上 下
28 / 80
二章 洋菓子作り

二話 湖月

しおりを挟む
 最上階の部屋の扉を叩き、

「翡翠、いる?」

 と声をかけると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。そうっと扉を開けてみると、今日も着流しに羽織を着た翡翠が、書斎机の椅子に座って書類を読んでいた。

「お仕事中だった?」

 入り口で遠慮がちに問いかけた美桜に、翡翠が、

「大したことではない」

 と、顔を向ける。

「入っておいで」

 手招きをされたので、美桜は頷くと、翡翠のそばへ近づいた。

「どうした?」

「あのね、昨日の話なんだけど……」

 美桜は、デパ地下で洋菓子店を開くため、菓子作りの練習をしたいと翡翠に申し出た。そのために必要なものが幽世にあるのかどうかも知りたいのだと話す。すると、

「なるほど。美桜は早速、俺の頼みを前向きに考えてくれたのだな」

 翡翠は、ふっと微笑み、

「食材や道具は、俺よりも料理長の方が詳しい。厨房に行ってみようか」

 と、立ち上がった。 

「料理長さん?」

 美桜は、小首を傾げた。昨日からいただいているおいしい食事を作ってくれた人だろうか。

「厨房は階下にある。蒼天堂と蒼天城の境目の階だな。さあ、行こう」 

 翡翠に腰を押さえられながら、美桜は歩き出した。男性慣れしていない美桜は、体に触れられるたび、ドキドキしてしまう。

 部屋を出た二人は、最上階のフロアから、四階下へと下りた。四階下のフロアは簡素な造りで、蒼天堂の制服の、紺色の着物にフリルの付いたエプロンを着けた女性たちや、袴姿の男性たちが行き交っていた。彼らは、翡翠の姿を見つけると立ち止まり、通り過ぎるまで頭を下げた。

「ここは蒼天堂の従業員専用の階だ。休憩室や食堂、事務所、発電室などがある。蒼天堂で働いている者たちは、無料で昼食が食べられる」

「すごいね!」

 福利厚生のしっかりした職場だと、美桜は感心した。

「料理長さんは、食堂にいるの?」

「ああ。蒼天堂の従業員の食事と、蒼天城で働く使用人、それから、俺や美桜の食事も作ってくれている」

(どんなあやかしなのかな?)

 美桜が想像していると、開きっぱなしになっている扉の前で立ち止まり、翡翠が中をのぞき込んだ。

「ああ、ほら、美桜。ここが厨房だ。湖月こげつ、いるか?」

「おや、翡翠様」

 呼ばれたことに気がついたのか、着物に割烹着姿の女性が振り返った。肩より少し上で切りそろえられた、金色の髪の間から、ぴょこんと三角の耳が飛び出ている。お尻には尻尾が生えていたが、複数あり、赤いリボンで結び留められていた。

(リボン、可愛い)

 美桜は彼女を見て、「おしゃれさんなのかな」と考えた。
 厨房は広く、湖月の他にも、同じく割烹着姿の女性が二人、働いていた。彼女たちにも耳と尻尾が生えていたが、尻尾は一本だった。

(狐のあやかし?)

 部屋の隅には煙突の付いた竈があり、大きな釜が掛けられていた。煙突の先は壁の中なので、屋外へ排煙できる造りになっているのだろう。かと思えば、IH調理器のようなプレートがあり、女性のあやかしがその前で、天ぷら衣をつけた魚を油で揚げていた。プレートは何枚かあるようで、もう一人の女性は汁物を作っている。

 美桜は、蒼天堂の電力が雷獣というあやかしの力でまかなわれているという話を思い出した。きっとIH調理器(?)を動かしているエネルギーも、雷獣によるものなのだろう。
 厨房はオープンキッチンになっており、カウンターの向こう側には食堂が見えた。あちらで従業員が食事をとるのに違いない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します

黒木 楓
恋愛
 隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。  どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。  巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。  転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。  そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

【完結】フェリシアの誤算

伽羅
恋愛
前世の記憶を持つフェリシアはルームメイトのジェシカと細々と暮らしていた。流行り病でジェシカを亡くしたフェリシアは、彼女を探しに来た人物に彼女と間違えられたのをいい事にジェシカになりすましてついて行くが、なんと彼女は公爵家の孫だった。 正体を明かして迷惑料としてお金をせびろうと考えていたフェリシアだったが、それを言い出す事も出来ないままズルズルと公爵家で暮らしていく事になり…。

処理中です...