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手を打つ音 (〃)

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人間ではない。動物でもない。虫でもない。世界の奇妙な生き物達、なんて本を読んだことがあるけれど、ああいった本に載っているマイナーで独特な見た目の生き物とも違う。この世の法則に反した化け物共が、シャッターの奥の暗闇から溢れ出してきた。

「みっちゃんさっちゃん逃げろ!」

ミタマはそう叫ぶと体高が人間程もある大きな狐へと姿を変えた。俺とサキヒコを隠すように四本の尾を広げ、吠えた。

「……っ」

「ダメだミツキ下がり過ぎるな!」

震えながら勝手に後退を始めた足が、サキヒコの声で止まる。自分の身体の操作権を怯えから取り戻した俺は後ろを振り向き、既に魑魅魍魎が俺達をぐるりと囲っていたことに気が付いた。

「神霊は支配下に置けなさそうだからなぁ、もったいないけど削りきっちゃって。御神体近くになさそうだしこの場の霊力使い尽くさせれば十分な時間稼ぎになるはず」

歪で不気味な化け物共の向こうから物部の声が響く。

「霊は食っていい、多少は君らのパワーアップが望めるだろう。金髪は殺していい、死体欲しいから壊し過ぎないようにね。女は……半殺し、腹は狙うな、霊能力者の女はいい胎になる。イケメンくんはとりあえず生け捕り、夜凪を結界から出させなきゃいけない」

ガードレールを飛び越えてスイとネイが俺の隣に並ぶ。

「……効けばいいんですけど」

ネイはそう呟くと懐から拳銃を取り出した。

「んなもん持ってたの!? 弾貸して、力込めたげる」

スイはネイから渡された拳銃と数個のマガジンを力強く握り締め、すぐにネイに返した。

「ネ、ネイさん……あの」

「…………巻き込んでしまい申し訳ありません、水月くん……私の命に替えてもあなただけは無事に返してみせます。だから、どうか……私に何かあった時は、ノヴェムを──」

「理解したな! かかれ!」

「──頼みます」

物部の号令でそれまで距離を取っていた魑魅魍魎が一斉に俺達に襲いかかる。ぐちゃどろの、目玉と口が大量に生えたような奇っ怪な怪物が、発砲音と共に弾け飛ぶ。

「すごい威力……素晴らしいですよヒツジさん!」

また偽名を忘れているのかスイはネイの声に全く反応しなかった。霊体を弄ったらしく異様に伸びた爪を振るい、浮世絵で見た妖怪のような何かを切り裂いている。

「…………ね、ねぇ、サキヒコくん」

「何だ、逃走手段でも思い付いたか」

「いや……あの、さ……あの化け者達みんな、荒凪くんみたいに…………ひ、酷い目に遭って死んだ、元……子供とか、なんじゃ」

「…………だとしたら早く逝かせてやるのが人道と言うものだろう。ミツキ、逃げ方は私が考える。あなたは祈れ、ミタマ殿の力となるよう……ミタマ殿に感謝し、ミタマ殿を信仰し、ミタマ殿に一心に祈るんだ」

「あ……そ、そっか、それなら俺でもっ」

俺は手を組み、目を閉じ、祈った。今この場に居る全員が無事に帰れますようにと。全ての悲しき化け物達を浄化出来ますようにと、願った。

「……出力が上がったな。神霊やっぱり面倒臭いな~、女の方もかなり……妖怪、もうちょい強いの持ってくればよかったな。あーぁ、在庫処分気分で来るんじゃなかった」

カカンッ、と下駄を履いた両足がアスファルトを打つ音がした。ミタマが人の姿に戻ったらしい、戦闘は終わりなのかと顔を上げたが魑魅魍魎は相変わらず辺りを飛び回っている。

「おおきにのぅみっちゃん、これだけ信仰があれば十分じゃ」

俺を見下ろしてにっこりと笑ったミタマは、胸の前でそっと手を合わせた。そして徐に手を離し──パァンッ! とミタマの手が打ち鳴らされたその瞬間、迫っていた魑魅魍魎が霧散した。

拍手かしわで一つで!? うへぇ……ここまでやるとは」

「邪気を払うもんじゃからのぅ、効果バツグンっちゅうヤツよ」

「あのままジリ貧かと思ったぁ! ナイス狐!」

「……私死を覚悟してたんですけど」

「さて、物部とか言ったか。覚悟は出来ておろうの」

物部はポリポリと頭を掻き、面倒臭そうにため息をついた。緊迫感はまるでない。

「夜凪はさぁ、妖怪じゃなくて呪具な訳で……作ったのは僕だからさ、所有権は僕にあるんだよね? あぁ、権利ってのは夜凪返せって屁理屈捏ねてる訳じゃなく……オカルト的に大きな意味を持つんだよ。所有者とか、製作者とか、そういうのは。夜凪を覚醒させたのは君でも、夜凪を扱えるのは僕だけのはずだから、君が持ってても意味ないよ? 返して欲しいなぁ」

「誰が渡すがクソクズ! あの子は物じゃないし、呪いの道具として扱う気はない!」

「国呪うとか言って地震起こせる子欲しがるヤツに渡すとか、ナルちゃんじゃなくてもやんないわよ。殺人鬼に銃あげるようなもんじゃない」

「この場でヌシを捕らえることは叶わんようじゃが、死体を操る術を調べるくらいは……」

ミタマがずんずんと物部に近付いていくと物部はくるりと後ろを向き、両肩甲骨のちょうど真ん中辺りで手の甲同士を打ち付けてパァンッ! と音を鳴らした。

「……何です? 突然軟体自慢ですか? 自分の身体でもないのに」

「いや、逆さ拍手……? とかじゃない? アタシよく知らないけど」

ミタマの足が止まっている。声をかけようとしたその瞬間、ミタマの首から一筋の血が吹き出した。

「天の逆手、強い抵抗を示す呪術的儀式行為だよ。霊能力者やるなら知っときなね。これは特定の効果がある呪いじゃないんだ、抵抗……つまり僕に向かってくる相手が僕に手出し出来ないような状況に持ってくワケ。狐くんはどうしたのかな、古傷でも開いたのかな~? じゃあね、情報全部消してくね~」

「……っ、待ちなさいよ!」

ひらひらと手を振りながら去っていく物部にスイが追いすがる。スイの手がその背に触れようかというその時、物部はぐらりと揺れた。頭部とアスファルトがぶつかり、ゴッと鈍い音を立てた。

「死体との接続を切りやがった……!? あぁクソっ! 術の痕跡すらないじゃない!」

「ス、スイさん! 今はそれよりコンちゃんを……コンちゃん大丈夫!? どうしたの、フタさんに切られたとこ!?」

「……いや、首が……離れとる」

ミタマは巻いているマフラーの端と端を掴み、引っ張り、自分の首をぎゅっと締めている。

「落ちそうじゃ……」

「…………なら頭持ちな!? マフラーじゃなくて!」

「む……」

「そうそう頭持って。マフラーは俺がキツめに縛っとくから……! い、いやどういうこと? 京都の……あの、石像の、タチの悪いバカにイタズラされた……あの傷? あれ開かされたの?」

マフラーをしっかりと巻き直しながら、マフラーに染み込んでいく赤い液体から目を逸らしたくなりながら、尋ねる。

「多分……くぬぅ、拍手を逆手で返されるとは……彼奴やりよる」

「どうしよう、また針壊して縫えばいいの? 裁縫セットなら一応いつも持ち歩いてるのがあるけど普通の糸じゃまずいよね?」

「え持ち歩いてんの、ナルちゃん女子力高」

「ワシのホントの本霊は首が取れとるが、今みっちゃん家にある本霊は新品じゃ……あの像に入って少し休めばくっつくと思うんじゃが」

「そ、そっか、じゃあ早く帰ろう……落ちないように、押さえたまま」

首が切れて血が溢れ出しているのに首が転げ落ちないようにするだけでいいのかという疑問はあるが、実際ミタマは話せている。彼に人間の常識は当てはまらない。

「……タクシーを呼んだ方がよさそうですね。電車や駅内で他人にぶつかったり、階段の上り下りだとかは不味いでしょう」

「ですね……お願いします、ネイさん」

「…………頭持つん疲れてきた」

「しっかりして!? サ、サキヒコくん、支えてあげて……!」

「あ、あぁ!」

駅で待ち合わせをして追跡を開始した頃には想像もつかなかっただろう。真犯人らしき男と直接ではないものの遭遇し──最終的にミタマの首と胴が離れる結果になるなんて。
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