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二章 洋菓子作り

二十一話 創業祭

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 それからは怒濤の毎日だった。
 美桜は何度も市場に足を運び、幽世の食材と価格を調べ、店舗に出す菓子のラインナップを考えた。繰り返し菓子作りの練習をし、要領も良くなり味が安定すると、商品のためのオリジナルレシピを考案した。
 さらに、翡翠から幽世の通貨について教わり、経理についても軽く学んだ。蒼天堂で働く上での規則やマナーも叩き込まれた。
 現世にも何度か連れて行ってもらい、オーブンをもう一台購入し、日持ちのする材料の仕入れも行った。オーブンは、雷獣の妖力を溜められるように改造してもらったので、ライの手を借りなくても良くなった。

 準備を万端に整え、ついに、創業祭の日がやってきた。

「高級羽毛布団・四割引き。正絹着物・目玉特価。地下惣菜・一部均一価格……」

 蒼天堂の制服に身を包んだ美桜は、チラシを手に取りながら、見出し文句を読んでいた。

『全館大感謝祭』と銘打たれたフェアでは、各階でお買い得商品が設定されている。

「色々安そうだね」

「美桜の菓子も、ここに載ってるね」

 横からチラシをのぞき込んでいた湖月が、隅を指差した。そこには『大人気洋菓子店堂々開店! 売り切れ御免!』とオーバーなあおり文句と、シフォンケーキのイラストが描かれている。

「大人気洋菓子店って……」

 美桜が苦笑すると、湖月が肩を叩いた。 

「すぐに大人気になるから、大丈夫」
 
「美桜様、このぷりんはどこに置きましょうか?」

「じゃむの瓶はどこに並べますか?」

 紬と木綿に声をかけられ、美桜は慌ててチラシをエプロンのポケットにしまい、振り返った。

「ごめんなさい。プリンは冷蔵ショーケースに、ジャムは隣の陳列台に置いて下さい」

 店舗ブースの中へと戻り、美桜も菓子の陳列に入る。今朝方、早雪が念入りに冷気を入れてくれた冷蔵ショーケースを開けて、丁寧にシフォンケーキとシュークリームを並べていく。
 美桜の洋菓子店『パティスリーチェリーブロッサム』は蒼天堂のデパ地下で、今日から開店するのだ。

(翡翠は、洋菓子をデパ地下の目玉商品にするって言っていたけど、大丈夫かな。売れるかな)

「う~ん、おいしそう」

 心配する美桜の前で湖月が冷蔵ショーケースをのぞき込みながら、ぺろりと唇をなめている。

「あたしも後で買いに来よう。……って、きっと余らないか」

「どうでしょう……」

 美桜は、頼りなさげに微笑む。

(でも、穂高さんとの約束だ。完売を目指さないと)

「じゃあね。また来るよ」

 湖月が手を振って去って行く。
 全ての菓子を並べ終えた後、美桜は釣り銭のチェックを始めた。お金は幽世のもので、会計はそろばんで計算しないといけないので、美桜にはなかなかハードルが高い。

(今日までに幽世のお金は覚えたし、そろばんも練習したから、なんとかなると思うけど……)

 それでもやはりお金のこと。会計を間違うわけには行かない。不安を抱えていたら、

「美桜様、お会計は私たちがお手伝いをしますから」

「安心して下さいね」

 今日の手伝いを買って出てくれた紬と木綿がフォローをすると、胸を叩いてくれた。

 そうこうしているうちに、開店を知らせる銅鑼の音が聞こえてきた。

「オープンだ……!」

「頑張りましょう。美桜様!」

 木綿がガッツポーズをして、美桜を励ます。
 すぐに食料品売場にも客が流れ込んできた。菓子売場では、和菓子を販売している各店舗が、数量限定でお買い得な福袋を用意しているので、皆、そちらへ殺到している。

(お客さん、来てくれるかな)

 美桜は緊張した面持ちで店舗ブースの中に立っていたが、客は横目で『パティスリーチェリーブロッサム』を見ていくものの、素通りするばかりで、立ち止まってくれない。

(見たことのないお菓子だから、買ってみようと思わないのかも)

 正午になっても一つも売れず、

「うーん、売れませんね……」

 紬がぽつりとつぶやいた。美桜は手伝ってくれている二人に申し訳なくなり、

「お仕事、休んで来て下さったのに、ごめんなさい」

 と謝った。木綿が慌てた様子で、

「大丈夫ですよ、美桜様! まだまだ、創業祭は始まったばかりです!」

 と励ましてくれる。とりあえず、昼時なので、交代で休憩に入ることにした。まずは紬に昼食を取りに行ってもらい、木綿と美桜が店番を続ける。

(どうしたら売れるんだろう……。せっかくたくさん作ったのに)

 このままでは、期待をしてくれた翡翠に面目が立たない。
 頭を悩ませていると、

「調子はどうだ? 美桜」

 と、翡翠がやって来た。

「あっ、翡翠」

 翡翠は冷蔵ショーケースに整然と並べられているケーキを見て、

「もしかして、苦戦しているのか?」

 と、難しい顔をした。美桜は、隠しても仕方がないと思い、

「うん……。ごめんね、翡翠。せっかく、チラシに宣伝をのせてくれたのに」

 と、肩を落とした。

「美桜の菓子はおいしい。味さえ分かれば、皆、気に入ると思うのだが」

 翡翠が顎に手を当て考え込む。

「味さえ分かれば……」

 美桜も同じように考え込み、突然「あっ」と閃いた。

「それなら、一度、食べてみてもらえばいいんだ! いくつか、試食にまわそう! ええと、包丁……包丁を持ってこなきゃ」

 美桜の言葉を耳にし、木綿が、

「私、厨房から取ってきます!」

 と、店舗ブースを飛び出して行った。木綿の背中は、あっという間にデパ地下の混雑の中に消えていく。

「試食を出すということか。太っ腹だが良い案だ。必要経費だな」

 翡翠が「なるほど」と美桜を見る。
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