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好きなところはすぐに伝えて (〃)

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腕に巻き付いたカエルの化け物の舌を刺した時に勢い余って傷付けてしまった。車内でカサネはそう話してくれた。

「……すいませんでした。俺……命に替えても守るとか、大口叩いたのに……先輩に助けられて、先輩は自分で助かって怪我して……俺、なんにも。ごめんなさい」

「ゃ、期限切れのスプレー渡した俺が悪ぃよ。ごめんな」

「ぁ、いえ、多分……セーフティロック外さなかったから出なかったんです。使用期限過ぎてダメになってたとかじゃなくて」

「は……? なんで外さなかったんだよ」

「こんなの付いてるなんて思わなかったんです、ちゃんと使い方読んどけばよかった。はぁ……俺ほんとバカ」

「…………何言ってんだお前、熊スプレーにロックは常識だべ」

「熊スプレー生まれて初めて見たんですよ俺は……! こういうスプレー殺虫剤くらいしか知らないし、殺虫剤にはセーフティなんてかかってないんですよ」

カサネは信じられないものを見る目で俺を見ている。

「そうか…………東京、熊出ねぇんだな……引っ越してから地域メール受け取ってねぇから……意識してなかった」

そして、遠い目をして呟いた。まるでかつて熱を上げたソシャゲがサ終を迎えた時のような、それを知らなかったような……そんな目だった。消えたことよりも、それを知らない自分に失望した、そんな顔だ。

「したっけ水月くん熊見たことねぇの?」

「小学生の頃遠足で行った動物園で見ました、白黒でしたけど」

「パンダじゃねぇか」

「マレーグマも見ました」

「アイツら芸ねぇべ、クマ牧のヒグマは手ぇ振るぞ」

「動画なら見たことあります! 可愛いですよねアレ、寝転がったままやる気なさそうに振ってくるのとか超可愛くって……じゃない、傷! 手当てしないと……」

「電車じゃどうにも出来ねぇべ、お前ん家着いたらな」

意外だ、血が出たら大げさなくらいに痛がるタイプだと思っていた。俺と同じタイプだと。黒い服に染みる血の量は正しく分からない、大したことがないのかもしれない。

「痛くないですか……?」

「痛ぇよ。あーぁー、守ってくれると思ってたのになぁー」

「ごめんなさい……あの、ありがとうございます。食われかけた時、助けてくれて」

「……おぅ」

俯いて視線を逸らされた。怒っているふうじゃない、照れているのかな。



俺の自宅の最寄り駅に着くまで何も起こらなかったが、熊スプレーを持ち歩いていたことで駅前の交番の警官にちょっと怒られた。

「厳しいなぁ……」

「ですよね」

「セーフティ外してもねんだからんな口うるさく言わなくても……ひっ、カ、カラス居るじゃん」

「……普通のカラスですよ?」

「苦手なんだよ……! 電線の上ならまだしも塀の上とか、横通ったらアァーとか言いながら威嚇してくるじゃんっ」

住宅地に入り、塀の上に居るごく普通のカラスを見つけたカサネは俺の背に隠れた。あんな気持ちの悪い化けガエルや化けガラスを見た上で、ただの鳥に怯えるとは……不思議な人だ。

「ひぃっ! ほっ、ほら、アァーって言った!」

「近くで鳴かれたらそりゃびっくりしますけど……もう飛んできましたよ」

「これだから東京モンは……北海道のカラスはもっとデカくて凶暴なんだよ」

「えぇ……? それは流石に嘘でしょ」

「マジでデカいんだって!」

「ホントだとしてもここに居るのは東京のカラスじゃないですか」

なんて話しながら俺の家へ──家の前にカラスが居る。電線の上に居て、遠さと逆光でよく見えないけれど、頭が歪だ。あの化け物だろう。

「……? 鳴かない……化けガエル呼ぶ役じゃないのかな」

「お前ん家見張ってんじゃねぇの」

「えっやだ」

「目くらまししか出来んが、やっておくか?」

「サキヒコくんどこに居るの……? いや、いいよ。変なの呼ばれないうちにさっさと入ろう」

玄関から家には入らず、家と塀の隙間を抜けてアキの部屋に向かった。

「ミツキ、私はミタマ殿に霊力を分けてもらえないか聞いてみる。先に入っていてくれ」

「あ、うん……」

声だけが聞こえてくるのに懐かしさを感じる。取り憑かれ始めたばかり頃はこんなふうに声だけが聞こえていた。

「ただいま~」

「ぉ、お邪魔します……」

部屋にアキの姿はない。プールだろうか? 探したいが、今はカサネの傷の手当てが先だ。

「カサネ先輩、手当てします。上脱いでください」

「……たん終わり?」

「人前でそう呼ばれるの嫌なんでしょう? 弟がいつ戻るか分かりませんし……もしかして、たん付け好きになりました?」

「そこそこな」

取ってきた救急箱を開く。半裸になったカサネの想像以上の肉と脂肪のなさに驚きつつ、消毒液に浸した脱脂綿で血を拭った。

「んっ……!」

血による目隠しが剥がれ、顕になった傷は俺の親指ほどの長さの糸のような切り傷だった。深さは分からないが、浅くはなさそうだ。

「服黒いし血の量分かりませんけど……結構出てません? 深そう……」

「勢い余っちまったな、自分で刺すとかバカみてぇ」

傷に合わせて切ったガーゼをサージカルテープで貼り付けた。先程鞄に詰めたばかりの着替えをもう取り出す羽目になったカサネはため息をついている。

「なぁ、フランク放していい?」

「はい、あっここアキの部屋なので、アキに聞かないと」

「アキちゃん前フランクベッドに上げてたべ」

「そうなんですか? じゃあよさそうですね、出してあげてください」

キャリーバッグから出されたパグ犬はしばらく床やベッドの足を嗅いでいたが、カサネが鞄から寝床を取り出すと彼の足元に戻った。

「この辺置いていい?」

「どうぞどうぞ」

「……トイレも置いていい?」

「どうぞ。ペットシーツなら俺も買ってるので、持ってきた分なくなったら言ってください」

「ありがと……なんで買ってんの? なんか飼ってんの?」

「セックスの時に」

「分かったもういい」

カサネは俺に背を向け、給水器やペットトイレなどを部屋に取り付け始めた。

「……一人になれる部屋作る件ですけど、多分俺の部屋になると思うんで……夕方頃みんな帰ってくると思うんで、その頃になったらそれも移しましょうか」

「そう……だな。ありがとう、その、お前気遣い……すごくて、そういうとこ…………好き」

「……! ありがとうございます! 俺も先輩の細かいとこ気付いていちいちお礼言ってくれたりするとこ好きですよ!」

ふいとそっぽを向いたカサネが顔を赤くしていたのを見逃す俺ではない、けれど今の関係ではまだ追撃は厳禁、何も見なかったフリをして救急箱を片付けた。
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