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二章 洋菓子作り

九話 穂高の憂鬱

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 スーパーは残念ながら見つからなかったので、美桜たちは百貨店の地下食料品コーナーで買い物をした。製菓材料の問屋が入っていたこともあり、思っていたよりもリーズナブルな価格で購入できたので、美桜はほっとした。

「バター、生クリーム、ベーキングパウダー、アーモンドプードル、チョコレート、ココア、バニラエッセンス、ゼラチン……」

 美桜がメモを見て確認していると、

「買い忘れはないか?」

 両手にパンパンに膨らんだビニール袋を下げた翡翠が聞いてくる。

「欲しかったものは、全部買えたと思う」

「ならば帰ろうか」

「うん」

 美桜の両手にもビニール袋が下げられていたが、軽いものばかりが入っているので、それほど重たくはない。
 デパ地下を歩きながら、翡翠が、

「これが現世の万屋か。蒼天堂にはないものが売っているな。美桜が作る菓子に似たものもたくさんあるようだ」

 と、きょろきょろしている。

「デパ地下のケーキっておいしいんだよ」

 翡翠がミルクレープを見つめていたので、

「一つ買って帰る?」

 と聞いてみた。

「いや、いい。今日はこれ以上、持てないからな。それに、あのような菓子は、これから美桜がたくさん作ってくれるのだろう?」

 翡翠に期待をかけられて、笑顔で頷く。

「頑張るね」

 百貨店を出て龍穴神社へ戻ってくると、翡翠は龍の姿へと変化した。その背に乗り、落ちないように荷物を抱える。

「二人とも、準備は良いか?」

「うん」

「はい、大丈夫です」

 翡翠は美桜と穂高に確認をすると、舞い上がった。そのまま、龍穴の中へと飛び込んで行く。来た道を今度は下へ下へと向かう。

(この穴って、どれぐらいの長さがあるんだろう)

 真っ暗なのと、翡翠が飛ぶ速度が速いので、体感的に、長いのか短いのかよく分からない。けれど、地上からは底が見えないので、長いことには間違いないようだ。

(昔の人は、この深い穴を龍神が住む穴だと思って、神社にお祀りしたのかな)

 山自体が御祭神と考える神社もあるらしい。龍穴神社は今でこそビルの合間にぽつんと存在する神社だが、昔はここにも、山や森があったのではないかと、美桜は考えた。

 前方に明かりが見えた。龍穴の出口だ。
 外へ出ると、幽世は夕暮れ時だった。赤い夕日が、山の端に消えていこうとしている。

「綺麗だけど、ちょっと怖い……」

 赤と藍の入り交じる空を見て、美桜がそんな感想を漏らすと、後ろに座っていた穂高が、

「そうですね」

 と、めずらしく同意をした。

「……こんな空を見ると、思い出します」

 ぽつりとつぶやかれた言葉に、

「何をですか?」

 美桜は問い返したが、

「…………」

 穂高から返事はなかった。
 翡翠が風を切って飛ぶ音で聞こえなかったのだろうかと思ったが、それほど重要な会話でもなかったので、深くは尋ねなかった。 

 前方に八層建ての楼閣――蒼天城が見えてきた。翡翠はまっすぐにバルコニーへ向かうと、優雅に降り立った。龍の背から、美桜と穂高が滑り降りる。翡翠もすぐに人型へと戻ると、ビニール袋を手に取った。

「荷物を厨房へ運ぼう。今日はもう時間も遅いから、美桜が菓子作りをするのは、明日以降だな」

(明日から、私のお菓子作りが始まるんだ)

 美桜は胸を高鳴らせながら、歩き出した翡翠の後ろについて行った。 
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