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四章 条件

六話 説得

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 美桜は浅葱の部屋の前まで来ると、正座をし、

「美桜です」

 と、声をかけた。中の会話がピタリと止まる。

「美桜?」

 翡翠の声が聞こえ、立ち上がる気配がすると、すぐに襖が開いた。翡翠が目を見開いて美桜を見下ろしている。

「翡翠。私からもお父様にお願いに来たの」

 美桜は翡翠を見上げて、はっきりとした声で言った。翡翠が心配そうな顔をしたが、「大丈夫」と頷いて見せる。
 翡翠が体をよけたので、美桜は立ち上がると、部屋へと入った。浅葱が不機嫌な顔で腕を組んでいたが、構わず会釈をして、その前に座った。すぐに翡翠も戻ってきて、美桜を守るように、距離を開けずに腰を下ろした。

「お父様。もう一度、お願いに来ました」

 美桜が落ち着いた声で話し始めると、浅葱は鋭いまなざしで美桜を見つめた。美桜は、その視線に負けないように、ぐっと腹に力を込め、

「どうか翡翠との結婚を許して下さい」

 と、深々と頭を下げた。浅葱は何も答えない。

「お父様のおっしゃる通り、私は人間です。私には、お菓子作りの力しかありません。でも、翡翠のことも、幽世のことも大好きです。その気持ちは本当です。心の中を開いてお見せできないのが悔しいぐらい、大きな気持ちなんです」

 顔を上げ、浅葱をじっと見つめる。

「私は現世では、叔父や叔母、いとこに虐げられて育ちました。自分が馬鹿で何もできない人間だと思い込まされていました。けれどその思い込みを、翡翠が払ってくれました。私に仕事と居場所を与え、自信を付けさせてくれたんです。そして、私のことを好きだと言ってくれた。私は翡翠からたくさんのものをもらいました。私は、翡翠のそばで翡翠を支え、役に立ちたい。私にできることなら、何でもしたい。この幽世で、私は生きていきたいんです。――浅葱様、どうか、私が翡翠のそばにいることを、許してもらえませんか」

 美桜の懇願に、浅葱は顔色一つ変えない。

(ダメ……なの? ううん、私は諦めない)

「父上。俺と美桜の決心は固い。父上が頷いてくれなければ、俺たちは駆け落ちをしてでも一緒になります」

 翡翠の発言に、浅葱よりも早く美桜が反応し、

「翡翠、蒼天堂はどうするの? そんなことはダメだよ」

 と、袖を引く。

「蒼天堂は穂高に任せる。使用人頭で番頭のあいつなら、うまく経営をしてくれるはずだ」

「でも……!」

 美桜と翡翠が言い合っていると、誰かが廊下を歩いてくる足音が聞こえた。すぐに襖が開き、

「浅葱様。お客様ですよ」

 スズナが顔を出した。

「客? 立て込んでいる時に、誰だ」

 浅葱の不機嫌な声を、スズナは涼しい顔で受け流し、

「さあ、入って」

 と、後ろを振り返った。

「失礼します」

「芙蓉さん!」

 姿を現したのは芙蓉だった。予想外の人物の登場に、浅葱が驚いている。
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