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目に眩しい物は心臓に悪い
しおりを挟む王宮から王都にあるタウンハウスへ。何年も通い、すっかり見慣れた景色を見ながら、止まらないため息をまた一つ吐く。
婚約がなくなったとしてもベルフォレの貴族だから、これからも王宮に行く機会はあるだろうし、この景色が見納めになるわけではない。
けれど、きっと今までと同じような目で、この景色を眺めることはないのだろう。そう思うと、ちょっと感傷的になってしまう。
そんな私の気持ちも他所に、馬車は一定の速度で走り、やがて邸の門をくぐる。
いつものように。変わらずに。
そうしてエントランスに止まれば、すぐに家の者が馬車の扉を開け、手を差し出してくれるはずだった。のだが……。
「やあ、シルヴィ」
「!」
本日そこにいたのは、顔見知りの使用人ではなく、とんでもなく美しい人だった。
どのくらい?と問われれば、周囲にキラキラどころかギラギラの光のエフェクトがかかるくらい、と答えよう。もういっそ神々しいくらいだわ。自分とは存在する次元が違うのではないかしら。眩しすぎて目がつぶれる。
聖女降臨の時といい、この世界は目に優しくない気がするわ。
「シルヴィ?」
声をかけられても、圧倒されてどうしていいのかわからない。美とは力なのね。圧なのね。というか、美人って声もいいのね!
頭の中では、そんなどうでもいいことがフル回転しているというのに、反応が返せない。そのままの状態で、相手を見つめるだけ。
日常生活とかけ離れた事が突然起きると、人は無反応というか、どう反応していいのかわからなくなるものなのね。
困ったわ。とりあえず拝んでおくべき?手を合わせるより、やっぱり五体投地よね。
次にすべき行動がわからず固まっていると、目の前の人は悲しそうに表情を曇らせた。
「シルヴィ?どうした?私の事を忘れてしまった?」
この表情だけで、世界中の人が私の事を責め立てるわ。実際、罪悪感から処刑してもらいたい気分になる。
「シルヴィ」
がんばれ私。今こそ働くのよ私の体。でないと、世界が私の敵に回るわ。
「い、いえ。ただ、驚いてしまって」
強張る声帯を何とか動かし、この時の為の教育だったのよ!と己を鼓舞しながら、10年間王太子妃教育で培った笑みを披露する。
やったわ。一度行動を起こせば、強張りも取れるもの。
そうよ。よくやった。昔から、やればできる子だと言われたし。
謎の達成感を感じながら、少しだけ肩から力を抜くと、相手もそれを察したのか悲しい表情を消し、目を優しく細め、形のいい唇に笑みを浮かべた。
おお、それだけで周囲に花が舞い散るようだわ。
「10年ぶりだね」
穏やかな口調で微笑む目の前の美形は、従兄の兄様。お母様のお姉さまにあたる方…つまり伯母様の息子さん。
ここから国を一つ挟んだ先にある、帝国と呼ばれる国に住んでいる。
「驚かせてすまない。先日、叔母上から連絡を貰って急いでいてね」
10年前も、天使と見間違うほど綺麗な人だったけれど、成人した後の美しさって言ったら凄まじいほどね。さっきの私のフリーズはきっと、アップデートの量が多すぎたのよ。
「急に訪問してしまって、驚かせてしまったようだね。やはり、先触れくらいは出しておくべきだったかな?」
僅かに首を傾げるお姿も、奇跡のようにお美しい。
「あ、いえ。本当にビックリしただけですから。それよりお母様からの連絡って…。聖女様が降臨したというお話ですか?」
兄様の家は、帝国でも宰相を務める家柄。それ故、聖女が現れたと話を聞き、状況を確認する為に来たのかしら?
聖女が現れたという事は、大きな瘴気が現れる前触れ。帝国にとっても、懸念材料だろう。
だが、兄様は私の問いに首を横に振った。
「それもあるけれど、何よりシルヴィが倒れたと聞いてね。本当はその日に来たかったのだけど、準備があったから。ごめんね。体は大丈夫かい?」
兄様優しい…。そういえば王太子なんて、今日会っても『大丈夫?』の一言もなかったわ。倒れた事は知っているくせに。
「心配してくれてありがとう。兄様。眩しさと衝撃に驚いて気を失ったけど、怪我もないし、大丈夫」
「倒れたってことだけで、十分大丈夫なんかじゃないよ」
「ちょっとよく寝てしまったわ、って感じよ?」
そう言って笑うと、彼はやれやれと表情を緩め、それから改めて手を差し出した。
そこで、自分がまだ馬車から降りていない事に気が付いた。
「足元に気をつけて」
相変わらずの王子様ぶりね。本物の王子様に見習わせたいわ。
さすがに王太子に、馬車の乗り降りに手を貸せ、などとは言えないけれど。そうではなく。
別に王太子が暴力的だったとか、自己中心的だったとかは全くなくて、優しい穏やかな人だったと思う。お菓子くれたし。でも、何というか頂点の人だけに、細かい部分では気が利かない人だった。
側に居すぎたせいか、ときめきもなかったしね。
兄様は兄様だけど…。それはドキドキするわよ。だって、滅多にお目にかかれないほどの美形よ?
その人が手を握り、恭しく馬車を降りるのを手伝ってくれる。今、ときめかなくて、いつときめくというの?
足が地面につくと、すぐに長身の体に抱きすくめられ、こめかみに唇が触れる。
「心臓に悪いので止めてください」
人外美形のちゅーなんて、ご褒美どころか毒にしかならない。心臓に悪すぎる。真剣に殺しに来ている?と疑うレベルだわ。
なのに、私が本気でかけたストップに、彼は上機嫌に笑う。実際声を出して笑っているわけではないけれど、唇を通して彼の笑いが伝わってくる。
「久しぶり。私の春の女神。心臓に悪いというのは、こちらのセリフだ。一段と美しくなっていて、あまりの麗しさに、私の心臓こそ止まるかと思った」
「兄様は相変わらず、私に対しての評価が甘いのね」
そのまま唇は私の頭頂部、耳、頬と移動し、目の端に来たところで止まり、代わりに額と額がくっつけられる。
「これでも言葉が足りないよ。世界中の賛美の言葉を集めても、君の美しさを表現できないのが悔しい限りだ」
「………」
本気で悔しそうに言われてしまうが、言われたこちらは過分な誉め言葉に、なんと返したらいいかわからなくなってしまう。
お世辞なら躱しようもあるのだが、彼は本気で言っている。元々、子供の頃から妙なフィルターが目というか、頭の中にかかっていたけれど、どうやらそれは、大人になった今も変わらないらしい。
美的基準がおかしいのよね。
まあ綺麗っていわれて、悪い気はしないけれど。
それにしても、距離が近いわ。兄様睫毛長いから、お互い睫毛同士が触れ合いそう。この距離感も相変わらずね。
ただ子供の頃ならばともかく、年頃の成人貴族同士としてはどうなのか。そう思ったところで、二人の睫毛の間に、ぬっと閉じた扇が差し入れられた。
「久しぶりの生シルヴィに有頂天になる気持ちはわかるけど、先にやることがあるでしょう?ヴィル」
「お母さま」
「叔母上」
我が家の自治会長のおでましだ。
婚約が解消されフリーになったとはいえ、やはり玄関先での夫婦でもない男女の親密な行為は、親として目に余るのだろう。
私としても、いつまでもこんな超絶美形にホールドされるのは、心臓に悪いのでストップをかけてもらってありがたい限りだ。
「ヴィル、時間がないから貴方を呼んだのよ」
「申し訳ございません。叔母上」
「わかればよろしいわ。応接室に戻るわ。シルヴィ、貴女もそのままでいいからいらっしゃい。エマ、さっき指示した荷物をまとめて。アデル、お茶のおかわりを。ジョゼフ、シェフに軽食を出すように言って。大急ぎでと」
降参とばかりに両手を上げる兄様に頷き、お母さまは踵を返すと、つかつかと先に歩きながら、次々に周囲に指示を出す。
お客様と言っても、気心の知れた甥っ子だから、殊更取り繕うことはないだろうけれど、お母さまは公爵夫人なのだ。いつもは使用人たちの前でも公爵夫人らしく、優美でおっとりとした言動を心掛けているのに、今日はどうしたことだろう。
答えを求めて隣の兄様を見上げるも、苦笑いでごまかされてしまう。
なにかしら?
何かがいつもと違う。
首を傾げても、答えは貰えない。ともあれ、ああいう状態のお母様に逆らってもいいことがないわけだしと、後について歩き出すと、兄様もピタリとついて歩き出す。
あ、エスコートじゃないのね。腰を抱くのね。いいのかしら?
ほら、振り返ったお母様が行儀悪く舌打ちなさったわ。
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