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二章 洋菓子作り

二十二話 あんたが欲しい

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 しばらく待っていると、木綿が、休憩の終わった紬と共に、包丁と食器類を持って戻ってきた。美桜が早速シフォンケーキを切り分け、紬が皿にのせると、木綿が爪楊枝を刺していく。試食の準備が整うと、美桜は皿を持って店舗ブースの外に出た。

(よし!)

 ふぅと息を吸い、やる気をチャージする。少し恥ずかしさはあったものの、

「お味見いかがですかー? 幽世ではめずらしい、現世のお菓子、シフォンケーキです!」

 と、声を張り上げた。すると、翡翠も隣で、

「蒼天堂の支配人が太鼓判を押す菓子だぞ。皆、食べてみろ」

 と、呼び込みをしてくれる。

「支配人のおすすめ?」

「へえ~。どんな菓子なんだろ」

 翡翠の宣伝文句が効いたのか、幾人かのあやかしが立ち止まった。美桜はすかさず近づき、

「どうぞ!」

 と、シフォンケーキを差し出した。あやかしたちは、不思議そうにシフォンケーキを受け取り、見つめた後、用心深く口に入れ「おおっ」と声を上げた。

「なんだ、これは。甘くてふわふわだ」

「ここでは、これを売っているの?」

 にわかに興味を持ち始めたあやかしたちに、

「卵がたっぷりと入った洋菓子です」

 と説明をする。

「ようがし? 聞いたことがないな」

「紬さん、ジャムの瓶を開けて下さい」

「はい!」

 紬が桃ジャムの試食を用意し、皿を美桜に手渡す。

「良かったら、こちらも食べてみて下さい」

 美桜があやかしたちに匙を差し出すと、皆、興味津々という様子で手に取り、口に入れた。

「んん、これもうまい! 桃で作られているのか?」

「はい。白桃を砂糖で煮詰めています。こちらのシフォンケーキと合わせて食べるとおいしいですよ」

 美桜がすすめると、

「両方ともいただくわ」

 女性のあやかしが、巾着バッグから財布を取り出した。

「ありがとうございます!」

 一度売れたら、後は早かった。

「俺にもおくれ」

「私も。しふぉんけぇきっていうのと、しゅうくりぃむっていうのをちょうだい」

 会計をしている間に、他のあやかしたちも集まってきて、飛ぶように試食がなくなっていく。美桜は、惜しむことなく菓子を切り分け、客に振る舞った。

「皆、並べ。押してはいけない。試食は十分にある」

 店の前がぎゅうぎゅうになってきて、支配人の翡翠自ら列整理を始めた。ブースの中では、紬と木綿が、目のまわる忙しさで、立ち働いている。美桜は次々と伸ばされる手に、絶え間なく試食を渡した。その時、

「俺にもくれ!」

 一際、大きな声が響いた。列を押しのけ、青年が近づいてくる。燃えるような真っ赤な短髪に、同じく赤色の瞳をしている。にゅっと手を出されたが、翡翠がすかさず、

「順番だ」

 と、厳しい声を上げた。

「なんだよ、翡翠。いいじゃねぇか」

「何しに来た、神楽」

 翡翠の、めずらしく不快な感情がこもった声に驚き、美桜は、赤い髪の青年に目を向けた。

「蒼天堂が創業祭を開くっていうから、敵情視察さ」

 にやりと笑った青年を見て、翡翠の眉間に皺が寄る。

「勝手に見ていけ。だが、今は邪魔だ。どうしても美桜の菓子が食べたいなら、並べ」

 しっしと手を振った翡翠に、青年は「なんだよー」と唇を尖らせながら、素直に最後尾に並んだ。そして、順番が来て美桜の前まで来ると、ひょいと爪楊枝を手に取り、シフォンケーキを一口で食べた。

「んっ? これはうまいな。こんな菓子は食べたことがない」

 目を輝かせた青年に、美桜は笑顔で「ありがとうございます」と礼を言う。全ての客に愛想良く振る舞っていたので、ほとんど条件反射だった。
 すると、青年は、にっと笑い、

「可愛い嬢ちゃんじゃねぇか。あんたがこれを作ったのか?」

 と、桃ジャムの匙も手に取った。ぺろりとジャムをなめる。

「はい」

「ふぅん。いいね。――気に入った。あんたが欲しい」

「は……はい?」

 唐突にそんなことを言われ、美桜の目が丸くなる。青年と話している間に、他の客が、どんどんと皿から試食を取っていく。美桜は青年の相手をしていられなくなり、

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 と、客たちに礼を言いながら、試食を配った。あやかしたちの波に押し出されながら、青年が、

「俺は南の紅龍、神楽だ。紅香堂という万屋を営んでいる。あんたの腕に惚れた! そのうち、あんたを迎えに来るから、覚えておいてくれよ」

 と叫ぶと、「じゃあな」と手を振って去って行った。   
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