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お盆
おかえりなさい、はち
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大浴場での楽しい時間を終えた俺は、壁一面の鏡の前に立って不審さを覚えていた。
「ポチ、どうしたの? 早く髪乾かして部屋戻ろうよ、服は部屋だし、僕は肌ケアしたいし……ポチ? 本当にどうしたの?」
バスローブを着た俺の隣に同じくバスローブを着た雪兎が立っている。
「いや、その……首の怪我がなくなってるんですよ」
「うん、治ってるよね。よかったじゃん」
「……いや、朝包帯巻き直した頃にはまだカサブタ出来たてみたいになってたんでしょう? ユキ様そう言ってたじゃないですか。なのに、こんな」
鏡に映る俺の首には治った跡すらない。
「……ひいおじい様も痛そうだって言ってたし、あの時はまだ痛かったのに……なんで」
「はやく髪乾かしてよー、部屋帰りたい」
「…………分かりました」
何故か悪化しているよりは、何故か治っている方がマシだ。心の隅にしこりのような疑問を残したまま、俺は雪兎と私室に戻った。
翌日、俺は昨日の晩に取り付けた祖父との約束通り彼に会いに行った。雪兎はぶーたれてはいたが論文でも書いておくと時間を無駄にはしないようだった。
「暇潰しで論文書くとか、とんでもないですよね」
「そうか? 俺もやったぞ。で……話がしたいって言ってたな、近況報告はいいからさっさとそれを話せ。わざわざ時間を作ってやったんだ」
「そんなこと言ってー、おじい様も俺が来て嬉しいんでしょ」
「は……?」
声に出すことなく「何言ってんだコイツ気持ち悪っ」と言っている。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
「……冗談ですよ。まず一つ目、昨日は酷い雨でしたが……ここは山奥ですよね。土砂崩れなどの危険性はありませんか?」
「まず、禁足地って言葉の意味……分かるか?」
「簡単に言うと……昔から入っちゃいけないとされてる場所、ですよね。危ないとか、宗教的なアレとか、理由は色々……」
「概ねその通りだ」
急に何の話だと混乱する俺に祖父は「オカルト的な話になる」と前置きをした。幽霊を見たり超能力を経験したりした俺はもう、オカルト的な理由だろうと筋道が通っていれば納得出来る。問題ない。
「この山は麓まで全域が禁足地だ。若神子一族か、それと接している者以外は入ってはいけない」
「……私有地ではなく、禁足地……なんですか?」
「まぁ私有地でもあるがな、霊山なんだよここは。この山には神秘が生きてる、動物ではなく物の怪が住んでる。ホラーでよくある山の怪異とポンポン遭遇出来る山なんだよ」
「…………それは立ち入り禁止にすべきですね。でも、土砂崩れとかは関係ありませんよね?」
「いや、怪異共も他に住める山がまずないから、この土地を必死に守るんだよ。だから災害のほとんどはこの土地を避ける」
納得出来るような、出来ないような。怪異が頑張れば逸らせるものなのか? 災害というのは。
「……怪異がウヨウヨ居る山だし、私有地だからここの開発は何百年とされてない。土は削られず、木は切られず……こっちの方がお前は納得出来るか?」
「まぁ……まぁ、分かりましたよ。納得というか、これを理解するには俺はまだ知識が足りないなって感じがしました」
「知識が欲しけりゃいつでもくれてやる」
「ありがとうございます……二つ目、いいですか?」
肯定の返事をした祖父に一歩近付き、首輪を引っ張ってズラして首を見せた。もちろん、小柄な上に座ったままの彼のために屈んで、だ。
「……昨日、首の怪我が急に治りました。カサブタが出来たばかりの傷も、跡も残さず消えました。これはどういうことでしょう?」
「傷が……? 親父に会ったか?」
「え? はい、ひいおじい様に痛そうな傷だと言われた一時間後には鏡を見たんですけど、その時にはもう治ってました」
「……親父の超能力だ。目を合わせた人間の傷を癒せる。その代わり、その傷が持つ痛みを引き受ける」
「はっ……? そ、そんなの、もうフィクションじゃないですか! 心を読むとか記憶を見るとかとは、次元が違うっ」
祖父は俺をじろりと睨み、ため息をついた。
「治せない怪我もあるし親父も疲れるから、それほどとんでもないって訳でもない。親父の力は過小評価しとけよ、傷がすぐに治るって学習しちまった人間はすぐに怪我をする」
分かりましたと呟き、首をさする。
「……もう用事はないか?」
「あ、はい……失礼しました」
「…………待て」
早く出ていって欲しいのだろうという落ち込みを雪兎に会える喜びで相殺し、扉に手をかけた瞬間呼び止められた。振り返ると祖父は手招きをしており、お手本のようなツンデレムーブに俺はたまらず笑ってしまった。
「ポチ、どうしたの? 早く髪乾かして部屋戻ろうよ、服は部屋だし、僕は肌ケアしたいし……ポチ? 本当にどうしたの?」
バスローブを着た俺の隣に同じくバスローブを着た雪兎が立っている。
「いや、その……首の怪我がなくなってるんですよ」
「うん、治ってるよね。よかったじゃん」
「……いや、朝包帯巻き直した頃にはまだカサブタ出来たてみたいになってたんでしょう? ユキ様そう言ってたじゃないですか。なのに、こんな」
鏡に映る俺の首には治った跡すらない。
「……ひいおじい様も痛そうだって言ってたし、あの時はまだ痛かったのに……なんで」
「はやく髪乾かしてよー、部屋帰りたい」
「…………分かりました」
何故か悪化しているよりは、何故か治っている方がマシだ。心の隅にしこりのような疑問を残したまま、俺は雪兎と私室に戻った。
翌日、俺は昨日の晩に取り付けた祖父との約束通り彼に会いに行った。雪兎はぶーたれてはいたが論文でも書いておくと時間を無駄にはしないようだった。
「暇潰しで論文書くとか、とんでもないですよね」
「そうか? 俺もやったぞ。で……話がしたいって言ってたな、近況報告はいいからさっさとそれを話せ。わざわざ時間を作ってやったんだ」
「そんなこと言ってー、おじい様も俺が来て嬉しいんでしょ」
「は……?」
声に出すことなく「何言ってんだコイツ気持ち悪っ」と言っている。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
「……冗談ですよ。まず一つ目、昨日は酷い雨でしたが……ここは山奥ですよね。土砂崩れなどの危険性はありませんか?」
「まず、禁足地って言葉の意味……分かるか?」
「簡単に言うと……昔から入っちゃいけないとされてる場所、ですよね。危ないとか、宗教的なアレとか、理由は色々……」
「概ねその通りだ」
急に何の話だと混乱する俺に祖父は「オカルト的な話になる」と前置きをした。幽霊を見たり超能力を経験したりした俺はもう、オカルト的な理由だろうと筋道が通っていれば納得出来る。問題ない。
「この山は麓まで全域が禁足地だ。若神子一族か、それと接している者以外は入ってはいけない」
「……私有地ではなく、禁足地……なんですか?」
「まぁ私有地でもあるがな、霊山なんだよここは。この山には神秘が生きてる、動物ではなく物の怪が住んでる。ホラーでよくある山の怪異とポンポン遭遇出来る山なんだよ」
「…………それは立ち入り禁止にすべきですね。でも、土砂崩れとかは関係ありませんよね?」
「いや、怪異共も他に住める山がまずないから、この土地を必死に守るんだよ。だから災害のほとんどはこの土地を避ける」
納得出来るような、出来ないような。怪異が頑張れば逸らせるものなのか? 災害というのは。
「……怪異がウヨウヨ居る山だし、私有地だからここの開発は何百年とされてない。土は削られず、木は切られず……こっちの方がお前は納得出来るか?」
「まぁ……まぁ、分かりましたよ。納得というか、これを理解するには俺はまだ知識が足りないなって感じがしました」
「知識が欲しけりゃいつでもくれてやる」
「ありがとうございます……二つ目、いいですか?」
肯定の返事をした祖父に一歩近付き、首輪を引っ張ってズラして首を見せた。もちろん、小柄な上に座ったままの彼のために屈んで、だ。
「……昨日、首の怪我が急に治りました。カサブタが出来たばかりの傷も、跡も残さず消えました。これはどういうことでしょう?」
「傷が……? 親父に会ったか?」
「え? はい、ひいおじい様に痛そうな傷だと言われた一時間後には鏡を見たんですけど、その時にはもう治ってました」
「……親父の超能力だ。目を合わせた人間の傷を癒せる。その代わり、その傷が持つ痛みを引き受ける」
「はっ……? そ、そんなの、もうフィクションじゃないですか! 心を読むとか記憶を見るとかとは、次元が違うっ」
祖父は俺をじろりと睨み、ため息をついた。
「治せない怪我もあるし親父も疲れるから、それほどとんでもないって訳でもない。親父の力は過小評価しとけよ、傷がすぐに治るって学習しちまった人間はすぐに怪我をする」
分かりましたと呟き、首をさする。
「……もう用事はないか?」
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