えは否。

 今からでも勉強すれば何とかなるのかも知れないが、大丈夫、というレベルに達するには一体どれだけの時間がかかるだろう。

 良いも悪いもなく、王太子の婚約者としての責任感から、私の場合は教師相手に常にわんこそば状態で課題に取り組んでいた為、王太子妃教育は早く終わった。現在は王妃教育真っただ中。

 だが、そもそも王太子妃教育は、通常約10年の時間が用意される。7、8歳で婚約が決まり、17、18歳で完了し、学園卒業時に結婚という流れだ。因みに一般教養は、王太子と同じく学園入学前には終わらせているので、学園に通うのは側近を探したり、今後の社交の為だったりする。

 今の聖女の年齢は16歳だから、王太子妃教育が終わるのは大体26歳。瘴気が活発になってくると、教育に割く時間も減るだろうから、場合によってはそれ以上の時間が必要になるだろう。

 そこで今、宮中で囁かれているのが側妃。第二妃とも呼ばれている。その制度を利用しようという動きだ。

 ベルフォレでは宗教上、一夫一妻制で側妃を取ることは認められていない。

 しかし王族に限っては、王妃並びに王太子妃に、一定期間子供ができなかった場合のみ認められる。

 この制度を使ったらどうだろう、という話。

 ただ、通常では子供を産む為の妃だけれど、今回の場合は、聖女の代わりに仕事をする為だけの存在なので、子供を産む事は許されない。

 継承権は、聖女と王太子の間にできた子供のみが許される。

 実際、二百年前の聖女降臨の時も、ナージャールは一夫多妻制だったのにも関わらず、聖女の立場を慮ってこの処置が取られたそう。

 愛もなく、子供も作れず、ただ他人の仕事をするだけの存在。例え優秀な妃で、政務に優れていても、成果は全て正妻である聖女の評価となるのだ。

 また、聖女が王太子妃教育に熱心ならばともかく、そうでなかった場合、側妃がその立場から解放されることがない。これもまあ、二百年ほど前にあった話らしい。

「ナージャールの記録が簡素なのもわかるわ」

 聖女は国を救ってくれた方だから、国民には人気があるだろう。しかし、仕事も、それを覚える努力もしなかった人なのだとしたら?近くで見ていた人たちは、頑張っている不遇の側妃を見ていた分、声に出せない不満はあったのかもしれない。

 実際、その後の資料を見ると、聖女の子は幼くして死去し、王弟が立太子している。

 読んだ時は、ただお気の毒にと思ったけれど、改めて事情を聞けば、裏の事情も見えてくる気がする。

「で、今回も同じ処置が取られるだろうって話なのよ」

 正妃に公務ができないのなら、できる側妃を娶ればいい、と。

 どんな罰ゲームなの?人道的にも間違っているでしょうに。

 女としては、胸糞以外の感想がないわ。

 大体政務云々だったら、文官を増やしなさいよ!と言いたいが、公務の中に対外的なものも含まれるため、あくまで『妃』が求められる…らしい。

「その最有力候補が、貴女よ。シルヴィ」



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