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一章 幽世へ

二十四話 蒼天堂

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 話している間に、どれぐらい下降したのだろう。翡翠は再びレバーを動かし、エレベーターを停めた。蛇腹の扉とガラス扉を開けた翡翠に、

「着いたぞ。外へ出ろ」

 と、促され、カゴから出た美桜は、

「わあっ……!」

 と、声を上げた。

「いらっしゃいませ!」

「ようこそ、蒼天堂へ!」

 紺色の着物に、フリルの付いた白いエプロンを身につけた女性たちが、美桜に向かって一斉にお辞儀をした。明るく照明の灯ったフロアには、帽子やショール、バッグなどが並べられた棚がある。ただし、洋風ではなく、着物に似合いそうなデザインのものばかりだ。

(お店? 和風だけど、デパートの婦人用品売場に似てる)

 美桜がぽかんとしていると、翡翠が美桜の肩を押さえ、耳元で、

「ここは俺が経営する万屋――蒼天堂だ」

 と言った。

「万屋……」
(つまり、何でも揃うお店――百貨店ってこと?)

 美桜の抱いた印象は、間違いではなかったようだ。幽世にもデパートがあるのかと驚いた。

「美桜、色々と欲しいものがあるはずだろう? 着物や、下駄や、下着なんか」

「し、下着!」

 翡翠に言われて、美桜の顔が真っ赤になる。確かに、欲しいものの一つではあるのだが……。

(でも、幽世に、ブラジャーとかあるのかな……)

 心配していると、翡翠が、

「さあ、見に行こう。まずは、着物だな」

 と、美桜の腰に手を当て、歩き出した。
 翡翠にエスコートされながら、美桜はきょろきょろと周囲を見回した。蒼天堂の内装は凝っていて、天井は鏡面になっており、和モダンなシャンデリアが掛かっていた。

(綺麗な建物……)

 フロアの中央にある、手すりに複雑な模様が彫られた大階段を上がると、二階は着物売場だった。あちこちに、紺色の着物にエプロン姿の店員がいて、耳と尻尾の生えたあやかしや、頭に角の生えたあやかしと話をしている。

(お客さん、皆、あやかしなんだ)

 つい視線が引き寄せられ、あやかしたちを見ていると、

「美桜、こっちにおいで」

 翡翠に呼ばれた。振り向いたら、翡翠は衣桁に掛けられている、鮮やかな着物の前に立っていた。

「美桜に似合いそうだ」

 翡翠が指し示したのは、月と夜桜が描かれた着物だった。大人っぽいデザインに気後れがして、

「こ、こんな素敵な着物……私には似合わないよ」

 慌てて断ったが、翡翠は、

「そんなことはない」

 と、真顔で言った。

「試しに着てみろ。おい、誰か」

 翡翠がそばにいた店員を呼んだので、美桜は、

「い、いいよ。翡翠」

 と逃げ腰になったものの、翡翠にがしっと腕を掴まれた。
 そして、美桜はあれよあれよという間に試着をさせられ、

「うん、やはり似合うな。俺の見立ては、ばっちりだった。美桜、美しいぞ」

 翡翠に絶賛されて、美桜は恥ずかしさで、顔を真っ赤に染めた。

「これをもらおう。後で上に運んでおいてくれ。支配人の買い物だと言って、早雪という娘に渡せば分かる」

 翡翠が慣れた様子で店員に命じたので、

「待って。私、こんな高そうな着物、いらない」

 美桜は慌てて両手を振ったが、

「俺はここの支配人だ。気にするな。それに、俺が、美桜を着飾らせたいのだ」

 と、さらっと言われて、言葉に詰まった。

「さあ、次は下駄を見に行こう」

 困っている美桜にはおかまいなしに、翡翠がフロアを歩いて行く。
 その後、美桜がいくら遠慮をしても翡翠の買い物は止まらず、最後には美桜も抵抗するのを諦めてしまった。

「あらかた必要な物は買いそろえたな」

「ありがとう、翡翠。私のために、色々揃えてくれて」

 申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、「ごめんなさい」と謝ると、翡翠をがっかりさせてしまうと思い、美桜は心から礼を言った。 
 一つだけ、困ったことがあった。幽世にはブラジャーがなかったのだ。

(そういえば着物って、ブラジャーをつけないで着るって聞いたことがある)

 抵抗はあるが、そのうち慣れるだろう。
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